第10話
◆
足も忙しければ手も忙しい。
スポーツカーは山間の曲がりくねる道をドリフト走行の連続で突き抜けていく。
「こいつは?」
隠されていたスイッチの一つを押し込む。三方向へ矢が向いているようなマークがある。
車体に軽い衝撃。変化なし。
どうもまきびしらしい。相手が車ならともかく、狼では意味がない。
バックミラーを確認。すでに月明かりと等間隔の街灯の明かりしかないが、その光の中には、狼が鮮明に見えている。
かなり大きい。乗用車くらいあるだろう。今は三体が見える。少し奥にもう一体、赤い眼があるのも分かってきた。
「次は?」
見るからにミサイルのマークのボタンを押し込む。
フロントガラスに沿うように、小さなモニターがせり出す。カメラの映像。前方が映っている。
「これかな」
ボタンの一つ、輪を描く矢印を押す。するとモニターの映像が後方の映像に切り替わった。
よし。
二重丸のボタンを押し込む。
今度は車体に奇妙な衝撃が走った。左右に揺れるがすぐに挙動を取り戻す。
モニターの中では光が膨れ上がり、次に爆炎、爆風、爆音が車に一瞬で追いついた。
隣の席で篤郎が絶句している。
俺はハンドルで蛇行しそうになる車体を操り、コーナーをクリアし、モニターをチラチラと確認。ここで対向車が来るととんでもなく厄介だが、幸運にもそれはなさそうだ。
狼の数は二つに減っていた。モニターの端にはミサイルのマークがあと二つ。照準は比較的、正確なようだ。俺が狙っているわけではなく、人工知能による自動の照準だった。映像を解析しているか、熱源を追っているか、そんなところだと見当がつく。
どうとでもなれ、と二重丸のボタンを押し込む。
先ほどの再現があり、狼が一体、消し飛ぶのが今度は見えた。ほんの刹那だけで、光と煙に紛れて見えなくなる。
しかし今度は、それらを背景にこちらへ肉薄する最後の大狼が見えた。
食らえ!
二重丸ボタンを押し込む。
だが今度は、二発目のミサイルの発射でスポーツカーの挙動が乱れていた。三発目がその慣性に引きずられ、極端な円弧を描く。ミサイルの姿勢制御は特筆すべき性能だったが、大狼も避けようとするのが自然で、結果、ミサイルは外れた。
道路のアスファルトとガードレールを消し飛ばしただけで、意味がないどころか、スポーツカーのハンドルが一瞬だけ聞かなくなり、運転不能に陥りかけた。
なんとか姿勢を取り戻すが、大狼はすぐそこ。
そして目の前には急なカーブが迫る。
目をこらすと、コーナーのガードレールの向こうに明かりがある。かなり離れているように見える。やや下か。つまり、狭い谷を挟んだ別の道路がある。
どれくらいの距離がある?
何を考えたかは、自分でもわからない。
ギアをトップに。アクセルはベタ踏み。ハンドルは固定。
片手はボタンを操作。銃のマークのそれを押し込む。先ほどのモニターにあったミサイルのマークの代わりに数字が表示される。
一〇〇。
映ってるのは正面。
二重丸を長押し。フロントガラスの向こう、ヘッドライトとヘッドライトの間で激しく光が瞬く。
前方のガードレールで火花が散ったのは一秒にも満たない。はっきりとは見えないが、機関銃が吹っ飛ばしたようだ。
吹っ飛ばしてもらっていないければ困る。
もう別の手段はない。
ボタンを確認。飛行機のようなマークのボタンを押し込む。
その時には車はガードレールを突き破っているが、衝撃は弱い。機関銃はちゃんとガードレールを消し飛ばす仕事をしたようだ。
叫んだのは篤郎だったか、俺だったか。
車体が宙に浮いた。
途端、ジェットコースターに乗っているような強烈な衝撃で、体がシートに押し付けられる。
奇妙な感覚、落下するはずの車が落下せず、前に滑っていくようだ。
おそらくスポーツカーは後方から何かを噴射して飛んでいる。
その間、決して時間は停滞していない。目の前に見えてくるのは街灯で、そう、車は宙を飛んでいるわけで、車は本来、宙を飛ぶようにはできておらず、この時間は永遠ではなく、それどころか、極めて限られた時間なわけで……。
道路が目の前に迫る。
強烈な異音と衝撃で車の後部が跳ね上がったのは、着地する道路と崖を区切るガードレールに車体の後部が衝突したようだ。
ムチ打ちになりそうな衝撃だった、と思ったが、車がスピンするのを俺はとっさの判断で制御する。後部のおそらく右側のタイヤが破裂したと車体のずれで理解しながら、五四〇度の回転の後、前後を入れ替えて車は停車。
「しつこいじゃないな」
思わず声が漏れる。
俺たちのスポーツカーの後を追うように、大狼が宙を舞っていた。というより、その背中には一対の巨大な羽が生え、もはや異形の化け物そのものだ。
フロントガラスの手前にあるモニターを確認。機関銃の表示が生きていた。表示されている数字は五〇。
充分じゃないか。
モニターの中では化け物に自動で照準が合っている。正面だ。外すわけがない。
あばよ、と言いたいのは我慢して二重丸のボタンを押し込む。
連続する銃声と同時に前方で間断なく光が瞬き、その閃きが力を持っているかのように、空中で化け物はバラバラに引き裂かれて、そのまま墜落していった。
「無事かな、お客さん」
助手席を見ると、篤郎は目を見開いて、こちらをぼんやりと見ている。焦点がまだ合っていない。
「無事か?」
やっと俺の顔と状況を認識したようで、がくがくと頭が振られる。オーケー、無事ならいい。
車を出そうとするが、タイヤが一つパンクしている。映画でもこういうシーンがあったな、と思ってボタンの一つ、タイヤのマークのそれを押し込む。斜めに傾いでいた車が元の姿勢を取り戻す。パンクから回復する機能は意外に便利じゃないか。
エンジンを掛け直し、ギアを変え、アクセルを踏む。やや感触が怪しくなったが、あれだけのアクロバットをした後では文句は言えない。
ハザードランプのためのボタンを長押しすると、秘密装備の操作ボタンは引っ込んで、エアコンのそれが戻ってきた。
ちょっと車内が暑い。俺は冷房を入れた。
篤郎はまだ身を硬くしていた。
それが常識的な態度だろう。
(続く)
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