第11話 はじめてのお給料
アルチュール国とロスティ国では、環境も文化も習慣も、違うものが多い。
イネスは第四王女にふさわしい教育を受けてきたが、それでもひょいと放り出されて順応するのには無理がある。
そのため、春に行われる結婚式までの間、王城で王太子妃になるためのレッスンを受けることになっていた。
侍女であるピケもイネスと一緒にレッスンを受けても良いという許可が出ていたのだが、もともと勉強することがあまり得意ではない彼女はもっぱら、ダンスや護身術といった体を動かすレッスンにしか興味がない。
イネスが無理強いしないことを良いことに、座学は最低限しか顔を出さなく……というより、居眠りするので出禁になった。
冬になったら、イネスの侍女として本格的に本来の仕事──化粧、髪結い、服装・装飾品・靴などの選択、衣装の管理について仕込まれるらしい。
今のところレッスン以外の時間は大抵、イネスのお人形として彼女の気が済むまでドレスアップされたり、お茶に付き合ったりしているか、メイドたちに混じって掃除をしている。
木登りが得意な彼女は高いところの掃除も率先してやるので、最近は高所の掃除を任されることが多かった。
掃除をする際、ピケには専用の制服が与えられている。
王城のメイドたちが着るシンプルな制服とは違う、パニエがいくつも重ねられたフリフリのメイド服。下から見ると、まるでカーネーションのようだ。
どうやら、イネスがピケのためにデザインしたらしい。
足が出ていて動きやすいので気に入っているが、ノージーはお気に召さないようだ。ピケが高いところで掃除する時はいつも、近くで目を光らせている。
一体誰が、ピケのスカートの中なんてのぞくというのか。王城には、ピケなんて目に入らないくらい、華やかな人たちだらけだというのに。
(そういうノージーの方が、見られているじゃない)
脚立に乗って作業をするピケのすぐそばで階段の手すりを磨くノージーも、イネスの侍女ということで王城のメイドとは違う制服を着ている。
王城のメイドたちよりもボリュームのあるロングスカートは、長い尻尾を隠すためらしい。
スカートの中でモフモフがおとなしく収まっているのを想像するとピケの心は癒やされるが、肌の露出を抑えた制服は王城の男たちを興奮させてしまうようだ。
「たまんねぇ……」
「お、おい。おまえ、声かけてみろよ」
「おまえこそ!」
そんな会話をしながら、男たちが遠巻きにノージーを見ている場面を何度見たことか。
つい今し方も、見たばかりである。
「脚立からだとよく見通せるのよねぇ」
ゲンナリとピケは表情を曇らせた。
男というのはみんな同じなのだろうか。
洗練された王都の男も、ピケの兄と大差ないように思えてならない。
(でもなぁ……)
男だから、女だから。
そんなことで差別するのは、勿体ない気がする。
現にキリルは、イネスしか見えていない。彼のいちずで
(今まではたまたま、男運がなかったということかしら)
ためにためた男運がノージーという美女(ただし中身は男)だというのなら、これは神様による救済措置なのかもしれない。
(男嫌いを治すチャンスってこと……?)
ピケ好みの美女を装った、男。
しかも、ピケが同じ気持ちを返さなければ消滅してしまうという、爆弾持ち。
同情するにはうってつけである。
(でもそれって、ノージーの気持ちを弄ぶみたいで不謹慎じゃない?)
「……ピケ?」
ピケの視線に気がついたノージーが、雑巾を握りしめたまま見上げてくる。
深い緑色の目が、窓から差し込む光に照らされて宝石のように輝く。
ピケは素直にきれいだな、と思った。
「きれいですね」
耳にした言葉は、自分のものかと思った。
思わず「え」と声を漏らすと、ノージーがはにかんだような笑みを浮かべる。
「窓から差し込んだ光があなたの目を照らしていて、とてもきれいです」
男嫌いをノージーで克服してみようか、と思った矢先に照れ笑いを見せられて、ピケの心臓がドキンと高鳴る。
(なんてタイミングで笑うのよ……!)
隙を突かれたように動揺させられて、八つ当たりしてしまいそうだ。
ピケは不機嫌に、顔をしかめた。
「ピケはもう聞きましたか? 明日はお給料日だそうですよ。お給料なんて初めてですから、ワクワクしちゃいますね」
「お給料?」
突然話題を変えられて、ピケはきょとんとした。
改めてノージーを見ると、彼は苦さが残る笑みを浮かべている。
ワクワクしちゃう、なんて言いながらそんな顔をしているのは、きっとピケのせいだ。
(私が困っているのがわかったから、あえてお給料の話なんてしたのね)
とはいえ、お給料は魅力的な話だ。
八つ当たりする前に乗ってしまおう、とピケは話に食いついた。
「ええ、そうです。ためるも良し、使うも良し。ピケの好きにして良いのですよ」
「私の、好きに……?」
「こんなこと、初めてでしょう? だから私、次のお休みに王都へ行くつもりなのです」
楽しみだなぁと笑うノージーに、ピケもなんだかワクワクしてくる。
走る馬車から見た王都の街並みは、ピケなんかが歩いて大丈夫なのだろうかと思うくらい綺麗だった。
王城で働くようになって格段に身綺麗になったはずだが、行っても大丈夫だろうか。
不安はある。
だがそれ以上に好奇心が勝ったピケは、近いうちに王都へ行ってみようと決意した。
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