第14話

 俺は目が覚めると不思議と冷静だった。


 猫がこちらを見ている。綺麗なブラウンの目をしている。


 「お前、ちゃんと食べてるか?」


 って言葉が分かるわけないか、、、


 今日はとても散歩に行く気分にはなれなかった。もしも音葉さんと会ったら。そう考えてしまったからだ。


 コンサートは夕方からだ。まだ時間がある。


 そう思った俺は、ずっと閉じたままだった押し入れから筆とキャンバスを取り出した。何かを描くつもりはなかったが、あのゴッホを思い出す度にうずく胸を落ち着かせるつもりで引っ張り出したのだ。


 パレットに絵の具を出してみる。筆に絵の具をつける。独特な匂いが部屋を包む。


 サーっとキャンバスを筆で撫でる。心任せに色を付けていく。


 一枚の絵が描けた。7時間ほどメシも、休憩も忘れて描き続けた。


 落ち着いた青い空に浮かぶ灰色の雲。そして陸が見えなくなるほどに紫色のアネモネが咲き誇っている。


 「こいつの題名は『無常』ってとこかな。」


 久しぶりに描いた絵に決して満足はしていなかったが、とても懐かしい気持ちになった。こんなに楽しいことは他にないだろう。


 ふと時計を見た。


 「そろそろ出掛けるか。」


 俺は電車に乗って上野に向かう。4時前に上野駅に到着し、東京メトロの改札前の柱に寄りかかる。彼女は来るだろうか。

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