第17話 猫の報復

 カフェでおなかを満たしたあとは、特に目的もなく歩いた。

 初めての王都、初めての下町。ピケにはどれもこれもが新鮮で、面白くて仕方がない。


 下町の街並み、下町の匂い、下町の音。

 ピケはついつい、興味を惹かれた方へ、吸い寄せられるように歩いて行ってしまう。


 あっちへふらり、こっちへふらり。

 キョロキョロと落ち着きなく歩くピケは、王都初心者いなかものそのものだ。

 隣を歩くノージーが堂々としている分、彼女の芋臭さが際立った。


 道行く人のほとんどは、初めての王都に目がくらんでいるピケのことを微笑ましく思って見守ってくれていた。

 だが、そうでない者はどこにだっているものだ。


「うわぁ。いかにもイモって感じ。早く田舎へお帰りくださ〜い」


 心ない言葉を耳にして、浮き足立っていた気持ちがサーッと冷めていくのを感じる。

 ピケが足を止めて振り返ると、二人の女性が冷笑を浮かべて彼女を見ていた。

 クスクス、クスクス。

 それはもう意地悪そうな顔で楽しそうに、彼女たちはわらっている。


「かわいい服着ていてもさぁ、中身がイモじゃあ服がかわいそうよね」


「そうそう。イモはイモらしく泥臭い服を着ていれば良いのに」


 明らかにピケを下に見て、馬鹿にしている様子だ。

 そういう彼女たちはといえば、ロスティの女性らしい鍛えられた体つきをしており、なおかつ胸もお尻もやわらかそうな曲線を描いている。着ている服はもちろん王都で流行しているワンピースで、化粧もバッチリ。


 だからピケは、言い返すことができなかった。

 侍女になって幾分か丸みを帯びたとはいっても、ピケの体は彼女たちほど豊かではない。

 顔つきだって、十六歳には思えないくらい子どもじみていたし、着ている服はノージーからのプレゼントで、ピケのセンスで選んだものじゃなかった。


 ピケに、誇れるものはない。

 彼女たちに言い返せる要素は何一つなく、ピケは黙って俯いた。

 ギュッとこぶしを握り、震えそうになる体を堪えて唇を噛む。


(だって……その通り、だから……)


 窓ガラスに映った自分を、すてきなレディだなんて、どうして思えたのだろう。

 服はすてきでも、中身がピケではどうやったってレディにはなり得ないのに。


「ねぇ、ちょっと見て。隣にいる人、すごい美人!」


「わぁ、本当! すごくかっこいい。なのに、あんなイモの観光案内をさせられているの? なんて、かわいそうなのかしら!」


 隣にいただけのノージーまで標的にされて、ピケは悔しくなった。

 ピケがちゃんとしてさえいれば、ノージーが憐まれることはなかったはずだ。


 獣人であるノージーには、きっと彼女たちの声が聞こえているだろう。

 彼は一体、どんな顔をしてこの声を聞いているのか。

 ピケはこわくて、見上げることもできない。ただただ、ノージーの足元の、磨かれた革靴をじっと見つめた。


(だって……ノージーが“その通り”って顔をしていたら、私……どうしていいかわからないもの……)


 ぷつんと唇が切れて、口の中に鉄サビの味が滲む。

 強く噛みすぎて、唇が切れてしまったようだ。

 それくらいで唇が切れてしまうくらい、軟弱な自分が嫌になる。

 我慢できずに泣きそうになっていたら、ノージーが動いた。


「ピケ」


「んっ」


 ノージーの手が伸びてきて、ピケの顎を掬う。


(今、顔を上げたら……私絶対、ブスだもの……!)


 首を振って逃げようとしたら、思いのほか強い力で顔を上げられた。

 視線が絡むより数秒早くピケの涙に気がついたノージーが、険しい表情を浮かべる。

 ピケの目の前で、こわいくらいの真顔で目に苛立ちを浮かべたノージーが、チッと舌打ちした。


「血が、滲んでいますね」


 ノージーの指が、血を拭うように唇をゆっくりと撫でていく。

 唇の端をムニムニと指で押しているのは、なぜなのか。

 名残惜しげにしているようにも見えるが、いかんせん、彼の顔がこわすぎる。

 このしぐさにはどういった意図があるのだろうと思いつつもピケがおとなしくしていると、信じられない言葉が降ってきた。


「これじゃあ、キスできないじゃないですか」


「……ん?」


 なんだか聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。

 いや、聞き捨てた方が良い言葉だったかもしれない。

 とにかく、聞いちゃいけない言葉だ。少なくとも、今のピケには。


「小首をかしげないでください。かわいらしくて、困ります」


「はいぃ?」


 流そうと思った矢先に、またしても聞き捨てならない言葉が降ってきて、ピケは目を剥いた。


「おやおや。楔石スフェーンのような目がこぼれ落ちそうですよ? 落ちる前に食べちゃいましょうか」


 すっと身を屈めたノージーの唇が、ピケの目もとへ降りてくる。

 慌てて目を閉じたピケに、ノージーの忍び笑いが聞こえてきた。


「残念」


 ちっともそうは聞こえない声に、ピケは恐る恐る目を開けた。

 今にも鼻と鼻がくっついてしまいそうなくらいの至近距離に、ノージーの顔がある。

 さっきまでのこわい顔がうそのように、彼は意地悪な顔をしていた。

 ネズミを狩る前の、ちょっと遊んでやろうかと思っている時の顔だ。


「獣人には、人族にはない特別な力があるのですよ」


「魔術、だっけ?」


「ええ、そうです。人族が魔術を使う時は詠唱や魔法陣が必要不可欠ですが……僕たちは、いつでも好きな時に使えます」


「すごいの? それは」


「さぁ、どうでしょう。少なくとも今は、便利だと思いますね」


 チラリ、とノージーの視線が先ほどの女性二人組の方を向く。その瞬間、女性たちが叫び声を上げ、ピケは飛び上がらんばかりに驚いた。


「なに⁈」


 確認しようと、ピケは女性たちの視線から隠すように立っていたノージーを押し除けた。

 しかし、彼は動かない。それどころか軽々と抱き上げられて、回れ右させられる。


「ふふ。ピケは見なくても良いことですよ。さぁ、行きましょうか。ああ、彼女たちのことはお気になさらず。口は災いのもと、という言葉を教えてあげただけですから」


「どういうことなの、それは!」


「さぁて……ふふふ……」


 不穏な空気を察知して、ピケは押し黙る。

 借りてきた猫のようにおとなしくなったピケの手を引き、ノージーは機嫌が良さそうに目を細めながら、その場を後にしたのだった。

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