デス・トラベル

熊五郎

デス・トラベル

 自殺の旅に出よう。デス・トラベルだ。私はすべてが嫌になった。

 思い立つとそうする他ないと強く信じ込み、あちらこちらで借金をしてつくったお金五十万、それを財布に詰め込んで私は長崎駅へとむかった。

 どこへ行こうかなんて考えていなかった。自殺するのだ。デス・トラベルだ。頭にはこの言葉しか浮かんでいなかった。

 とりあえず電車に乗って考えようと切符売り場に行って固まった。切符の買い方が分からない。私は電車に乗ったことがない、と言えば嘘になる。一度か二度くらいは乗ったことがある。しかしいずれも友人が一緒に居て私の切符も買ってくれたので私自身で切符を買ったことがなかった。

 私が言う電車とは無論JRのことである。街を走る路面電車、俗にちんちん電車と呼ばれているものは幾度も利用したことがあるし、ちんちん電車には切符が必要ない。

 私の前に並んでいるおばさんが券売機を操作しているのをじっと見つめて、あぁなるほど、そうやるのかと理解する。老若男女が使用する機械であるから当然複雑な作業など必要ない。ただ行き先が必要だった。

 私は券売機の上に掲げられている路線図をじっと見つめて、小声で「あっそうだ」となにかを思い出した風で列を離れる。演技である。なぜ演技をしたのかは分からない。

 どこに行こうか、そう考える。そもそも本当にどこかに行く必要があるのか、とも頭に浮かぶ。

 その考えを振り切ってもう一度券売機の列へと並ぶ。とりあえず近くの大きな街へ行こうと思い佐世保行きの切符を買った。

 構内の電光掲示板で佐世保行きの電車が来るホームと時間を確認する。傍から見れば旅慣れた男に見えたであろう。しかし駅のホームに一人で降り立つのも初体験である。

 佐世保行きの電車がやってきた。私をここではないどこかに運んでいく電車だ。電車とはそういうものだ。

 電車に揺られながら外を眺める。あっという間に見たことない景色に染められていく、自分がいかに小さな生活圏で生きてきたかということがはっきりと分かる。その小さな生活圏ですら私はまともに立ち回ることができずわざわざ借金までして自殺の旅に出ているのだと思うと唇がくっと歪んだ。唇を歪ませたのは怒りや悔しさではない、しかし喜びや楽しさでもない、センチメンタルな気持ちでもない。どうしようもないやつだ。ただそう思った。

 佐世保駅に着いたのは午後三時頃だった。気が進まないが駅のすぐ傍にある東横インホテルにチェックインする。電車で一時間以上も揺らされて疲れきってしまった。

 思った通りの粗末な部屋だった。ベッドに横になるとなんだか気持ちが悪いし枕もしっくりこない。それがどうしたと目を瞑る。それがどうした、もうすぐ死ぬんだ。そんなこと気にするな。

 目が覚めるとすでに体があちこち痛い。スマートフォンを確認すると不在通知が十三件、上司からと後輩からだった。時間を見てみると午後七時。職場は今頃てんやわんやだろうなと他人事のように思いながら掛かってきた番号を拒否リストに登録していく。

 腹が減ったな、と思った。腹は減るのだな、とも思った。しかし外に飯を食いに出る気力はない。出前館でほっともっとから唐揚げ弁当大盛りとサラダパスタ、そしてお茶を注文した。

 それらをもそもそと食べながら明日はどうするかと考える。佐世保でブラブラするかどこかに出るか、福岡に行こうか熊本に行こうか、九州を出るという発想はついに浮かばなかった。

 いつの間にかまた寝てしまっていたようだ。時間は午前二時。信じ難いことに腹が減っていた。

 近くにコンビニでもあるだろうとホテルを出ようとすると雨が降っている。ホテルの貸し傘を手に取り外に出る。なかなか激しい雨だった。

 近くにローソンがあったので入りおむすび弁当とウーロン茶をレジに持っていく。店員は多分ベトナム人、カタコトの「アタタメマスカ?」が私の頭に不快に響いた。苛立ちを表すかのように私は手を振り、必要ないとジェスチャーする。声を出すことすら惜しんだ。

 部屋に戻り弁当を口に運ぶとすぐに満腹感が押し寄せてきた。弁当をウーロン茶で流し込み、また横になる。明日はバスで福岡に行こう。なんの気になしにそう決めて目を瞑る。食べすぎたときのあのムカムカとした感覚がおそってきた。 

 ホテルをチェックアウトしてバス乗り場を探す。すぐに見つかった。東横インホテルから横断歩道を挟んで目の前であった。

 信号待ちをしていると「お兄さん」と後ろから腰の曲がったお婆さんに声をかけられた。

 「靴下に入ってるよ」と言われて下を見るとスボンの裾が靴下の中に入り込んでいた。

 「あぁ……」とも「どうも……」ともつかぬ声をあげて私はスボンの裾を靴下から引き抜く、お婆さんは信号が青になったのでさっさと横断歩道を渡って行く、その後ろ姿を見ながら私も横断歩道を渡る。

 バスターミナルに入って時刻表を確認するとバスはもう間もなく来るようであった。バスの乗車券を買うのもやはり初めてのことだったがことさら不機嫌な顔をしてお金を払い乗車券を手に入れた。様々な人がバスを待っていた。おじさん、おばさん、若いOL風の女性、そしてデカいバックを背負った外国人。彼らはどんな目的で福岡に行くのだろうか?私はどんな風に彼らに見られているのだろうか。

 大きなバスがやってきて私は乗り込む。私の座席の右斜め前に若いOL風の女性が座った。リクルートスーツを着て髪はアップにまとめている。白いうなじが目に入って私は無性にドキドキとした。

 バスが出発し、後ろにすっ飛んでいく景色を眺めながらも時折チラチラと右斜め前に座る女の白いうなじを見る。彼女は資料を広げているようであった。

 彼女はどこか疲れた雰囲気で膝に広げた資料にじっと目を落としている。これから仕事のプレゼンなのかそれとも面接でも受けに行くのか、幸せなのかそれとも私と同じように死にたいと思っているのか、どこへ行くのだろうか。

 そう考えているうちにうなじを見ることにも飽きて、ただ呆然と外の景色を見ていた。空に白いものが浮かんでいるのが見えた。雲ではなかった。飛行機だ。ジャンボジェット機だ。かなり近いところを飛んでいる。

 「すごっ」と思わず声が出た。あんなものがよく飛んでいるなとため息が出る。こんな距離感でジャンボジェット機を見るのは初めてのことだった。

 あの飛行機はどこに行くのだろうか。外国かもしれないな。あの飛行機には誰が乗っているのだろうか、私に見られていることも知らずシートに座っているだろうな。

 ジャンボジェット機を見たあとで改めて斜め前にある白いうなじを見た。ジャンボジェット機ほどの感動はなかった。

 福岡に着いた。さすが福岡と言わずにはいられないほどの殷賑さでバスから降りたら尾行しようと思っていた白いうなじの女をあっという間に見失った。まぁいいかと気持ちを切り替え歩みを進める。

 福岡はとにかくすべてが大きかった。そもそも降り立ったバスターミナルが大きく、さらに福岡駅は駅というより一つの繁華街のような様相であった。

 街は巨大なビルがひしめき合い、道路は大きく果てがなく、人々はぎっしりと密集し信号機の指示に従い行進する。そんな人々の群れを見ながら私はとりあえず飯を食おうと思った。

 天ぷらそばを食べながらスマートフォンでホテルに予約を入れる。正直私は打ちのめされていた。これが都会かと思った。とてもこんなところでは死ねないとも感じた。豊かで発展していてそのくせ皆一様に疲れている顔をしている。こんなところで死ねば「あぁ、君も疲れてしまったんだね」と訳知り顔で納得されてラベルをペタリと貼られてしまうだろう。

 蕎麦湯を飲む。時間はまだ午後一時。チェックインできるまであと二時間もある。さて、どうするかと考える。

 そこは駅からほど近い場所にあり、偶然にも私が今日から宿泊するスマイルというホテルも目と鼻の先であった。

 キラキラとしたロビーには大きなディスプレイが設置され、そこには部屋の内装と値段が表示されていた。福岡駅から徒歩五分、ロアンヌというラブホテルに私は居た。伴れは居ない。今から呼ぶのだ。お金を払って。

 五時間後、私は電車に乗りシートを深く腰を沈めて外の景色眺めていた。走る線路の先は長崎である。ロアンヌでの出来事というには大袈裟すぎるあの女の子との触れ合いを思い出す。

 ロアンヌに入室して壁紙もベッドもピンクというラブホテルにしてもこんなラブホテルはないというほどの部屋で私は風俗案内サイトであるシティヘヴンで福岡の風俗店を調べそこで見つけたハナビというデリヘル嬢を呼んだ。

 彼女は二十三か四くらい(シティヘヴンには十八と書いてあったが)の小柄なよく笑う女の子であった。二時間ほど時間を取ったはいいが私は三十分ほどでフィニッシュしてしまった。一発出したらそれで打ち止めな私はベッドからソファーに移動してハナビとタバコを吸いながら話を始めた。

 ハナビは元来話好きなのかそれとももうプレイするのが面倒くさかったのかよく話した。やはり客の話が鉄板ネタなようでハナビは力強く語った。

 コスプレ衣装を山のように持ってきて撮影会をねだってくる教職員、婚姻届を持ってくる役所勤め、自宅に呼ぶも風呂が汚すぎてNG出した大学生、ひたすらへたくそな弾き語りを聞かせてくるフリーター。

 変わった男はいくらでもいるらしくそいつらと二人っきりにならないといけないなんて、と私は自分のことを棚に置いてハナビに同情した。

 しかし彼女は明るかった。豪快に笑って口からタバコの煙を吐き出すその姿はバイタリティに富み、世の中を渡っていく力強さを感じさせた。

 もちろん本当のところはわからない。もしかしたら自分の部屋に戻ると毎夜枕を濡らし人生に絶望し首を吊るローブや大量の睡眠薬を用意しているかもしれない。ただ私の目にはどうしようもない男たちの性癖を笑いながらあけすけに語るハナビは美しく輝いて映っていた。

 「あと三十分だね、抜いとく?」

 口の端を皮肉に歪めながら挑発的にグーの形に丸めた右手を上下に揺らしハナビが私に問い掛ける。

 「無理だと思うけどなぁ……」私は苦笑まじりに呟き、ハナビとベッドへ移動した。

 十分後、私とハナビは二人でシャワーを浴びていた。 

 「無理だと思うけどなぁ……だってぇ」

 私の口調を真似してケラケラ笑ってボディソープを使って私の体を洗うハナビ。

 私はなにも言い返す言葉が見つからず憮然として押し黙っていた。プロってやっぱりすごいだなって改めて感じていた。

 「次はいつ呼んでくれる?」

 ハナビはもうすでに衣服を身に着けている。私は全裸でベッド上で大の字になっている。

 「年末年始は忙しいからなぁ」

 平気で嘘をついた。仕事を放り投げて逃げ出してきて忙しいもくそもない。なにより私は自殺の旅、デス・トラベル中なのである。

 「じゃあ二月ね、二月。チョコレートあげるからさ。なんなら体にチョコレート塗ってくるから、わたし!」

 そしてまたケラケラ笑う。

 「ねっいいでしょ? はい、ゆびきり! ゆびきりげんまん! うそついたら針千本突き〜刺す! ゆびきった! 」

 そうして終始笑いながらハナビは部屋を出ていった。私は変わらずベッドの上で全裸で寝そべっている。

 「二月まで、二月までか」

 二月に呼べば次は三月、ホワイトデーのお返しをしろと言われるんだろうなとふと思った。その後もなんやかんやとゆびきりげんまんをされていくそんな自分の姿を幻視した。

 しかしその姿はちっとも嫌ではなかった。むしろ生きる張りが出てきた、とすら感じた。馬鹿なことだ。ハナビにとっては何気ない冗談であり営業トークですらない二月の約束、明日には、いやこの瞬間にでも忘れてそうな何気ない一言に違いない。

 別に好きになったとか惚れたとかそんな話じゃない。この私に先の予定が、約束がある。そう思うとなんだか晴れやかな気持ちになってきた。

 我ながら本当に単純であると思う。女の肌に慰められてコロッと生きるの死ぬのってのを忘れてしまってどうでもよくなるなんて。

 そこからロアンヌを出て、今日泊まる予定だったスマイルというホテルに直接出向いてキャンセル料を払って福岡の街をぶらつきラーメンを食べてた。そして今現在、長崎駅行きの電車の中でこれからのことを考えている。

 とりあえずこれから職場に出向いて詫びを入れて、方方から借りたお金を返そう。二日の無断欠勤くらいなんてことない、そう婚姻届をおじさんに持ってこられるよりはまったく大したことじゃない。お金のことも、へたくそな弾き語りを延々聞かされることと比べたら全然大したことじゃない。

 自殺の旅失敗である。デス・トラベルならず、か。しかし人生とは必ず最後には死ぬ、つまりデス・トラベルはまだまだ続いていくんじゃないかと暗い窓外を見て思う。乾いた笑いが出た。

 なんだそれは、苦し紛れの屁理屈じゃないか。誰に向かって言ってるのか分からない情けない言い訳、格好悪すぎる。

 ただこれからのデス・トラベルはもうちょっと景色を楽しんでみてもいいかもしれない。

 何気なくシティヘヴンを開いてハナビのページを見てみると【ロアンヌのお兄さん】とハートの絵文字のついた日記が更新してある。

 ロアンヌのお兄さん、いっぱいお話したね! あの約束忘れないでね! あと次はもうちょっと長持ちできるように鍛えててねー!

 次は二月、私の旅はまだ続く。

 

 

 

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