第8話

      ◆


 ドアを開けると、恐る恐るといったように篤郎がそばまで来た。

「け、怪我をしたんですか? 血が、流れてますけど」

「もうふさがっている。気にするな」

 ドアを閉め、それでもテーブルのところまで行って椅子に腰掛けた。

 外套を脱ぎ、肩の様子を確認する。服には裂け目が出来ても、その下には傷跡一つない肌がある。

「あの、人が……」

 椅子に座った篤郎が、やっぱりどこか怯えた様子で訊ねて来る。俺は無言で外套を着なおし、組織のもの専用の携帯端末を取り出す。

 俺が聞いていることに確信があるように、篤郎が言葉を続ける。淀みなく、とは言えないが、果敢ではある。

「人がいて、あなたがその人を、その、燃やしたように見えましたけど……」

「あれはもう人じゃない」

「吸血鬼だ、っていうんですか? でも僕には、人にしか見えなかった……」

 別に怒りもわかないし、不快でもないが、吸血鬼を初めて見た人間がすんなりとその存在を受け入れることは珍しい事態だ。何故なら吸血鬼は見た目は人間と変わらず、その特徴が曖昧だからだ。

 被害者の中には吸血鬼が血をすすっている場面を目撃したり、人間には不可能な動き、本来的な生物の常識を逸脱した現象を見ることで、嫌でも現実を受け入れなくてはいけないこともある。

 篤郎は今、その現実の容認を迫られている、ということだ。

「俺が青い炎で奴を焼いたのを見たんだろう?」

 そう問いかけると、篤郎はかすかに顎を引いた。

「なら奴は吸血鬼だった。ダンピールの青い炎は人間には無害だ。吸血鬼とその眷属だけが、あの炎によって焼き払われる」

「あの人とあなたが、その、話をしていたのも見ていました。どういうことですか?」

 くそ、おとなしくしていればいいものを。

「あの男は俺たちの組織の一員に見えた。俺たちは面識のない仲間と共同作戦を取ることも多い。だから現場で初めてお互いを認識することがある」

「どういうことですか? その、あなたの組織の人が、吸血鬼になったのですか……?」

「よく分かっているじゃないか。吸血鬼によって吸血鬼化されたんだよ」

 まるで音が聞こえそうなほど、鮮やかに篤郎の顔から血の気が引いた。

「俺たちの組織では吸血鬼狩りの実戦を担当する者が大勢いて、それは大抵がダンピール、混血者が受け持つ。しかしダンピールだけでは全ての仕事はこなせない。だから一般人、健常者の協力者を多く抱えている。あの男もそのうちの一人だったんだろう」

「それを……、あなたは、殺したんですか? 仲間を?」

「そうなるな」

 俺は手元の端末に視線を落とした。個人認証も終わり、マップが表示されている。

 片手間の俺のそっけない表現に反応したのか、篤郎の気配が急に強くなる。

「そうなるな、って、仲間を手にかけて、なんとも思わないんですか!」

 篤郎の目の前、虚空にパチパチと青い火花が散り始める。ダンピールとして覚醒しつつあるらしい。本人は気にしていないようだが、悪くない傾向だ。現実を受け入れる第一歩だった。

 俺はテーブルに端末を置き、こちらからも身を乗り出した。

「あの男は吸血鬼化され、おそらくお前の父親を始末した吸血鬼に操られていた。俺を油断させ、排除するためにな。もしかしたらお前も狙っていたかもしれないが、安心しろ、お前はそこまで特殊でも特別でもない」

「僕のことなんてどうでもいいです!」

「その通り。俺は仲間を倒した。殺したと言ってもいい。ではお前なら、どういう道が選べた? 組織の医療技術をもってしても、V2、吸血鬼ウイルスを無効化するのは不可能だ。あの男は俺を襲うように洗脳されていたようだぞ。吸血鬼による催眠はかろうじてごまかせるが、容易ではない。お前はあの男を殺さずに拘束して、どこかで生かしておけとでもいうのか? 檻に閉じ込めるようにして?」

 ぐっと篤郎が言葉に詰まる。俺は構わなかった。

「お前はもしかして自分の父親のことを考えているのか? 吸血鬼でも、社会に紛れて生きていけるはずだとか、そんなことを考えているのか? それは極めて特殊な例だよ。俺たちも吸血鬼たちも、種族の違いや思考や思想の違い、存在そのものの違いを乗り越えて、手を取り合って一緒に生きていきましょう、なんてスローガンは掲げちゃいない。お互いに殺しあう、潰し合う関係しかないんだ」

 もう何も言えない少年は、しかし瞳だけは強気にこちらに向いたまま動かない。

 それだけでも立派。

 悪くない瞳だ。

 俺は携帯端末を手に取った。ポイントWUUの位置はわかった。ここから山間の道を抜け、峠を越えた先にある場所。今度は別荘などではないようだが。そう、最悪なことに、廃墟らしい。大昔に林業が盛んだった頃の倉庫と情報が付け加えられている。

 どうにも敵は熱くなっている。ここへ襲撃を仕掛ける程度には余裕がなく、ただ、俺たちの仲間を逆用する程度には冷静。

 俺たちの逃走は織り込み済みのはずで、それをこちらも前提として動くしかない。

 今も俺を睨みつけているこの篤郎という少年が、お荷物といえばお荷物だ。いなければ俺はもう少し自由に動ける。

 俺にも吸血鬼にも、制約があるということにしておこう。

 それにしても朝までここにいられれば、太陽の光の元を安全に移動できる。太陽光が何よりの吸血鬼対策だが、夜明けまでまだ五時間以上はある。ここに留まり続けると、攻撃を受ける未来しか想像できない。

 また移動だ。

「拳銃は持っているよな」

 怖い顔になっていた少年は、その渋面のままに頷いた。

「自分の身は自分で守れ。それができたら、ちょっとは意見を聞いてやるよ」

 わかりました、と絞り出すような声が発せられた。

「すぐに移動だ。次のセーフハウスへ移動する。とりあえず食料品をまとめよう」

 俺が椅子から立ち上がると、篤郎も付いてきた。

 キッチンには冷蔵庫があるが、中は空でそもそも冷えてはいない。電源が入ったのがつい最近なんだろう。冷凍庫も空。長期滞在のための備品ということか。

 食料保管室があり、そこには段ボールが無数にあった。篤郎と手分けして開封し、飲料水と缶詰その他の保存食を適当な空き箱にまとめる。とりあえずは三日分でいいだろう。それでも箱二つにはなりそうだ。

 俺も篤郎も、ほとんど言葉を発さなかった。

 気まずいが、知ったことか。

 俺は子供のお守りをしているわけじゃない。



(続く)

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