第14話
◆
ゆっくりと吸血鬼が振り返る。
俺にもそれが見えた。
スポーツカーの横に立つ少年。手には拳銃がある。俺が渡した拳銃だ。
表情は引きつり、目は見開かれている。手元はぶるぶると震え、よく初弾が命中したものだと思わずにはいられない。
ただそう思ったのは、俺と吸血鬼がそれぞれに事態を飲み込み、動き始めてからだ。
吸血鬼が俺の肘を縫い止めていた爪を引き抜く。血が吹き上がる。
その時には篤郎がまた引き金を引いていた。全くのハズレだと銃口の位置からわかる。
こんなことなら拳銃を持たせるだけではなく、構え方も教えておくべきだった。
そんなことを悠長に考える暇も俺にはない。跳ね起き、吸血鬼に飛びかかる。
目の前の背中が回転、遠心力を上乗せした拳が俺の胸を打ち、肋骨を粉砕、一部が肺に突き刺さる。当然、足は床のコンクリートを離れ、砕かれた後の回復途中の肩から墜落し、悲鳴を抑え切れない。
視界が明滅。一瞬、全てが輪郭を失いかけ、しかし回復。
「ただの子どもと思っておったが、引き金を引く余裕はあるらしい」
わざとだろう、ゆっくりと吸血鬼が篤郎の方へ歩を進める。
恐慌とは言えずとも恐怖に支配された篤郎が連続して引き金を引く。ガス銃独特の音と、弾丸が空気を裂く音。ただどちらもあまりにも頼りなかった。
「もっとよく狙わんと、吸血鬼は倒せんぞ、小僧」
俺が激痛の中で跳ね起きた時、篤郎は俺のなど見ず、まっすぐに吸血鬼だけに視線を向けていた。
両脚に力を込める。
割り込めるか?
それは瞬間だった。
吸血鬼の爪が一閃する。もちろん、俺とは数メートルの距離がある。
だが俺の膝が破裂し、鮮血が飛び散る。
倒れこむ俺の耳に、吸血鬼の哄笑が届いた。
「もっとよく狙わんか。狙いが甘いから、お前を守るものに命中するのだぞ」
吸血鬼は爪の先で、篤郎が発砲した弾丸の向きを変え、正確に俺の膝に当てたのだ。
俺の膝ではひしゃげた銀の弾丸が肉の中からこぼれ、治癒が進む。しかし完治を待つ余裕はない。
篤郎が声を上げ、また引き金を引く。吸血鬼には銃口の位置云々の前に、弾丸そのものが見えただろう。
爪が火花を上げ、跳弾が俺へ向かってくる。
構わず前進。床を這うような姿勢を低さで疾駆していく中で、無理に身を捻って弾丸は回避。
「失せろ」
吸血鬼がこちらへ向き直り、その輪郭が消える。
まだ全力を出していなかったのか。
目と鼻の先に吸血鬼が出現。
ダンピールとしての青い炎で焼き尽くそうとする。自分の体さえもが燃え上がるが、強行。
目の前で人の姿をした怪物が燃え上がるはずが、搔き消える。
回避じゃない、元から残像だ。
本体は背後。
床に転がって逃れようとするはずが、体が急停止。
俺の腕を吸血鬼が握っている。想像を絶する握力で俺の左腕上腕が粉砕され、ちぎれかかる。
「そら」
体が振り回される。
吸血鬼の異常な怪力なら、こんなことも可能なのだ。
自分の体が引きずられ、体内の血液の流れが偏る。視界が赤く染まり、その中で唐突に自分の体の向きが変わったのはわかった。
スポーツカーが見えた時には、俺は篤郎の横を抜け、スポーツカーに胸から衝突していた。
短い悲鳴をあげて篤郎がよろめくのが変にはっきり視認できた。
力尽き、崩れ落ちた俺は、何度目になるのか、盛大に血を吐き、それ以上は動けなかった。
息が詰まる。肺が潰れても、V2MMの第四封印が解除されている段階では自動に蘇生が進む。しかし無限に蘇生ができるわけではない。傷を負うほど、それが癒えるほど、身体の本来の力は失われる。
何より、精神がこの苦痛の連続に耐えるのが困難になる。
手足の感覚が戻り始め、緩慢に身をひねり、座り込んだ。そのままの姿勢で吸血鬼を見るが、視界が霞む。
俺と篤郎へ、堂々と吸血鬼が歩んでくる。
「興味深い個体だ。我らにも知識というものは必要でな」
嗄れていて、しかし朗々と響く奇妙な声を聞きながら、俺はひたすら呼吸を整えた。
篤郎を守るか守らないか、それは考えないことにした。
この目の前にいる化け物を、とにかく消し飛ばしてやりたい。
それができれば何も言うことはない。
塵にしてやるぞ、このクソ吸血鬼め。
左手の指が痺れて動かない。右手の指の形でキーを入力していく。
吸血鬼が歩み寄るペースは遅い。
阿呆め。
最後のキーが入力された。
俺は息を吸い込み、咳き込み、ガラガラした声で唱えた。
「最終封印、解除」
体が刹那、動きを止めた。
芯から震え、跳ね上がる。
吸血鬼が足を止めた時、俺は飛びかかり、その頬を殴りつけていた。
跳躍も打撃も人間の出せる力ではない。頭蓋骨が砕けた手応えがあり、吸血鬼の体が数メートルほど吹っ飛ぶ。
逆に俺の右手も複雑に骨折していた。
その右手は瞬間的に治癒する。
いや、治癒と同時に皮膚が焼け爛れ、消し炭に変わっていく。
血液は炎に変わり、血飛沫は火の粉となる。
俺の体が燃えている。
外からも、内からも。
骨も肉も、血管も神経も。
V2MMの最大解放状態では、ダンピールの性質との性質の衝突が極限に達する。
この段階では、V2MMが俺の体を極端に人間ではなく、吸血鬼のそれに近づけるため、ダンピールの本質が自分自身の肉体を崩壊させてしまう。
第四封印を解除した段階ではまだ肉体を維持できても、最終封印は一分程度の限界が設定され、それを超えると自滅は避けられない。
この一分が、全てだ。
コンクリートの床を蹴り、吸血鬼に肉薄。起き上がろうとする奴を殴りつける。今度こそ頭部が粉砕される。しかし頭のない吸血鬼が俺に組みついた。
お互いの体が青い炎で燃え上がる。
俺を抱きすくめるようにして圧死させる意図の吸血鬼の体を引き剥がし、振り回して床に叩きつける。コンクリートが砕け、どす黒い血が飛散する。その血さえも青い炎が消していく。
吸血鬼の頭部が復元する中で、俺と奴が取っ組み合う形になっていた。
くそ、時間がない。
油断したかもしれない。吸血鬼の蹴りが俺を弾き飛ばす。空中で姿勢を整え、スポーツカーのそばに立ち尽くす篤郎の前に着地。
吸血鬼は、突っ込んでくる!
受け止め、組み合い、しかし勢いに押されて、俺はスポーツカーに押し付けられる。
皮膚まで回復が間に合っていない吸血鬼が吠える。
その口が裂け、俺の首筋へ向かってくる。
噛みちぎられる。
両手は吸血鬼の必死の剛力に命懸けの死力で拮抗。吸血鬼の俺を拘束する手は燃え上がっているが、奴は気にした様子はない。
何がなんでも俺を殺す気だ。
首を噛みちぎって。
ダンピールとしての炎を放射する。
吸血鬼が燃え上がっても、拘束は緩まない。
俺の精神力が限界だ、とても一瞬で相手を消し飛ばす強さで力を練り上げられない。
吠えたのは俺だったか。
それとも。
吸血鬼が俺の首に噛み付く寸前、その吸血鬼の首に篤郎が飛びついていた。
そう、吠えたのは、俺ではなく少年だっただろう。
悲鳴と同時に、鮮烈な真っ青な光が廃倉庫に吹き荒れた。
(続く)
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