第40話 嫉妬深い猫

 熱々の紅茶に、色鮮やかなジャム。ケーキは、皿の上をキャンパスに見立てて綺麗に盛り付けられている。

 テーブルの上は、舞踏会の会場みたいに華やかだ。


 手を伸ばせばすぐそこに、ピカピカ輝く金のフォークが置かれている。

 だというのに、ピケは身動き一つ取れない状況に陥っていた。

 正確に言えば、動けるには動けるけどそうしたい気分じゃなかった、というのが真相だけれど。


 向かいの席では、コーヒーで満たされたカップを片手にクツクツと笑い続けているアドリアーナがいる。

 笑いすぎでカップの中身が波打っていて、ピケはいつこぼれるかとハラハラした。


「ねぇ、そろそろ離してくれない?」


「いやです」


 グズグズしながら胸に顔を押し付けてくる青年に、ピケは嬉しいやら恥ずかしいやら。

 しかし、彼女の目はわかりやすく「好き」「離さないで」と訴えていて、手はふわふわの耳と耳の間──しっかりと伏せて撫でろと明示している──を撫で続けている。


「総司令官様が見ているのよ?」


 伏せたままの耳に唇を寄せて、小さな声でピケはたしなめる。

 すると、かわいい三角の耳がピルルッと震えて、顔を上げたノージーが恨めしそうにピケを見上げてきた。


「見せつけてやれば良い。それとも、ピケは僕より総司令官の方が気になるって言うのか?」


 いつもの澄ました顔はどこへやら。口調だっていつもの慇懃無礼さが消えている。

 それだけ必死なのだろうなと思ったら、かわいくて仕方がない。

 胸がきゅーんと締め付けられて、唇が勝手に緩んだ。

 こそばゆくって、たまらない。ピケは耐えるように唇をモニュモニュ動かした。


 ノージーの目は、ころころと色を変える。嫉妬すれば黒々と濁り、かと思えば捨てないでと懇願するように淡くなったり。

 ピケはそれをいくら眺めても飽きないなぁなんて思って見ていたが、いつまでたっても答えをくれない彼女に痺れを切らしたノージーが「総司令官より僕の方が良いでしょう⁈」と必死になって言ってくるので、ますます愛おしさが増した。


「……もう。あと少しだけだからね?」


 ピケがそう言うと、ノージーのモフモフな尻尾が嬉しそうにピョコピョコ動いて、彼女の足へマーキングするようにくるりと巻き付く。

 それを見ていたアドリアーナがとうとう耐えきれなくなってコーヒーをこぼしたものだから、ピケは危うく悲鳴を上げそうだった。


(ああ、真っ白なテーブルクロスが茶色に染まっていく……弁償はもちろん、総司令官様持ちよね?)


 それでもアドリアーナは笑い続ける。

 ……ちょっと笑いすぎではないだろうか。

 やっぱり総司令官様は疲れているのだ。だから笑って疲れを癒やしているのだろう、とピケは思った。


(とはいえ、怒っていなくて本当に良かったわ)


 アドリアーナとピケがキスしそうなくらいの距離で顔を突き合わせていた、最悪のタイミングで突入してきたノージーは、魔王すら畏怖しそうな凶悪な笑みを浮かべ──実際、魔王と呼ばれるアドリアーナは「やっちまった」と声を漏らしていた──アドリアーナの首根っこを掴み、後ろへぶん投げた。


 壁に激突しなかったのは、アドリアーナだったからとしか言いようがない。

 ぶん投げられたアドリアーナは空中でヒラリと一回転したのち、シュタッと床へ着地した。

 投げられて着地する競技があったら満点をつけたいくらいの、模範的な着地。このせまい空間でそれを出来るのは、アドリアーナと、彼女からしごかれたピケくらいのものだ。


「総司令官様はけがしていませんか?」


「ああ、まったく問題ない」


 総司令官様をぶん投げたとあっては、どんな処罰を受けることになるのやら。

 そうなった原因は間違いなく自分にあるから、その時は一緒に罰を受けようとピケは決意する。

 ひそかに決意を固めるピケをよそに、アドリアーナはそれまでの気安い態度を改め、総司令官らしい厳しい顔つきでノージーを見た。


「ところで……ノージー、首尾は?」


「上々です。ガルニール卿とその手の内の者は全て捕らえ、今頃は総司令部の面々が後処理をしているかと」


 ガルニール卿。

 その名前に、ピケの体が過剰に反応する。

 空を飛んでいるようなふわふわとした気持ちから、一気に突き落とされたような気分になった。

 ブルリと震えた体を、ノージーがギュッと抱きしめてくる。ピケはすがるように、彼の背中にしがみついた。


「なるほど。では私も合流しないと怒られるだろうな」


「そう思うなら、さっさと行ったらどうですか? いつまでここにいるつもりなのです。気が利きませんね」


 辛辣しんらつな言葉に、ピケの方がハラハラしてくる。

 これ以上罪を重ねたら、ピケが一緒でも贖いきれるかどうか。

 墓穴を掘らないように黙っていることしかできなくて、ピケは心の中で「ごめんなさい」を繰り返した。


「女の子のおっぱいに顔を埋めている男に言われたくないのだが? むっつりめ」


 椅子から立ち上がったアドリアーナが、ハンッと鼻で笑う。

 対するノージーは歯牙にもかけていないのか、表情は動かない。


「これは確認作業です。頑張って仕事を終わらせて駆けつけたら、かわいいピケが魔王に襲われかけていたのですよ? まったく、死ぬかと思いましたよ。獣人の恋は脆いのです。優しく、大切に扱わないと。うっかりキスなんてしていたら、僕は巻き込み心中していたかもしれません。ああ、そうならなくて本当に良かった」


 どうやら気にしていたらしい。

 正当な理由があるのだと訴えるノージーから聞き捨てならない言葉を聞かされて、ピケはギョッとした。


(巻き込み心中って一体なに⁉︎)


 心中とは、相思相愛の二人が合意の上で一緒に死ぬことのはずだ。

 巻き込み心中ということは、ピケの合意なしに一緒に死ぬということで、だから、つまり……。

 ピケはそれ以上考えることをやめた。

 結局そうならなかったのだから、考えるだけ無駄だ。今はそれよりも聞きたいことが山ほどある。


(そう。ガルニール卿を捕らえた、とか)


 聞き間違いでなければ、ノージーは確かにそう言った。

 ピケは首をかしげて思索する。

 ガルニール卿に協力するよう取引を持ちかけられたのは昨日のことである。

 ノージーを助けるために告白しようと決めたのが昨晩のこと。

 そして今日は告白のための勝負服を買いに王都へ出てきたわけで、その間に一体何があったというのだろう。


「つまりそれは、ピケ嬢が生きていて良かった〜という確認作業だとでも言うのか?」


「ええ、そうです」


「なるほど。獣人の恋はまだまだわからないことだらけだな。巻き込み心中とは、初めて聞いた。マルグレーテ様に話しておけ。きっと喜ぶ。さて、私は……いや、俺は行くとしよう。ピケ嬢への説明は任せる」


「言われなくても」


「ではまたな、ピケ嬢。今度は女同士でエステにでも行こう」


 私はおまえをもっと磨いてみたい。

 アドリアーナはニヤリと微笑んだあと、アドリアンの姿になって部屋を出て行った。

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