第3話 全裸の……美女?
ふわん、ふわん、と何かが肌に触れては離れてを繰り返している。
くすぐったくて、ピケは目を閉じたまま、ほにゃりとしまりなく笑った。
「んふふ……くすぐったいよ、ノージー」
昨日は、ノージーに導かれるまま魔の森の近くまでやって来た。
打ち捨てられた小屋に身を寄せた一人と一匹は、そのまま眠ってしまったらしい。
ノージーの長い尻尾がピケの首筋を撫でている。
こしょこしょとくすぐるようなしぐさはいつものことで、ピケはそれを優しくどかして起き上がろうとした。
「……ん?」
目を閉じたままのピケの眉間に、シワが寄る。
感触を確かめるように、彼女は手の内の尻尾を何度か握った。
おかしい。ノージーの尻尾はこんなに太かっただろうか。
彼は猫にしては大型だが、それにしたってこんなに太いはずがない。
ツツツツ、と尻尾の長さを測るようにピケの手が尻尾を伝う。
ピケの腕ほどもある尻尾なんて、そんなわけあるはずがない。もしかしてまだ寝ぼけているのだろうか──と目を擦りながら身を起こした彼女は、次の瞬間心臓が止まりそうになった。
「ひっ⁈」
最初に目に入ったのは、肌の色。ピケの体にひっつくように、身を丸めて寝ている人がいた。それも全裸で、だ。
目を見開き、小さな悲鳴を上げたピケは、強張った顔で二度見する。
黒と赤が混じった独特な色合いの長いねこっ毛。陶器のように白い顔に、シャープな顎。閉じたまぶたについているまつ毛は、影を落とすほど長い。目鼻立ちは驚くほど整っていて、寝ていたって美女だとわかる。
細い首をしているが、意外にも肩幅はしっかりしているようだ。しなやかに伸びた腕、きゅっと引き締まった腰……と、そこまで確認したところで「ううん」と吐息をこぼしながら美女が寝返りを打った。
吐息混じりの声が妙に艶っぽくて、ピケの目が自然と美女の唇へ向かう。
やがて、美女のまぶたが震え、ゆっくりと開かれた。
現れた深い緑色に、目を見張るほどの美女でも自分と似た部分があるのだと、ピケは感動を覚える。
「くわぁぁ……」
ただ観察することしかできないでいるピケの前で、四つん這いになった美女が背伸びをした。腰のあたりから生えた長い尻尾が、ピルルッと震える。そう、尻尾だ。
(美女のおしりに尻尾が生えてるぅぅぅぅ!)
あんぐりと口を開けて呆けているピケの前で、美女はあぐらをかいて座った。
長い髪が、胸と股間を上手に隠している。
彼女はピケが見たこともないような美貌をやさしげにほころばせて、微笑んだ。
「おはようございます、ピケ」
綺麗な顔だ。緩みきった表情にはかわいらしさがにじむ。
ヒラヒラと花びらが降り注ぎそうなかんばせに、ピケはパチンとまばたきを一つした。
「おはよう、ございます……?」
「どうしてそんな他人行儀なあいさつをするのですか?」
「どうしてって……だって、私とあなたは他人でしょう?」
ピケの答えに美女は一瞬呆けたような顔をして、それから「あ」と何かに気づいたようだった。
「ああ、なるほど……まぁ、そうですよね。気づくわけ、ないか……」
一人で納得して、なぜか悲しそうにため息を吐いている美女に、ピケはなにも悪くないはずなのに申し訳なさを感じた。
「ごめんなさい。困らせたいわけではないのです。こちらが勝手に期待していただけなので、ピケは悪くありません」
「でも……」
「本当に、ピケは悪くありませんから」
真剣な目つきでしっかりと見据えられて、ピケは呼吸を忘れた。
(なんて綺麗な目なの……)
自分と同じ色だと思ったことが恥ずかしく思えるくらい、透明感がある。まるで生まれたばかりの赤ちゃんの目のように、その目は澄んだ色をしていた。
人は綺麗なものを見ると目が離せなくなるらしい。視線ってどうやって外すんだっけ? なんて思っていたピケは、美女から「わかった?」と尋ねられてようやく、ぎこちなく頷いた。
「ところで……」
「はい?」
「その……服を、貸してもらえませんか? このままはちょっと……はずかしい、というか……」
あぐらをかいたまま、美女が恥ずかしそうに体を揺する。
揺れる髪の合間から胸が見え隠れして、ピケは同性同士だというのに心臓がキュッとなった。
「あっ、ああ、そうね! 服!」
しどろもどろで答えながら、ピケは周囲を見回す。
すぐ近くに自分のトランクを見つけて、急いで引き寄せた。
トランクから持っている中で一番上等な──唯一ツギハギがない──服を取り出し、差し出そうとして、戸惑う。
(待って。こんな美女に、こんな粗末な服を着せる方が罰当たりというものではないの……? いやでも、持っている中で一番上等なのがこれなわけだし、これ以上を出せと言われても出せないのが実情で……ああもう! どうしたらいいの!)
服を握り締めてワナワナと震えるピケに、美女が首をかしげる。それから困ったように苦笑いを浮かべながら、「ああ、またか」と口の中でつぶやいた。
「あの……ピケ? 握り締めているそれ、あなたが持っている中で一番上等なやつでしょう? そんな大事なもの、さすがに借りられませんよ。確か、ヒヤシンスみたいな……くすんだ青の服をトランクに入れていたでしょう。それを貸してくれたら──」
美女の言葉を聞いたピケは、目を見開いて彼女を凝視する。
閉じたトランクを盾のように胸に抱いて、警戒をにじませた声を出した。
「どうしてその服が入っているって知っているの……?」
ヒヤシンスみたいなくすんだ青の服は、ピケが持ってきた服の中で一番ダメージが強い服だ。
だけど、それがどうしたというのだろう。今は彼女が遠慮して粗末な服を選んだということよりも、気にしなくちゃいけないことがある。
「トランクの中を物色したの⁈」
「していませんよ」
「じゃあなんで知っているのよ!」
「なんでって……荷作りしていたのをそばで見ていましたから。知っていて当然でしょう?」
「みっ⁈ は? え? なんで?」
「かわいいですねぇ、ピケは。混乱していても、かわいい。トランクのこともそうだけれど、僕のことも警戒しないと駄目なのに。ああ、なんてかわいいのでしょう。ほら、よぉく見て? この丸みを帯びたフワフワの耳。触り心地抜群のモフモフの尻尾。そしてきみとおんなじ緑色の目。あなた
伸びてきた尻尾がピケの頰に押し当てられる。
先が少しだけ曲がっているかぎ尻尾は、ノージーの特徴に違いない。
だがそれ以上に、ピケをからかい、いじわるそうに目を細めながら、その実、愛情に満ちた視線で見つめてくるのは愛猫ノージーとそっくりだ。
彼女の勘が告げている。
(こんな目で私を見てくるのは、あの子だけよ)
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