第22話 聖女様のもうひとつのバレンタインデー
「と、とき……庵くん。少し良いですか?」
バレンタインの翌日の帰宅後、明澄と今後の配信や企画について打ち合わせをしていると、彼女は躊躇いがちにそう切り出した。
まだ、名前で呼ぶのに抵抗があるのかそれとも苗字で呼んでいた時の癖が抜けないのかは分からないが、若干そわそわしているように見えた。
「どうした?」
「え、えっと……週明けの晩ご飯は何がいいですか?」
買い出しは各々でしているから、庵の返答によって色々変わってくる。
自分が作る日の夕食のメニューについて聞きたかったらしい。
ただ、それにしてはなんだか様子がおかしかった。
庵が質問に答えたあと、明澄はなぜか制服のスカートを摘んだりと普段見られないような行動をしていた。
「もしかして寒いのか?」
「え、あ……」
「スカート摘んでるだろ? タイツ履いてるけど膝下とか寒いのかなって」
「そ、そうですね! ちょっとだけ寒いなって思ってました」
その仕草の意味を探った庵は思いついたことから聞いてみると、明澄は少し食い気味に答えてくる。
指摘は正解だったらしい。
けれど苦く笑っているあたり、まだ何かあるのだろうか。
あとは思い付くことといっても、デリケートなことばかり。
とりあえず庵はエアコンの温度を上げておくことに留めた。
「これであったかくなるだろ。まだ寒かったら言ってくれ。電気ストーブ出してくるから」
「あ、ありがとうございます……庵くん」
エアコンのリモコンを置いた庵はそう気遣う。
明澄もはにかみつつ、小さく庵の名を口にしていた。
「さて、今度のコラボだけど誰がいいだろうな」
「……」
「明澄?」
「な、なんでしょう?」
「いや、ゲストの話。大丈夫か? 体調悪いのか?」
「い、いえ、色々と考えていたので。すみません。ゲストですよね」
庵が話を戻しても彼女の反応が薄かったり、どこか上の空というか集中力がないというか、いつもの明澄らしくない。
真面目な彼女がここまで様子がおかしいと、心配になってくる庵だが、明澄がそう言う限り聞きづらい。
事情を話してくれるまで待つしか無かった。
「カレンさんとか呼んでみますか?」
「あーあの風呂入んねーやつか。前に会った時酷かった記憶がある」
「あ、ははは……。結構豪快な方ですからね」
「んじゃ、それで行くか。あとは現実の話だが問題は今度の課外合宿だなぁ。仕事ができなさそうだ」
「あ、そうでした。二泊三日の林間学校がありましたね」
「なんで、こんな時期に行くんだって話だよなぁ。入試とかあるのに」
「色々と事情があるんでしょう。仕方ありません。しばらくゆっくりしましょう」
一年生である二人は今月の中頃に林間学校としてスキー合宿がある。
打ち合わせも程々にし、今度は学校の行事について話し合ったりもした。
そして終始、明澄がなにか気にかけているような、言いたそうな雰囲気を醸し出していたが、結局聞けず終いのまま打ち合わせは終わった。
「よし。そろそろ、配信だろ? また、夕食作って待ってるわ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「じゃあ、また後で」
「……」
明澄の配信の時間が近づいてくると、庵は話を打ち切った。
バレンタインも過ぎ、仕事も落ち着いたので今日は庵が夕食の担当だ。彼は小さく手を挙げ、彼女を見送ろうとする。
いつもはそのまま明澄が自宅に戻って行くのだが、今日はなぜかその足取りは重そうだった。
やはり変だ。
どこか体調がおかしいのか。明澄は弱音を吐くことも見せることもないので、余計に心配だった。
身バレしてから二ヶ月程の付き合いだし、名前を呼び合うようになったのも昨日。
それで何が分かるのか。彼女の何を理解しているのか。自信は持てなかったがやはり今日の明澄は、いつもと違う。
意を決して庵が「ちょっといいだろうか」と言い出したところで、明澄に変化があった。
「すぅ……ふぅ。……あの、庵くん。昨日は忙しくて渡せなかったんですけど、これいつものお礼にバレンタインのチョコです」
意を決したのは明澄もだったらしい。
軽く深呼吸をしたと思えば、彼女はおずおずとカバンから赤いリボンで飾られた高そうなチョコ色の小箱を取り出した。
その一瞬で庵の憂いも心配も不安も消え去る。
どうやらチョコを渡すのが明澄の今日の目的だったようだ。
明澄はきゅっと口を結び、頬を赤みを帯びさせたなんとも可愛らしい表情をしながら、それを差し出してくる。
「あ、ありがとう……?」
まさかバレンタインのチョコを貰えると思っていなかったから、庵は戸惑いつつも明澄からその小箱を受け取った。
「すみません。すぐに渡したかったんですけど。中々タイミングが掴みづらくて」
「別にさっと渡してくれて良かったんだけどな。本命や彼氏に送るわけでもあるまいし」
明澄はチョコを渡すタイミングを見計らっていたらしい。
時々、彼女が言い淀んだり何かを切り出そうとしたのはそういった行動の結果だった。
ただ、庵としてみれば明澄がタイミングを見計らう意味はあまり分からなかった。
告白だったり、恋人に送るのであれば雰囲気も必要だが、庵と明澄はそう言った関係ではない。
友達としては少し変わってはいるかもしれないが、それでもやっぱり明澄の素振りは不思議に思った。
「昨日、配信でプレゼントは私です、なんてやってしまったのでどうしても思い出して恥ずかしかったんです」
まだ庵が得心出来ずにいると、彼女は徐ろに視線を逸らしカバンで口元を隠しながらそう紡いだ。
「なるほどなぁ」
「そういうことなので……」
確かにあんなセリフを言った後だと分からなくもない。
でもやっぱりVTuberではなく、演じたことも無い庵にはまだ理解が難しくて、
「明澄は明澄だし、氷菓は氷菓だろうに。そんなに恥ずかしくないだろ。相手は俺だしな」
「そ、それはそうですけど」
そう言って明澄の反応を見ることにした。
それに彼女がどうにも可愛らしくて、悪戯心が芽生えてしまったのだ。
「純情だな」
「だ、誰かと付き合ったことすらない、庵くんに言われたくありません」
「……」
揶揄いも含めて庵が率直な感想を告げると明澄はつん、とそっぽを向いていた。
そんなことはない、とは言い返せないのでそこはスルーしておく。
「と、というわけでチョコはお渡ししたので戻ります。市販なので感想とか気を使わなくていいですから」
「ああ……また後でな」
「で、では」
若干、急ぐように言った明澄は最近は見せなかったぺこりと一礼をして、リビングから足早に出ていってしまった。
庵はまともに礼を言う暇もなく、置き去りにされたので、とりあえず箱を開封することにする。
中には一口サイズのチョコレートが七つあって、全て違う形をしていた。
箱に目をやれば、チョコレート会社にあまり詳しくない庵ですら知っているような高級メーカーのものだと分かった。
感想に気を使わなくていいとは言っていたが、明澄はちゃんと庵が美味しく食べられるようにと、チョイスしたのだろう。
そして、庵はウイスキーが混ぜこまれたチョコを一つ摘んで口にした。
チョコは仄かに柑橘系の香りがしたと思えば、カカオの苦味と同時にウイスキーのアルコールで喉がほんのりと熱くなる。
しつこくない程よい甘さは庵の好みだった。
「うま……めっちゃうめぇ」
と、庵は独り言を呟きつつ、また一つ手に取って口にする。
今度はラズベリーの味だ、甘酸っぱい。
甘酸っぱいのにそれから暫く、庵の口の中には妙にチョコの甘さが残るのだった。
一方、そうやって庵がチョコレートを食べている部屋の外、マンションの廊下では、
(私が渡すのを躊躇しただけで、氷菓は関係ないのに嘘をついてしまいました……)
「でもなんで早く渡せなかったのでしょう」
庵にチョコを渡してから熱が治まらない頬に冷えきった手をやり、廊下の窓から流れ込んでくる夜風に当たっている明澄の姿がそこにあった。
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