第352話 ジュノー卿の判断
先程まで、あの蛇蝎の様に嫌っていたカイレルに婚約破棄を言い渡した事で、悦に浸っていたマルティナであったが、ジュノー卿の登場で、そんな浮かれた気分は、水を掛けられたように一気に静まり、今は脅えたように目を伏せている。
「マルティナ」
「…はい…お父様…」
感情の読めない無表情でマルティナを見据えるジュノー卿に対して、マルティナは視線を合わせないように目を伏せたままだ。
「先程、お前の婚約者であるカイレル殿が引きずられていったが、その前にテントの中から、お前の婚約破棄を言い渡す言葉が聞こえたのだが、お前が言ったので間違いないか?」
ジュノー卿は表情をピクリともさせずにマルティナに訊ねる。
「…はい…間違いありません…私が言いました…」
マルティナはジュノー卿に視線を合わせず、まるで自供する犯人の様に答える。
皆はマルティナが自身で、婚約破棄までの経緯を説明して、弁明すると思って、固唾を呑んで見守っていたが、マルティナは一言も自身の弁明を行わずに答えたので、皆はその光景に目を見開く。
「それは、お前が自分の意志で決めたのだな?」
ジュノー卿は更にマルティナを問い質す。
「はい…自分の意志で決めました…」
またしても、マルティナは弁明を一切せずに答える。
マルティナは一体、何を考えて弁明をせずに答えているのであろうか…確かに今回のイベントの成功を見れば、マルティナがゲーム通りに追放されたとしても、実家の力を借りずに生きていくことはできる。だからと言って進んで追放されるような言動をする必要はない。
どうして、マルティナは自らの弁明を行わないのか… もしかして、マルティナは今までの生き方を反省して、追放されることによって、その贖罪としようと考えているのか?
分からない…贖罪のつもりかも知れないのは、あくまで私の憶測であって、本当のマルティナの考えではない。本当なら今すぐ、マルティナに真意を問い質したいところであるが、この場の状況ではそんな事はできない。
私は二人のやり取りを見守る事しかできないのか?
「そうか…」
ジュノー卿はそう一言呟いて目を閉じる。きっとマルティナの処遇を考えているのだろう。
そして、ふっと息を吐き、再びマルティナを見つめる。皆が固唾を呑んで見守る。
「それでは、お前…」
「待って下さい!!!」
私はジュノー卿の言葉を遮るように声をあげる。その言葉の続きを言わせてはダメだと思ったからだ。私の突然の声に、ジュノー卿がピクリと眉を動かす。
「君はレイチェル嬢だったね、一体、どうしたのかね?」
ジュノー卿は私を無視せずにこちらに向いてくれた。これなら時間稼ぎができる。
「今回のマルティナの婚約破棄は、マルティナが身勝手に決めた事ではありません!! 婚約相手である、カイレルが婚約者として不適切な言動を繰り返して行っていたためです!」
マルティナが自身を弁明しないのなら、私がすれば良い!
「そうですわ! ジュノー卿! マルティナは悪くはありませんわ!」
コロンもマルティナの為に声をあげる。
「そうですっ! ジュノー卿! カイレルが悪いのですっ!」
ミーシャもマルティナの為に声をあげる。
「カイレルの普段からマルティナに対する言動は目に余るものがありましたわ」
テレジアも声をあげる。
「そうです、カイレルの様な男を婚約者としている方が、家名に傷がつきますよ」
オードリーも冷静に声をあげる。
こうして、私たちはジュノー卿を取り囲むように詰め寄る。
「ふむ…私の知る情報通りの話だな…」
ジュノー卿はそんな事は知っていると言わんばかりに見える。それでもジュノー卿はマルティナの追放を曲げてくれないのか? 私たちの表情が曇る。
「マルティナ」
ジュノー卿は再びマルティナを見る。しかし、今度はマルティナは目を伏せずに、ジュノー卿の目を見ていた。
「はい、お父様」
その目は、自分の為に声をあげてくれた友に答える目であった。
「お前の好きにするがよい」
皆がその言葉に固まった。恐らく、どういう意味か分からなかったと思う。
「えっ?」
困惑したマルティナが声を漏らす。
「だから、お前の好きなようにするがよい」
再びジュノー卿がマルティナに答える。
「そ、それは…追放と言う意味で?」
マルティナが困惑しながら訊ねる。するとジュノー卿がその言葉に片眉を大きく動かす。
「何故、私がお前を追放せねばならん?」
「えっ? でもだって、公爵家との婚約を破棄したから…」
自分で追放理由を述べながら、マルティナは頭が混乱しているようだ。
「私の情報や、ご友人の皆さんの話の通り、このままカイレルとの婚約を続けるには問題がある。だから、お前の好きなように、このまま婚約破棄の手続きを進めれば良いという事だ」
ジュノー卿のその言葉にマルティナ本人は呆気に取られているが、私たちには笑顔が広がっていく。
「では、婚約破棄をしたら追放されると思い込んでいた私は…」
「それは取り越し苦労であるな、婚約破棄で追放するのならば、ウリクリの件で、お前は幼児の時に追放されておる」
「えぇぇぇ…」
マルティナは気の抜けた声をあげて、そのままへなへなと地べたにへたり込む。恐らく心配していたことがただの杞憂だと分かって、緊張が途切れたのであろう。
「マルティナ…」
ジュノー卿はそんなマルティナの前まで進み出て、片膝をついて、マルティナの肩に手を乗せる。
「この際だから、お前に言っておきたい事がある」
へたり込んでいたマルティナは顔をあげてジュノー卿を見る。
「マルティナ、私がお前に情が無く、お前の事を嫌っていると思い込んでいるな?」
「そ、それは…」
マルティナが目を伏せる。
「隠さずともよい。私は感情表現が苦手だからな…そう思われても仕方がない。だが、そうではない…」
マルティナはゆっくりとジュノー卿を見る。
「子供が嫌いであれば、九人も子を作らん」
あっ確かにそうだ… 他の貴族の家でそんな子沢山の所は聞いた事がない。
「確かに学園でお前が倒れた時に、私は一度もお前を見舞ってやることはしなかった。だか、何もかも投げ出して狼狽えながら子供の所へ駆けつけるのが、親のするべき事では無いと私は考える。私にはお前の他にも8人の子供がいる。それに領民たちの事も考えなばならん立場だ。それはお前の母も同様だ」
理屈は分かるが納得しづらい言葉だ。
「かと言って、お前を見捨てていたわけではない。私はお前を私の代わりに一番信用のおける者に託していた。そうだな、シャンティー」
そう言って、ジュノー卿はシャンティーの姿を見る。
「はい、ナクロンお兄様」
そう言ってシャンティーはジュノー卿に答える。
「ん? えっ? えぇぇぇ!!! シャンティー! 今、お兄様って言った?」
マルティナは慌ててシャンティーに向き直る。
「マルティナ、今まで黙っておったが、シャンティーは私の父が市井で成した、私の妹だ。ちゃんとした貴族に戻してやろうと思ったのだが、貴族になるのは面倒といいよってな、だから、間を取ってお前の侍女としてついてもらっていたのだ」
「じゃあ…シャンティーって…私の叔母さんになるの?」
マルティナは混乱しながらジュノー卿とシャンティーの間で視線を右往左往させる。
「マルティナ様、叔母さんはおやめください」
「どうだ、シャンティーは私に良く似ておるだろ?」
マルティナは二人の顔を見ながら、衝撃の事実に呆然とする。
確かに…シャンティーのポーカーフェイスな所や口数の少ない所、何を考えているか分からない所はそっくりだ。しかし…ジュノー卿と血の繋がった妹だとは思いもしなかった…
「マルティナ様、私は私生児として貧困に苦しんでいたところを、お兄様に助け出してもらって、この上ない感謝を感じております。だから、その御恩をお兄様の大切な娘であるマルティナ様を見守る事で返していたのでございます」
シャンティーはそう言って、珍しく笑顔を作る。
「私もそんなシャンティーだからこそ、私の代わりとしてマルティナを任せていたのだよ」
その言葉を述べるジュノー卿の口角が少し上がって見えた。
「そうだったんだ…私、愛されていたんだ…見捨てられてはいなかったんだ…」
マルティナは微笑みながら涙を流していた。
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