第21話 王女の尋問

「あらまぁ……それで、それからどうしたのです?」


 鏡越しに目をきらめかせ、ドレッサーの椅子から身を乗り出さんばかりにこちらを見てくるイネスに、ノージーはこれみよがしに深いため息を吐いた。

 イネスの自室の、鏡台の前。ノージーは彼女の髪を結いながら、尋問されている。


 彼にしてはわかりやすく落ち込んでいる様子に、イネスはクツクツと笑う。普段すました顔をしている人のわかりやすい態度というのは、実に滑稽で面白い。

 ニヤニヤともの言いたげに笑う彼女に、ノージーは半眼でじっとりとめ付けた。


「どうもこうもありませんよ。手を出せるような雰囲気ではありませんでしたから」


 スパッとした物言いは、これ以上話したくないと言っているようだ。

 だが、イネスはお構いなし。両手で唇を隠しながら、それでもわかるくらいニマニマと意地悪く笑う。


「あら、どうして? 深夜に若い男女が二人きり。そんな雰囲気になって然るべきでしょう?」


 しれっと言っているが、イネスの胸は高鳴っている。

 獣人であるノージーの耳には、うるさいほどだ。

 きっと、よからぬ妄想でもしているのだろう。


 結婚の約束をしなければ触れることも許されない国で育ち、その鬱憤を恋物語を読むことで晴らしていた彼女は、知識だけは豊富である。

 現実と物語は違うのだと、何度言ってもわかってくれない。

 今回のことだって、「ピケが夜這いに行ったらその危険性をわからせるためにノージーがちょっと手を出したりしちゃったりして! ふふっ!」くらいの気持ちでピケを焚き付けたに違いない。


 そのせいでピケは、危ないところだったのだ。

 ピケは知らないままで良いことだが、あの夜遭遇したのはただの不法侵入者ではない。

 あれは、暗殺をなりわいとしている者だ。それも、人族にしては強い部類の。


 ピケが狩人として高い能力を持っていること、本能的に不意打ちをついたこと、それがたまたま良い方向に作用して牽制けんせいすることができていたが、あの時ノージーが駆けつけていなければ、殺されていたかもしれない。

 目の前でのんきに「ノージーはこんなことを言っていますけれど、本当はキスの一つくらいしたに違いありませんわ!」とか思っていそうな顔でニヤニヤしているイネスに殺意を覚えながら、ノージーは気持ちを切り替えるように頭を振った。


「ピケが無事だったから言えることですけれど……彼女はあなたと会う直前に危険な目に遭っていたのでしょう? きっと、胸はドキドキ、心臓はバクバクしていたはずですわ。そこへあなたが優しく手を差し伸べたら、ついコロリと心を傾けてしまうのが、恋の常識ではありませんか」


 無神経な言葉だ。

 天然を装っているが、わざとノージーを煽っているのがありありと伝わってくる。

 このイネスという少女は、タチが悪い。

 猫が好きなのに、構いすぎて嫌われるタイプの飼い主になりそうだな、とノージーは思った。


 ノージーという猫は、愛する人ピケにだけ構ってもらいたいのであって、他はお呼びでないのだ。

 散らしたつもりの殺意が、ぶり返す。

 スカートの中でブワリと尻尾を膨らませながら、ノージーはギリリと歯軋りした。


「恋の常識、ですか」


 だからそれは、物語の世界の常識ですよね。

 何度言っても聞き入れてもらえない言葉を、ノージーは飲み込む。


「ええ、そうよ。たしか……吊り橋効果、と言ったかしら。不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなるのよ」


 まさしくノージーがそれである。

 わかっているだけに反論しづらく、ノージーは押し黙った。


「怖い思いをしていたピケを、あなたは抱きしめてあげましたの?」


「しましたけど……」


「けど?」


「それ以上はしていません」


「まぁ」


 吐息混じりの「まぁ」は、呆れているようにも、感心しているようにも聞こえる。

 ノージーは、せっかくのチャンスを無駄にしたと言われているような気がして、ムッとした。


 魔獣であるノージーは、ピケに恋をして獣人になった。この恋が実ればピケと生きていけるが、失恋すれば消える運命にある。

 いかにも、イネスが読んできた恋物語にありそうな内容だ。

 だが、ノージーは架空の人物じゃないし、これは現実。恋物語のような、トントン拍子にはいかない。


「想像してみてください。あなたは、好きな人を部屋に連れ込んで、二人きりになった」


「ドキドキしてしまいますわ」


「ドアの向こうの廊下には、警備兵がわらわらと現場を調べています」


「ちょっと……ムードに欠けますわね」


「警備兵たちの男らしいいかつい声が聞こえるたびに、好きな人は体を震わせて怯えている」


「……」


「僕を頼って身を寄せてくる姿は愛くるしいですが……そんな子に手を出せますか?」


「出せませんわね」


「そうでしょう?」


 うんうんと頷き合って、終わるかと思いきや。

 したり顔でニマァと笑ったイネスが「でもね」と言った。


「わたくしは、それ以上をしろだなんて一言も言っておりませんわ。あなたが勝手に勘繰って、弁解してきただけ。むしろ弁解したぶん、余計に“ああ、手を出したかったのね”と思ってしまったくらいよ」


「……かわいらしくないお人だ」


「かわいいは旦那様のためにあるの」


「……」


「それに……弱みにつけこんで既成事実を作るなんて、ヒーローにあるまじき失態ですわ! まぁ、ちょっとおいたが過ぎる子猫ちゃんに少しエッチなお仕置きするのは定石ですけれど? それ以外は、絶対に! いけませんわ!」


 恥ずかしいなら黙っていれば良いのに。

 否応なく聞こえてくるイネスの心音は、うるさくてたまらない。

 慣れた手つきで最後の仕上げの薔薇を飾り、ノージーはゲッソリと疲れた顔で「髪結い、終わりましたよ」と告げたのだった。

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