第12話 王女の宣誓

「はぁぁぁぁ……」


 イネスのストレス発散──という名の着せ替えごっこ──に付き合ったあと、ようやくご褒美のお茶にありついたところで、ピケはぐったりと椅子に座り込んだ。

 お皿に盛られたシナモンロールコルヴァプースティを一つ手に取り、おいしそうなシナモンの香りに頬を緩める。


 ふにゃりと表情を和らげたピケに得意のチャイを淹れながら、イネスが「あらあら、深いため息ね」と心配そうに声をかけた。

 齧ったコルヴァプースティをごくんと飲み込んだピケは、眉と眉をムムムと寄せながら、テーブルの上に置いた手を握る。


「特に約束をしていたわけではないのです。でも、それでも! はじめての王都は一緒に行きたかった……」


 次の休みに王都へ行くと言っていたノージーは、ピケを置いてさっさと行ってしまった。

 それはもう嬉しそうに、スキップでもしそうなくらい上機嫌な様子で。


 約束なんてしていなかったし、一人で行動することが悪いわけじゃない。

 けれど、てっきり一緒に行くものだと思い込んでいたピケは、まるで置いてけぼりを食ったようで面白くなかった。


「あらまぁ」


 口元に手を当ててころころ笑うイネスに、ピケは「すみません」と謝った。

 いくらイネスが許可していることとはいえ、気を楽にしすぎである。

 そうしてやっぱり「そのままでいてちょうだい」と笑顔で釘を刺されて、ピケは苦笑いを浮かべてまた「すみません」と謝った。


 イネスはピケに、ともだちのように接してもらいたいと常々言っている。

 ピケは祖国に置き去りにしてきてしまった大切な人形おともだちの代わりなのだから、畏まる必要はない、と。


 王族の考えていることはよくわからない──なんならピケは、祖国に置いてきた人形とやらも、本当は人なんじゃないかと怪しんでいるくらいだ──が、侍女であるピケはイネスの願いを叶えることが仕事である。

 彼女の婚約者であるキリルからも許可を出されては、従う他ない。


 誰に言われたわけでもないが、王族とタメ口で会話するというこの不思議な関係に、ピケは不安を抱えている。

 だからつい、「すみません」と何度も口にしてしまうのだ。

 謝るたびにイネスが困ったように笑うから、いい加減腹を括らないと、とは思っているのだが。


「それにしても……ノージーがあなたを置いて買い物へ行ったと聞いた時は驚いたわ。あなたはともかく、彼女は神経質だから」


「神経質、ですか?」


 ノージーのことはわりと神経が図太いタイプだと思っていたピケは、イネスの言葉が意外で、一瞬目を丸くした。


 本当にノージーのことを言っているのだろうか?

 神経質な人はボロ小屋で寝泊りなんてしないし、王族にしれっとうそをついたりしないと思う。

 これまでのことを思い返しても神経質という言葉とノージーが結びつかなくて、ピケは「うーん」とうなった。


「ええ。あの子、はじめての場所は苦手でしょう? ここへ来たばかりの頃、あなたのそばでは落ち着いていたけれど、あなたがいない場所ではいつも緊張しているように見えたもの」


「そうなんですか? 知らなかった……」


「そうでしょうね。だってあなたの前では絶対に見せないもの……というのは語弊があるかしら。見せない、というよりできない、というのが適切かも。あなたの前ではクタクタにリラックスしてしまうって感じがしたわ」


「はは。私はまたたびですか?」


 クタクタにリラックスしている猫だった時のノージーを思い出して、ピケはついうっかり口を滑らせた。

 だがすぐに、ノージーが獣人だとバレそうなことを言ってしまった、と気づいて焦る。

 ギクリと肩を強張らせるピケの前で、イネスが自身の頰に手のひらを当てて「またたび?」と不思議そうにまばたきした。


「ああ、そうね。まさに言い得て妙だわ。ノージーは猫みたいな子だから」


 ピケの失言に、けれどイネスは気づかなかったようだ。

 良かった、とピケはこっそり安堵あんどの息を吐いた。

 だって、獣人だなんて知れたらどうなるかわからない。解雇されるだけならいいが、最悪の場合は殺されることだってあり得るとピケは思っている。


 ロスティが野蛮な国だという認識は、なかなか拭えない。

 王城にいる人たちはみんな親切だが、いざ戦争となれば迷いなく戦うことを、ピケは知っている。

 訓練場へ行けば、否応なく分からされた。


「それだけ、あなたに全幅の信頼を置いているのね。だからこそ、わたくしはノージーが一人で買い物へ行ったことが不思議でならないの。はじめての場所で一人きり。それでも行きたい何かが、王都にあるということなのだから」


 イネスが手ずから淹れたチャイを口にしながら、ピケはまたうなった。

 ノージーは、王都へ何をしに行ったのだろう?


(買い物? 散歩? それとも、誰かと会う約束でも?)


 デート、という言葉が脳裏を過って、ピケの眉間にしわが寄る。


「まさか、ねぇ……?」


「まさか? ピケは何か思い当たる節があるの?」


 食い気味で問われて、ピケは戸惑う。

 イネスは興味津々といった様子で、目を輝かせてピケを見てきた。


「いや、そういうわけじゃ……」


 いつもは穏やかに見守るような感じでピケの話に耳を傾けるイネスが、好奇心をあらわにしてくるのは珍しい。

 言葉を濁したのはきっと、イネスの態度が珍しくて驚いたせい。

 決して。決して、ノージーが誰かとデートしていたらと想像してショックを受けたからではない。はずだ。


「ピケ?」


 言うまで逃しませんわ。

 そう言う代わりに強い視線で見つめられて、ピケは言葉を詰まらせた。


 早く、早く。言っておしまいなさい。

 無言の圧力に屈して、ピケは渋々、口を開く。


「うぐ……そんな、大したものじゃないんです。もしかしたらデートだったりするのかなって、思っただけ、なんですから」


「デート」


 イネスは聞きなれない言葉を確かめるように、ぎこちなく復唱した。

 大きな目が、ぱちくりとしている。


「いや、そんな、不思議そうに言わなくても」


「だって、不思議だったのだもの。あなたたちは秘密の恋をしているのでしょう?」


「へ?」


「大丈夫。言わなくても、わたくしはわかっていますわ。絶対に誰にも言いません。アルチュールの女神に誓って。もちろん、夫となるキーラ様にもです!」


 らしくもなく、ふんすと鼻息荒く宣誓するイネスに、ピケは言葉もない。

 どうやら彼女は、物語のようなロマンスをお求めのようだった。


 ピケとノージーは人には言えない秘密の恋をしている間柄で、イネスはそれを見守りたいらしい。

 熱烈な主張に口を挟む暇もなく、彼女の話を聞き終えた頃には、ピケはもうぐったりだった。


「惚気でも愚痴でも相談でも、わたくしにはなんでも話してちょうだい」


 そこまで言わせて、今更否定するのは不敬ではないのか。

 いやでも、うそをつくのは良くないし……。


 ピケの中で、悪魔と天使がせめぎ合う。

 結局彼女は、イネスに恥をかかせないためという大義名分を掲げて、悪魔の意見に従ったのだった。

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