第38話  その頃、王城では……

 ピケが総司令官と高級カフェへ入店した頃、王城では静かに事が運ばれようとしていた。


「あなたは獣人だから万が一もないでしょうけれど……ピケのためにも、傷一つ作ってきては駄目よ」


 不安いっぱいの顔をしたイネスの背中を、キリルが大事そうに抱えている。

 いつもならばくっついた途端に甘い空気を散布しだす二人も、この時ばかりは弁えているようだった。


「わかっています。キリル様、イネス様をよろしくお願いいたします」


「ああ、任せろ」


 腰にはいた剣をポンとたたいたキリルに頷きを返し、ノージーは部屋を後にする。

 冷静そうに見えるが、彼は静かに怒っていた。


 昨晩、ピケの部屋へ向かっていた時のことである。

「またあとで」を実現すべく、緊張と興奮を諌めながら廊下を急いでいたら、ノージーの敏感な耳がピケの声を聞きつけた。


「好き」


 ポツリと聞こえてきた声に、ノージーの足が止まる。

 ビビビっと尻尾が膨らむのがわかった。


 その言葉は、何に対して言ったのだろう。

 もしかしてと期待する自分に「いやそんなわけがない」と押し留めつつも、やっぱり期待せずにはいられない。

 ノージーの手が、結髪越しに耳を触る。緊張を和らげようと、無意識に毛繕いしているらしい。


 息をすることさえ忘れて気配を殺すノージーの耳に、再びピケの声が届く。

 聞き逃すものかと、いじっていた手をバッと離して、ノージーは耳を澄ませた。


「私、ノージーのことが好きなのね」


 その瞬間、ノージーの脳内は一面お花畑になった。

 好き、好き、好き! 僕のことが好きだって!

 パッパヤー! とラッパの音が鳴り響き、子猫たちが祝福のダンスを踊る。


 ピケが自覚したこの瞬間に立ち会えたことを、ノージーは心から感謝した。

 猫生九回目にしてようやく、この時がやってきたのだ。

 失敗続きの八回の猫生も、今この瞬間を最高にするための布石だったと思えば、悪くないと思えてくる。


「もしかして……今、想いを告げればノージーは人になれる?」


 ああ、そうだとも。

 ノージーは答える代わりにスキップしながらピケの元へ向かう。

 その途中で警戒中の警備兵とすれ違って、ノージーは上機嫌に「お疲れさまです」と声をかけた。

 いつもならばしれっとした顔で冷たくあしらわれている彼らは、その無邪気な笑顔に度肝を抜かれ、ある者は魂を抜かれたようにその場へ座り込み、またある者は隣の同僚に抱きついて喜びを分かち合った。


 だが、ノージーが喜んでいられるのはそこまでだった。


「ガルニール卿に協力して総司令官様を足止めしても、ノージーだけは助かる方法……」


 聞こえてきた言葉に、ノージーは耳を疑った。

 それから「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせるような切羽詰まった声が続いて聞こえてくる。


 愛しい少女は涙声で、時折鼻をすする音が聞こえた。

 ノージーの胸に、沸々と怒りが湧いてくる。

 彼女を不幸にしている自分と、彼女を害そうとしているらしいガルニール、その両方に対して、殺意にも似た怒りを覚える。


 ノージーは、震える息を長く吐き出した。

 徐々に頭がスゥッとしてくる。

 あらゆる事柄が頭を巡り、最適解が導き出された。


「よし。ガルニール卿をやっちゃいましょう」


 物騒な言葉を聞いてしまった警備兵たちが、我に返ってノージーを振り返る。


「善は急げと言いますし、今からサクッと済ませちゃいましょう」


 くるりん、と踵を返したノージーの顔に、警備兵たちが息を飲む。

 美女の怒り顔はトラウマ級である、とのちに彼らは語っていたという。

 とはいえ、物騒なことをしでかそうとしている美女を放っておけるわけがなく、彼らはヒンヒン泣きながらノージーを捕まえ、総司令官のもとへ連行していったのである。


「そうか」


 ガルニールについて調べを進めていたアドリアンは、ノージーの話を聞いて納得がいったようだった。


「この一週間で何か起こすとは思っていたが……彼女を使って俺を足止めするつもりだったか。しかし、舐められたものだ。俺さえいなければうまくいくと思われているとは、なんて情けない。どうやら俺の鍛え方が足りなかったようだ。特別訓練を行わねばなるまい」


 いつも通りのアドリアンに、ノージーはイライラと足を鳴らした。


「特別訓練なんてどうでも良いのです。今は一刻も早く、ガルニール卿をどうにかしないと。そうでなければ、か弱いピケは心労で倒れてしまうではありませんか。まぁもっとも、そうなった場合は僕がしっかり看病しますけど」


「む? 彼女はか弱くないだろう」


「ハァ……そんなんだから、あなたはいつまでたっても独身なんですよ。アドリアーナさん?」


 やれやれと馬鹿にするように肩をすくめるノージーに、アドリアンは無表情の顔をムッスリと歪めた。

 やおらパチン、とアドリアンが指を鳴らす。その途端、彼の姿がゆらゆらと陽炎かげろうのようにゆらめきだし、そして姿が変わった。


「……いつ知った?」


 発せられた声は威厳こそ残っているが、女性のものだ。

 アドリアンことアドリアーナは、認識を歪める魔術を使って男として生きている。

 男女差別がない国とはいえ、女が総司令官というのはいろいろと問題があるからだ。

 このことを知っているのは、王族と直属の部下、それから昔馴染みのジョシュアくらいである。そして今、ノージーが追加された。


「ずいぶん前に。余計なことをされたくなかったので、黙っていただけですよ」


 澄ました顔をしているノージーが小生意気に思えたのか、アドリアーナがニマァと笑った。


「彼女に言い寄るとでも?」


「その可能性はなきにしも非ずだったので」


「まぁ、彼女は男よりも女の方が気を許しやすいようだしな」


「余計なことはしないでくださいね。今はそれより、ガルニール卿のことです」


「そうだな──」


 その後はトントン拍子で話が進み、今に至る。


 ノージーは人払いされた廊下を足音もなく歩く。

 いつもの女装姿ではなく獣人用に特注された黒い軍服を身にまとった彼は、なかなかに──いや、正直言ってだいぶ男前である。

 ピケがいればふにゃふにゃとしまりのない顔しかしない彼も、この時ばかりは表情をキリリと引き締め、これから始まる重要な任務ミッションに緊張しているようだった。

 短く切り揃えた髪のてっぺんにあるふわふわの耳はピンと天井に向かって立っていて、キュッと引き締まった腰あたりからは、いつもの倍に膨らんだ尻尾がモフモフとしている。


 ガルニールが使用している客室の周辺は、しんと静まり返っていた。

 角に身を潜めて気配を探るが、部屋にはガルニールしかいないようである。

 昨晩から敷かれた総司令官の命令により、このあたり一帯が立ち入り禁止になっているので、当然ではあるのだが。


 気合を入れるように小さく息を吐いたノージーは、難なく魔術を展開する。

 ノージーの魔術は、対象を眠らせて夢をみせること。

 万が一を考えて、人払いがされている一帯すべてに使用する。


「おやおや」


 どうやらそれは正解だったらしい。

 倒れる音が複数聞こえてきたが、ノージーは動揺することなく力を奮い続けた。

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