第8話 王都への旅路

 オレーシャ地方から魔の森を抜け、馬車は一路、ロスティの王都へひた走る。

 魔の森より先へ行ったことがなかったピケは、その先にあるロスティ国は一体どんな場所なのだろうと心躍らせていたが、窓の外を流れていく景色はオレーシャと大差なく、残念な気持ちになった。


「この旅の目的地がロスティではなくアルチュールだったのなら、ピケはびっくりしていたでしょうね」


 つまらなそうにスンとした表情を浮かべて外を眺めるピケに、イネスは苦笑いしながらそう言った。


「アルチュールは暑く乾燥した地域で、そういった環境に対応するためにさまざまな文化が発展してきたの。日乾レンガでつくられた家は味気なく見えるけれど、それを補うように赤や黄色、橙色といった鮮やかな色の布で飾り付けるから、とても明るい街並みなのよ」


 アルチュールは、暑さに負けないくらい活気がある国らしい。

 人も物も文化も。どれをとっても、生き生きとしている。けんかっ早いのがたまにきずではあるけれど、困った時はお互いさまと助け合うこともできる。

 祖国を語るイネスは誇らしげだったが、その目には不安と寂しさがにじんでいた。


 たった一人で異国の地へ嫁入りするイネスの気持ちは、どんなだろう。

 きっとピケが想像している以上にさびしくて、つらくて、悲しい。

 それらを覆い隠して微笑む彼女が、すごいと思った。そして同じくらい、素直に感情を表すこともできない立場は大変だな、と思ったのだけれど。


 だからピケは、これ以上彼女がさびしくならないように、慣れないながらぎこちなく笑みを浮かべて、道端に咲く花が綺麗だとか、遠くを飛ぶ鳥の声がかわいいとか、とりとめない話をし続けた。

 それが、侍女になったピケの最初の仕事だと、思ったのだ。


 それから三日ほど移動した頃だろうか。

 見渡す限りの草原が田舎町に変わり、洗練された街並みへと移っていく。

 窓を覆う布の隙間から目だけを出して、ピケは外を眺めた。

 舗装された、広い道。両脇を流れていく建物は丈夫そうな造りをしているが、赤や黄色、青や緑といったカラフルな屋根はかわいらしい。


 てっきり、まるで雨が降る直前の空にたちこめた黒い雲のような、重苦しくて冷たい雰囲気が漂っているのだろうと勝手に想像していたピケは、思っていたよりもはるかに洗練された様子の街並みに、声もなく見入った。


「わ、わ〜! 意外と普通なのですね、ロスティの王都は」


「あらあら。ピケは一体、どんなところだと思っていたの?」


「てっきり、要塞ようさいみたいな街並みなのかと……」


「国の中心部までガチガチに固めてしまったら、きっと疲れてしまうわよ」


「そういうものなのでしょうか?」


「どうかしら。わたくしは、そう思うのだけれど」


 語彙力のないピケはつまらないことしか言えなかったが、イネスは嫌な顔一つしない。それどころか、徐々に気を許して話しかけるようになってきた彼女のことを、楽しげに眺めていた。


 イネスいわく、ピケは祖国へ置いてきたお人形の代わりらしい。

 茶色の髪に、顔にうっすらと浮かぶそばかす。顔のパーツは全体的に小さめで、手足も細め。ピティという名前で、イネスはどこへ行くのにも連れて歩いたのだとか。


 しかし、娘に甘いアルチュールの国王も、さすがに嫁入り道具の中に人形を忍ばせることだけは許せなかったようだ。

 泣く泣く置いてきたという人形にそっくりなピケを見て、「これはもう手放してはいけない!」とイネスは思ったらしい。何を置いても彼女だけは侍女にしようと心に決め、その通りにしてしまった。


 どう考えたって怪しい女を侍女にと望んだのはそんな背景があったためだったが、それでもピケは納得がいかない。不思議がる彼女に、ノージーは「そういうこともあるのですよ」と笑っていたが。


(そういうこともある、のかなぁ?)


 やっぱり納得がいかない、とピケは隣に座るノージーの横顔を見た。

 赤と黒の不思議な色をした髪で、器用に猫耳と人族の耳がないことを隠している。化粧をしているわけでもないのにきれいな弧を描く眉、影が落ちるほど長いまつ毛、宝石のような深い緑色をした目。


 ただ静かに前を向いて座る彼は、美しいの一言に尽きる。

 正面から見ると美女にしか見えないのだが、横からだと中性的な顔立ちだ。

 成長途中の少年が持つ、危うさというのだろうか。触れたらパリンと割れてしまいそうな、はかなさがある。


(そもそも、こんなに綺麗な人が私に恋をしたとかいうのも納得がいかないのよね)


 人に恋をした魔獣は、その恋を成就させるために恋した相手の理想の姿をとる──なんて、まるでお伽話だ。

 しかし、恋が成就しなければ消滅してしまうというのなら納得がいく。恋が成就するか否かで生き死にが決まってしまうのだから、相手好みの姿になるのは道理だ。


(それはわかる。でも、ノージーは違うと思うの)


 ピケがそう思ってしまうのには、理由がある。

 というのも、ノージーは初めて獣人になった日以来、彼女に対して「好き」とか「恋をしている」とか言ってこないのだ。

 尻尾を抱きしめて身を寄せ合って夜を過ごしていた時だって、彼は一度だって不埒な意味でピケに触れてこなかった。

 ピケが不審がるのも無理はない。義兄たちの不埒な視線に晒されていた彼女なら、なおさらそう思うだろう。


(初めて獣人になった日だって、告白というよりただの説明みたいだったし……)


 あの時のノージーは、淡々と事実を述べている、もしくは、そういう設定を話している、という印象だった。


(うそなのかしら……?)


 もしもうそなら、良かった。

 たとえピケがノージーに恋をしなくても、彼は死なずに済む。

 だが、そう思う反面、残念だとも思う。

 女性しか愛せないくせに、ひどいだろうか?


 もしかしたらピケは、お伽話の主人公におとずれるような、感動的な出来事が自分に降りかかるかも、と期待していたのかもしれない。

 いじわるな継母と兄に虐げられたかわいそうな女の子、なんてお伽話の主人公にうってつけな設定だ。


 一見するとどこにでもいるようでいて、ちょっと変わった好みであるピケでは、恋をするのも難しい。ましてや、幼い頃に読んだお伽話のようなすてきな馴れ初めなど、あるはずもない。


(ノージーとの間になにも起こらないことが残念に思えるのは、きっとそのせいね)


 ピケは、物語の主人公になれるような人物ではなかった。

 それだけのことなのだが、ちょっと悲しい。


「ああほら、ピケ。もうすぐお城へ入るみたいですよ?」


 ノージーの声に慌てて視線を外へ向けると、馬車を引き止めていた門兵たちがサッと左右にはけていく。

 厳しい門が大きな音を立て開く様は、まるで馬車を食べようと舌なめずりしているようだ。

 ピケが思わずピクリと体を震わせると、ノージーがぴっとりと体をくっつけて、「大丈夫ですよ」と手を握ってくれた。

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