第4話 獣人
旧オレーシャ国は、ピケが生まれた国である。
数年前に敗戦してからはロスティ国に吸収され、現在はオレーシャ地方と呼ばれていた。
オレーシャ地方の北には、かろうじてと言っても差し支えないほどちょっぴり、森に面している地域がある。
深い霧と濃い魔素に覆われたこの森──通称・魔の森は、魔力耐性がない者が入ればあっさりと迷い、惑わされ、最後は獣に喰い殺される運命が待っている、恐ろしい場所だ。
とはいえ、ピケはこの森の存在を怖いと思うどころか感謝さえしている。なにせ、ネッケローブ家の食卓を彩る肉類は、この森からの恵みだったのだから。
魔の森には、魔獣と呼ばれる特別な獣しか生息していない。
魔獣は狼や狐といった森に生息している動物のような姿をしているが、それらと決定的に違うのは、魔術を扱えるということだ。
かわいいウサギだと思って近づいてみたら火を吹かれて真っ黒こげ、なんて事件は年に数件は聞く話である。
人族には知られていない話だが、魔獣は大きく二つに分けることができる。
理性がある魔獣と、理性がない魔獣だ。
人族を襲うのは、そのほとんどが理性がない魔獣である。とはいえ、人族からしてみれば、理性の有無など分かりようもない。そのため、この事実が周知されていないのである。
理性がある魔獣はそれを理解しているから、決して人族の前へ姿を現さない。
「ただし、例外はあります」
「あなたがその例外だっていうの?」
「僕は魔の森できみに拾われた身なので、正確には同じではないですけれど……この姿になった理由は、そのあたりに起因しています」
「美女になった理由……?」
ポツリとつぶやかれた言葉に、ノージーが「おやおや」と眉を上げた。
「美女、ですか。なるほど。ピケの目には、僕が美女に見えているわけですね」
にんまりと意地悪く笑うノージーは、はぐらかそうとしているように見える。
そうはいかない、とピケはわざと怖い顔をして睨んだが、彼は楽しげにクツクツ笑うだけだった。
「な、なによ! 美女に見えちゃいけないっていうの? だって、本当に綺麗なんだもの。それ以外になんて言ったらいいのか、私にはわからないわ」
ぷっくりと膨らんだピケの頰を、ノージーが「まぁまぁ」と宥めるように撫でる。
子ども扱いされているようで、ピケの頰はますます膨らんだ。
「僕は嬉しいのですよ、この姿になれて。だって、あなたにすてきだって思われないと、困るのですから」
「困る……?」
ノージーの言っていることはわけがわからない。
ここまでのことでわかることと言えば、猫耳と尻尾を持つ美女が愛猫ノージーだということ──これに関してはピケの勘でしかない──と、彼がただの猫ではなく魔獣だったということ──そもそもノージーはピケが魔の森で拾ったのだから当然だ──そして彼は理性があるタイプの魔獣らしい、ということくらいだ。
首をかしげるピケに、ノージーはいかにもこれから大事なことを話しますとでも言うように、もったいつけて喋った。
「理性がある魔獣には、人族に恋をしやすくなる時期があるのです」
ある一定の時期がくると、理性がある魔獣は大人になる準備として、恋する相手を求めて人前へ姿を現す。
魔獣の姿は人族でいう幼少期にあたると聞いて、ピケはなるほど、と思った。
(ノージーは私が魔の森から拾ってきたから、もともと人のそばにいた……だから、正確には同じじゃないって言ったのね)
真剣な顔をして頷きながら聞くピケは、控えめに言ってかわいい。無防備すぎて、庇護欲が刺激される。
ノージーは心の中でもだえながら、なんとか顔面崩壊を耐えた。
だって、ここからが大事なのだ。ヘマをしたら、格好がつかない。
ピケから美女だと褒めてもらった顔をキリリと引き締めて、ノージーは話した。
「魔獣が人族に恋をすると、恋した相手に好かれるために人化……つまり、獣の耳や尻尾を持つ獣人へ変化します。植物が虫を引き寄せるために綺麗な花を咲かせるのと同じようなものですね。植物の場合、その結果が種になるわけですが……僕らの場合、恋が成就すれば獣人の特徴がなくなり、人族と同じ見た目になります」
「ふむふむ……」
「とはいえ、まったく人族と同じかと言えば語弊がありますね。なにせ僕ら獣人や元獣人は魔獣時代の力をそのまま継承するので、人よりも遥かに強いのですよ。さて、ピケ……ここまで、ついてこられていますか?」
「なんとか?」
「疑問形なのが怪しいですが……端的にわかりやすく言えば、僕はピケに恋をしたのでこのような姿になった、ということです。恋した魔獣の姿は、恋した相手の理想をかき集めた姿を取るらしいので……ピケいわく美女だというこの姿は、きみ好みの姿だということなのでしょう」
「な、なるほど……? つまり、ノージーが美女になったのは私のせいで、獣人になったのはノージーのせい……ってことで合っている?」
「そうですね、おおむねそれで合っています」
ノージーのお墨付きをもらって、ピケは
一度にいろんなことを聞いて、頭がパンクしてしまいそうだ。なんとか理解できたらしいという安心感から、おなかが「クゥゥ」と鳴く。
「おなかすいた……」
トランクを抱えてくったりと床に寝転がったピケの頭を、ノージーの手が優しく撫でた。
興味本位でそっと手を重ねてみたら、思っていたよりも大きくてゴツゴツしている。
(美女だと思っていたけれど、性別は男なのかなぁ)
おなかが減りすぎて、頭が働かない。
父の容体が悪化してから、ろくに食べていなかった気がする。
「僕は告白したのですよ? ピケ。告白した男の前で眠りこけるなんて、どんな神経をしているのですか。襲われたって知りませんよ?……しませんけど」
「寝てない。おなかが減って動けないだけ」
「聞いてほしいところはそこではないのですが……まぁ、いいでしょう。僕が何か用意しますから、少し休んでいてください」
ピケの頭から手が離れ、ノージーが立ち上がる。
小屋の外へ行こうとする彼を、ピケは呼び止めた。
「ノージー」
「なんですか?」
「ネズミは食べられないよ?」
「僕だって嫌ですよ」
顔をしかめるノージーに、ピケは「え」と間抜けな声を漏らす。
だって、それなら彼は──、
「嫌なのに、ねずみ捕りをしてくれていたの?」
ノージーはピケの言葉にピタリと歩みを止めて振り返った。
言うべきか、言わぬべきか。一瞬だけ悩んだそぶりを見せたが、彼は言わないことにしたらしい。
ごまかすようにぎこちない笑みを浮かべると、無言で出ていってしまった。
残されたピケはポカンとしたまま、天井を眺める。
「まさか……私のため、とか言わないよねぇ?」
ノージーが自分に恋をしたというせりふが思い起こされて、ピケの胸がドックンと大きな音を立て始める。
「あんな告白、ある……? いや、告白だったの……? 告白っていうより、ただの説明みたいだったよ?」
信じられない、とピケはトランクを抱えたままゴロゴロと床を転がる。
あんまり自然に言うものだから、うっかり流してしまった。おかげでピケの胸は、今頃になってドキドキしている。
「告白って、もっとロマンチックなものじゃないの? 恥ずかしさをごまかすため? でもあれじゃあ、その気になりようもないわ」
恥ずかしさをごまかしているのは、一体どちらなのだろう。
ツンと澄ました顔をしながらも、ピケの頰はうっすらと赤らんでいたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます