第21話 新衣装と名前で呼んで

「行きますよ? 今回の新衣装は……こちらです!」


 二月十四日、バレンタイン当日。

 七万人以上の視聴者を集め、明澄は新衣装のお披露目を行っていた。


「はい! ママにこんなお洋服を用意してもらいましたっ!」


 彼女は画面の上から焦らしつつ、衣装を徐々に披露していく。

 そして満を持して披露された新衣装は、白のブラウスに薄青のコルセットスカートという、可愛さに重きを置いたデザインとなっていた。


 首元にはハートのアクセサリーが付いた紐リボンだったり、ブレスレットや髪留めはチョコをイメージして作られている。

 細かい部分にも庵のこだわりが見られるデザインだった。

 

《かわいい》《かわいい!》《かわいいー!》《可愛すぎん?》《隊長、七万人が尊死しました!》《かわよ!》《かわいい!》《はい、最高》《マッマがええ仕事しとる》《かわいい!》


 そんな可愛いを極めたような新衣装姿の氷菓が画面に現れると、コメント欄には「かわいい!」といった単語で溢れた。


《くっ! バレンタインなんてお菓子会社の陰謀なのに……こんなの投げずにいられねぇよぉっ!》や《まじ、うかまる最高! おじさんからバレンタインプレゼントです》、《かわいいって百回言いたいけど、荒らしになるのでここで言います。かわいい!×100!》


 と、また投げ銭をするリスナーはそのスーパーチャットに熱い思いや感情をそのまま載せていたりと、盛り上がりは最高潮へと達していく。


「どうですかこの衣装! 可愛い過ぎませんか! ママの衣装が着られるのは世界で私だけですからね!」


 ニコニコというより、満面の笑みと言った方が正しいであろう表情の氷菓が存分に自慢する。


 もちろん、自室で放送を行っている明澄本人も笑顔だし、放送を見ている庵も満足気に誇らしくしていた。


(我ながら最高過ぎたな。この瞬間がたまらん)


「見てくださいこの刺繍や髪飾り! 私が考えたのをママが作ってくれたんです!」


 彼女の自慢はとどまることを知らず、衣装の隅から隅までリスナー達に解説していく。


《やはり最高の娘だわ! 可愛いゾ!!》


「あ、ママも居ますね〜! ふふふっ。ママの欲望を詰め込んだ甲斐がありましたね!」


《ママもようみとる》《ママありがとう!》《ママにもスパチャ出来ないの?》《神が降臨されとる》《ママに一生ついて行きます》《ママの欲望!?》《ママも新衣装頼む》《ママありがとう!》


《ふっ、天使を生み出しちまったぜ》


 明澄が彼のコメントに反応し、リスナーに紛れノリノリで庵はコメントを書き込んでいく。

 それはもう楽し気で、えびす様も顔負けの笑顔だった。


「ママ、本当にありがとうございます! 私は幸せですっ!」


《てぇてぇ》《てぇてぇ》《うかんきつてぇてぇ》《てぇてぇ!》《てぇてぇなぁ》《てぇてぇよぉ》《親娘ラボ、待ってます》《viva! うかんきつ》《てぇてぇ》《てぇてぇ》


 明澄ひょうかかんきつのそのやり取りは、一気にリスナーたちの胸を尊い感情で埋め尽くす。


 果てにはTwitterのトレンドにまで載り、「京氷菓 新衣装」「新衣装」「うかまる」「うかんきつ」がトレンド入りしていた。


「実はですね、こんな可愛い衣装を作って下さったママのためこの衣装限定のモーションを作ってもらったんです! 見ててください!」


 そう言った明澄がPCを操作すると、氷菓が通常のモーションとは違う動きを始めた。

 今回実装されたのは、氷菓が赤らめながら上目遣いでバレンタインチョコを渡すという、非常に破壊力抜群のモーションだった。


 そんな彼女の新モーションは、庵だけでなくリスナーの心をも掴んだようで、


(え? 何だこれ!? めちゃくちゃ可愛いじゃねえか!!)


 庵がそう思った瞬間には、また可愛いの大合唱が始まり、コメント欄が重くなるほど可愛いとてぇてぇの書き込みが相次いでいた。


「どうですか。バレンタインのプレゼントは私、です。なんちゃって」


 もう一度、明澄は新モーションを使って庵とリスナーに向けて、大サービスと言わんばりにそんなセリフまで口にしていた。


《氷菓、可愛いよぉ。結婚してー!》

《わたしの後輩が可愛すぎるんだが?》


(だめだ、これはやばい! モーション担当神かよ!)


 もちろん、コメント欄は尊死者で溢れ返り、また零七や夜々までもがコメント欄に現れたり、庵も推しの姿に限界化していた。


 そうして、明澄(氷菓)の新衣装配信は大好評のまま終わりを迎え、その日のTwitterやYouTubeのトレンドを席巻するのだった。




「朱鷺坂さん、私の新衣装のお披露目配信どうでしたか?」

「控えめ言って最高。特にあのモーションは死人が出る。というか俺は死んだ」


 配信を終えた後、ちょっとした打ち上げを兼ねて、庵の部屋のダイニングテーブルで二人は遅い夕食を摂っていた。


「正直、私も初めて見た時は、同じ反応をしましたね」

「よく、あんなの考えたな」

「やっぱりバレンタインですし、チョコを渡すモーションが欲しいじゃないですか。なのでモデリング担当の方に相談したらこうなりました」

「ぷろぐれすのモデラーはやっぱすげぇわ」


 氷菓の新モーションは明澄が秘密裏に用意したもので、新衣装をデザインした彼ですら思わず唸るほどのサプライズだった。


「それにしてもコメント欄えげつなかったな」

「はい。久しぶりにあんなに盛り上がるコメント欄を見ました」

「やっぱ、可愛いとか尊いってのは最強だなぁ」


 新衣装配信やお誕生日配信など節目になる配信では、普段からは想像もつかない盛り上がりを見せることがある。


 今回は特にウケが良かったらしく、スーパーチャットの金額もとてつもないことになっていたりする。

 それほど可愛いや尊いという感情はファンを沸かせるものだと改めて実感した。


「今、思ったのですが、ネットではてぇてぇなんて言われていますけど、こちらではお互い苗字で呼んでいるのは距離がある感じがして不思議ですね」

「確かに」


 コメント欄の盛り上がりについて語っていると、ふと明澄がそう言いだした。


 思えば確かにネット上ではあれほどママだったり、娘と呼んだりして距離が近いのに、こうしている今はお互いに苗字呼びのままだ。


 そのことを彼女は不思議に思ったらしく、また庵も苦笑気味に同意していた。


「あの、朱鷺坂さんのこと友人と思っていいのですよね?」


 明澄は恐る恐るといった感じで尋ねてくる。

 最初はネット上ではVTuberとイラストレーターという関係で、現実ではただのお隣さん。


 そして、身バレしてからは互いに助け合うようになったけれど、それは二人のやさしさから来る同情だったから、友達というには少し事務的なところがあった。


 今は仲良くしてはいるが、そんな風な尋ね方をするのはやっぱり最初自分が取っていた態度もあって不安だったからだろう。


「そんなこと聞くなよ。友達と思ってなきゃ、ここまで関わってないって」


 けれど、庵は若干気恥しそうにしながらも、そんな彼女の不安を吹き飛ばすように答える。


「ふふっ。そうですか、そうなんですね」

「なんかおかしかったか?」

「いえ、別に」


 彼の回答を聞き終えると明澄は微笑みながら小さく呟く。

 気になった庵が尋ねてみても彼女は短く言ってはぐらかした。


 そうして、少しの間なんとも言えない沈黙が訪れ、


「あの、庵くん……?」

「っ!? な、なんだ、急に名前で呼んだりして。どうしたんだ?」


 しばらくした後、明澄は少し首を傾げたかと思えば彼の名前を呼んでいた。


 今までその瞬間ほど、庵の心臓が飛び跳ねたことなど無かっただろう。


 ぎょっとしたような視線を向けたかと思えば、ばくばくと煩すぎる心音を聞かれまいと、身体を背けながら庵は横目だけでぎこちなく返していた。


「今ってそういう流れだったじゃないですか。え……? 違うのですか!?」

「友達が少ない俺に聞くな。分からん」

「もしかして、とても恥ずかしいことをしたんでしょうか」

「もしかしなくてもそうだよ」

「うぅっ……忘れて下さい」


 庵の反応に明澄は驚いたり、恥ずかしくなって顔を赤くしたりと忙しそうに表情を変えていく。


 最後には明澄が俯きながらボソボソと消え入りそうな声を出せば、庵も恥ずかしさからまた黙ってしまう。


「なぁ、明澄……これでいいか?」

「ふぇ? え、えっと、あの?」


 けれど今度はその沈黙を庵が破った。


 なぜそうしたのかは分からない。

 でもそうするべきなんじゃないか、と庵はいつの間にか彼女の名前を口に出していた。


 すると明澄から腑抜けたような声が聞こえてくる。

 どうやら驚いて呆気に取られたらしく、彼女は小さな可愛らしい口をぽかんと開け、その碧い瞳をぱちぱちと瞬きさせていた。


「名前で呼んでいいんだよな?」

「はい……いいです」


 お互いに名前で呼ぶ。

 明澄が求めていた、想像していたのは恐らくこうすることだったのだろう。


 友達として確認が出来たから、二人して不器用ながらも少しだけ踏み込んでいた。


「庵くん」

「なんだ?」

「言ってみただけです。まだ恥ずかしいので練習です」

「ばかたれ。俺が恥ずかしいわ」


 明澄は練習と言って庵の名前を呟いて微笑んだ。

 彼女は単純にそういうつもりだったのかもしれないが、庵にしてみればたまったものじゃない。


 わずか七十センチメートル先にいる聖女様にそんな振る舞いをされたら、かっと顔が熱くなるというもの。


 庵は暫く湯のみに浮かぶ茶柱を見つめて顔を逸らしながら、明澄の練習に付き合っていた。

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