星降る夜に

 賑やかな収穫祭が終わり、これから寒い季節に向かおうというのに大地に降り注ぐ陽射しは暖かく、吹く風は穏やかだった。

 時計塔に寄り掛かってぼんやり通りを眺めていた少年は、視界の端に捜していた色彩を見つけて駆け寄った。

「ティオ!」

「こんにちは、カリスくん」

 ティオと呼ばれた少年は胸元まである赤茶色の髪を揺らし、駆け寄って来た少年に柔らかく笑いかける。それに対しカリスは曖昧に笑い返すと、持っていた物をティオに差し出した。

「はい、お母さんがこれをティオにって」

「僕に?」

 手渡されたのは薄い紙に包まれた拳くらいの大きさのもの。重いような軽いようなそれを、包み紙をカサカサさせながら開けば見知ったものが現れた。

 中身は干した果物や木の実がたくさん入ったケーキだ。これは町の開拓時代から作られているもので、お祭りやお祝い事の時によく食べる。

 ティオの手の中のものを、カリスは不思議そうな顔で見つめていたが、やがて独り言のように言葉を漏らした。

「どうしてティオのだけ別に焼いたのかなぁ」

 このケーキは大きなものを焼いて切り分けて食べるのが普通で、少年の疑問はもっともだった。どう見てもティオに渡した物は切り分けた跡がない。

 しばし思考を巡らせて理由に思い至ったティオは、少年に問い掛ける。

「今日はカリスくんの誕生日?」

「うん、そうだよ」

 透明度の高い海色の瞳を細めて少しはにかんで答えるカリスに、ティオは笑顔で祝いの言葉を述べた。

「おめでとう」

「ありがとう。でも……どうして知ってるの?」

 不思議そうに問うたカリスがばつの悪そうな顔で「隠してた訳じゃないけどティオには言ったことなかった気がするし」などと慌てた様子で言い出したので、ティオは緩く笑う。




 世界にはたくさんの宗教がある。創造神信仰や精霊信仰は一般的だが、海神信仰や聖人信仰などその土地に根付いた信仰は数え切れないほどある。

 この町特有のものと言えば、大地の精霊信仰とそれを支える“柱”の信仰だ。

 つまり、このケーキの意味とは――。

「お供え、かな」

「おそなえ?」

 突然違う話になったことと、聞き慣れない言葉に困った顔をするカリスに、なるべくわかりやすい言葉を選んでティオは説明をした。

「そう、誕生日とか結婚式とかお祝い事の時に神様や精霊様に食べ物をお供え……ええと、あげるんだ。それで代わりに健康で過ごせるようにしてもらったり、悪いことが起きないようにしてもらうんだよ」

「へぇ……」

 ティオの説明ではいまいち理解できなかったのか、カリスは曖昧な返事をした。

「この町では大地の精霊と柱が信仰されていて、人間と同じ物を食べない精霊よりも、柱である僕に持って来ることの方が多いね」

「……うん」

 煮え切らない返事をするカリスにティオは苦笑した。

「つまりね、お祝いのケーキを僕に持って来たから、誕生日かなって思って聞いてみたんだよ」

「なんだ、そっかぁ! 僕、ティオは町中の人の誕生日を覚えているのかと思って、びっくりしちゃった!」

 突然明るく笑ったカリスは、どうやら自分の疑問の答え以外には興味がなかったから適当に相槌を打っていたらしい。なにかと器用な子ではあるし頭もいい子だ、話が理解できなかった訳ではないんだと判って安心したからか、知らず詰めていた息を吐く。

 それにしてもずいぶんと強かな子だと、ティオは笑ってしまった。




 頼まれた届け物の用事も終わったし疑問も解決したのに帰ろうとしないカリスに、まだ何かあるのかと尋ねてみた。

「ねえ、ティオの誕生日はいつなの?」

 好奇心と期待を宿した瞳で聞き返された言葉に、ティオは無意識の内に目を伏せる。少しだけ心が重く冷たくなった気がして、表には出すまいと無理やり笑顔を作った。……上手く笑えているかはわからなかったが。

「僕は……自分の誕生日を知らないんだ」

 口からでる言葉は少し震えているような気がするし、色も温度も持っていないように感じた。

「え!?」

 驚いたまま固まってしまったカリスに詳しく説明をしようとティオは口を開く。先程、硬くなり過ぎた声のことは少し反省して。

「僕は赤ん坊の頃に母親に連れられてこの町に来たらしいんだ。でもすぐにその母親が亡くなってしまったから、正確な誕生日は誰も知らない」

「え、え、じゃあ今まではどうしてたの?」

 困惑した表情のカリスに言われ、記憶を辿りだしたティオはぼんやりと遠い目をしていた。

 手繰り寄せた記憶に少し胸が苦しくなる。

「……小さい頃は、引き取られた家の子と同じ日を祝ってもらっていたけど、柱になってからはないかなぁ」






 二人の間に沈黙が落ちる。






 突然、ティオは手を強めにギュっと握られた。

「それじゃあ……えっと、星誕祭せいたんさいの日に祝おうよ」

 そう言ったカリスは今にも泣き出しそうな顔をしていたが、その内容にティオは破顔した。

「いいね、星と共に生まれるなんて素敵だね」

 本音を言えば、ティオは誕生日を祝ってもらえないことを、それほど深刻に捉らえていなかった。けれど、カリスの気持ちと言葉が嬉しくて思わず顔が綻んでしまう。雫がこぼれ落ちそうな海色の瞳を覗き込んだティオは、対称的な赤茶色を細めて優しく微笑んだ。






 厳しい寒さが終わりを告げ、新しい命が芽吹きだそうという頃に、一年の節目のお祭りがある。




 星誕祭だ。




 星誕祭は自分達の住む星が生まれたことに感謝の祈りを捧げ、星の誕生を祝うお祭りで、この日からまた新しい年が始まるのだ。

 お祭りは町に五ヶ所ある広場で行われ、食べ物を持ち寄り、日没から日付が変わるまで歌って踊って楽しく過ごすのが慣例だ。




 日没の鐘が鳴ると人々は仕事をやめ、広場に火を燈し、それぞれ食べ物や飲み物を持って集まって来る。広場を取り仕切っている人が挨拶をし、皆で乾杯をすると祭の始まりだ。



 日付も変わりそろそろ祭も終わりだという頃、眠そうな顔のカリスがやって来た。

 今夜は月のない星のきれいな晩で、月の光を束ねたような金色の髪をしているカリスは、空から降りてきた月の使者ようで神秘的だった。……眠そうに目を擦っているのを除けば。

「ティオ、誕生日おめでとう!」

 カリスの子供らしい澄んだ声が広場に響き、一瞬にして二人の周りだけ、お祭りで騒いでいた人々が静かになる。何事かと聞き耳を立てている者が多いようだ。

 声と顔は眠たげだが、いつものように海色の瞳を細めてカリスは笑う。

「カリスくん……覚えていてくれたんだね」

「もちろんだよ、だって僕が言い出したんだし」

 半年も前のことを覚えていてくれたのかと嬉しくなって言えば、さも当たり前だという風にカリスは返してきて、ティオは胸が熱くなる。

「……ありがとう」

 カリスの家の位置からすれば星誕祭で集まる広場はここではない。つまり、ティオの為にわざわざ来てくれたのだ。

「僕ね、ケーキも焼いたんだ! ティオ甘いの好きでしょ?」

 抱えていた包みを開いて見せ、カリスは嬉しそうに笑う。少しばかり焦げていて不格好なケーキから、ほのかに甘い香りが漂ってくる。表面がひどくでこぼこしているから、作り慣れていない人間――おそらくカリスが母親に作り方を習って作ってくれたのだろう。




 一瞬の間を置いて、ティオは大粒の涙をこぼした。

「わ! 泣かないでよ、ティオ」

 カリスは突然のことに慌てふためき、ケーキを抱えたままオロオロすることしかできない。一方でティオは、泣いていることに自分自身で驚いていた。

「ごめん、すごく……嬉しくて」

 止まらない涙に戸惑いながらティオも笑顔になる。




 途端に洪水のように声が溢れ返った。“誕生日おめでとう”“おめでとう、ティオ”時計塔前の広場に集まっていた人達から次々と祝いの言葉をかけられ、ティオは頬を伝う涙を拭うこともせずに嬉しそうに礼を述べた。

 ……本当に、嬉しそうに。

 誰かがナイフと皿を持ってきてケーキを切り分けてくれた。幸せのおすそ分けだからと言って、広場中の人に分けたからとても小さくなってしまったけれど、今まで食べたケーキの中でもとびきりおいしい味がした。




 幸せそうな人々の頭上では満天の星が輝いていて、幸福の渦中にいる少年へと温かな光を注いでいた。

 星誕祭の日は、星降りの日とも呼ばれている。

 祭のために火を焚いていても星が綺麗に見えるので、降って来そうだと思った昔の人々が星降りの日と呼んだのが始まりだそうだ。




 星降りの日に、幸せも降って来たんだ!

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