第22話 攫われる侍女
お城での暮らしは思っていたほど
ようやく始まった侍女になるためのレッスンも、お人形遊びの延長のような感覚で受けている。幼い頃は遊んでいる余裕なんてなかったから、ピケは楽しくて仕方がない。
危惧していた貴族からの嫌がらせなどはまったくなく、イネスとキリルは見ているこっちが恥ずかしくなるほど順調に距離を縮めているようだった。
そもそも、ロスティ国民は王族にそれほど関心を持っていないらしい。
祭りなどに顔を出せばそれなりに騒がれるが、もしも国王と総司令官が同じ場所に現れたら、間違いなく総司令官の方へ人気が集中するくらいには、王族への人気は薄い。
キリルとイネスとの婚約があっさりと通ったのも、そのおかげのようだ。
他の国では信じられないことである。
誰が王位を継ぐかで蹴落とし合うところもあるというのに。
オレーシャから王都へ来て感じるのは、ロスティの人々の『強さ』に対する執着だ。
老若男女問わず、ほとんどの人が圧倒的な強さに憧れを抱いている。
一度、護身術のレッスン中に兵たちの模擬試合に遭遇したことがあったが、すごかった。
戦っている者たちはもちろん、訓練場の周りをぐるりと囲むように形成されたギャラリーの熱量と言ったら!
まさに血湧き肉躍るという言葉がぴったりな、暑い……いや、熱い空間だった。
魔兎狩りが特技であるピケもつい熱くなって、むさ苦しいギャラリーに混じって声援を送っていたのは、ノージーに内緒である。
ここへ来たばかりの頃にレッスンで聞いたのだが、彼らが強さに執着するのは、
長い冬の間は食料を得ることも難しく、人々は一年中、冬を生き延びるための蓄えについて考えていた。
体が弱ければ寒さに勝てず、食料を得るための仕事も体が資本。となれば、強くなるしかないだろう!──ということらしい。
そんなわけだから、この国では強さの頂点に君臨する軍の総司令官──アドリアン・ゼヴィンが大人気だ。
権力も財力もあるが、なによりも彼は強い。
この国において、強いことは何物にも変え難いステータスなのである。
三十五歳にして未だ独身である彼のもとには毎日のように縁談が持ち込まれ、彼を見習って生涯独身を誓う青年もたくさんいるのだとか。
とある貴族の令嬢が彼の寝室へ忍び込んで「ひと夜の情けを……」と誘惑したらしい、なんてうわさも耳にしたから、大層おモテになっているに違いない。
でも、とピケは思う。
「だからといって、これはないと思うのです」
震える喉を
彼女の言うことはもっともだ。
これは、ない。
いくらアドリアンが国一番の人気者であろうと、一度しか会ったことがない少女を誘拐して良い理由にはならない。はずだ。
「そうか?」
「そうです。少なくとも、私の常識ではないです」
「そうか」
「権力を振りかざし、こんなことをするのは良くありません」
「そうか」
「なんだ、この人は。そうかしか言えないのか⁈」
うっかりピケが心の声をダダ漏れにしても、アドリアンは「そうか」である。
さすがロスティの総司令官だと褒めるべきか、貶すべきか。
「うぅぅ」
ピケはうなりながら足をバタつかせた。
ガタガタと体の震えが止まらないが、今は怯えている場合ではない。
(こわい、こわい、こわすぎるぅぅぅ! なんでこの人はこんなことしているの? 私が何をしたって言うのよぉぉぉぉ)
ピケは今、アドリアンに抱っこされている。
お姫様抱っこならぬ、お米様抱っこというべきだろうか。要は、肩に担がれている。
クラクラするのは地面が遠いせい?
いや違う、とピケはすぐさま心の中で断言した。
木登りが得意であるピケが、この程度の高さで怖気付くはずがない。
クラクラするのは、男の人に触れられているせいだ。それはもうガッチリと、力強く彼女は抱き上げられている。
できれば穏便に、地面へおろしてもらいたい。
今のピケはちっとも冷静じゃないから、落とされたら顔面から着地しそうである。
「いやいやいや。そうか、じゃないです。どこへ向かっているのですか? 私をどうするおつもりですか? そもそも、どうして私を抱っこしているのです?」
「説明が必要か?」
「必要だから聞いているのです。説明しろ、ください!」
「仕方がないな」
そう言うと、アドリアンは面倒臭そうにため息を吐いた。
ため息を吐きたいのはこっちだ、とピケは涙目で彼を睨む。ただし、見えたのは彼の後頭部だったけれど。
「先日、城内に侵入した者がいる」
「……」
思い当たる節があるピケは、抵抗をやめておとなしくなった。
静かになった彼女を担ぎ直しながら、アドリアンは言う。
「あれは手練れの暗殺者だった。ロスティの鍛えられた軍人さえ、一撃を入れることが難しいくらいの」
「え」
「やったのは、おまえだろう? ピケ・ネッケローブ」
「いやぁ〜ははは。ま、まさかぁ。だって私、ただの侍女ですし」
「ごまかしても無駄だ。初めて見た時から、俺はおまえに目をつけていたのだからな」
スルリと、男にしては細い手がピケの足を伝い上がってくる。
足首から、脛へ。無遠慮な手が、スカートの中に入ってくる。
「っ!」
恐怖と羞恥でピケは暴れようとしたが、どうやっているのかびくともしない。
ピケの目が、絶望に染まった。
強い男の人はこわい。だって、なにをされるかわからないから。
現にピケは今、まったく身動きがとれない状況で足を撫でられている。
助けを呼ぼうと口を開いても、かすかに声帯が揺れてヒーという掠れた音しか出なかった。
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