第16話 カフェ・オラヴァ
ピケの予感は、当たらずとも遠からず、といったところだった。
ノージーに連れられて入ったのは、一軒のカフェ。
王城近辺にあるような華やかで気後れしそうな店ではなく、下町の家庭的な雰囲気のカフェを選ぶあたり、彼はピケのことをよくわかっている。
一見すると、民家みたいなカフェだ。
小さな門扉を押し開いて入ると、シンプルなアイボリーの外壁に、葉を真っ赤に色づかせた
カフェの入り口へ続くレンガの小道には、紅葉したブルーベリーの木や、赤い実をつけたクランベリーなど、実がなる植物が点々と植えられていた。小さな庭には、大きなクルミの木がドンと生えている。
ところどころに置かれたリスのオブジェは、まるで入り口へ案内してくれているように配置されていた。
──カロン、コロン。
扉を開けると、小さくてかたいものがぶつかり合うような音がする。
なんだろうと思ってピケが振り返ると、扉にはドアベルの代わりにクルミの殻がいくつかつけられていた。
庭にあったクルミだろうか。
凝っているなぁと思いながら、ピケは店の中へと視線を移す。
木目調が優しい、ほっこりするような雰囲気だ。
ピケの耳に、コポコポと湯を沸かす音と、パチパチと
店の中央には薪ストーブが置いてあって、小窓から揺らめく炎が見えた。
カウンター席が三席、テーブル席が二つ。とてもこぢんまりした店だ。
香ばしいかおりがピケの鼻をくすぐり、正直者のおなかが「ぐぅ」と鳴く。
正面を向いていたノージーがクスリと笑うのを見たピケは、恥ずかしそうに一瞬顔を赤らめて、それからムゥと唇を尖らせた。
(だって、しょうがないじゃない。朝から何も食べていないのだもの)
侍女になってからあれもこれもと食べさせられて、ピケはすっかり食いしん坊になってしまった。
その上、今朝はノージーに急かされたせいでうっかり朝食を食べ損ねてしまったのだ。
おなかが文句を言うのも、当然である。
恥ずかしさをごまかすようにふてくされた顔をしているピケを盗み見たノージーは、耐えきれないとばかりに吹き出した。
そのせいでますます恥ずかしさが増したピケは、むっすりと頰を膨らませる。
ピケは知らない。
このカフェが【オラヴァ】という名前で、オラヴァはリスを意味していることを。
頰をぷっくりとさせているピケは頬袋を持つリスのようで、ノージーはあまりの愛らしさに笑いが止まらなくなっていた。
その時、タイミングよくカウンターの奥にあるキッチンから女店主が顔を出して、
「あらあら。ごめんなさい、気づかないで。いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」
と、声をかけてきた。
それでようやく笑うのを止めたノージーは、ピケを窓際のテーブル席へエスコートする。
日の光がレースのカーテンを通って柔らかくさしていた。
気持ちが良い席だ。このままずっと座っていたら、うたた寝してしまいそうなくらい。
とろけそうな顔をして窓の方を向けていたピケは、その横顔を慈愛に満ちた顔でノージーが見つめていたことに気がつかなかった。
ピケを座らせたこの席は、店の中で一番気持ちが良い席なのだろう。
猫は、過ごしやすい場所を見つける天才だ。だからきっと、ノージーはわかっていてピケをここへ座らせた。
(猫だった時は断固として譲ってくれなかったのに)
譲ってくれたのは猫特有の気まぐれだろうか。
(それとも、笑ってしまったお詫び?)
ポカポカ陽気が気持ちいい。
王都の秋は寒くて起きるのが億劫なほどだから、こんなすてきな場所を譲ってもらえたことは、とても特別なことのように思えてくる。
(ふん。許してあげるわ)
誰に言うでもなく偉そうに心の中で呟いたピケは、ノージーが開いていたメニュー表を覗き込んだのだった。
***
紅茶にジャムを溶かして飲むのはロスティの伝統的な飲み方らしい。
ラズベリージャムの甘酸っぱい匂いに思わずほっこり顔になっていた二人の前に、注文していた料理が並べられる。
きのこクリームのニョッキにトマトシチュー、秋野菜のグリルに、この店自慢のパンの盛り合わせ。特におすすめなのは、庭で収穫したクルミを練り込んでいるクルミパンらしい。
小さなテーブルの上に所狭しと乗せられた皿を見て、ピケの目が輝く。
「おいしそう……!」
もともと大きな目をしているピケだが、おいしそうな料理を前にして一層大きくなっている。深い緑色の目がキラキラときらめいて、ノージーは目を離せない。
じっと見られていることに気がついたピケが、ハッとなって口を一文字に引き結ぶ。
居心地悪そうに体を縮こめる彼女に、ノージーは首をかしげた。
「食べないのですか?」
「食べる、けど……」
けれどピケは、ノージーの視線が気になって仕方がない。
小さな動き一つでさえ見逃さないように
もしやこれは、テーブルマナーが身についているかどうかの試験なのでは?
ふと、ピケの頭におかしな心配が生まれる。
そんな考えが浮かんでしまうくらい、ノージーの視線はまっすぐピケに向かってきていた。
「はい、どうぞ」
困惑しきりのピケの前に、クルミパンが差し出される。
(ええと……こういう時はどうすれば良かったんだっけ⁈)
いざやってみるとなると、考えすぎて動けなくなる。
そもそもピケは、差し出されたパンの受け取り方なんて、習っていないのだ。
ああ、どうしよう。どうすればいいんだっけ。
混乱したピケは何を思ったか、小さな口をパカリとあけて、ノージーが差し出しているパンに食いついた。
ビク、とパンを持つノージーの手が大きく揺れる。
落ちそうになったパンを慌ててキャッチしながら、口いっぱいに広がるクルミと小麦のハーモニーにピケは頰を緩ませた。
「……くそ」
「?」
「……不意打ちだろ」
「??」
もぐもぐ、ごっくん。
ピケの細いのどがパンを飲み込む。
そのしぐさもノージーにとって不都合でもあるのか、彼はたまらずといった様子で、深い、とても深いため息を吐いた。
「え、ごめんなさい……なにかだめだった?」
心底呆れたと言わんばかりのノージーに、ピケは恐る恐る問いかける。
ノージーはテーブルの上で両手を組むと、手の甲へ顎を乗せてピケを見た。
「駄目というか……ピケは少し、僕のことを警戒すべきだと思います。いえ、警戒してください」
ノージーの目が据わっている。
そんなにいけないことをしてしまったのだろうか。
ピケは不安に駆られたが、ノージーの言葉は素直に聞き入れられる内容ではなかった。
(だって、警戒なんて。誰よりも信頼しているノージーを?)
何を言っているのだこいつは、という顔で見つめてくるピケに、ノージーが再び深い深いため息を吐く。
「これが自業自得というやつですか。僕は方向性を見誤っていたようです」
ゲンナリと呟くノージーの言葉の意味を、ピケは理解できない。
なんか言ってるなーくらいの軽い気持ちで流したピケは、目の前にあるおいしそうなニョッキを食べるべく、フォークを手に取ったのだった。
厨房からこっそり二人を見ていた女店主は、いろいろ察したのだろう。
食後のデザートだと出されたパイは、ハートの形をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます