第15話 初デートには花束を

 ノージーとの待ち合わせは、王城からほど近い場所にある公園だった。

 ピケは王城で外出の手続きをした後、ノージーから渡されていたメモを頼りに王都の道を歩く。


 彼が用意してくれた服と靴がなかったら、ピケはここを歩くこともできなかっただろう。

 すれ違う人はみんなすてきに見えたし、なんなら彼らが連れているペットさえ輝いて見えるようだった。


「犬でさえ気品に満ちあふれている……!」


「ひゃあ」と小さな悲鳴を上げて犬から飛び退すさったピケの目に、一人の女の子の姿が目に入る。

 大きな窓に映っているのは自分のはずなのに、よく似た別の子みたいに見えた。


「うん。これなら、王都を歩いても大丈夫」


 道行く人たちがピケを見ているような気がしたのは、おそらく勘違いだろう。

 どこからどう見てもすてきなレディに見えることを確認して、ピケは再び歩き出した。


 ノージーが待ち合わせに指定した公園には、噴水があるらしい。

 噴水というものを見たことがなかったピケは、いったいどこにあるのだろうと辺りを見渡す。

 その時、ザァァァと音を立てて大きな井戸のようなものから水が噴き上がった。

 のんびりと歩いていたピケは、思わずピタリと歩みを止める。


 噴き上がった水に驚いたから、というのもあった。

 だが同じくらい、ピケの目を引くものがある。


 薔薇だ。

 真っ赤な、薔薇。


 噴水を背に、立っている人がいる。

 たぶん男の人だと思うが、ピケは自信がなかった。

 帽子を目深に被っていて、顔は見えない。スラリとした体躯には隙がなく、女性なのか男性なのか絶妙にわかりづらいユニセックスな服装をしている。

 その手には、小さな花束。真っ赤な薔薇が四本。


 薔薇は本数によって意味が変わるのだと、誰かが言っていた。

 どんな意味だっただろうとピケが首をかしげていると、花束を持った人物が顔を上げた。


「……うわ」


 思わず、足がもたつく。

 慌てて体勢を整えたピケは、呆けたようにその人を見る。

 花が咲くような、という表現はこういう時に使うのだろう。

 持っている薔薇の花が霞んで見えるくらい、その人はあざやかに笑う。


「ピケ!」


「へ?」


 聞き覚えのある声で名前を呼ばれて、ピケは素っ頓狂な声を上げた。


(いやいや、まさか。そんな)


 口を開いたままの間抜けな顔で立ち尽くしていると、花束を大事そうに抱えてその人が走り寄ってくる。

 よく見れば──いや、本当はもうわかっている。スカート姿しか見たことがなかったから、頭が混乱しているだけだ。


 ノージーはピケの前へやって来ると、開口一番に「かわいい」と褒めてくれた。

 ほにゃりと砕けた微笑みはひだまりで眠る猫のようで、ピケの脳裏にイネスの言葉が蘇る。


『あなたの前ではクタクタにリラックスしてしまうって感じがしたわ』


 なるほどこれか、とピケは思った。

 確かにこれは、クタクタとしか言いようがない。ついさっきは隙がないという印象を持ったのに、今は隙だらけだ。

 今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうなノージーを前にして、ピケの緊張が一気に和らぐ。

 つられるようにふにゃりと脱力した笑みを浮かべたピケに、ノージーはそっと花束を差し出した。


「ここまで一人で来られたご褒美に」


「なにそれ。子どもじゃないんだから、一人でも来られるわ」


 文句を言いながらも、ピケの顔はにやけている。

 嬉しくて仕方がないけれど、恥ずかしくて素直に礼を言えない、といったところだろうか。

 そんなピケに愛おしげな視線を向けて、ノージーは「わかっていますよ」と目を細めた。


「本当は、僕が渡したかっただけです。初めてデートする時に花を贈るのは、オレーシャの伝統でしょう?」


 ノージーの言葉に、ピケがハッとなる。


(ああ、恥ずかしい。あんなの、子どもの戯言でしょうに)


 過去の過ちを掘り返されたような気分だ。

 勝手に赤らむ顔が恨めしい。ノージーみたいにポーカーフェイスが出来たら良かったのに。

 ピケはできるだけ威厳が出るように目をつり上げて、ノージーを睨んだ。


「覚えていたの?」


 ピケは、父と母が初めてデートした時の話を、よくノージーに話していた。

 父は寡黙でめったに自身の話をすることがなく、唯一聞き出せたのがその話だけだったのだ。


 話の中の母は、元気な人だった。

 やさしくて、ちょっぴりお転婆で……その辺りはピケにも遺伝しているのかもしれない。


 ピケの記憶にある母はすでに病床に伏せっている状態で、元気だった頃の彼女の姿は覚えていなかった。

 だからこそ、元気だった頃の母のことを忘れたくなくて、どうやってでも覚えていたくて、身近にいたノージーに、繰り返し繰り返し話したのだ。継母が来てからは、母の話をすることを禁じられてしまったけれど。


 初デートに花を贈るのはオレーシャの伝統だが、おそらくノージーは、ピケの小さな願いを心に留め置いてくれていたに違いない。初めてのデートの時に花束をもらいたいという、幼い日のなんてことはない呟きを、彼はずっと覚えていてくれたのだ。


 ピケの胸に、灯りがともる。

 小さな灯りは、胸の中を優しい炎であたためてくれるようだ。

 じわりとにじむようなあたたかさは氷を溶かすほどではないけれど、ピケの心は少しだけ、弾むように揺れた。


「さて、なんのことやら。僕がしたかっただけですよ」


 素知らぬ顔をしてそっぽを向くノージーの首がうっすらと赤らんでいるのを、ピケは見逃さなかった。

 普段しれっとしている人が恥ずかしそうにしている姿というのは、いけないものを見ているよう。

 再び恥ずかしさが込み上げてきて、ピケの顔が一層赤らんだ。


「さあ、行きましょう? ここでこうしているのも、なんだかもったいない気がしますから」


「う、うん……」


 気恥ずかしくて、目を合わせられない。

 こんなことは初めてのことで、ピケは困惑した。


「お手をどうぞ。初めての王都で迷子になったら大変です」


 差し出された左手をまじまじと見て、ピケはゴクンと唾を飲んだ。

 改めて見てみると、ノージーの手は自分と全然違う。


(男の人、って感じだわ)


 だけど、いつもだったら自然と嫌悪感だとか震えがくるのに、そういった感情は湧いてこない。


(家族だからかしら?)


 恐る恐る右手を乗せると、やわらかく握られる。

 あたたかな体温に、緊張で詰めていた息がホゥと流れ出た。


「さぁ、行きましょう。一緒に行きたい場所が、いっぱいあるのです。まずは……あなたが好きそうなお店へご案内しますね」


 ノージーが、ちょっとだけ意地悪そうに笑う。

 たぶん……いや絶対、行き先はお菓子屋さんに違いない、とピケは思った。

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