第7話

     ◆


 外へ出て扉を閉める。律儀にドアノブが(ロックします)と耳元で囁いた。

 形だけのステップを降り、地面を踏んで呼吸を整える。感覚を研ぎ澄ませる。

 静かだ。風は弱く、建物の周囲の木立では上の方でこそ枝葉がこすれ合うが、地面に近いほど風の影響は失われる。

「ゴースト・スリー、聞こえるか」

 音声認識で、自然と接続されるはずが、雑音しかしない。

 雑音ということは、生きているのか。装置自体が破損すればピーという電子音がずっと続くだけになる。

 生きていても、答えられない。重傷を負ったか、すでに瀕死で意識がないか。

 かすかな音がした。

 反射的に腰に手が伸び、銃把を掴む。

 木立の間の闇から、何かがすぐ見出てくる。

 犬だった。しかも真っ白い犬。かすかな月明かりが何倍にも増幅されているような錯覚。

 ただ、その瞳は赤い。

 拳銃を抜いた瞬間、犬が飛びかかってきた。

 その体が空中にいる間に輪郭が膨れ上がり、巨体となる。俺よりも大きくなった犬は、狼という表現さえも間に合わない。

 銃口はピタリと定まっている。

 眉間の間。

 引き金を引き、ガスが爆ぜる音、吐き出される亜音速弾は俺の感覚が人間離れした目に映るほど遅い。

 空中で大狼が身をひねり、弾丸はその片方の耳を消し飛ばすだけ。

 大きく裂けた口には数え切れない鋭利な牙が並び、その硬質な気配とは逆に生々しい口腔の赤黒い肉は、嫌悪感を与えずにはおかない。

 俺を噛みつかれる寸前に、連続して引き金を引いていた。

 この程度で怯えていては、狩人など務まるものではない。

 七発の弾丸が大狼の頭を抉り、半壊させる。さりげなく二歩ほど後退して、脱力した白い毛に覆われた野獣の死体を避けておく。半ば土と化している古い落ち葉の上に、どす黒い血が広がっていき、それがピタリと輪郭を止める。

 一瞬だった。

 死んだはずの白い巨体が一瞬で黒く染まり、バラバラに崩れて舞い上がる。宙を覆わんばかりになったのはコウモリの群れだ。

 舌打ちした次には俺の意識は研ぎ澄まされている。

 風もないのに、俺の纏っている特殊素材の外套の裾が翻る。

 次には真っ青な光、青い炎が吹き荒れていた。コウモリが悲鳴を上げ、青い炎に取り巻かれたそれは燃え上がり、墜落していく。

 ダンピールの駆使する青い炎は物体を焼くことはない。吸血鬼とその眷属を焼き払う、それだけの異能だった。

 俺の全身にかすかな痺れが走る。

 俺の中にあるV2MMが非活性状態にも関わらず、今も俺自身の青い炎の励起に悲鳴を上げているといったところか。

 さっと手を振ると、コウモリの群れは夜空へ消えていった。

 これで終わりとも言えないのがこの仕事だ。

 敵にはこちらの情報が伝わっている。例の道郎=ウォーレンを殺した奴だろうか。俺が殺すつもりで銀の弾丸をぶち込んでやったが、あの時、奴は霧に化けて逃げて行った。今頃、銀に体の内側から焼かれているかもしれない。そしてその苦痛を与えた俺を、八つ裂きにしたいと思っているだろうか。

「おい、あんた」

 ほんの短い間、思案を巡らして頭上の木立を見ていた俺だが、全く別の方向からの声に反射的に銃口を向けていた。

 全く気配がしなかったが、そこに立っているのは若い男で、風貌には特徴というものがない。

 しかし土気色の顔をしていて、腹部を負傷しているようだ。血の匂いが漂い、腹を押さえる腕も腰から下も血に染まっているのは月明かりの下でも見える。

 ついでに言えば、その装備は俺たちの組織のそれに見えた。

 仲間か。

 ここにいるとすれば、ゴースト・スリーだろう。

「支援要員があんたか?」

 問いかけると、そうだ、と力ない声がある。

「通信装置になぜ反応しない」

「壊れたらしい。頭部にも打撃を食らって」

 ありそうなことだ。

 これで一般人の少年と負傷した仲間を連れて、三人旅になるのか? それは厄介と言うしかない。ガレージの車はツーシーター。トランクも大きくはない。三人での移動が不可能なら一人はここに残るが、少年と俺が離れる理由がない。ではこの負傷した仲間を放置するべきだろうか。

 判断が難しいところだった。現場指揮官に決めさせよう。

 いきなりゴースト・スリーが膝を折り、倒れこんだ。

「おい!」

 駆け寄り、抱え上げてやる。いやに軽い体だ。そしてどこか気だるげな目をしている。

「V2MMは打ってあるか? 活性化するんだ。その負傷は命に関わる」

 そう言うと、男が頷き、目を閉じた。

 しくじった。

 思った時には、男の爪がいきなり伸長すると俺の左肩を貫通している。

「間抜けの混血者め!」

 先ほどとはまるで別人の形相になり、男が叫ぶ。

「シザリア侯爵への無礼を償わせてやる。手足をもいで、それでも延命し、惨めにゆっくりと死ぬが良い!」

 というような趣旨のことを言いたかったようだが、拝聴する理由はない。

 俺の右手の指が複雑な動きをし、V2MMの活性化のキーを入力。

「第一封印、解放」

 全身がカッと熱くなり、その時には俺は自分の肩を貫く化け物の長い爪をまとめて握りしめていた。

 吸血鬼は哀れなことに、まだ自分が主導権を握っていると思っていたようだ。

 その勘違いは、自分の爪が引き抜けないこと、俺の拘束を脱することができないことで、奴にも理解できた。

 先ほどまでの嗜虐的で、傲慢そのものの顔が恐怖に歪む。

「どうした? さっきは威勢のいいことを言っていたな。手足をもいで、とか、そんなようなことを口走ったはずだが、気のせいか?」

 俺はゆっくりと自分の方から長い爪を引き抜く。激痛が走るのと同時に血が流れるが、傷口自体はすぐに癒着を始める。活性化の段階を上げていけばより早い治癒が可能だが、今は消耗を抑えたい。

 人間が吸血鬼に拮抗する、という、吸血鬼からすれば信じられない光景に、やっと自分のもう一方の腕の存在を思い出したらしい。蛇が鳴くような声を立て、哀れな吸血鬼くんが俺の首を跳ね飛ばしに来る。

 なんとも、遅い。

 俺の手の中で吸血鬼の爪がへし折れ、それを一閃してもう一本の腕を切り飛ばしてやる。

「この程度では死なないだろうが」

 翻した手で爪を折られた方の腕も飛ばしてやる。

「安心しろ、ちゃんと消滅させてやろう」

 男の首を握りしめ、俺はダンピールとしての力を解放する。

 俺自身を焼きながら、青い炎が吸血鬼を生きながらに焼却していく。

 絶叫を上げてばたつく男はさすがにデタラメな膂力を発揮したが、俺は力任せに地面に叩きつけて首をへし折り、その上で念入りに焼き殺した。

 最後には灰になり、その灰さえも消えた。

 息を吐いて、連絡を取る。

「イーグル・ワン。敵襲を受けたが退けた」

(こちら、イーグル・ワン。詳細を)

 冷静じゃないか。

「ゴースト・スリーは吸血鬼化していた。無力化し、塵に帰した」

(こちら、イーグル・ワン。了解した。こちらへの情報のフィードバックによれば負傷しているようだが、問題はあるか?)

 問題ね。まぁ、全身が痛むだけだ。

「少し休めばいいさ。指示をくれ」

(こちら、イーグル・ワン。ポイントWUUへ移動せよ)

 ポイントWUU? ここら一帯の地図は無数に分割されている。WUUはすぐには思い出せなかった。地図を確認しなくては。

(ハンター・ワン、聞こえるか?)

「聞こえてるよ。人使いが荒い、と思っただけだ」

(任務だぞ、ハンター・ワン)

 オーケーと答えてから、俺は別荘風の建物の方へ向き直った。

 窓ガラスに張り付くようにして、篤郎がこちらを見ていた。

 やれやれ。

「第一封印、再封印」

 小さく唱えると、全身がずっしりと重くなった。



(続く)

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