第20話 狩人の目をした侍女
就寝時間はとっくに過ぎている。
いつものピケだったら、天蓋付きのベッドの中ですやすやと眠っている時間だ。
暗い廊下に、ろうそくの明かりが揺れる。
城へ来てからは初めて使うランタンの明かりを頼りに、ピケは冷たい廊下を歩いていた。
イネスから「ピケにはノージーとのスキンシップが必要ですわ!」と助言されたその日の夜。
いつも通りに就寝したピケだったが、物音に目を覚ました。
嫌な予感を抱きながら目を覚ますのは、いつ以来だろう。
あわてて飛び起き、嫌な音を立てる胸を押さえながら周囲を警戒する彼女の目に入ったのは、扉からこちらをのぞく目──ではなく、窓の外でひっくり返っている鳥だった。
おそらく物音は、この鳥が窓にぶつかった音だったのだろう。
倒れている鳥は昼行性で、こんな時間に飛ぶなんて考えられないことだけど。
動物がいつもと違う行動をとる時は、大抵良くないことの前触れである。
魔の森でそれを嫌というほど学んでいたピケは、言いようのない恐怖を覚えた。
この感覚は、大型の魔獣がピケを狙って忍び足で近づいている時に似ている。
(はやく、はやく、逃げなくちゃ。もっとも安全な場所へ。ノージーのところへ)
ピケはどうしても、彼に会いたくなった。
こんな時間だから迷惑かもしれない。
朝まで我慢すれば起こしに来てくれるのだから、それまで待てばいい。
王城の守りは鉄壁だ。問題など、起こるはずがない。
グルグルといろんな思いが頭を
「イネス様の言う通りかもしれないわね……」
必要以上に不安に思ってしまうのは、イネスの言う通り、ここが
わりとなじんできたようなつもりになっていたけれど、本心はまだ、警戒しているのかもしれない。
ピケに掃除の仕方を教えてくれるメイドたち。ピケにおいしいお菓子をくれるキリル。王都に行くと必ず立ち寄るカフェ・オラヴァの女店主。
少し仲良くなったような気になっていたロスティの人たちの顔が、浮かんでは消える。
優しい表情で笑う彼らの顔を思い出すと、申し訳ないという気持ちと仕方ないじゃないかという気持ちが交じり合って、ピケを困らせた。
「真っ先に頼ろうと思う先がノージーなのも、イネス様の言う通りね」
では、スキンシップが足りないという話もその通りなのだろうか。
確かに、以前と比べたら触れ合う時間は格段に減ったと思う。
朝も昼も夜も、一心同体かのようにくっついていたあの時がちょうど良いあんばいなのだとしたら、今はかなり足りていないだろう。
「だとしても。さすがに一緒に寝るのはナシかしら……」
ノージーは「警戒してください」と言っていた。
一体彼の何を警戒しろと言っているのかわからないままだが、夜中に一人で訪ねるのはよろしくないだろう。
逡巡するピケの足が止まる。
「やっぱり戻るべきかしら……」
ピケは後ろを振り返る。
暗い廊下の先は真っ暗で、歩いて来られたのか不思議なくらいだ。
寒気を感じてピケはブルリと肩を震わせた。と、その時である。
ピケの背後で、何かが着地するような音がした。
反射的に振り返って、ランタンで照らす。
ほんのり明るくなった廊下の先に、影がいた。
見た瞬間、ピケの本能が「敵だ」と警鐘を鳴らす。
彼女はためらうことなくランタンの火を消すと、できる限り気配を殺して駆け出した。
狩人の一面を持つピケは、走っている時も足音を立てない。
あっという間に影との距離を詰めた彼女は、大きく踏み切って跳躍し、空中で影を蹴った。
意表をつかれた影が吹っ飛び、盛大な音を立てる。
音から察するに、誰かの部屋の扉へぶつかったらしい。
ガッチャンと金具が壊れるような音を聞いて、ピケは焦った。
(手負いの獣は何をするかわからないわ!)
あんなに大きな音を立てたら、寝ている人だって起きるだろう。
様子を見に扉を開けた瞬間、人質にとられてしまうかもしれない。
(そうなったら大変だわ! 誰か出てくるまえに、仕留めなくっちゃ)
ギラリと狩人の目をしたピケは、目の前の獲物を一撃で倒せる方法はないかしらと思案する。
よろよろと立ち上がる影は、おとなしく倒れているつもりなどないようだ。
よく見えないが、手負いの獣特有の追い込まれた視線を感じる。
なんとしてでもここから逃げてやるという強い気持ちが伝わってきて、ピケも負けじと睨み返した。
「おや? こんなところで、どうしたのですか?」
「っっ⁉︎」
緊迫した空気が、一瞬で崩れる。
逃げられる! とピケが慌てて気を引き締めた瞬間、影が断末魔のようなひどい悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「おやおや。どうやら招かれざるお客様がいらしていたようですね、ピケ?」
「っ……ノージー」
コツコツと廊下を歩く音が響いて、ピケの目にじわりと涙が浮かぶ。
倒れた影を挟み撃ちするように、向こう側から慣れ親しんだ気配が近づいてきた。
「ええ、ノージーですよ」
床に伸びている影を跨いでピケのそばまで歩いてきたノージーが、彼女の背を優しい手つきで撫でる。
そのまま引き寄せるように胸に顔を押し付けられて、ピケはたまらずギュッと抱きついた。
震えが止まらない。
狩りをする時特有の、血が沸騰するような感覚を、魔獣ではなく人を相手に感じてしまったことに対し、ピケは今更ながらに恐怖を覚えた。
「よしよし。ピケ、偉かったですね。一人でよく頑張りました」
「ノォジィィィィ」
「もう大丈夫です。僕がそばにいます」
ノージーが撫でてくれるところが、少しずつ温かくなってくる。
興奮して上がった息も、彼のゆったりとした胸の鼓動を聞いているうちに落ち着いてきた。
そうこうしているうちに、遠くから大勢の足音が聞こえてくる。
また敵かと体を竦ませるピケに、ノージーは「大丈夫」とささやいた。
「警備兵がこちらへ向かってきているだけです」
「警備兵?」
「ええ。そこで寝ているお客様を、引き取ってもらいましょう」
どうやら、ピケの大立ち回りの音は、外まで聞こえていたらしい。
ガヤガヤと物騒な声が近づいてくる。
「事情聴取なんて面倒なので、逃げてしまいましょう」
「え? ちょっと、ノージー⁉︎」
清々しい笑みを浮かべたノージーが、ひょいとピケを抱き上げる。
見た目からは想像できない安定の良さに、ピケは思わず「おお」と歓声を上げた。
そうして、警備兵たちが慌てた様子で駆けつけるよりも前に、ピケはノージーの部屋へ連れ込まれたのだった。
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