第13話

     ◆


 地面を蹴りつけると、コンクリートに蜘蛛の巣状のヒビが入る。

 吸血鬼が振り返る。

 遅い!

 その時には、頭上にある梁に飛びついている。

 肩と足の傷が瞬時に完治。胴体からは防弾着を貫いて食い込んでいた銀の弾丸が、押し出される。

 全身が爆発しそうだ。

 全身の筋肉が意志とは無関係に隆起し、防弾着が軋みをあげ、外套が張り詰める。

 吐く息が高熱を孕み、冬でもないのに白く染まる。

 それを残して、眼下の吸血鬼へ急降下。

 上へ目を向けようとしていた奴は、唐突に足元に俺が出現したのに気づいても、こちらへ視線を送るのは遅すぎる。

 俺の右手が突き出される。

 手刀を吸血鬼が不自然な姿勢で回避、腰から上がずれるような、人間には不可能な姿勢。

 奴の蹴りが唸りを上げて俺の頭部へ。

 頭を粉砕するのに十分な一撃だったが、俺の手がそれを掴み止める。

 骨折。瞬時の治癒。

 青い光が走る。吸血鬼の爪が自分の足を切り落とし、切り離された足が爆散。

 その塵の煙を突き抜けて、俺の直蹴りが吸血鬼の胸に衝突。感触で骨をへし折り、心臓さえも破裂させたとわかる。

 木の葉のように舞い、残っている鉄骨製の柱に衝突した吸血鬼の体のその勢いで、頑丈そのものの鉄骨がへし曲がる。廃倉庫の建物自体が不規則に揺れた。

 ふざけやがって。

 濁った声、血を吐きながらの声で吸血鬼が罵声を上げ、立ち上がろうとする。

 俺は床を蹴り、次には吸血鬼の目の前に立ち、持ち上げた足でその頭部を粉砕しようとした。

 際どく吸血鬼が俺の横を抜ける。俺の足の一撃はついに鉄骨の一本を破断させる。

 背後に回った吸血鬼の爪が俺の体を背中から胸へと貫通。

 本当ならそこで俺の体を両断する、というか、引き裂きたかっただろう。

 吸血鬼の困惑が、見ずとも伝わってきた。

 俺が胸の前で爪を握りしめ、完全に固定。口から血が溢れる。肺に血液が溜まり、こうしている今も溺れていくが、構うものか。

 ダンピールとしての力を、解き放つ。

 青い光が放射され。

 しかし弱まり、消える。

 咳が漏れる。手から力が抜ける。

 猶予はない。

 力を再度、放射する。

 吸血鬼の爪が砕け、奴は飛び離れて間合いを取った。

 くそ、遅かった!

 俺は向き直り、胸から爪を引き抜いて捨てる。

 呼吸が激しく乱れる。青い光が俺を包んでいるが、今やそれは自分を傷つける、自身を焼き続ける業火以外の何ものでもない。

 第四封印が解除されているため、胸の傷は治癒している。

 しかしV2MMはモデルになったV2、吸血鬼ウイルスとは違い、限度がある。

 V2MMを宿していても、人間は人間なのだ。

 濁った咳をとともに大量の血を吐き、歯を食いしばり構えを取り直す。

「どうやら貴様は、自らの力で死のうとしているようだ」

 吸血鬼が先ほどまでの大慌てなどなかったかのように、平然と言葉を向けてくる。

 不愉快なことに、その服まで完全再生されていた。

 その顔面を原型がなくなるほど殴りつけたいところだが、それも難しい。

 俺の全身はすでに重すぎるダメージを負い、回復が間に合っていない。つまり限界間近ということ。

 少しでも状態を整えるためには、吸血鬼のおふざけのトークに付き合わなくてはならないとは、恨めしい。

 俺が黙っているからだろう、吸血鬼が間合いを計りながら、語り始める。

「ウォーレン・ハンブルトンは裏切り者だ。我らに背を向け、人間どもに協力するなど、吸血鬼の恥だ。しかしそれ自体は大したことではない。裏切り者の一人や二人など、なに、長く生きれば気にもならん。嫌というほど、そういう輩がいるのだ」

 ありがたいことに、こいつがどうして俺と少年の二人組をしつこく追い回すか、教えてもらえそうだ。

 吸血鬼の足が止まり、瞬間、その体が搔き消える。俺の強化されている動体視力はそれを捉えている。

 貫手は避けたが、足を脅かされ、なんとか転倒を免れたところを回し蹴りで跳ね飛ばされる。手加減されていることに感謝するしかない。

 床に転がり、受け身を取り、即座に立ち上がる。

 が、眼前に吸血鬼。

「あいつは人間との間に子を作った。呪わしい混血児、ダンピールなどと呼ばれる、我ら吸血鬼の宿敵だ。ただ、これもまたどうでもいい。やはり長く生きれば、人間との間に子が出来ることもあることだ。何故かは知らんが、根絶やしにはできん。あるいは我らには、人間を求める本能が隠されているのやもしれんな」

 回り道をするとは、俺の疲弊が時間とともに重くなると読んでいるのだろう。

 さっさと本題を話してくれ、と言いたい俺の頬に拳がめり込む。本当の吸血鬼の怪力なら、人間の頭を砕くのはスイカを叩き割るくらい簡単なはずだが、やはり手加減されている。

 よろめき、姿勢を作ろうとしたところを、下段蹴りで両足を刈られて今度こそ倒れこむ。

 起きようとしたところを、顎を痛烈に蹴られ、意識が一瞬、どこかへ飛ぶ。

 それでも本能的に起き上がろうとしたが、胸を踏みつぶされ、強制的に停止させられる。

 目の前には完全な優勢に、吸血鬼が満足げに笑う顔がある。

「あの裏切り者は人間との間に子を作ったが、しかしその相手が問題だ」

 相手? ウォーレンの妻?

「あの者が娶ったのは、ダンピールだった。つまり、あの男の息子は、その血の四分の三が吸血鬼なのだ」

 呑気に驚ける体勢なら声の一つもあげただろうが、残念ながら今の俺は胸を押しつぶされる寸前だった。

 二つの問題があった。

 ウォーレンの妻とは何者なのか。俺は何も聞かされていない。どういう立場の女性で、どういう形でウォーレンと接触し、夫婦になったのか。

 もう一つは、ダンピールと吸血鬼の間に子が生まれる可能性が極端に低い、という情報を聞いたことがあるのだ。ほぼ確実に流産すると聞いている。

 その二つがクリアされた結果が、久梨原篤郎という少年になる。

 目の前の吸血鬼が道郎=ウォーレンを襲ったのは、あの男が原因ではなく、その子どもが理由か。

 それだけわかればどうとでもなる。

 俺は力を振り絞って吸血鬼の足を外そうともがいた。

 それより先に一瞬で伸長した爪が俺の肘を貫通、コンクリートの床に縫い付ける。

 叫びながら身を捻り、腕が引きちぎられる寸前の想像を絶する痛みに耐え、もう一方の腕が吸血鬼の脚を掴み取る。

 取れなかった。

 掴み取る寸前、「おっと」と吸血鬼はおどけた様子で足を持ち上げ、次には俺の無事な腕の方を踏み砕いていた。

 絶叫というほどではないが、声が漏れる。

 貫かれた肘も、砕かれた方もV2MMが俺の生命力、体を構築する基礎的なエネルギーを代償に高速で治癒させていく。

 だが今ではもうそれも遅すぎた。

「死ね」

 吸血鬼の目がひときわ強く赤く光り、持ち上げられた足が俺の頭に落下してきて。

 ガスが抜ける発砲音と共に、吸血鬼の肩で小さな血の花が咲いた。



(続く)

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