第11話

      ◆


 ポイントWUUには三時過ぎに到着した。

 夜明けまであとおよそ二時間。

 追跡は例の羽の生えた巨大な狼という、いかにもな化け物を撃破して以降はなかった。ただ、完全に振り切ったとも言えない。吸血鬼は人間が思っている以上に認識力があり、その超能力の中には異常な五感というものが含まれる。

 俺が一度、千里眼と遠距離攻撃に特化した超能力を持つ個体と戦った時は、一キロほどの距離を置いて一方的に俺だけが攻撃され、逃げ続けた。

 あの時は俺だけでは撃破は不可能だったが、助っ人がいた。それも強力な。

 ともかくポイントWUUで夜明けを待つことになりそうだ。

 廃倉庫と聞いていたが、ものすごい荒れようだった。金属製の枠組みは残っていても、壁は何があったのか大半が消失し、屋根の波板もボロボロだ。かろうじての月明かりが、まるでスポットライトのようにがらんとしたコンクリートの床に幾つか落ちている。

 ここまで俺と篤郎を運んだスポーツカーは、外に出てみると酷い有様だ。フロントは傷だらけ、凹みだらけで、後部は派手にひしゃげている。運転に何の支障もなかったのが不思議と言える。

「中で休んでいろよ」

 トランクからゼリー飲料のパックを三つほど取り出し、まだ助手席にいる篤郎へ渡しておく。

 ありがとうございます、と小さな声で言って、少年の手がパックを受け取った。ちょっとは気持ちも落ち着いたか。

 少し距離をとって、俺は小さな声で呼びかけた。

「イーグル・ワン、聞こえるか。こちら、ハンター・ワンだ」

 返事には半秒ほどの間があった。

(こちらイーグル・ワン。聞こえている)

 到着するまでの道のりを軽く報告した後、本題に入る。

「話した通り、追跡が執拗だ。理由がわからない。最初はあの金髪の吸血鬼による、俺への意趣返しかと思った。だが、いやに食いついてくる。余裕がないというほどではないが、仕切り直そうとしない。何故だと思う?」

(こちら、イーグル・ワン。吸血鬼の思考を読むのは困難だ。彼らには彼らの事情がある)

 たまにこの現場指揮官はどこかにバグのある高性能人工知能ではないかと疑いたくなる。

「別に事情を知りたいわけじゃない。どこで区切れるか、それを見抜きたいだけだ。何をしたら俺は狙われなくなるのか、何が起こればこの追いかけっこが終わるのか、それが分かるだけで楽になる」

(ハンター・ワン、お前が倒れればそれで終わるぞ)

 こういう露骨で安直な冗談を言うあたりが、へんてこ人工知能なのでは、と疑うところだ。

「俺の過去の戦歴に理由があるなら、俺が倒れるまで戦うだろうな。しかしあの吸血鬼を見るのは初めてだし、そもそも敵対した吸血鬼はおおよそ焼き払ってきている。塵も残さずな。しかし、そうなると奴の勘違いか、組織絡みの問題じゃないか?」

(容易に理由を見つけ出すのは困難だ。こちらから情報部で検索させておく)

「オーケー、任せた」

 通信終わり、というはずだった。

 はずだったが、俺たちがスポーツカーでここへ侵入したその道を、誰かが歩いてくるのが目に入った。

 これはどうも、答えを聞く前に一悶着ありそうだ。

 月光の下で幻想的に光る透き通る金色の髪、そして不吉であり、見るもの威圧する真っ赤な瞳。黒で統一された服装は夜が凝縮して形を持ったようだった。

 進み出てくるのは吸血鬼。

 名前はなんといったかな、殉職したゴースト・スリーの言葉。

 そう、シザリア侯爵。吸血鬼どもはその能力によって位階を定めている。頂点は人間が接触したのが過去に数例しかない吸血王だ。実質的に最高位は公爵級とされるが、これもまた人間に対抗できる相手ではない。

 侯爵級は現場において最大の脅威であり、目下、人間と吸血鬼の戦闘における分水嶺だった。

 もちろん、人間が一人で戦うなどということは想定していない。組織の完全武装の狩人が十人がかりで相手をする。

 俺は今、一人だった。武装も潤沢ではない。

 道郎=ウォーレンの家での戦闘では、完全に不意を打てた。あそこで倒せていれば少しは楽だったのだが、今になって恨めしがっても仕方がない。

 俺もゆっくりとシザリアなる吸血鬼へ歩み寄って行く。

 俺は廃倉庫の扉があった位置で足を止めた。扉自体はレールから外れ、地面に倒れていた。

 吸血鬼が嬉しそうに笑うのが見える。

「てこずらせてくれたが、やっと追いついたわ」

 軋むような声。吸血鬼どもは不老不死を謳っている割に、こういうところに年齢を感じさせる。見た目は二十代でも、声だけは老人のそれのようになる。ついでに言うと、目の前にいる吸血鬼の日本語はアクセントがおかしい。

 別に奴が日本語を話す必要はない。いわば人間が犬や猫に鳴き真似の声を向けるようなもので、吸血鬼は俺がせいぜい恐怖するように、こちらの言葉を真似ているのだろう。

「なんで追ってくるか、聞いてもいいかい?」

 こういう時は正直に質問するのが正しい。相手は俺を殺す気満々で、どうせ殺すのなら何を教えてもいいだろう、という気になっている。

 口が軽い奴は、人間にも吸血鬼にもいるものだ。

 案の定、吸血鬼は足を止め、皮肉げと言っていい嘲笑を浮かべた。

「お前が守っている子どものことを、知らぬわけがあるまいよ。お前が知らなくとも、お前たちの組織とやらは知っているはずだ」

 子ども? 俺ではなく、目的は篤郎か?

 それが組織が知っているとは、どういう意味なんだ?

 吸血鬼がゆっくりとを身を屈める。くそ、大事なところは言わずに戦闘開始か。

「子どもより先に、お前を処理するとしよう。自らの迂闊さゆえとはいえ、銀の弾丸はなかなかな苦痛であった。倍にして返してやるとしよう」

 俺の指が素早く動いた。

「第二封印、解除」

 全身が燃えるように熱くなる。血管に熱が走り、膨れ上がる錯覚。

 吸血鬼の姿が霞む。

 捉えているぞ。

 俺は脇の下からナイフを引き抜き、迎え撃った。



(続く)

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