空を渡る音

 一瞬、死んでいるのかと思った。


 大袈裟だと言われるかもしれないが、時計塔に寄り掛かって座り込んでいて、しかも目をつむっているのだ、生死を疑っても仕方ないだろう。

 僅かに上下する肩で呼吸をしていることは確認出来たが、微動だにしない男に、少年は恐々話し掛けた。

「あのぅ……大丈夫ですか?」

 男は酷く緩慢な動作で顔を上げ少年を睨む。本人に睨んでいるつもりはないのかもしれないが、とにかく眼光が鋭い。何かを考えていたのか、少しの間をおいて口を開いた。

「何か……用か?」

 やや低い掠れた声、それだけでは男の状態を知ることは難しく、肌が褐色のため顔色から判断することもできない。

「えっと、どこか具合が悪いのかと思いまして」

「……いや、大丈夫だ」

 控え目に尋ねた少年に、ゆっくりと目を伏せた男は静かに答えた。

 あまりに素っ気ない言葉に少年は少しだけ困った顔をしたが、すぐに気を取り直して話し掛ける。

「観光の方ですか? それとも、移住の方ですか?」

 二人の間に沈黙が落ち、苛立たしげな表情の男が息を吐く。もしかしたら話し掛けられたくなかったのかもしれない。

「……観光に、見えるのか?」

「いいえ、一応聞くきまりなので」

 首を横に振り、苦笑しながら少年は答える。その言葉に男の顔が険しくなるが、少年は気にした様子もない。

「移住の方ですね、住む所はお決まりですか?」

 とたんに男は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……いいや、住居を探しに行ったら、仕事をしていないと駄目だと言われたんだ」

「はい」

 少年は短く相槌を打つと、どうぞと視線で続きを促した。

「それで、先に仕事を探しに行ったら、住居が決まっていない奴は駄目だと……一体どうしろと言うんだ!」

 沈んだ声で続きを話し出した男だったが、怒りが抑え切れなかったのか最後の方は叫び声に近い。

「すみません」

 反射的に謝罪した少年に目を丸くした男は、しぼむように元気がなくなっていく。

「ああ、いや、君は何も悪くない、怒鳴って悪かった」

 少年に向けて手を振ると、男は俯いて小さくため息を吐いた。

「いえ、そうですね……でしたら、僕があなたを雇いましょう」

「は?」

 返事をした少年が続けて発した言葉に、男は驚いて顔を上げそのまま固まってしまう。おそらく意味が理解できなかったのだ。

「中へどうぞ」

 少し離れた位置にある時計塔の扉を開いて少年が声をかける。

「あ、ああ」

 無意識に立ち上がった男は、促されるまま少年の後を追って中へ入った。

 少年が上を向いているので、それに倣って男も上を見る。天井が遥か遠くに見えた。


 時計塔はこの町で最も高い建造物で、上に向けて狭くなる角柱と四角錐の中間みたいな形をしている。

 内壁に沿って石段が螺旋状に設置されているが、その段差は子供の進入を防ぐためかやたらと大きく、大人でも何度も上るのは辛いという代物だ。

 下から見える天井は時計の機械室の床だが、さらに上に鐘撞き場があり、最上部に吊された鐘は、朝昼晩と日に三度鳴らされる。


「先日、鐘撞きの方が亡くなったのですが、後継ぎの方がいなかったため今は町の方々が交代で撞いているんです。最初はお掃除をして頂いて、どなたかに習えるようにお願いしておきますので……あ、住む所はもちろん用意します」

 淡々と紙に書いてある文章を読んでいるかのような少年の声に男が顔を下ろすと、澄んだ赤茶色と目が合った。とたんに男の表情が歪んでいく。

 落ち着きなく視線をさ迷わせると、少年から離れるように壁際に後ずさっていく。

「やめろ、ち……近寄るな!」

 何かに怯えているのか、男は壁伝いに移動しながら少年に向かって叫ぶと、石段を駆け上がった。

「え? あ、ちょっと、待ってください!」

 男が突然変貌した理由が分からず戸惑っていた少年は反応が遅れる。石段を見て僅かに逡巡したが、慌てて男の後を追う。

 時計や鐘を壊されたりしても困るが、飛び下りられるともっと困る。

 背の低い少年にとって、石段を上るのはとてつもなく大変なことだった。けれど急がなくてはならない。

 懸命に上り続けた少年の足が痛くなり心臓が飛び出そうになった頃、ようやく最上部である時計の機械室にたどり着いた。そこには人影がなかったので、さらに上の鐘撞き場へと上る。その頃には肩で息をしていたが、必死で呼吸を整えながら男の姿を探す。

 男は隅っこでうずくまっていたので、少年は静かな声で問い掛けた。

「僕、何か良くないことをあなたに言いましたか?」

 男は目を見開いた驚愕の表情で少年を見て、また叫ぶ。

「やめてくれ! 俺は優しくされるのが嫌なんだ、殺したいのなら殺せ!」

 少年は困ってしまった。男の言っていることが支離滅裂過ぎて理解できない。

「……どういうことでしょうか? 僕はあなたを殺したくはないです」

 少年はなるべく男を刺激しないように、少し離れた場所に座り穏やかな声で話し掛けた。

 身体は小刻みに震えていたが、男は少年を見て口を開く。

「あいつらは優しくしておいて、俺の素性を知ると手の平を返した」

 どうやら男の身の上話のようだ。断片的で少年にはよく分からない話だったが、とにかく聞かなくては先に進めない。

 小さな声で続く男の話に、少年は静かに耳を傾ける。

「卑しき民族の出だと、村を追われた……罵られ、石を投げられた」

 辛いことを思い出したのだろう、夕日が落ちて夜がやって来る時の空のような青色から透明な滴がこぼれ落ちた。

 そのまま褐色の肌を伝って石畳の床に染みができても、男の涙は止まらない。少年は何も言わず、ただ優しい瞳で男の側に座っていた。



「すまない、取り乱して悪かった」

 恥ずかしそうにそう言った男は、少しすっきりとした顔をしている。

「いいえ、僕の方こそあなたの事情も聞かずに急に話し出してしまってすみませんでした」

 申し訳なさそうに頭を下げた少年に、男もまたばつの悪そうな顔をした。

「ここは難民を受け入れてくれる町だと聞いて来たんだ」

 ぽつりと男が呟く。

「難民を多く受け入れていたのは、ずいぶん、昔の話です」

 悲しそうに少年は目を伏せたが、男が何かを言う前に言葉を続ける。

「でも、今、受け入れていないわけじゃないんです」

「そう、か」

 男の相槌のような言葉の中に戸惑いがあることを感じた少年は、軽く呼吸を整えてから続きを話し出す。

「あなたさえよろしければ、鐘撞きの仕事をしませんか? 住居は前の方が住んでいた所を使って頂いて構いません。賃金は払えませんが食事は三食用意します」

 少年の勢いに呆気に取られ、男は返事ができなかったが、少しして不思議そうに尋ねた。

「雇い主は、君なのか?」

「はい、ええと、正式に鐘撞きになれば雇うのは町ですけれど、見習いの内は僕がということになります」

 少年は人を探しているだけで、正式な雇い主ではない。

「見習い……」

 不安そうな男に少年はさらに条件を提示する。

「あの、もし違う仕事がしたいのでしたら、その間に探していただいても構いません」

 少年はただ優しいのではなく、互いの利害が一致すると思ったから話をしたのであって、この破格の条件は見習いの間だけなのだ。

 男は小さく唸り、ややあって息を吐く。まるで溜め込んでいたものを全て吐き出すように。

「そうだな、これだけ好条件だと断る理由がないな……よし、やろう」

 男の了承の言葉に、少年は顔を綻ばせる。

「本当ですか! では、よろしくお願いします。あ、僕はティオと言います」

「俺はガロットだ、よろしく」

 互いに微笑み合うと、二人は固く握手を交わした。



「どうしたんだ、下りないのか?」

 下りましょう、と自ら言ったにもかかわらず機械室から下に行こうとしないティオをガロットは疑問に思う。

「……僕、高い所が駄目なんです」

 沈んだ声で告げるティオに、澄んだ青色をしばたかせたガロットが尋ねる。

「でも、ここまで上ってきただろう?」

「さっきは、無我夢中でしたので……」

 青ざめた顔でちらちらと石段の方を見ては身体を強張らせてティオが言う。淡々と話している時はしっかりした青年のようにも見えるのに、こうしていると年相応の少年……というより胸元まで伸びている赤茶の髪と相まって、少女のようにも見える。

 正直ため息をつきたいような状況だが、元はと言えばティオの話を聞いて勝手に混乱状態になった自分が悪いのだから、文句も言えないガロットだった。

「よし、俺がおぶって下りよう」

「え、でも……」

 ガロットの提案に、ティオはひどく躊躇った。その理由を、不安だと考えたガロットは笑って見せる。

「大丈夫だ、ティオは目をつむっていればいいし、これが俺の初仕事だ」

 にこやかにそう宣言されてしまえば、本当は違う理由で――自分に触れるのが嫌ではないかと――躊躇っていたティオも頷かざるを得ない。

「……はい、よろしくお願いします」

 下りている間はティオが怖くないようにだろう、ガロットは始終楽しい話をしてくれていた。自らも傷を抱えながら他者に優しくできるこの人の助けになりたいと、その時ティオは思ったのだった。




 日の光を浴びて眩しいほど輝く白金を見つめて、ティオはぽつりと呟く。

「本当に、行ってしまうのですか?」

 草をむしる手を止めて振り返ったガロットは、白金から滴る汗を拭い申し訳なさそうな顔をする。

「ああ……やはり俺は、森の側に暮らしたい」

 ガロットは元々、森の中にある村で狩りをして暮らしていたのだそうだ。ティオと共に一月、町で暮らしてみたが、どうにも森が近くにないのが不安らしい。

 北にある鉱山の町なら森がすぐ側だとティオが教えたのは半月前のことで、数日後にはガロットはそちらの住人になる。

「寂しくなります」

 ティオが沈んだ声で言えば、ガロットはさらに申し訳なさそうな顔で言う。

「すまない、こんなに良くしてもらったというのに」

 ティオは苦笑して首を横に振る。引き止めたいわけではないし、困らせたいわけでもない。

「いいえ、ガロットさんが安心して暮らせる方が大事です」

 微笑みかけられて、結局困った顔をしたガロットは大きく息を吐く。

「また、一から始めなくちゃな」

 ガロットの言葉には、不安が滲んでいる気がした。

「心配でしたら町長に紹介状を書きましょうか?」

 いたずらっぽく笑って言ったティオに、目を丸くしたガロットは口を開けはするが言葉が出てこない。

「こう見えて僕、すごい人なんですよ?」

 ティオはわざと偉そうに胸を張って笑って見せる。

 いらないと言うかと思ったが、ガロットは紹介状を書いてくれとティオに頼んだ。きっとこの一月で彼の中で何かが変わったのだろう。



「ティオ、本当に世話になった、ありがとう」

「僕の方こそ、ありがとうございました」

 二人は再び握手を交わす。前とは違い別れの挨拶ではあるが、二人の顔は晴れやかだ。

「それじゃあ! ……手紙を書くよ!」

 歩き出したガロットは手を挙げて別れの言葉を言い、笑う。

「はい、お気を付けて!」

 北の門から畑の中を歩いて行くガロットを見送る。

 ティオはここから先へは行くことができない。どこへでも自由に旅立って行ける人を羨ましく思うこともあるが、人にはそれぞれの生き方や役割があるとティオは思っている。だから自分の生きる場所はこの町で、ここで役に立てることを誇りに思う。

 きっとガロットも誰かの役に立つためにこの地へやってきたのだ。彼の力を求めている人の元へ導くことが必要だったのだと、遠くなった後ろ姿を見つめながらティオは思う。

 振り返れば青空の中に時計塔がそびえ立っている。あそこにも相応しい人がやって来る……きっと。



 いつか、この町に響く鐘の音が、空を渡って彼の元にも届けばいい。

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