時計塔の囚人

 町の中央にそびえる時計塔を一組の男女が見上げている。

 並び立つ二人の出で立ちは町の人々のものとは随分違っていた。動きやすそうなのは変わらないが、裾が短めで装飾が少なく、厚くて丈夫そうな生地でできている。

 ……決定的なのはとても汚れていることだろうか。

 元はきれいな色だろう髪も、潮風でベタベタになった上に土埃を被ったのか白く汚れ、粉っぽくなっている。

 ただ、二対の焦茶色の瞳だけはキラキラと輝いていた。

 そんな二人の様子を、町の人々はたいして珍しくもなさそうに横目で見て通り過ぎていく。




「これが、時計塔……」

「そうだな」

 見上げた姿勢のまま感慨深げに呟いた少女に、隣にいた青年は少々気持ちのこもっていない声で同意した。興味がないのが丸わかりである。

「こんなに大きいの都でしか見たことないわ」

 それを特に気にした様子もなく、目を輝かせ顔を綻ばせて楽しそうに続ける少女に、青年は苦笑いしか出来ない。

「……ここだって都だろう」

 ため息と共に言葉を吐き出せば、少女は困った顔をした。

「そうだけど、そうじゃなくって……」

 何か言葉を探して悩んでるらしい少女に青年は助け舟のつもりで笑いかける。

「でも、こんなに綺麗なのは初めて見たな」

「……! うん」

 嬉しそうに笑う少女はよほど時計塔が気に入ったのだろう、もう少し近くで見ようと青年を誘った。




「こんにちは、観光ですか?」

 時計塔の下まで来た時、突然話しかけてきたのは、少女と見紛うばかりの可愛らしい容貌の少年だった。

 にこりと笑った少年の長い髪を見て、上手く出せた時の紅茶みたいな綺麗な色だなと少女は思った。もちろん口には出さない。髪の色が紅茶みたいだと言われて誰が喜ぶというのだ。

 少女としては、後で青年に話しておざなりな同意をもらえればそれで満足なので、思ったことを心に留めておくだけにする。うっかり口に出して少年に不快な思いでもさせたら、青年の方が不機嫌になるのを少女は知っているからだ。そっとしておくのに越したことはない。

「君は?」

 一応は素性のわからない少年を警戒しながら青年が話しかける。

「あ、すみません。僕は観光案内をしているティオと言います」

「観光案内?」

 恥ずかしそうに笑った少年の言葉を聞いたとたんに目を輝かせた少女に気付いて、青年は浅くため息を吐き、先手を打つことにした。

「……いくらで?」

 声を発するのも疲れたといった様子の青年を見て、ティオと名乗った少年は一瞬だけ苦笑したが、すぐに笑顔で答える。

「一応、無償でやってます」

「そうなの? ねえ……」

「あーわかった、わかった」

 普段よりもずっと弾んだ声に、一連の流れで少女が次に何を言うかなんて判りきっているので、青年は手を振って少女の言葉を遮った。

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「はい、喜んで」

 笑顔で向かい合う二人の後ろで苦い顔をした青年には、もうため息をつく元気もない。

「それじゃあ行きましょうか、えっと……」

 振り返ったティオが戸惑いの声を上げた理由を察して青年は口を開いた。

「ああ、名を名乗ってなかったな。俺はシュウ、こっちが妹のクレア」

「妹……、ご兄妹だったんですね」

 それ以上は何も言わなかったが、心底驚いた様子のティオにシュウは笑ってしまった。きっと恋人かなんかだと思っていたのだろう。確かに二人の顔は似ていないが、纏う色彩はこんなにも同じだというのに。




「観光案内と言っても、あんまり案内する場所はないんですけどね」

 歩きだして少ししてから、そう言ってティオはちょっとだけ困った顔で笑った。

 彼が案内したのは、貿易港と漁港を兼ねた港の近くにある魚料理のおいしい食堂。

 東西で対になっている公園。

 住宅街の真ん中にある変わった雑貨屋。

 時計塔とそこに併設されている博物館。

 様々な店が軒を連ねる中央商店街。

 途中で案内されたお勧めの宿では、その場で部屋を取り荷物を預けた。

 ――そして最後にたどり着いたのが、北に抜ける門。

「この門を抜けると畑が広がっています。そのまま道に沿って行くと鉱山の町に着きます」

「畑? 何を作ってるの?」

「潮風に強い作物だそうですけど……僕は詳しくないので、知りたいのであれば作業している方に聞いて頂いた方がいいかと」

 ティオとクレアのやり取りを、シュウはどこかぼんやりとして聞いていた。疲れたという訳ではなかったが、延々と畑の続く緑の景色に引き込まれたのかもしれない。

「ねえ、畑の端まで行ってみようよ」

 クレアに裾を引かれて、ようやくシュウの意識は戻ってきた。それと同時に、ティオが静かに告げる。

「僕の案内はここまでです。この先はお二人でどうぞ」

「えぇーっ、一緒に行こうよぉ~」

 不満げな声を上げたクレアに対して、ティオは申し訳なさそうにも、困っているようにも、悲しそうにも見える何とも言えない表情をした。

「……僕はこの町から出られないんです」

「なんだよ、それ……」

 思わず出てしまった、といった感じのシュウの言葉に、ティオは淡々と答える。

「そういう約束……契約なんです」

「契約!? どんな理由でそんな……契約なんて」

 突然シュウが声を荒らげた理由が分からなくて、ティオは眉を下げて困り顔になるしかなかった。隣でクレアも困った顔で何か言いたそうにしているのを視界の端に捉えて、ティオは小さく息を吐いた。

 二人の表情に気付いたシュウは罰の悪そうな顔で黙り込む。それを見たティオはもう一つ息を吐き、それから吸った。

「そうですね、少し長くなりますけど……昔話です。

 ここは元々人の住んでいない土地で、僕たちの祖先が開拓民としてやって来たことで人が住むようになりました。草も育たない痩せた土地だったこの島を豊かにするため、人々は大地の精霊の力を借りようとしましたが、ここは精霊の島から最も遠く精霊の数がとても少なかったのです」

 一旦話をやめたティオは、言葉を選んでいるのか視線を宙にさ迷わせる。シュウもクレアもただ黙って聞いていた、というよりは話を理解するだけで精一杯だったので先を促すこともない。

「他に行くあてのない開拓民たちは、どうにかして大地の精霊をこの地に留まらせて作物を育てなくてはなりませんでした。

 そこで取った手段が、人間を“檻”として精霊を捕らえる方法です。僕はその“檻”の五代目で、精霊をこの地に留めるために町から出ることは出来ません」

 何も知らない二人からすれば、とても重大な告白のはずなのだが、ティオはさらりと話を終えてしまった。

「人間を“檻”にする……?」

 尋ねたのではなく、ただ反芻しただけのクレアの言葉にティオは頷いて返す。

「ええ、町の人達は町を支える者という意味で“柱”と呼んだりもしてますね」

 まるで他人事のように話すティオに呆然としてしまい、しばらく二人は言葉を紡ぐことができなかった。




「あの……人間を檻にするって、精霊を捕らえるって、どういうこと?」

 沈黙を破ったのは不思議そうなクレアの声。好奇心よりも不安を滲ませた声に、ティオはちょっとだけ遠い目をする。

「人間に精霊を宿らせる……身体の内側に精霊を閉じ込めるという感じでしょうか」

「そんなことして身体は大丈夫なのかよ」

「……特には問題ありません」

 不安そうに尋ねたシュウと目が合ったティオは、ついと視線を外して少し寂しそうな表情になる。それを見ていたシュウは何も言わなかった、……何を言えばいいか分からなかったのだ。

「町から出られないのはどうして?」

 クレアはティオの表情に気付いていただろうが、それについては言及せず、別の疑問をぶつけてきた。

「大地の精霊を宿したまま檻がこの島から出て行ってしまうと、精霊の加護を受けることが出来ません。それでは困るので、精霊を閉じ込める結界を町の外壁に合わせて張っているんです」

 ティオは相変わらず淡々とした受け答えで、尋ねる方が戸惑ってしまいそうだった。

 それでもクレアは好奇心に勝てず再び口を開く。

「それなら結界だけで精霊を捕らえられるんじゃないの? どうして人間が必要なの?」

「おい、クレア!」

「もう、お兄ちゃんは黙ってて! ……どうして人間も結界を通れないの?」

 あまりに突っ込んだ質問をする妹に制止の声をかけたシュウだったが、クレアは止まることはなかった。時々こうやって好奇心に勝てずに暴走して、シュウを不機嫌にさせてしまうのに、クレアはまた繰り返す。そんな二人の“いつも”など知らないティオだが、特に気にせずクレアの問いに答えた。

「この結界は特殊なものだそうで、結界だけでは精霊はすぐに出て行ってしまえるんです。物に宿らせても同じこと。何もなければ人間も結界を通り抜けられます。けれど、人と精霊は契約をして強く結び付くことが出来て、その契約が結界を通れなくさせているんです」

 好奇心丸出しのクレアを気にした様子もなく、ティオは決められた台詞のように返事をする。

 顔色一つ変えずに答える姿に、シュウは不安を覚えた。もしかしたら彼は、望むことを諦めてしまったのではないだろうか?

 ――町の外へ出たいと望むことを、自由を望むことを。




 シュウという人間は、かつて自分がそうであったからか、自由のない人を可哀相だと思う癖がある。だから町から出られない、自由のないティオを可哀相だと思う。そんなの心外だとティオは言うかもしれないが。

 でも、どんなに不安だ可哀相だと思っても、それはシュウだけの感情であって、他者と共有すべきものではないと彼自身思っているから、表に出すことはない。

 そして、何でもなかったようにまた言葉を紡ぐ。




「それってティオだけなんだろう? ……辛くないのか」

「辛くないと言えば嘘になりますが、僕は幼い頃に両親を亡くし町の人達に育てられました。だから恩返しができて嬉しいんです。町から出られないのは、少し残念ですけどね」

 シュウが不安そうにしている事に何となく気付いたティオは、彼を宥めるように殊更何でもない風に言った。笑って見せるとシュウも少しだけ表情が柔らかくなる。

「そう、か」

 二人は鉱山の町には明日行くと言って宿へ戻って行った。




「ティオ!」

 日も暮れかかった頃、博物館の閉館作業をしていたティオは突然後ろから呼び止められた。

「クレアさん?」

 振り返った先にいたのは、北の門で別れたクレアだった。

 風呂に入ったらしく全体がさっぱりとした印象で、栗色の髪もつやつやしている。

 少し暗い表情で近付いてきた少女は、昼間のにぎやかな様子とは打って変わって静かに話し始めた。

「あのね、お兄ちゃんのこと……ううん、わたしのしたこと謝りたくって」

「謝るって、何をですか?」

 ティオは首を傾げた。謝られるようなことをされた覚えがない。いったい何を謝りたいというのだろうか。

「町から出られないのとか、その、辛いこと言わせちゃったなって……」

 クレアの声が、話しながらどんどん沈んでいくのが分かる。延々と続きそうなそれに、ティオは割って入ることにした。

「別に辛いことではありませんので」

「でも……」

 ティオは平然と返したが、クレアは泣きそうな顔で鼻をすすった。

「わざわざ来て下さってありがとうございます、その気持ちだけで充分ですよ」

 手を取って微笑みながらお礼を言えば、潤んだ焦茶色の瞳を瞬かせて少女は小さく頷いた。

「……うん、ティオがいいなら。

 でも、本当にごめんなさい」

 勢いよく頭を下げたクレアから石鹸の香りがして、ティオは苦笑する。きっと彼女は何でもハッキリさせておきたい性格なのだろう。






「ティオ、俺達と一緒に行こう」


 鉱山の町から戻ってきたシュウの第一声がこれで、言葉と共に差し延べられた手に、ティオはひどく戸惑った。

 今まで、町から出たくはないかと問われたことは何度かあるが、一緒に行こうと言われたのは恐らく初めてだろう。

「やっぱり町に囚われてずっとここに、なんて辛すぎるよ」

 そう言ってシュウは時計塔を見上げたが、ティオはその顔から目を逸らせなかった。

 言葉は発さないもののクレアはひどく困った顔をしてシュウの隣に立っている。それを一瞬見てティオは僅かに目を伏せた。

「僕は……この町から出られないから」

「そんなの……」

 続けて何か言おうとするシュウを遮るようにティオは彼の手を取った。

 ティオは自分の運命を知っている。精霊との契約を切らないと町から出られないことも、契約を切ったらどうなるかも。だから、寂しげな表情で首を横に振ることしかできない。

 シュウの悔し気な表情も、怒りの感情も、目の端に滲む涙もティオには受け止めてあげられない。……原因が別であれば、寄り添うくらいは出来たのに。






「よかったの、ティオ? 断っちゃって」

「ドルチェ。……いいんだ、僕は約束したから。この命が尽きるまで町と共にあると」

 何処からともなく掛けられた声に驚きもせずに、寂しげな表情のままティオは応えた。

 本当はどんな誘いを掛けられても揺らがないで居られればいいのだと思う。だけどティオは弱いから簡単に揺らいでしまうし、……果たせもしない約束ばかりが増えていく。

 ただ、一番大きな約束だけは果たしたい。それだけを心の中心に据えてティオは生きている。

「……そう」

 ドルチェは興味なさそうな態度でいるが、話し掛けて来たのは興味が有るからだとティオは知っている。なんだかんだ優しい性格なのだ。

 きっとドルチェはどこへでも着いてきてくれるだろうし、ティオ自身も外の世界に興味がない訳でもないが、約束を破るつもりはない。そのためにこの町に囚われることになったとしても。

 だから少し笑って言葉を続けた。

「それにシュウさんは、きっとまた来るって言ってたし」

 その時にまた誘われても、どうせ応えることはできないのだけど――。






 ……囚われたのは誰?

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