第24話 猫と総司令官の密約

 現金なことに、アドリアンの言い分に納得してみると、ノージーの胸の内にじわじわと喜びが湧き上がってきた。

 ロスティは力がすべて。その頂点に君臨する総司令官に見そめられたピケは、かなりの伸び代があるに違いない。

 さすが僕のピケ、とノージーは自分のことのように誇らしく思った。


 腕の中のピケを見下ろしてうっとりとしているノージーは、彼女のことしか見ていない。

 今しがたまで威嚇していた相手が無害だとわかるなり、もう興味を失っているようだった。

 あわよくば獣人と一戦交えることができるかもしれないと期待していたアドリアンは、残念に思う。


 獣人は基本的に、恋した相手にしか興味がない。

「この目は恋した相手を見るためだけに存在している」と言い放った獣人がいるほどである。

 その話を聞いた時、アドリアンは獣人というのは度し難い阿呆なのでは、と思った。

 人よりはるかに遠くを見渡せる視力を持ちながら、目の前にいる思い人しか映したくないとは、勿体なさ過ぎる。


「これが獣人か」


 アドリアンはつぶやいた。

 吐息混じりの声には諦めと、わずかばかりの羨望せんぼうが混じっている。


 獣人は、人族よりもはるかに強い。肉体も能力も秀でている。

 そんなに強い生き物だというのに、恋した相手に愛してもらわなければ消滅してしまうというはかなさも持っている。

 天は二物を与えずというが、強い生き物だからといって試練を課しすぎではないだろうか。


 しかし、当の獣人たちはそう思っていないらしい。

 総司令官であるアドリアンさえまだ数人しか会ったことがないが、彼らは一様に恋したことを誉れに思っていた。

 恋が実らず消滅した者も、恋が実って人族へ変化した者も。みな、喜びこそすれ嘆いている姿など見たことがない。


 彼らは知っているのだ。

 人族が異質を嫌うことを。魔獣を恐れていることを。

 だから、魔獣の恋はめったに実らない。

 わかっていて、彼らは恋をする。


 恋をするということは、それほどまでに大事なことなのだろうか?

 アドリアンの人生において重きを置いているのは、恋よりも強さだ。国の頂点に立ってなお、思いは募るばかり。

 だから彼は理解し難い。大した努力もなしに、生まれながらにアドリアンより強い彼らが、恋なんていう曖昧な感情に振り回され、散り行くのが。


 そもそも恋なんて、何度だってできるものだろう。

 人族の言葉には『初恋は実らない』なんてものがあるくらいなのだから。


 それでも、魔獣の恋はたった一度きり。恋した相手をいちずに愛し抜く。

 でももしかしたら、とアドリアンは思う。

 マルグレーテ・クララベルを筆頭とした魔獣研究者たちによって日々真実が明かされていってはいるが、獣人についてはまだまだ未知な部分が多い。

 ノージーが恋をした少女、ピケ・ネッケローブについて知れたら、何か打開策が見つかるかもしれない。


 目をつけた少女を鍛えられる上に、魔獣の恋の打開策を得られるかもしれないチャンスが目の前に転がっている。

 アドリアンはチャンスだと思った。これを逃す手はない。そのためなら、多少口が滑るのも致し方ないことだ、と。


「侍女を続けるつもりなら、俺の訓練を受けておいて損はないはずだ」


「なぜです?」


「……暗殺者はまた現れる」


 アドリアンの言葉に、ノージーはムッとした顔をした。

 緑色の目がギラリと光る。まるで、暗闇に潜む獣のように。

 スッと細めた目でアドリアンを見やりながら、ノージーは言った。


「物騒なことをたやすく言うのですね」


 ネズミをいたぶっている時の猫のようだ、とアドリアンは思う。

 気のせいか、口元には笑みが浮かんでいるようにも見えた。


「キリル王太子殿下とイネス様の結婚を反対している者がいる」


「この国では、他国ほど王族に対して興味がないと思っていましたが……そうでもないのでしょうか」


「アルチュール国にはイネス様を神聖化して信奉している者がいるらしい。あの国は女神を信仰しているから、そのせいもあるのだろう。イネス様を穢されてなるものかと、キリル王太子殿下を悪魔の化身だと言って騒ぎ立てている」


「なるほど。最悪の場合はイネス様もろとも自害する、なんてシナリオも考えられそうですね」


「今はキリル王太子殿下を狙っているようだが……なきにしもあらず、だな」


「はぁ……最も安全だと思って利用したのですが、とんだ誤算だったようですね」


 やれやれとノージーは肩を竦めた。

 イネスとピケはすでに、かなり親密な間柄になっている。今更危険だから侍女をやめて逃げましょうと言っても、彼女は従わないだろう。

 なにせ彼女は、懐に入れた者に対して責任感が強い。あの忌々しい兄たちにさえ慈悲を与えていたのだから、呆れるほどだ。

 とはいえ、そんな馬鹿みたいにまっすぐなところが好ましく、そのままでいてほしくて注意しないノージーは、もっと愚かかもしれない。


 逃げるという選択肢がないなら、対処する他ない。

 諦めたようにハァとため息を吐いたノージーに、アドリアンは提案を持ちかけた。


「協力してもらえるのならば、こちらも全力で応援しよう」


「なんの対価もなく応援すると言われるよりは、納得できますね。いいでしょう、協力して差し上げます」


「ああ、そうしてもらえると助かる。ところで……彼女は随分とずぶとい神経をしているのだな。自分で言うのもなんだが、こんな場面で寝こけるとは」


「失礼な。ピケはか弱い女の子なのですよ? あなたは知らなくて良いことですけれどね。今、彼女が寝ているのは僕の魔術ちからのせいです」


 話はこれで終わりとばかりに、ノージーはピケを抱え直して踵を返した。

 足早に去ろうとする彼の背中に、アドリアンは問いかける。


「眠らせることがおまえのちからなのか?」


「いいえ。眠らせるのはあくまで前座。僕の魔術は夢を見せることです」


 ノージーはそれだけ言うと、去っていった。

 かすかに見えた横顔は、ニィッと不気味な微笑みを浮かべていた。ひっくり返った、三日月のように。

 残されたアドリアンは、顎をさすりながら「やれやれ」とつぶやく。


 数カ月前に報告された、王都での事件。

 女性二名が田舎娘と美青年にちょっかいを出した後、幻覚を見て錯乱しだした、ということがあった。

 話を聞くに薬物使用の可能性があったので調査していたが、どれだけ時間をかけても解決の糸口が見えてこない。


 田舎娘に、美青年。そして、夢を見せる魔術。

 合点がいったとアドリアンは頷き、これ以上の調査は不要だと伝えるべく、執務室へ足を向けたのだった。

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