第26話 総司令官の友人
──かと思われたが。
気づくとピケは、見知らぬ大きな男に首根っこを掴まれ、猫の子のようにプランプランとぶら下げられていた。
「あっぶねぇなぁ。アドリアン、こんなちびっ子相手に反射で蹴るな。死んじまうだろうが。俺が助けに入ってなけりゃ、今頃あそこにめり込んでたぞ?」
男の親指が、背後の壁を指差す。
頑丈な壁にめり込むところだったと言われて、ピケは顔を真っ青にした。
「すまない。助かった、ジョシュア」
「おもしろいもんが見られたし、チャラにしてやるよ」
どうやらピケは間一髪のところで男に引っ張られ、アドリアンの一撃から逃れたらしい。
全身は痛むが、蹴りによるけがはない。
(た、たすかったぁぁぁぁ……とっさとはいえ、総司令官様に
今後は絶対にしない。
ピケは強く、心に刻んだ。
そして、危険な場面に臆することなく飛び込んで助けてくれた恩人に礼を言おうと、自分をぶら下げたままアドリアンと話し込んでいる男を見た。
「あの……助けてくださってありがとう……っ!」
ございます、とは続けられなかった。
だって男の顔が、とんでもなく怖かったから。
笑みを浮かべていたピケの顔が、一瞬で凍りつく。
「ひぇ……」
目と口を開けたまま、放心状態で見上げてくるピケに、男は責めることなくヘラリと笑みを浮かべた。
笑うと目尻にしわができて、顔面凶器のような印象がわずかばかり和らぐ。
おそらく彼は、ピケと同じような反応をされることに慣れているのだろう。「すまねえなぁ」と苦く笑みながら、男はピケの頭をワシャワシャと撫でた。
「おじちゃんの顔、怖かったか? よしよし。おじちゃんは、顔は怖いかもしれないが優しい男だからな。怒ったりなんてしないから、安心しろ。むしろ、泣かずに礼を言えたお嬢ちゃんがすごいって思うぞ」
ガサツそうな見た目に反して、ピケの扱いは丁寧だ。
気遣うようなしぐさでゆっくりと地面に降ろされて、ピケはキョトンとする。
「いやぁ、これくらいの年齢の子はかわいいな。特に女の子はいい。俺のところは息子ばかりで、目の保養が足りん」
「ジョシュア。彼女は十六歳だ。あまり子ども扱いしてやるな」
アドリアンの言葉に、ジョシュアと呼ばれた男は目を剥いた。
それからピケのことをしげしげと見下ろして、ハッとなる。
「すまねぇ、小さいからてっきり……悪かったな、お嬢さん」
ごまかすようにニカッと笑う顔は、子どもみたいに屈託がない。
彼は、一見すると怖さしか感じないが、よく見てみれば整った顔つきをしている。
まとう雰囲気が厳ついので萎縮してしまうが、所作は驚くほど紳士的だった。
ちゃんと見れば、わかる。彼はいい人だ。怯える必要はない。
そう思ったピケは、やっぱりきちんと礼を言おうと思い直して、口を開いた。
「……あの、助けてくださって、ありがとうございます」
「いや、いいってことよ。それに……長く友人をやっているが、あんなおもしろいもんは初めて見た」
そういえば彼は、さっきもそう言っていた。
この場におもしろいものなんてあったっけ? と不思議そうな顔をするピケに、ジョシュアがクイっと顎をしゃくってみせる。
「おもしろいもの、だ」
ジョシュアの視線は、アドリアンに向けられている。
ピケの目には何の変哲もない──無機質な人形のように無表情の──アドリアンしか見えない。
顎を引いて怪訝そうな顔をするピケに、ジョシュアが「当事者にはわかんねぇか」と笑った。
(当事者っていうか……そもそもあの人の顔、朝見た時から一切変わっていませんから!)
訳知り顔で一人頷く恩人に、ピケは困るばかりだ。
(見るに、ジョシュアっていう人は総司令官様と仲が良いみたいだし……私がわからないというより、この人が総司令官様のことをよくわかっているだけなのでは?)
改めて見てみても、なにがおもしろいのかちっともわからない。
どう反応したものかと困ったように服の裾を握っていると、ジョシュアは寂しげな、乾いた声で笑った。
「わかりにくいかもしれねぇが……アドリアンはあれでお嬢さんのことを気に入っているのさ」
「わかりにくいっていうか……まるでわかりませんでしたけど」
「ハハ。あいつはな、気に入ったやつしか指導しないんだ。なにせ総司令官様だ。忙しいに決まっている。いくらお嬢さんが特別な立場だとしても、総司令官自ら指導する必要なんてない。他に適任がいくらだっているからな」
「気に入られているんですか、私……?」
「さっきまではそうだったな」
さっきまで。
その言葉に、ピケは震え上がった。
(つつつつまり、今は気に入られていないと? 卑怯な手を使ったのが命取り⁉︎)
命乞いするように胸元で手を組むピケの考えを打ち消すように、ジョシュアは続ける。
「お嬢さんは、一瞬とはいえあいつの本気を引き出した」
「砂をかけてしまいました……」
「戦場じゃ生きるか死ぬか。不意打ちなんてあって当然さ」
油断していたアドリアンが悪い、とジョシュアは言った。
「今、あいつの頭ん中はグチャグチャだろうよ」
「そそそそれは脳震とうとかそういったことででしょうか⁉︎」
今にも救護室へ駆け込みそうな勢いのピケに、ジョシュアは一瞬呆けた顔をして、それから豪快に腹を抱えて笑い出した。
「お嬢さん、なかなかおもしろい感性をしているな。十六歳、だったか? まだ大人になりたてのあんたには、難しい話かもな」
ジョシュアは笑いすぎで涙が浮かぶ目を袖で拭いながら、口の中で呟く。
「純朴って感じだ。王都にいる女とは毛色が違う。それが良かったのか……?」
ちらりとアドリアンを見遣れば、難しい顔をして考え込んでいる。
これは長引きそうだと踏んだジョシュアは、「今のうちだ」と言ってピケを逃してやったのだった。
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