第9話 王子の出迎え
アルチュール王国第四王女、イネス・アルチュール一行を待っていたのは、彼女の夫となる予定の男、キリル・ロスティその人だった。
国王とともに謁見の間で顔合わせをする予定だったのだが、どうやら待ちきれなかったらしい。
彼はソワソワと落ち着きなく体を揺らしながら、ゆっくりと停まった馬車からイネスが降りてくるのを、今か今かと待っていた。
最初にノージーが降り、次にピケが降りる。
初めて見た王子様という存在に、ピケは「うん」と頷いた。
(まぁ、そうだよね)
彫りの深い顔立ちをしているイネスとは正反対の、彫りの浅い顔。顔の幅は広めで、なんだかゴツゴツした印象を受ける。
王子様のトレードマークだと思っていた金の髪はなく、頭にあるのは少々薄めの焦げ茶色の髪だ。
お世辞にも美形とは言えないが、イネスを見るなり浮かんだ満面の笑みは、かわいいと言えなくもない。
(どうしてだろう……図鑑で見たトドっていう生き物の姿が、王子様と重なるわ)
失礼な残像を見るピケに、誰も気がつかなかったのは幸いだった。
もっとも、彼女の隣にいたノージーは「グフゥ」と小さく吹き出していたので、彼にだけはバレバレだったようだが。
「イネス様……!」
はしばみ色をした王子様の目が、うっとりと潤む。
無意識なのか、キリルの手がイネスへ伸ばされ、それに気づいた本人がハッとして恥ずかしそうに手を隠した。
誰がどう見たってイネスにベタ惚れの様子であるキリルに、周囲は少々引き気味だ。
彼の背後に控えていた男たちの唇がヒクッとしたのを、ピケはたまたま見てしまった。
「はじめまして。私の名前はキリル・ロスティ。どうか、キーラとお呼びください」
声が上ずっている。
まるで恋する乙女のようだ、とピケは思った。
どうやら、うわさは本当だったようだ。
ロスティ国の第一王子、キリル・ロスティは間違いなく、イネスに惚れている。それも、どっぷりと。
キリルは、骨太で身長は高めだが、残念なことに少々──というには立派すぎるおなかを持っていた。一歩歩くごとにドスドスと音がしそうで、つい笑いそうになる。
当たり障りない微笑みを浮かべるノージーの隣で、ピケは精一杯笑わないように気をつけた。
堪えきれなくてプルプルしているピケに気付いたノージーが、こっそり体をずらして彼女を隠したが、キリルの背後にいた男たちも肩を震わせていたので、どっちもどっちだろう。
キリルはイネスの前でひざまずくと、
対するイネスは、そんなキリルに目をパチパチさせている。
ゆるりと手を戻した彼女は、不思議そうに手を眺めた。
「あらまぁ」
「お嫌、でしたか?」
雨の日の犬みたいなしょぼくれた顔で見上げるキリルに、イネスはやわらかな笑みを向けた。
キリルの息を飲む音が、ピケにも聞こえてくる。
「いえいえ、そうではありませんわ。むしろ、逆だったので驚いたのです」
「逆、ですか?」
「ええ。情熱的な歓迎に、思わず胸がこう……キュン、と……」
イネスは自身の胸に手を当てると、「ふふ」と気恥ずかしそうに笑った。
気の強そうな美女が素朴な少女のように笑う姿は、その場にいたみんなの胸をキュンとさせる。
口元に手を当てて顔を背ける厳つい男たちは、笑いを堪えているようにも、イネスの愛らしさに完敗しているようにも見えて、男の人が苦手なピケは少しだけ、本当に少しだけだけれど、ロスティの男の人はそんなに怖くないのかもしれない、と思った。
「謁見の間で父が待っています。私が案内しますので、ついてきてください」
「ええ、わかりましたわ」
広い王城の中を、キリルの案内で移動する。
磨き抜かれた床はピカピカで、壁も天井もキラキラして見えた。さりげなく置かれている調度品一つで、何年も不自由なく暮らせそうである。
目に映るすべてが物珍しく、ピケの足はついついあっちへ行きたそうに、こっちへ行きたそうにフラフラした。
放っておいたら真っ先に迷子になりそうな彼女を心配してノージーが軌道修正していたのだが、その様子をキリルの護衛たちが微笑ましそうに見つめていたことを彼らは知らない。
「ロスティの冬は雪が降ると聞きました。アルチュールは熱砂の国。だからわたくしは、雪を見ることが楽しみなのです」
「そうでしたか。きっと、嫌というほど見ることになると思いますよ」
「まぁ、そんなに?」
「ええ。外へ出られないくらい、降りますから」
「あらまぁ」
謁見の間へ向かう間、キリルはあれこれとイネスに話しかけていた。これからやってくる秋のこと、冬の間の国民は家の中で祭りの準備をすることが慣例であること、春になったら盛大な結婚式を挙げること……。
イネスはそのどれもに興味深そうに頷きながら、楽しげに微笑んでいた。
「謁見の間では、父だけでなく総司令官も待っているはずです」
「総司令官、ですか?」
「ええ。軍の最上級者です。しかし、恐れることはありません。見た目は怖いですが、女性や子どもには優しい男ですから」
総司令官。
その言葉に、ピケの顔が引き攣った。
オレーシャの人々にとって、ロスティの総司令官は魔王のような存在だ。
彼さえいなければ、オレーシャが大敗を
実際のところはわからないが、ピケは「あらゆるものを焼き尽くし、奪い尽くすことを生きがいとしている、大魔王のような男らしい」と聞いていた。
ピケは、実母を戦時中に亡くしている。
彼女の死に直接の関わりはないが、戦争のせいでろくな治療を受けられずに病で亡くなったことを考えると、総司令官に対してなにも思わないわけがなかった。
凍りついたように表情が抜け落ちたピケを、ノージーが心配そうに覗き込む。
至近距離で美女から見つめられているというのに、ピケはときめくどころかギョロリと大きな目で彼を睨んだ。
だが、それも一瞬のこと。
「ピケ」
「なぁに、ノージー」
心配がにじむ声で話しかけられて、ピケはつとめて冷静に、笑顔で答えた。
だが、ノージーに彼女の動揺を察せないはずがない。
「待っていても良いのですよ?」
「ううん、行く。だって私は侍女になったのだもの。お仕事は、ちゃんとしなくちゃいけないわ」
だってそれが、あなたの言う私の幸せなのでしょう?
そう言われてしまったら、ノージーはぐうの音も出ない。
ノージーは非力だ。
財力もなければ権力もなく、家柄どころか戸籍すらない。人より遥かに強い肉体と、ピケ好みの容姿しか、持っていないのである。
『きっと、あなたを幸せにしてさしあげます』
なんて
心からの言葉だったけれど、ノージーの力だけでは決して叶えられないのに。
「強くなりたいな……」
ロスティは、力こそすべてだと聞く。
それならば、人より遥かに強い力を持つ獣人には、うってつけのように思えた。
「何か言った? ノージー」
「ええ。おなかが空いたな、と」
苦笑いを浮かべながらおなかをさすれば、ピケが目をパチクリとさせてから「プッ」と吹き出した。
ようやくかわいい笑顔を見られて、ノージーは
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