時計塔の囚人シリーズ(短編連作)

みなぎ

太陽と子供

「触らないで! このっ……化け物!」



 暖かな陽の光が降り注ぐ通りに、甲高い女の声が響き渡る。

 差し延べた少年の手は何も掴むことはなく、目の前で転ぼうとしていた幼子は母親の手によって掬い上げられた。

 ……そして、投げられた言葉。



「うちの子に何するつもりよ!」

 そう言った女の表情は恐怖と怒り、そして憎しみが混ざったような複雑なものだった。母親の剣幕に驚いたのか子供は火が着いたように泣き出し、手を伸ばした姿勢のまま呆然としていた少年はその泣き声で我に返り口を開いた。何するつもり、とは一体どういう意味なのかと問い掛けたい気持ちもあったが、先程の相手の言葉で大方の予想はついているので、別のことを口にする。

「何って……」

「ティオ!」

 おそらく聞き入れてくれはしないのだろうなと落胆した気持ちを抱えつつ“転びそうな子供を助けようとしただけだ”と紡ぎかけた言葉は、幼い声に遮られた。

 それと同時に向かい合って立つ二人の間に、少年よりも小柄な影が滑り込んで来る。その短く切られた黄褐色の髪を見て誰なのか思い至り、彼は目を丸くした。

「ロジェ君……?」

「おばさん、この町の人じゃないだろ」

 意外な人物の登場に困惑気味の少年ティオを無視して、闖入者であるロジェは断定的な口調で女に言い放つ。彼の深緑の瞳があまりにも強い光を湛えていて、ティオは少しだけ恐怖を覚えた。

「それが何だって言うのよ、あんたも化け物の仲間!?」

「ティオは化け物なんかじゃない!」

 軽蔑の眼差しと言葉を向けてくる女に、すかさずロジェは噛み付くように叫ぶ。

 彼としてはごく当たり前の事実を述べただけなのだが、その理論も何もない子供らしいとも言える主張の表面だけを聞き女は鼻で笑った。

「あたしが嫁いで来た五年前から同じ姿、聞けばもっと前から変わってないらしいじゃない。それが化け物じゃなかったら何だって言うのよ!!」

「……」

 さっきまで獣のように吠えていたというのに、突然黙りこくってしまいすぐに反論しないロジェを見て、女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 しかし、二人のやり取りを横で呆然と見ていたティオと目が合うと、射殺しそうな程睨み付けた。もし、視線で人が殺せるのなら間違いなく死んでいることだろう。

「……この町はティオがいないと生きていけない。おばさんもティオがずっとこの姿でいる理由を知ったらそんなこと言えなくなるよ」

 恐ろしく冷ややかな声だった。とても十に満たない子供の発したものだとは思えず、ティオは掌をきつく握り込んだ。自分より遥かに年下の幼い少年に、こんな声でこんな言葉を言わせてしまったことが辛い。自分がもっと強かったらと、いつものんびりしている彼にしては珍しく焦りにも似た感情を抱いた。

 搾り出すような声に女は少しだけ眉を寄せたが、その内容に嘲笑を浮かべた。

「どんな理由があっても、化け物には変わりないでしょう!」

「なんだって!!」

 理由を知ろうともしない女に、掴み掛からん勢いで言い返したロジェの手を、ティオはそっと引いた。

「ロジェ君、やめて」

 怒気こそ孕んではいないが、いつもより硬質な声と、怒りではなく憂いと哀しみを湛えた赤茶の瞳。それだけでロジェの動きを止めるには十分だった。

「ティオ、だって……!」

 言いながら振り返ったロジェの目には、親しい者にしか判らない程度に表情を変化させたティオが映る。それは痛みを耐えているような顔で、目が合うとティオはゆるく首を横に振った。

「いいんだ、彼女の言っていることは真実だから」

「でも、ティオは町のために!」

 尚も言い募ろうとするロジェを宥めるようにティオは殊更優しく言った。

「仕方ないよ、他の町から来た人から見たらどうしたって僕は化け物だよ」

 愕然とした表情のロジェに、ティオは穏やかに微笑みかける。

 訝しげな様子で二人のやり取りを見ていた女は、会話の矛先が自分に向かないことを見て取ると、ぐずる子供を抱き直し足早にその場を立ち去ろうとした。

 それに気付いたロジェがその背中に静かな声で言い放った。

「おばさん、後でこの町の人にティオのこと聞いてみなよ」

 “きっとティオに化け物って言ったこと後悔するよ”続いた言葉は女に聞こえないくらいの小さな声で呟かれた。

 側にいたティオはそれを聞いて複雑な顔をしたのだが、振り返りもせずに去って行く女の方を睨むように見ていたロジェがそれを見ることはなかった。





「なんでティオはあんなこと言われて笑ってんの!」

 女が去って行った後、ロジェの怒りの矛先はティオに向いていた。

 この二人はいつもこうなのだ。

 何事も穏便に済ませたいティオと、白黒ハッキリさせたいロジェは――ロジェが一方的に怒っているだけだが――喧嘩をする。

「だって本当のことだし、怒ったって仕方ないよ」

 怒り心頭な様子のロジェに困り気味のティオが苦笑して言えば、さらに憤慨して言い返してきた。

「仕方なくなんかない! ティオは町のためにその姿でいるんだから、あんなこと言う奴には怒ったっていいよ!」

「でも……」

「でもじゃない! ティオにはその権利がある!」

 反論しようとするティオの言葉を遮り、ロジェは拳を握って力強く言い放つ。

 それでもティオは困った顔しかできなかった。

「権利、かぁ……」

 そんな権利を振りかざして何かをしたいなどと、ティオはとても思えなかった。ティオが動くと周りの大勢の人間が動いて大変なことになる可能性が高い。それなら、何もせずにロジェに怒られている方がきっといい。

 さっきだって一連のやりとりを見ていた近くの商店の人や買い物をしていた人達が、あれは誰それの嫁だとか旦那の方に言い聞かせておくと言って怒ってくれた。心配してくれるのは有り難いけど、あまりきついことは言わないであげてと皆を宥めるのは少し大変で、だけど同時に心が温かいなんて変な感じで。

 自分のために真剣に怒ってくれる人がいるというのは嬉しいことだな、などと考えていたティオは自然と笑顔になっていた。

「僕の代わりにロジェ君が怒ってくれるから、いいよ」

 ティオの笑顔によってか言葉によってか、怒りが霧散した……というか怒っているのが馬鹿馬鹿しくなったらしく、先程までの勢いを失ったロジェは小さな声で言った。

「……ティオのバカ」

 それを聞いてまた更に笑顔になったティオに、ロジェは呆れたような照れているような顔でため息をついた。



 ふた呼吸ほどの僅かな沈黙の後、俯いて聞き取れるかどうかという微かな音でロジェが告げる。

「オレは……ティオのこと好き、だよ」

 それは友人として、尊敬すべき人として。

 恥ずかしいのか顔を上げずにさらにそっぽを向いてしまう。そんなロジェの様子にティオは心が温かくなるのを感じた。

「ありがとう、ロジェ君」

 顔の筋肉がどうかなってしまったのではないかと思うほどティオは笑顔のままで、それを見てつられるようにロジェも小さく笑う。

 二人の間を吹き抜ける柔らかな風が、肩にかかるティオの髪を揺らす。髪は水面のように光を反射し不思議な色合いを見せた。

 普段のティオの髪と瞳は赤土のような明るい赤茶色だが、光を受けると、落ち始めて少し赤色を吸い込んだ夕日のような橙色になる。いつまでも眺めていたくなるような、暖かな夕焼け色。この色がロジェは好きだった。



 ――まるで彼自身がこの町を照らす太陽のようで。

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