第15話

     ◆


 悲鳴をあげる篤郎から吹き付ける青い波濤が俺さえも飲み込んでいく。

 俺自身のダンピールとしての力より、篤郎のそれの方が圧倒的に強い。

 俺も、そして吸血鬼も絶叫を上げていた。

 吸血鬼の方が悲惨な状態だ。皮膚はすでになくなり、肉が煙を上げて溶けていく。

(聞こえるか、ハンター・ワン)

 俺の耳元で声。答える余地はない。

(V2MMを封印しろ。そのままだとお前も死ぬぞ)

 吸血鬼の怪力はまだ俺の手を掴んでいる。

 下手に力を弱めると、それはそれで俺が死ぬ。

 生死の境、極端に選択の難しい局面だった。

 思い切り。自暴自棄。その境界線はどこにあったのだろう。

「全封印」

 歯を食いしばり、言葉にする。

「再封印」

 次の一瞬にはあまりに多くのことが起こりすぎた。

 まず、俺の全身からおおよその痛みが消えた。

 吸血鬼の両腕が、ただの人間のそれに戻った俺の両腕を粉砕しそうになった。

 そしてほとんど同時に、壁を突き破って飛来した弾丸が、吸血鬼の首を狙いすましたように破壊して跳ね飛ばした。続く弾丸が、吸血鬼の足を撃ったのだろう、その体が傾いだところで、三発目が心臓を完全破壊した。

 三発目は際どかった。俺が拳銃で使っている亜音速弾などという生易しい弾丸ではない。超音速の大口径の狙撃用の銃弾だった。

 吸血鬼の心臓を貫通した弾頭は俺のすぐ脇を抜けてスポーツカーに大穴を開けたが、一歩間違えば俺の胴体に当たっただろう。

 それを言ったら、初弾からして、危うく篤郎を引き裂くところだったわけだから、何に文句を言えばいいか、山積みだ。

 ほとんど篤郎の発する青い炎に飲み込まれていたとはいえ、吸血鬼の体は弾丸による致命傷で一瞬で塵に変わり、消え去った。

 俺は座り込み、咳き込み、全身の痛みに倒れ込んだ。

 内臓に重度のダメージがありそうだが、V2MMの恒常的な治癒作用でなんとか生き延びられる、はずだ。

(無事か、ハンター・ワン)

 阿呆め。どこで見ているか知らんが、こちらが死ぬようなことを平然とする自覚がある上で、そんな言葉を投げかけるな。人格を疑う奴だ。

「どうやら」

 短い言葉で答えると、耳元で微かに息を吐く音がした。

 訂正。奴もそれほど強心臓ではないらしい。

(そちらに迎えを向けている。医者も乗っているし、機材も揃っている)

 用意周到と言いたいところだが、そんなところで用意するくらいなら、もっと俺の安全のために人員と装備その他を整えて欲しいものだ。

「だ、大丈夫ですか」

 まだ青い炎を見にまとわりつかせながら、篤郎がこちらへ這い寄ってくる。

「あまり、近づくな」

 言葉にするのにもひどい苦労が伴う。任務の中で負傷することは多いが、今回の奴は五本の指に入るだろう。

「でも、怪我をしてますよね、その、酷く」

 酷く、という表現はだいぶ控えめだろう。

「その炎が、邪魔だ」

 指摘してやると、やっと気づいたように篤郎が自分の周囲に漂う炎を見て、手で振り払うような動作をするが、なかなか消えることがない。

 やれやれ、これだけの素質の持ち主なら、組織にとってはありがたいことだろう。

 ほんの五分もせずにヘリコプターのローターの音が聞こえ、耳をつんざくほどになった。市街地ならこんな大胆なことはできないが、この山奥では人気など無いに等しい。そしてまだ周囲は薄暗い。

 廃倉庫に組織の戦闘員が駆け込んできた時、篤郎は青い炎をやっと消すことができ、俺は彼の手助けでスポーツカーに背中を預けて座り込んでいた。

 戦闘員は黒一色の装備で、俺などよりよほど立派だ。彼らは体内のV2MMの作用が制限され、俺よりは人間に近い、組織の主力となる戦闘要員たちだ。

 俺のようなものを、虎の子として運用するのはまだ実験的な試みと言える。

 ふとゴースト・スリーというコードネームだった、俺が殺した仲間のことを思い出した。

 俺もいつか、何かの折に吸血鬼の手にかかり、そのまま殺されるか、あるいは味方に処理されるのだろうか。

 何が楽しくて生きているのか、時折、不思議に思う。

 生死の境をさまよう実戦と、厳しいだけの訓練、虚しいばかりのデスクワーク。

 それでも生きているのだから、戦うしかない。

 戦う以外に充足がなく、また戦いほど俺を昂らせるものはない。

 もしかしたらダンピールという存在は、何がなくても、吸血鬼がいることに自身の存在意義を見出し、吸血鬼をいつか滅ぼし尽くすことを望むだけで生きていけるのかもしれない。

 吸血鬼が一匹残らずこの世からいなくなったら、その時には組織も、俺も、無意味だろう。

 しかしそんな現実はやってこない。確信が持てる。

 戦闘員が俺に手を貸す頃には、自力で立ち上がることができた。それでも肩を借りなくてはならん。

 廃倉庫の外に中型のヘリコプターが着陸していた。ローターは回り続けて、強い風に体が流されそうだった。

 乗り込むと、イーグル・ワンの言う通り、医者が待機していた。形だけの寝台に寝かされ、医者が俺に検査器具を当て始める。篤郎はといえば、戦闘員たちの手を借りて乗り込み、シートに座らされていた。飲み物を手渡されたが、奴はこっちをまだ不安げに見ている。

 もう危険は去ったんだ。

 少しはリラックスして、水でも飲んでいてくれ。

 医者が薬物を注射する前に、自然と俺は眠気に包まれていた。体はまだ痛みを訴えるのをやめず眠れそうもないはずなのに、睡魔は抗えない強さで俺を闇の中へ引きずっていく。

 俺の耳元で医者が何か言っているが、囁きにしか聞こえない。まるで口調は怒鳴っているようなのに、声は遠い。

 眠らせてくれ。

 死ぬわけじゃない。

 ただ眠いだけなんだ。

 目を閉じると、浮遊感がある。ヘリコプターが浮かび上がったのかもしれない。

 しかしもう、何も聞こえなくなった。

 闇。

 漆黒。

 何もない。

 無。

 息を吐いた自分。

 その息が、溶けて、消えて。



(続く)

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