第13話 猫と王女

 ビターチョコレート色のブラウスと、クランベリーみたいな赤いスカートがドッキングしたワンピースは、アンティークのような色合いでこれからやってくる秋の装いにぴったりだ。

 三層レースのペチコートを履いて裾にボリュームを出したら、綺麗なAラインを描くに違いない。


 いつもの両サイドにわけてゆるく編んでいる髪も合うが、きっちりまとめてアップにしたら優等生風でいかにも読書の秋! という感じになりそうだ。どちらにするか、実に悩ましい問題である。

 服に合わせるのは、キャメルブラウンのレースアップブーツ。少しヒールがあるから、慣れないピケはもしかしたら歩きづらいかもしれない。


「どうしよう、ノージー」


 そう言って半泣きですがってきたピケの手を取って、二人は色づき始めた並木道を、腕を組んで歩くのだ──とそこまで妄想して、ノージーの意識はイネスの声に引き戻された。


「ノージー、聞いているの?」


 頰に手のひらを当てて首をかしげ、見上げてくるイネスはかわいらしい。戦場の救護テントで見たら、お迎えが来たと勘違いするのも無理はない。

 もっとも、ピケに恋するノージーからしてみれば、彼女以上に愛らしく、かわいらしく、すてきな女の子など存在しないのだが。


「はい、なんでしょうか? イネス様」


 ニッコリと当たり障りのない笑みを浮かべて、ノージーは従順に答えた。

 そもそも、ノージーが妄想をし始めたのもイネスの発言が発端なのである。


 これからが本番だったのに、と妄想を中断されて少しばかり腹を立ていたが、ノージーの表情からそれを読み解くのは難しい。

 だがしかし、相手は王女様である。それも、父王から最も愛され、兄弟姉妹から最も嫌われてきた彼女は、人の表情を読むことに長けていた。


「昨日は随分と楽しい休日を過ごしたようね?」


「ええ。とても充実した休日でした」


 大満足、といった様子で胸に手を当てて深く息を吐いたノージーに、イネスがすっと目を細める。

 その目は明らかに、「期待していた答えじゃない」と言っていた。


「で?」


「で、とは?」


「ピケとはどうなっているのです」


「ですから、ピケとのデートに先駆け、デートのための服を買ってきたところで……」


「デートのための、服」


「ええ。なにせピケはろくな服を持っておりませんので。持っている中で一番上等な服を着たとしても、きっと気後れしてデートになんて来てくれません」


「そうなの……⁉︎」


 王女であるイネスには、よくわからない感覚なのだろう。彼女は、ギョッとした顔をして立ち上がる。それからノージーの視線に気がついて、恥ずかしそうに椅子へ座り直した。


「僕としてはどんな格好をしていたって彼女しか見えないのですが、どうせなら他人の目を気にしてビクビクしている彼女より、心から楽しんでいる彼女を見たいじゃないですか。ですから、手始めに王都へ出ても恥ずかしくない服を手に入れてきた、というわけです」


「そうでしたの……でもね、ノージー。あなたはのんきすぎだと思いますわ。いくらピケが恋愛ごとにうと……いえ、奥手なタイプなのだとしても、魔獣が獣人でいられる時間は有限なのですから」


 イネスの口から獣人という言葉が出ても、ノージーは焦りもしない。

 それもそのはず。ノージーはすでに、イネスに自身が獣人であること、恋の相手がピケであることを告白しているのだ。


 まだ広く知られていないことではあるが、ロスティでは魔獣や獣人を保護している。

 恋が実れば獣人の力を有した最強の人が生まれるとあって、強さこそ正義というお国柄であるロスティが放っておくわけがない。

 元王族の魔獣研究者、マルグレーテ・クララベルを中心に、王族や総司令部を巻き込んで活動しているらしい。


 王族に加わる予定のイネスもその活動を担うことになっているため、王太子妃レッスンの中に魔獣についての勉強も含まれている。

 だからノージーは、イネスが魔獣についての勉強を始めてすぐに、自身が獣人であることを告げたのだ。


 イネスに獣人だと告げることは、ノージーにとって躊躇うことではなかった。

 それは、彼女が信仰する女神が猫の獣人であるせいでもあったし、彼女自身が信頼できる人物だと思ったからだ。

 なにより、ノージーが消滅してしまった場合、ピケを保護してくれるのはイネスしかいない。彼女さえ事情を知っていれば、何かあったとしてもフォローしてくれるはず。それくらいには、イネスはピケを気に入っているとノージーは確信していた。


「その時間も、ピケ次第ではあるのですが」


 ピケが本当に幸せになるのなら、消滅するのも吝かではない。

 ノージーはすでに覚悟しているのだ。ピケと出会ったあの日、彼女に食べられるのが本望だと思ったあの瞬間から、ずっと。

 苦笑いを浮かべて達観したように言うノージーに、イネスが表情を曇らせた。


「ここは大国ロスティの王都。いろんな物が、人が、入ってくるわ。もしかしたら、あなた以上にすてきな人を、見つけてしまうかもしれない」


 眉をひそめ、顔をしかめながらもイネスは祈るように手を組む。

 彼女は、これからロスティの王族に名を連ねる人だ。国の方針である、魔獣の恋を応援する立場にある。

 だが同時に、彼女はピケのことを殊の外気に入っている。もしも彼女にノージー以外に想いを寄せる相手が現れたら、そちらを応援したいと願ってしまうだろう。

 イネスの定まらない視線には、そんな気持ちが見え隠れしているように、ノージーには見えた。


「そうですね。その時はその時ですけれど……そもそもピケは、自身を同性愛者だと思い込んでいるので、うまくいかないと思いますよ」


「あら。ピケってそういう趣味だったの?」


「いいえ。くそったれな男たちのせいで男性不信になっていますが、僕の体が男である以上、その可能性は低いかと思います。魔獣は、恋した相手の理想を集めた姿に変化する。それは、性別も含まれるのです」


「あらあら、汚い言葉を使って。らしくないのではない?」


「本当にくそったれでしたからね。あと数カ月……いえ、数日でもあの家にいたら、ピケはどうなっていたことか。考えることさえ恐ろしく思いますよ」


「そんなにひどい環境だったのね。逃げ出せて、良かったわ」


「ええ本当に」


 イネスの視線が、窓の外へ向かう。

 王都より南方の、はるか向こう。おそらく彼女は、二人と出会う前に通ってきたオレーシャ地方の風景を思い出しているのだろう。


 どこまでも広がる麦畑と、壊れかけた家々。いまだ戦争の爪痕が残る、灰色の世界だ。

 もっとも、魔獣だった頃のノージーの視覚は猫と同じようなものなので、色鮮やかな景色など見られるはずもないのだが。


「でもね、ノージー。わたくしはやっぱり、心配なのよ」


「少なくとも僕は、なんとかなりそうな気がしているのですが。なにせ彼女は、僕の見た目に弱い」


 深い緑色の目をギラリと光らせて、ノージーは悪党のように笑った。

 姿と笑みがちぐはぐだ。イネスは呆れたようにヒョイと肩をすくませてから、「どうかしら」と意味深な笑みを浮かべた。


「わたくしね、ピケにちょっとだけ揺さぶりをかけてみたのよ。あなたが一人で王都へ行ったのはどうしてかしらって。そうしたら彼女、なんて答えたと思う?」


「そうですねぇ……ピケのことですから、お菓子を買いに行った、とか言ったのではないでしょうか」


「違いますわ! ピケはこう言ったのです。ノージーはもしかしたらデートしに行ったのかもしれない、と。もう、一体何をしているのです。いえ、何もしていないからこういうことになっているのでしょう。あり得ませんわ、本当に」


「おやおや」


 ノージーは獲物を狙う猫のように目を細めた。

 鋭い視線はおよそ恋する相手を見るようなものではなく、イネスは咎めるように彼の名前を呼ぶ。


「その顔、ピケの前では絶対にしてはいけませんわ。欲望、丸出し。今にも襲いかかりそうですもの。できるだけ早く二人揃って休めるよう手配しますから、デートするように。わかりましたわね?」


「ありがとうございます」


「礼には及びませんわ。これもキーラ様の嫁として、当然の行いなのですから」


「なるほど。獣人の保護は王族の義務、ですか」


「そういうことです。それに、わたくしはあなたのことも気に入っているのよ? ピケほどではないけれど、あなたも大事なの。だから、ピケと二人で幸せになってもらいたいと願っているわ」


「ええ。僕の第一希望もハッピーエンドなので、できるかぎり頑張りますよ」


「そうしてちょうだい」


 話が早くて助かる。これで、近日中にはピケとデートできるだろう。

 イネスに事情を話しておいて正解だった、とノージーはホクホク顔だ。

 頭の中は、初デートのことでいっぱい。イネスの部屋を退室する時もあいさつを忘れるくらい、浮かれていた。

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