第19話 王女様の思惑
ノージーと王都へ行って以来、ピケの中で何かが変わった。
例えば、ノージーに「おやすみ」と言って部屋の前で別れる時。
今までだったらなにも思わずに「また明日」と言って扉を閉めていたのに、不安に思うようになった。
例えば、ノージーが「おはよう」と言ってピケを起こしに来た時。
今までだったら「うるさいなぁ、もっと寝かせてよ」と文句を言っていたのに、安心するようになった。
夜を一人で過ごすことが怖くなったのだろうか。
どうして、今更。
ピケはもう、ベッドの下にゴーストがいると信じている、子どもではないのに。
「よく、わかりません」
子どもがむずがるような顔をして、ピケは行儀悪くテーブルの淵へ顎を乗せた。
「自分の気持ちなのに……。私は一体、どうなってしまったのでしょうか?」
まるで重い病を患っている人のようだ。もしくは、重罪を犯して告解しに来た信者か。
らしくもなく暗い声で語ったあと、ピケはテーブルへ突っ伏してしまった。
ピケとデートさせるためにノージーへ特別休暇を与えるようになってから数週間。
初めてデートをした翌日は、今までになく二人の距離が近づいているように見受けられたのでその後も続けていたのだが、見間違いだったのだろうか。
おかしいわ、とイネスは思う。
もともと二人は、出会った当初から、不具合でも起こしているのではと心配になるくらい距離感が近すぎたが、ここ最近はそれが自然だと思えるくらい違和感がなくなっていた。
近くで見ていたから、イネスは知っている。
デートの回数を重ねて少しずつ、ノージーは加減を覚え、ピケは受け入れるようになっていったことを。
イネスの目には、二人の仲は順調に良い方向へ成長していっているように見えていた。
ノージーの一方通行だった気持ちをピケが受け取るようになった、とでも言おうか。
まだ返せるだけの気持ちは育っていないようだが、受け取るようになっただけでも大進歩だ。
だから、特別休暇を許可したのは正解でしたわ、とイネスは思っていたのに。
「これでは困りますわ」
チャイを淹れながら、イネスはピケに聞こえないよう小さくため息を吐いた。
ピケとノージーには、これからもっともっと見せつけてもらわないと困る。
イネスは彼らに、期待しているのだ。
彼らが恋人っぽく触れ合えば触れ合うほど、キリルの鉄壁の理性にほころびが生じるから。
というのも、イネスのかわいい人ときたら、彼女のことを想いすぎるあまり神格化しているような節があった。
そのせいで、結婚前はキスどころかハグさえやんわりと断られる始末。このままでは、新婚生活にも支障が出そうである。
というのは建前で。
イネスはキリルと、恋人らしくベタベタしてイチャイチャしたかった。
アルチュール国では、親が決めた結婚相手、もしくは婚約者としか触れ合ってはいけない。
自由恋愛なんて、もちろん禁止。結婚を約束しなければ、手を握ることさえできないのだ。
はじめて触れても良い男性が現れて、しかも好みで、なおかつ愛されている。
ならば、ためらう必要がどこにあるのだろう。
自由恋愛や恋人との甘い時間に憧れを抱きながらも諦めていたイネスが、「ためらう必要などありませんわ!」と断言するようになるのに、そう時間はかからなかった。
触れ合いたいイネスと、恐れ多いと逃げるキリル。
そんな、未来の国王夫婦の関係に変化をもたらしたのが、ピケとノージーだった。
イネスがお願いしてもやんわりと断っていたキリルの態度が、ピケとノージーが見せつけるかのようにひっついているおかげで軟化してきたのだ。
つい先日なんて、ダンスレッスンの最中に腰をグッと引き寄せてくれた。それはもう、情熱的に!
たくましい腕がしっかりとイネスの腰を引き寄せ、ちょっぴり当たるふくよかなおなかの柔らかさに頰がゆるむ。至近距離で見つめ合い、このままキスか──なんて良いところでダンス講師が手をたたいたせいで、甘い雰囲気は霧散した。
ああ、なんて勿体ないことをしてくれたのかしら。あのダンス講師はクビね、とイネスが思ったのは言うまでもない。
話が逸れた。
とにかく、だ。イネスがつまずきそうになっていたというのもあるが、以前のキリルならダンスを中断しホールドを解いていたはず。
そう考えると、このままいけばキスは無理でもハグくらいならいけるのでは? と一筋の光が差したような気がしてくる。
だから、困るのだ。
イネスの明るい恋人生活を実現するためには、彼らの親密さが頼り。
春に行われる結婚式までに、なんとかしてイチャイチャしたい。いや、しなくてはならない。
イネスにとって、憧れを実現させることはもはや、使命だとさえ思えた。
「ねぇ、ピケ。それはやっぱり、夜一人で眠るのが怖いせいではないかしら」
イネスの腹づもりなど知る由もないピケは、彼女の問いかけに「うーん」とうなる。
むくりと起きたピケの小さな鼻に、シワが寄っていた。
顔のパーツが中央に寄ると、もともと幼い顔立ちなのにますます幼く見える。
純粋な子どもを騙しているようで気が咎めるが、背に腹はかえられない。
イネスは罪悪感を押し殺して、王族らしい微笑みを浮かべた。
「だってここはロスティだもの。敗戦国の人間である私たちが怖いと思ってしまったって、仕方のないことだわ」
もっともらしいことを言っているが、イネスの目的はピケとノージーがイチャイチャすることである。
「そうでしょうか?」
「ええ、そうよ。そうに違いないわ。だからピケは、慣れ親しんだノージーのそばで安心したいのよ」
心理学者かのように熱弁を奮っているが、イネスの目的はキリルとのハグなのである。
「そう……なのかなぁ?」
「そうに決まっていますわ! わたくしにはわかるのです! 今のあなたに必要なのは、ノージーとのスキンシップ! これに尽きますわ!」
「そ、そうだったのか……!」
イネスの自信に満ちた発言に、ピケはピシャーンと雷に打たれ天啓を受けたような、驚いた顔をした。
「そうなのです! きっとノージーなら喜んで協力してくれるでしょう!」
さすが、【アルチュールの天使】様である。
ピケはイネスに、心からの賛辞をこめて拍手した。
なるほど、と表情を明るくする彼女に心が痛む。
でも、どうしてもイネスは、恋人たちの甘い時間を味わってみたかった。
それにだ。
なにもこれは、イネスだけが得をするわけではない。
ノージーにとっても、良いチャンスになるに違いない。
恋愛経験など皆無に等しいイネスは、浅はかにもそう思ったのだった。
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