第7話
弥生と別れた日から、既に二年と半年が過ぎ、僕は大学生になった。新しい場所での新しい生活、目まぐるしい毎日に苦労していた。想像していたよりも大変な大学生活にも慣れ始めていた。
だというのに僕はあの日のことも弥生のことも薄れることなく覚えている。いや、忘れられないというほうが正しいかもしれない。
だって彼女はこの二年半の間ずっと、僕の近くにいたのだから。
あの日、"友達"としての関係でまた、と言われはしたが僕はそんなすぐ切り替えのきく男ではない。だから極力、私生活でも学校でも彼女と関わらないようにしていた。
しかし、僕の気を知ってか知らずか彼女は積極的、というよりは普通に接してきた。まるでさっぱり忘れてしまったように、何にもなかったように。
いや、忘れてはいないはずだ。偶に彼女がこちらをじっと見つめていることがあり、そういうときは決まって彼女の瞳は暗いのだから。
元々彼女の瞳は黒い、そんなことは当たり前だろうと言われてしまえばそこまでなのだけれど。僕にはそういうときの彼女の瞳は単に黒いのではなく、引きずり込まれるようなとてつもなく深い闇に、生気の感じられない無機物的なものにも感じられて恐ろしかった。
そしてその瞳は僕だけを見つめる。だから僕以外の誰も気づくことはない。
彼女がそんな目で見つめてくることは別れたあとからで。当然なにか関係がある筈だし、彼女が僕に執着していると考えるにはこれだけで十分だけど、まだ他にもある。
それは弥生と会う回数だ。学校でも街中でも、僕は彼女によく会うようになったのだ。
僕が声をかけると、偶然だね、と微笑む彼女ではあるが、偶然がそう何度もあるわけないのだからそれは彼女が仕組んだ必然なんだろう。
彼女は僕のストーカーに近しいもの、いや完全にストーカーになってしまった。
だけど慣れってものは恐ろしいもので1ヶ月も続けば特になんとも感じなくなってしまった。
彼女とよく会うことや、彼女が見つめてくることはあっても、彼女が僕に何かするっていうことはないのだからというのも大きかった気がする。
彼女はただ近くにいるだけ、ちょっと変わった瞳で見つめてくるだけ。普通の友達のように遊びに誘ってくるし、話をするだけ。本当にただの友達になったように思っていた。
それに、そのときは高校を卒業したら彼女のストーキングも終わるだろうと思っていたから、ときどき気まずいと思うことはあってもそこまで忌諱もしていなかった。
彼女の異常さを認識したのは大学生活が始まる少し前だった。
遠い大学に通うため、一人暮らしをすることになった僕が荷解きも完全に終えたころ、空いていた隣に誰かが入居するため引越し業者が何やら忙しくしていたあの日。僕は近くのコンビニで何か買おうかと外に出たときだった。
「あっ、司!」
そう言ってこちらに寄ってくる彼女の姿を僕の頭は簡単に理解しようとはしなかった。
「弥生、な、なんで君がここに」
それは僕の疑問の全てだった。彼女とはもう会うことはないだろうと思っていた矢先に再会を果たしてしまった彼女への疑問全て。
「え〜っと、"偶然"ここに引っ越してきたんだけど、まさか隣が司だなんて、おもしろいよね」
そう言って笑う彼女を見て、僕はあの印象的な夕焼けの日の彼女もまた、こんな笑顔だったのを思い出していた。
「ねぇねぇ司は大学どこ受かったの?」
「え、っと○○だけ、ど」
続けて聞いてくる彼女に僕は悪い予感しかしなかったが答えてしまったのだ。
「わぁ、本当に"偶然"!私もそこなんだ」
笑顔で喜ぶ彼女に僕の理解はまだ及ばないばかりであった。
「もしかしたら"運命"だったりして」
運命。隣同士で部屋を借りた同じ大学に通う相手が自分のよく知っている人、なんて偶然は確かに運命と言ってしまってもいいだろう。
ただ運命っていうのはなんの意思にも影響されることのない大きな流れだと僕は考えている。
とするならば、彼女の言う運命とは仕組まれた必然と言い換えた方がいい。
そしてその必然が本当に運命であるとするならば彼女の執着に、彼女よりも大きな何かが味方していることになる。そう考えるよりかは彼女自らの手で仕組んだと思う方が少しだけ気分がマシになる。
「これからもよろしくね、司」
どちらにせよ、差し出された手を握るしか選択はないわけで。
「よ、よろしく…」
僕はどんな顔をしていただろうか。いや、考えるまでもなく、引き攣っていただろう。
あのとき、彼女の差し出す手が僕には悪魔との契約にも感じられた。
今にして思えば彼女が最初から僕が大学に入ることを前提にしてるのかもおかしかったのかもしれない。
僕が就職する可能性はゼロではない、それなのにいきなり大学はどこにしたかなんて問いは彼女にしては少し違和感を覚える。やはり彼女の言った偶然は、必然であったのかもしれない。
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