第16話

      ◆


 ガツンと殴られたような衝撃に意識が戻った。

 白一色の天井。電子音の方を見ると、測定装置の複数のモニターに数字やグラフが表示されている。

 息を吐いて、一度、目を瞑った。

 どうやら生きているらしい。記憶もはっきりしている。

 危うくV2MMに殺されかけ、仲間の狙撃の巻き添えにされかかり、何より護衛対象に殺されかけた。

 最後の一つは想定外だったが、あまり歓迎もできない。命拾いしたが、拾い損なう未来も十分にありえた。

 そこまで考えて、あの子どもはどこへ行ったのか、それが気になってきた。

 俺の意識の回復を測定装置からの通報で知ったのだろう、白衣の男が部屋に入ってきた。そう、この部屋はかなり狭い。一人用の病室であり、見舞いなど想定していない広さえである上に、スペースを無数の機材が占拠しているのだ。

 機材の間をすり抜けて近づいてくる白衣の男は、変に無表情だった。

「具合はどうだ?」

 そっけない口調に、「何も問題はない」と言い返してやる。俺の言葉を無視して男は機材の幾つかを確認し、「痛みは?」と今度はこちらも見ずに確認してくる。

「特にないな」

 素早く振り返った男の腕が伸び、俺の腕を掴んだ。

 悲鳴をあげなかったのは上出来、しかし息を止めたのは失敗だ。

 男は少しも笑わなかった。無反応、無表情だ。

「仕事はしばらくは休め。組織の規定の休暇を取っていないと聞いている」

「吸血鬼狩りを生業にするものが休暇とは、ちぐはぐだよ」

「吸血鬼狩りも仕事、業務の時代だな」

 言いながら男は俺の腕の様子を見ている。両手が繊細な手つきで何かを確認し、両目は瞬きもせずに手元へ視線を注いでいる。

「V2MMの最終封印を解放して、生き延びたものの人数を知っているか?」

「知りたくもないな。知ったところで、生き残れるわけでもない」

 やり返した俺に、初めて男がかすかな笑みを口元に浮かべた。

「危険だと思えば、温存する。それで生き残れる」

「温存できないから使うんだぞ。吸血鬼に組みつかれて、首を食いちぎられそうになっても、最後に力を残せるとしたら、そいつはイカれているか、自殺願望の持ち主だろう」

「かもしれんな」

 俺は結構、本気でやり返したが、男は素っ気なかった。

「お前が生き残ったことで、また一つ、データが手に入った。貴重なデータだよ。V2MMの改良に貢献してくれたことには感謝しよう」

「有力なダンピールが生き残ったことを喜んでくれよ」

「そういうのをぬか喜びというのだよ」

 どうも、こんなことを続けていれば早晩、俺は自然とくたばると言いたいらしい。酷いジョークだ。酷すぎる。

 それでも男は診察を丁寧に行い、薬を届けさせることと、これからの検査の日程を伝えてきた。

「例の子どもはどうなった?」

 立ち去ろうとする男を呼び止めると、彼は作り物めいた表情でこちらを振り返った。

「例の、とは?」

「俺が守った子どもだよ。久梨原道郎の息子の、久梨原篤郎」

 男はどこか遠くへ視線の焦点を合わせるようにして、短い沈黙の後に答えた。

「この拠点にいるようだ。検査を受けている」

「組織はどういう姿勢で臨むか、あんたにわかるか?」

「お前は何か、勘違いをしている」

 男がこちらへしっかりと向き直り、真っ直ぐに立った。

「我々は人間や吸血鬼、その混血者を実験動物のように扱うことはない。また、人道や倫理から意図して外れることもない」

「V2MMのことや、現場の様子を見たら信じられなくなるお題目だぜ、そいつは」

「信じられないと、信じたくないは、やや違う。しかし今は違いにまつわる議論は脇に置いておこう。もし組織を信じられないなら、お前があの少年を連れて逃げ出すのか? 組織はお前にもあの少年にも、執着はしないはずだ。ではお前と子どもの二人きりで、生活できるかな?」

 嫌な奴だ。

 生活なんていくらでもできる。

 しかし何かが違う。

 篤郎はどうか知らないが、俺はただ生きるため、平穏に生きるためにこの命があるとは思えない。

 吸血鬼がどうしても俺を縛り付ける。

 俺という人間を、闘争の場、生死を賭ける場に縫い止めているのは、吸血鬼の存在だった。

 過去なんて関係なく、未来において、俺は自分が地を這うその時まで、戦士でいたいと思っているようだ。

 ダンピールの本能なのかもしれない。

 厄介なことだ。

 この一連の俺の思考を、目の前の男に言葉を選ばずぶつけてもよかった。そうしないのは、他の連中が似たようなことを話しているだろうと確信に近いものがあったし、正直、疲れていたからだ。

「話は終わりか?」

 白衣の男が少し目を細めるのに、俺は雑に頷き返した。

「終わりだよ。俺は休む」

「休暇の申請のために必要な端末を持ってこさせよう」

 ありがたいったらない。 

 男が退室して少しすると若い女がやってきた。俺が睨みつけてやると、向こうも不服そうな顔をする。

「命の恩人にその顔はないんじゃない? ハンター・ワン」

「危うく俺を殺しかけた奴を歓迎できるかよ、イーグル・ワン」

 長身で、髪の毛は脱色されていて白に近い。今、その長い白髪はひとつに結ばれている。服装は大学生のように見える。実年齢は俺も知らない。マナー云々ではなく、この組織で年齢を気にするのは愚かというもの。

 V2MMは本来のV2の人体への影響をトレースした結果、宿主の老化現象を極端に遅くする副作用がある。

 今のところ、実用化されたV2MMを宿すものの最高齢は七十ほどらしいが、誰がそうなのか、俺は知らない。例えば目の前にいる女がそうでもおかしくはない。吸血鬼など、数百年を経ても二十歳そこそこの若さでいるのが当たり前だ。

 女は上体を起こした俺の前にタブレットを置き、錠剤の入った大きめの瓶を置いた。

「休暇申請の書類にはもう私の署名は入っている。休みたいだけ休みなさい。まともに動けない部下と仕事をしたくはない」

「部下思いの指揮官に泣けてくるよ」

「実際に泣いていないところを見ると、もっと部下を大切にして私の優しさを理解させてあげるべきかしらね」

 くそったれどもめ。

 俺がタブレットを手にとって早速、書類を作り始めると、イーグル・ワンがベッドに腰掛けた。

「あなたが助けた、久梨原篤郎くんに関して、明かすべきことがある」

 俺はちらっと女の方を見るが、彼女はわざとだろう、未だにグラフを作り続ける律儀な測定装置のモニターの方を見ていて、ちらとも俺には視線を向けなかった。

 言葉だけが飛んできた。

 意外な言葉だ。

「久梨原篤郎の母親、つまり久梨原道郎=ウォーレン・ハンブルトンの奥さんっていう人、生きているのよ」

 へぇ……、そいつは、また……。



(続く)

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