第14話 猫のお誘い

「ほらほら。起きてください、ピケ。今日は出かけないと損をするような天気ですよ」


 侍女用の広い、階段下に寝ていたピケにはとんでもなく広すぎる部屋の隅っこに置かれた、ベッドの上。

 ピケが三人くらい並んで眠れそうな広いベッドの壁際で、彼女はミイラみたいに毛布を巻きつけて眠っていた。


 ずっとそうしてきたからなのだろう。小さな体を守るように丸めている姿に、ノージーは胸がギュッと詰まるような思いがした。

 苦しそうに息を吐いて、気を取り直すようにことさら明るい声でピケの名前を呼ぶ。


 すると、ピケの眉がわずらわしげにしかめられた。

 かわいくない。

 面白くなくてふてくされたくなるような気分になったノージーは、容赦なくピケから毛布を剥いだ。


 ぐるぐる、ごろり。

 巻き取られた毛布を薄目を開けて見ながら、ピケが「どんな天気だよ」と恨めしそうに呟く。

 ちょっと掠れた声は甘えているようにも聞こえて、かわいい。

 ノージーはちょっとだけ、気分が良くなった。


 続いて、ノージーはカーテンを開いた。

 窓から見えたのは雲ひとつない青空で、これなら確かに出かけないと損をするような気になるだろう。

 ベッドを振り返って見てみると、ピケも同じことを思ったのか、空をぼんやりと見上げている。

 だけど彼女はすぐにまぶたを落としてしまった。


「さむい……まだ秋になりたてなのに、もう冬みたい……こんなにさむいのにまだ秋だなんて、うそじゃないの? 冬になったらどうなっちゃうのかしら」


 つぶやきはまるで寝言を言っているように判然としない。

 しかし、ノージーにはしっかりと聞き取れていたようだ。

「仕方のない人ですね」と苦笑いを浮かべながら、彼は再びベッドのそばへ戻った。


 もぞもぞと、熱源を探してピケがベッドの上を転がる。

 ちょうどよくベッド横に戻ってきていたノージーにぶつかり、ピケは寝転がったままぴったりと彼に抱きついた。


「んぅ」


 ぐりぐりとおなかに顔を当てて、ちょうどよい場所を探る。

 かたいおなかはちょうどよい枕にはなり得なかったようで、ピケは不満そうにため息を吐いた。


「やぁらかくない……」


「それはすみませんね。あなたのようにふわふわした体をしていませんので」


「ふわふわって……心外だなぁ」


 まるで太ったと言われているようだ。

 まぁ確かに、ここへ来てから多少ふくよかになった自覚はあるが、決してたるんでいるわけではない。カスカスだった体に潤いがきた、くらいのレベルだとピケは思っている。

 それはノージーも理解しているので、すかさずフォローを入れた。


「太ったと言っているわけではありませんよ。ちょうどよくなってきた、と言っているのです」


 ピケの寝乱れた髪を手櫛で整えながら、ノージーは感慨深く言った。

 潤いのないカサカサの髪、ポキンと折れてしまいそうな細い手足、ぺったんこの胸とおしり。

 人族の身では恐ろしい魔の森を物ともせず、軽やかな身のこなしで魔兎狩りをしているのが不思議なくらい、彼女は貧相な体をしていた。


 成長期の栄養不足は、ピケから女性らしい体つきを奪っていた。

 もちろんノージーの恋心はそれくらいで揺らぐことはないが、ピケを侍女にしているイネスが放っておくわけがない。

 彼女の計らいでロスティの王城にいる料理人たちが総力を上げて頑張った結果、まだひと月くらいだというのに、ピケの体には変化が現れてきていた。


 きっとピケは、これからもっともっと美しくなっていくだろう。

 だってまだ彼女は十六歳なのだ。伸び代はたくさんある。


 あの家から逃れられたのだ。もう彼女を縛るものは何もない。

 彼女は何にでもなれるし、なんだってできる。

 侍女という職は、ノージーが考えうる中で一番手堅かっただけだ。

 もしも彼女が他の未来を望むなら、ノージーは何を置いても応援するつもりである。


「ノージー……それ、料理長と同じこと言っているよ……?」


「……は?」


 ノージーは料理長を思い出した。

 王城の料理人たちを束ねる料理長は、三人の娘を持つ親バカである。そのくせ娘たちには「セクハラジジィ」と呼ばれて嫌煙されている、少々下ネタが好きすぎるおじさんだった。


 ノージーのことも侍だと思っている彼は、ことあるごとに「顔は美人だが、おっぱいが残念だ!」なんて平気で言ってくる、失礼な男だ。そのたびに配膳係をしている彼の娘たちが代わる代わるペコペコ謝りにきていることを、料理長は知らない。いや、知っていて、わざとやっているのかもしれない。娘たちに構われたくて。


「僕が、料理長と同じですって?」


 ピシ、とノージーのこめかみに青筋が浮かぶ。

 ピケの顔に、しまったという諦めが流れた。

 視線を泳がせる彼女の顎をむんずと掴んだノージーは、女性らしい曲線を描くようになってきた頰をつぶしながらニィッコリと至近距離で微笑みかけた。


「僕が一体いつ、あなたに淫らな言葉をかけたと?」


「ないれふ……」


「こんなにも大切に思っているのに、あなたに伝わっていなかったとは……僕、悲しいです」


 顎から手を離したノージーは、ピケから顔を背けて泣き真似をした。

 ちょっとわざとらしいかとも思ったが、そうでもなかったようだ。

 途端にピケはオロオロしだして、ノージーの顔を覗き込もうとする。

 近づいてきた彼女をギュッと抱きしめたノージーは、耳もとに唇を近づけてささやいた。


「お詫びに、今日一日付き合ってくれませんか?」


「付き合う……?」


「ええ。僕が用意した服を着て、一緒に王都へ行ってほしいのです」


 耳もとでささやくたびに、ピケの体が震える。

 時折堪えきれない笑い声が漏れるから、おそらくくすぐったいのだろう。

 女性らしい体つきになってきたといっても、まだまだお子ちゃま。色っぽくささやいてもこれなのだから、彼女をその気にさせるのはなかなかに難しい。


 ノージーはピケから体を離すと、用意してきた服と靴を手渡した。


「この前の休日に、王都で買ってきたのですよ」


「これ、を……?」


 ピケは渡されたものを大事そうに抱えながら、目をぱちくりとさせた。

 その目がわずかにやすらいだような気がしたのは、錯覚だろうか。


 イネスが言うには、ピケはノージーが王都で誰かとデートしているかもしれないと思っていたらしい。

 それが本当ならば、そのやすらぎは嫉妬からくるものに違いない。


 ピケは僕が誰かのものになったら、嬉しくない?

 そうだったらうれしいのに、とノージーはこっそり思った。

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