第3話
◆
吸血鬼って何ですか?
それが少年の問いかけで、俺は用意していた回答を口にした。
「血を吸う化け物だ。見た目は人間と大差ない。しかし怪力で、動きは素早く、超能力も使う」
少年はまだ疑うような目で俺を見ていた。俺も目を丸くして視線を返してやるが、それは余計に少年を怪訝そうな顔にさせるだけだった。
「さっき見ただろう。ここで。目の前で」
指摘してやっても、少年はどこか、自分は夢を見ている、それもとびきりの悪夢を見ている、と思おうとしている風に見えるのだった。
重大な指摘という奴をしておこう。
「お前の父親、久梨原道郎も吸血鬼だ。力は失っていたがね」
これにはさすがの少年の顔から血の気が引いた。
それもそうだ。自分の父親が人間ではなく、化け物だったと言われているのだ。
「だから死んだ時、その体は塵に帰った。人間なら体は残る」
「信じられない……」
その言葉は、ほとんど無意識に漏れたようだ。そうだろうな、普通は信じられない。
「しかし事実だよ。久梨原篤郎、お前の父親は吸血鬼だ。そしてそれはもう一つ、重大な事実を伴う」
これ以上の衝撃は受けたくないだろうが、ここまで話した以上、絶対に避けては通れない話があった。
「いいか、久梨原篤郎。お前は半分、吸血鬼の血を引いている。つまりお前もダンピールなんだよ」
ぽかんとした顔になり、次に難しそうな顔になり、最後に困惑そのもので、少年が俺を上目遣いに見た。
「それって、僕も、人じゃないってことですか」
思わず俺は声を上げて笑っていた。
なんとも、素朴じゃないか。
「お前がもし人じゃないとしたら、俺も人じゃないことになるな」
「あ! その、すみません、そういう意味では、なくて……」
気にするな、と俺は軽く手を振ってやった。
「俺は確かに人間とは違うが、しかし吸血鬼とも違う。ついでに言えば、俺たちも吸血鬼も人間のふりができる。ならあとは、自分がどう思うかだ。自分は化け物だと定めるか、自分は人間の側だと思い込むか」
「それってつまり、人間じゃないって言っているじゃないですか……」
「気にするなよ。ともかくお前は、純粋な人間じゃない。それは動かしがたい事実だ。覆らない事実と言ってもいい」
俺はゆっくりとソファから立ち上がる。あまり長話をしている場合でもないのだ。
座り込んだまま俺を見ている少年に歩み寄り、手を差し出してやる。
これくらいは許されるだろう。少年はといえば、戸惑いそのままに、俺の手を見たり、顔を見たりしている。
「立てよ。いつまでここで座り込んでいる?」
瞳の中にある恐怖が凝固した漆黒、絶望が凝縮された闇を、俺は直視した。
どんな恐怖があろうと、絶望があろうと、生きている以上は生きなければいけない。
「父親の言葉を思い出せ」
一言、ただ一言が、少年の瞳の中にきらめきを生み出したのが、俺にははっきりと見えた。
少年の小さな手が俺の手を握り、俺も握り返し、引っ張り上げた。
「行くぞ。ここにはいられん」
「ま、待ってください。着替えます」
立ち上がった後は、もう少年は俺の手を必要とせず、飛び出すようにリビングを出て行った。
こうなると俺はどうしたらいいのか、迷うところだ。
久梨原道郎、本名はウォーレン・ハンブルトンという名の吸血鬼は、俺たちの組織に寝返った裏切り者の吸血鬼だった。すでに数百年を生きていたはずだ。
ここ数年は組織のために生物学の中でも吸血鬼にまつわる研究に、遠隔通信で参加していた。
組織もそこは抜かりなく、道郎=ウォーレンのタブレットをはじめとする電子端末にまつわる、全てのデータがリアルタイムで複製されている。今、周囲を見てみると電子機器を奪われた痕跡はないが、タブレットが部屋の隅で半分に割れて転がっている。あの中のデータも組織にはバックアップがあるので、いちいち回収する必要はない。
キッチンの方へ行くと、電子レンジで温める寸前だったのだろう、皿にコロッケが十個ほど載せられ、ラップがかけられている。ラップには埃が積もっていた。
今から電子レンジで温めるのもおかしいし、というか、他人の家で勝手に電子レンジを使うのは気がひける。
まぁ、他人の家の中で吸血鬼と戦う方が厄介で、迷惑だろうが。
ラップを剥ぐと、コロッケは無事なようだ。夕食どきで、食事をする暇もなくここへ来たので腹は空いている。一つくらい許されるだろう。コロッケは食べてみると冷えてはいるがなかなか美味い。まさか道郎=ウォーレンが作ったわけもないから、惣菜だろうか。
「あの」
リビングの方から声がしたので、そちらへ行くが、少年が何か胡散臭そうに俺を見ている。
ああ、そうか、コロッケの皿を持ったままだった。
「食うか?」
皿をちょっと上げてそう言ってみると、食べます、と少年がコロッケを一つ取り、あっという間に咀嚼すると、もう一個、さらに一個と口へ運ぶ。
途端、少年が涙を流し始めた。泣きながらコロッケを食べる奴は初めて見た。
きっとただのコロッケじゃないんだ、と想像できたが、俺が一つ食べたのは、こうなるとなんとも後ろめたかった。
ぐっとまだコロッッケが残っている皿を少年に押し付け、「行くぞ」と俺は廊下に出た。
少年の足音が後をついてくる。
この少年は、これから未知の世界に踏み出すのだ。
俺が生きる世界と同じ場所に。
(続く)
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