第27話 総司令官と侍女のうわさ

 王城に、うわさが流れている。

 曰く、総司令官様にもようやく春が訪れたらしい、と。

 そしてそのお相手は、近頃熱心に訓練されている異国の王女の侍女らしい、とも。

 ささやかな憶測でしかなかったうわさはささやかれるごとに信ぴょう性を増し、王城から王都へ流れ出る頃には、まことしやかに語られるようになっていた。


「名前は……あー……ピピ、だったかしら?」


「やぁねぇ、違うわよ。ピコよ、ピコ」


「なんだか小鳥みたいな名前だけど……総司令官様自ら、それも熱心に訓練するくらいだ。きっと、恐ろしくお強い方なのだろう」


「なんでも、不意打ちとはいえ、総司令官様に一撃入れたことがあるそうじゃないか」


「女の身で総司令官様にか⁈ おお、そりゃすごい。ロスティの女なら、夫を尻に敷くくらいの気概がなくちゃならん!」


「嫌だねぇ、あんたのはただの性癖だろう」


 アーハッハッと笑いが起こる。

 下町はいつだって明るい。活気があって、ピケに元気をくれる。

 だけど最近は少しばかり、居心地が悪い。


 うわさ話に花を咲かせる一団の隣を通り過ぎていった少女こそ、うわさの当人だと気付く者はまずいない。

 それでもピケは、居た堪れない様子できゅっと体を縮こませ、隣を歩くノージーに身を寄せた。

 するりとまとわりつく猫の尻尾のように、ノージーの腕が彼女の腰に回される。

 守るようなしぐさについ、ピケの涙腺が緩む。情けない顔をして彼を見上げたあと、ひしっとその腰へ抱きついた。

 そのままグリグリと額を擦り付けながら、ピケは呟く。


「強くない。私はちっとも強くない。強かったらあんなに怒られたりしないよ。あの男、私でストレス発散していたに違いないわ」


「おやおや。否定するのはそれだけなのですか?」


 なんだかトゲのある声が上から降ってくる。

 ノージーだけはわかってくれると思っていたピケは、わかってくれない彼に苛立ちを覚えた。


「それだけって……?」


 抱きつく手を緩め、不機嫌にピケが見上げると、ノージーの目がスッと細められる。

 猫の獣人である彼が目を細める時。それは悪意がない、もしくは好意を伝える手段だが、これは違うとピケは悟る。


「王都ではもちきりですよ? 総司令官様はイネス王女の侍女に恋をしている、と」


 ノージーらしくもない、いじけているような声に、ピケはキョトンとして、まばたきをした。

 言われた言葉を反芻はんすうしている。そんな顔である。


 彼女はしばらく停止したあと──とはいえ、ノージーに腰を抱かれたままだったので彼にエスコートされる形でのろのろと歩きながらだったが──言葉に含まれた彼の気持ちに思い至ったようで、急に顔を真っ赤にして、それから恥ずかしさをごまかすように、仏頂面を浮かべた。


 特別訓練中の休日は回復することを優先していたので、こうして二人きりで外出するのは久しぶりのことだ。

 だからだろうか。いつもなら楽しいだけであるはずの外出が、今日は妙に胸がざわついている。


(今更、ノージーに緊張している……?)


 なるべく普段通りに振る舞おうとしているのだが、さじ加減を忘れてしまったかのようにうまくいかない。

 ついさっきなんて、彼の腰に抱きついてしまった。普段の彼女なら、そこまでしないはずである。


(いや、でもさ。それはノージーだって同じなんじゃない?)


 以前の彼であれば、腰に手を回したりしなかったはずだ。

 せいぜい、頭を撫でるくらいだろう。


(この妙な感じは何なのかしら? お互いに探り探りというか……登りたいのに登れない階段に挑んでいるような気分だわ)


 せっかく、特別訓練を無事に乗り切ったご褒美にパーっと何かしようと王都へ来たのに、気分はモヤモヤしっぱなし。

 その上、ノージーは総司令官とピケのうわさを気にしていじけてしまっている。


(これじゃあ、心置きなくパーっとできないじゃない)


 ピケはこれじゃあいけない! と立ち上がった。

 せっかくの休日なのである。心置きなく、ノージーと二人きりの休日を満喫したい。


(そうと決まれば、まずは誤解を解かなくては!)


 むん! と意気込みながら、ピケはノージーを見上げ、子どもに言い聞かせるような優しい口調で話しかけた。


「ノージー、あのね? 総司令官様のことは、あくまでうわさ。さっきも言ったけれど、特別訓練ではかなりひどい扱いを受けたわ。私、ちょっと泣いちゃったもの」


「好きな子をいじめたいタイプなのかもしれません」


 ジメジメした声で、ノージーは答える。

 帽子を被っていて見えないが、耳はヘニャリと伏せていそうだ。

 珍しく情けない様子の彼に、ピケの心はわた毛でくすぐられた時みたいにムズムズする。

 人はそれを「母性本能がくすぐられる」と言うのだが、一生懸命言葉を選んでいる彼女が思い至ることはなかった。


「それにしたって、度が過ぎるくらいだわ。私が倒れたって、休むなって怒鳴るのよ」


「ピケが強いから、ついやりすぎただけかもしれない」


「そうだとしても。私がそんな人を好きになると思う? 答えは、いいえ、よ。だって私の心はそもそも、男の人を好きになるかどうかも怪しいんだから」


「じゃあ、僕は?」


 ノージーの問いかけに、ピケは逡巡した。

 いい加減なことは言いたくない。そう思ったから。


 彼に問われることを、予測できなかったとは言わない。

 むしろ聞いてもらいたかったのかもしれない、とピケは思った。

 問われるまで、気づかなかったけれど。


 今更だけど、まだ彼の腰に手を残したままだったことに気がついて、ピケはあわてて手を引っ込めた。

 それは、きちんとしたいという思いからだったが、ノージーからしてみればそんな気はなかったと言われたも同じである。


 どう言ったものかと悩んでいるピケは、ノージーの目には不誠実に見えたのだろう。

 怒りを静めるような、諦めるようなため息を吐いた後、彼はピケを路地へ連れ込んだ。


 ここは下町だ。

 路地は大抵、子どもが遊び場にしているものだが、この時に限ってひとっ子一人いなかった。


 建物の間にある細くて暗い路地で、ピケの背中が壁に当たる。

 囲い込まれるようにノージーの腕が伸びてきて、彼女を壁に縫い留めた。


「何度言えば、わかってもらえるのでしょうか?」


 わかっていないわけじゃない。

 大切にしたいだけだ。大切にしてもらっていることがわかるから、ことさらに。言葉ひとつ選ぶことに、慎重になるほどに。

 言い返そうとピケが顔を上げようとした瞬間、


「僕はピケが好きだ」


 熱を帯びた掠れ声が、耳に届く。


 ピケは、ノージーの顔を見ることができなかった。

 だって、彼の腕の中に、驚くほどの強さで抱きしめられたから。


 懐深く抱きしめられて、ノージーの鼓動と体温をすぐそばに感じる。

 ピケの心臓は、ノージーに負けないくらい、ドキドキしていた。

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