第37話 総司令官と侍女の休日

 翌日、チェリーレッドのケープを着たピケは、雪かきに勤しむ同僚たちに見送られながら王都へ出た。

 昨夜は珍しく一晩中雪が降らなかったらしく、雪かきが行き届いた街中は歩きやすい。

 うっかり転んでお尻を濡らすことがないよう慎重に歩きながら、ピケは大通りを眺めた。


「こうして一人で王都へ来るのは久しぶりだわ」


 来るときはいつも、隣にノージーがいた。

 王都を一人で歩いたのは、ノージーと待ち合わせをした最初の一回だけ。

 一度目のおでかけで心ない言葉を聞いてしまったピケを心配してか、それ以来一度だって待ち合わせをすることはなかった。


 今日、ピケが王都へやってきたのは、告白するための勝負服を購入するためである。

 ノージーとの大切な思い出になるであろう告白の時に、一番かわいい自分でありたい。

 きっと何度だって思い出すから、最高の自分でいたかった。


 ピケは、告白がうまくいってノージーが無事に獣人から人へ変化したことを確認したら、イネスを裏切ってガルニールに協力するつもりだ。

 恩人であるイネスを裏切ったピケを、ノージーは嫌いになるだろう。

 恩人であるピケのために大嫌いなネズミ狩りをしていたような、義理堅い人だから。


 ノージーはピケのことを恨む。

 そして、どうして告白なんてしてくれたのだと憤るだろう。


(その時思い出した私がいつもの私だなんて、なんだか嫌なんだもの)


 たとえ嫌な出来事として思い出されるのだとしても、かわいい自分でありたい。

 なんとも後ろ向きな動機ではあるが、ピケは真剣だった。


 雪化粧した王都を、ピケはすました顔でゆったりと歩く。

 内心はまた笑われるんじゃないかとドキドキしていた。いつもはノージーがピケの注意を引きつけるように話をしてくれるから、こんなことはないのだが。


 ガラス窓の向こうに見える店の中は、どこもすてきに見える。

 どの店なら、ピケが求めるものを買えるのだろう。

 当て所もなく歩く未来しか見えなくて、途方に暮れそうだった。


「かわいい服って言っても、いろいろあるしなぁ」


 ノージーとのおでかけでピケが学んだことは、彼はピケにかわいらしい格好をさせるのが好きだということだ。

 特に赤色や茶色のものを勧めてくる傾向があるのだが、おそらくその色がノージーの毛並みの色だからだろうとピケは思っている。


(緑の目はおそろいだから、それ以外も一緒にしたいのかも……)


 なんてかわいい猫だろう。

 けなげすぎて、頬擦りしたいくらいである。


 せっかく恋人になるのなら、おそろいでコーディネートするのも良いかもしれない。

 ノージーはユニセックスな格好が似合うけど、たまには恋人同士みたいに見えるような格好をしてもらいたいと思う。

 ふと、ピケの目に男女のマネキンが飾られているショーウィンドウが映った。


「ああいうの、いいな」


 あの服を着て、腕を組んで歩いてみたい。

 淡い桃色は男の人にはかわいらしすぎるかもしれないけれど、きっとノージーなら着こなせるはずだ。


「……あ」


 ごく自然にノージーとともにある未来を想像している自分に気がついて、ピケは足を止めた。


「私ったら……何を考えているのかしら。そんな未来、あるわけないのに」


 キラキラして見えた店が、色褪せて見えてくる。

 どこからともなく、「どうせ嫌われるのに、かわいい格好をする必要なんてあるの?」と聞こえてくるようだ。


「邪魔になっている」


 道の真ん中で立ち止まっていると、不意に声をかけられる。

 聞き覚えのある愛想のない声にあわてて顔を上げたピケの目に入ってきたのは、いつもの印象とはだいぶ違う、アドリアンの姿だった。


「⁈」


 支給された軍服をぴっちり着こなしている姿しか見たことがなかったピケは、あまりのラフさに別人なんじゃないかと目を疑う。

 事実、総司令官様が王都を歩いているというのに、誰一人として騒いでいなかった。


 シャツにパンツに、モフモフがついたフード付きのコート。

 ちょっとそこまでくらいの気持ちで歩いていたのか、いつもしっかりセットされている黒髪は洗いたてみたいにおろされている。長めの前髪がキリリとした眉を覆い隠すと、年齢がグッと下がって見えた。


「⁈⁈」


「この店に入るつもりだったのか? なら、遠慮せずに入ればいい」


 落ちた木の実を回収している時に、肉食獣に見つかったことに気がついたリス。

 目をまん丸にして停止しているピケの背を、アドリアンが押す。

 訓練の時の情け容赦ない態度しか知らなかったピケは、店の中へ突き飛ばされるのではないかと思って目を閉じた。


 しかし、ピケの予想に反してアドリアンは紳士的だった。

 やんわりと背中を押され、アドリアンのエスコートで入った店は、ピケが気後れするような高級カフェ。

 キラキラの天井に、ピカピカの床、聞こえてくる音楽はヴァイオリンの生演奏だろうか。


 アドリアンの衝撃が処理できていないうちに高級カフェの衝撃が追加されて、ピケは混乱した。

 蝋人形のように固まってしまったピケを一瞥したあと、アドリアンは迎えてくれた店員に支配人を呼ぶよう頼む。


 支配人はすぐにやって来た。

 白髪混じりのロマンスグレーを丁寧に撫でつけた、執事のようなおじさまだ。

 温厚そうな顔で微笑みながら、ピケを見て楽しそうに目尻を下げる。


「いらっしゃいませ、ゼヴィン様。今日は可愛らしいお嬢様をお連れなのですね。珍しいこともあるものです。ただいま奥の個室が空いておりますが、そちらでよろしいでしょうか?」


「ああ」


「それでは、ご案内いたします」


 こうなってしまっては、今更「別の店に行きたかったんです」とは言えない。

 侍女のお給料でも払えるお茶がありますようにと祈りながら、ピケはフカフカの絨毯じゅうたんの上をおずおず歩いた。

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