第2話

      ◆


 俺は着地と同時に、ナイフを突き出す。

 銀合金の白刃を、まるで背中に目があるように金髪の男が回避する。

 完全に視界の外だったが、この程度は日常茶飯事だ。俺も織り込み済みである。

 複雑な軌道で切っ先を追尾させるが、男は身を翻して壁際でこちらに向き直った。

 その男の右腕は血で赤く染まっている。その血の主、この家の家主は腹に穴を開けられ、今、ようやく両膝をついて崩れ落ちた。

 もちろん、それを見守っている俺でもない。

 腰の後ろから拳銃を抜きざま、三連射。

 躊躇いはないし、当然、命中率の高い胸を狙った。

 だが長い金髪の尾を引いて男がこちらへ逆に向かってくる。その中で、弾丸は器用に回避されている。亜音速弾はこれだからあてにはならない。

 肉食獣が襲い掛かる光景を連想しながら、男の両手の爪が長く伸び、鋭角の先端が突き出されるのを冷静にナイフで弾き返す。

「狩人め! もう遅い!」

 男の毒気を含んだ声に、俺は何も答えなかった。

 全身の力を込め、爪をへし折り、ナイフをその首元へ突き込む。

 それを背を逸らして男が避ける。

 俺のもう一方の手がそこへ銃口を向ける。

 男はどんな姿勢でも弾丸を回避できる、そう思っただろう。

 しかし俺は意図的に不完全な体勢を選び、選んだが故に可能な足技で男の両足を刈っていた。

 空中にいては、回避など無理だ。

 大口径弾の三連射、更に三連射。これで弾倉は空になった。

 排出された弾倉が床に転がる時、金髪の男も背中から床に倒れ込み、しかし一瞬で黒い霧になって消えている。

 ナイフを脇の下の鞘に戻し、拳銃に新しい弾倉を装填した。違法と言っていい高出力ガス銃は亜音速で弾丸を吐き出すため、静音性が高い。もっとも、亜音速弾など連中にとっては豆鉄砲だ。

 周囲を確認し、何もないのを把握してから、倒れている男へ歩み寄った。

 俺の顔を見て、既に死人のような顔の中年男性が、かすかに笑った。

「きみか……」

「すまない」

 短い言葉で俺は心から詫びた。あとほんの少し、早く到着していれば別の可能性もあったのだ。 

 そんな俺を安心させるかのように、男が頷く。

「息子は、無事、か……?」

 ずっと意識の隅にあったこの場にいる第三者に俺は視線を向けた。

 床にへたり込んでいる少年。情報では十六歳になるはずだ。

 目の前で展開された事態に全く思考が追いついていないのだろう、目を見開き、口はぽっかりと開いている。しかし生きているし、怪我もないようだ。

「無事だ」

 話をしたいだろうと俺は判断し、少年に手招きした。

 がくがくと頷いてから、四つん這いで少年がすぐそばへ来た。

 父さん、と漏らしただけで、あとの言葉は続かない。

「最後の言葉だ、よく聞いておけ」

 思わず俺が口を挟んだのに、少年は困惑そのもので俺を見て、彼の父はこんな状態でも俺にうっすらと笑った。

 まるで覚悟していたように。

 彼の光を失いつつある視線が、息子に向けられる。

「篤郎」

 意外にはっきりした声の父に子が視線を向けるが、怯えきっていた。

 こうしている今も、親子を中心に赤い血だまりが広がり、それはまるで二人が奈落の上に浮いているような光景に俺には見えた。

「正しく、生きなさい」

 そう言って緩慢に父親があげようとした手を、息子がとっさの動作で握りしめる。

 俺が見ている前で、親子は手を強く握り合い、そして父の手からは力が抜けた。

 それから起こったことは、常識を超越した光景だったが、それは俺には当たり前だ。

 中年男の体が輪郭を滲ませたと思うと、それは灰のようなものに置き換わっていく。その灰さえも虚空へ消えていく光景は、幻想的ですらある。

 少年の手の中から父の手は消え、目の前からその肉体も消え、その血の一滴までもがやがては消えた。

 残されたのはめちゃくちゃに破壊された、ついさっきまでは平和な日常そのままだっただろう、どこにでもある家庭の、よくあるリビングの残骸だった。

 状況を理解するのに時間が必要だろうと思った俺はゆっくりと立ち上がり、すっ飛んでいたソファを引っ張り上げて元に戻し、腰を下ろした。

 少年は目の前に落ちている衣類だけを見つめ、まだ座り込んでいた。

 こういう時、タバコでも吸いたいものだが、数年前に禁煙した。酒も飲んでいない。俺にとってはどちらも弱い刺激と言える。

 生死の境に進んで望むような生き方をしているのだ。悲惨と言っていいレベルの感覚の麻痺は、俺のような稼業のものには多く見える傾向である。

 少年が緩慢に周囲を見て、何かを飲み込もうとしているのを俺は頬杖をついて眺めた。

 そうして少年は俺に視線をやっと向け、涙でいっぱいの目でこちらを見た。

 何も知らなかったとはいえ、父の消失を前にしても堪えて涙を流さないのは、立派じゃないか。

「さっきの男が何者か、知りたいか?」

 そう声をかけてやったが、少年は無反応だ。

「知りたいのか? それとも知らないままでいたいか? 今、答えろ。今、決めろ」

 できるだけ冷酷な声を作ってやったが、そのせいか少年は明らかに怯えの色を深くした。

「勇敢な父親に泥を塗るな」

 そう言葉を付け足してやると、少年は思い出したように服の袖で顔をぬぐった。その次には、表情には痛々しいが気丈なものが現れた。

「教えてください」

 声もはっきりしている。

 意外に根性はあるようだな。

「あの男はな」

 俺の言葉に少年は、わずかに眉をひそめることになる。

「あの男は吸血鬼だ」

 沈黙の後、少年は無言になり、そして次には疑り深そうに俺を見た。

「あなたは、何なんですか?」

 俺や仲間たちが最も苦手とすることは、吸血鬼の実在の説明と、自分たちの説明だった。そしてこれは避けて通れないのだ。

「俺は、ダンピールだ。吸血鬼を倒す、狩人さ」

 やっぱり少年は意味不明、理解不能という表情だった。

 こうしてリビングがまるで爆弾を放り込まれたような有様になっていても、俺の言葉を信じられないのは、果たして、正常か、それとも異常か、俺には判断がつきかねた。

 もっと容易に説明できればいいのだが。

 思わず舌打ちをして、俺はもう一度、頬杖をついた。

 少年はわずかに俯き、思案しているようだ。

 待つしかあるまい。



(続く)

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