第350話 誰が女神様?

 私たちは突然、大きな花束を持ったカイレルの登場と、その発言内容に理解が及ばずに唖然としていた。


 カイレルは一体誰の事を我が女神と言っているのだ?


 私たちは互いの顔を見回す。マルティナは…いまはマリンクリンの姿であるが、以前から悪辣な噂を流す程なので、その対象では無いだろう。コロンもアレン皇子と一緒になって口汚く罵っていたので違うと思う。


 では、テレジア? 


 テレジアは無言で首を横に振りながら、側にいるウルグの手を握り締めている。この状態で元?仲間であるウルグの婚約者に我が女神と声をあげたりしないだろう。


 ミーシャはどうか? ミーシャは場の空気を察して、ラビタート卿がカイレルから隠して、独り占めする様に抱きしめている。


 残るはオードリーか? しかし、カイレルの視線の向きからすると、オードリーの方角には向いていない…


 では、一体誰の事なのか…


 そう思って、皆を見回していると、皆の心配そうな視線が私に集まってくる。


 

 嘘!? 私!?



 注目する皆の視線から目を逸らす様に前を向くと、カイレルが私の方に向いているような気がする。確かに学園に入学した当時は、攻略対象達がちょくちょく私に声を掛けて来て、カイレルもその一人であったが、それからの交流はなかった…いや、あったわ…


 学園祭でコンサートをする事を決めてから、一度声を掛けられた。もしかして、あの時から私の事を狙っていたのか?


 マズイ! それは非常にマズい!


 マルティナはもうカイレルと婚約破棄をするつもりであるが、それでもマルティナの前でまだ婚約破棄をしていないカイレルに、こんな大きな薔薇の花束を渡されて、我が女神とか言われるのは、気まず過ぎる。そもそも、私もこんなクソ眼鏡はいらない!


 しかし、そんな私の胸の内を知らずに、カイレルは花束を持ちながら顔を赤らめて、こちらに進んでくる。


「こ、困…」


 私が困りますと言いかけた瞬間、カイレルは私の横を通りすぎて、その奥の人物へと進んでいく。


 私ははっと、気を取り直して、皆を見回す。すると先程の心配そうな視線とは異なり、憐憫のような視線が私に集まってくる。


 もしかして…私が自意識過剰になっていただけ?…


 そう思うと、恥ずかしさでかぁーっと顔が熱くなってくる。


「レイチェル様…大丈夫ですか?」


 エマが心配そうに三角眉毛をハの字にして、私に気づかって声を掛けてくれる。


「エマ…」


 私はおもむろにエマの背中に手を回して抱きしめる。


 やはり、私にはエマだけだ…


 そう思いながら、カイレルの行き先を見定めるために振り返る。すると、カイレルはマリンクリンの姿に扮したマルティナの前に、片膝をついて跪いていた。


「えっ?」


私はその光景に思わず声を漏らす。


「おぉ! 私の女神よ!! 私はカイレル・コール・カルナスと申します… 街角で貴方の御声を聞いた時から、私は貴方の虜になって、恋の奴隷となりました…」


 私は新手の冗談かと思ったが、カイレルの様子は、ジュリエットに愛を語るロミオの様に真剣そのものである。信じられない…


 その様子にマルティナは顔を引きつらせていたが、コホンと咳ばらいをして気を取り直す。そして、マリンクリンの姿のままで、地声ではなく、マリンクリンの声色でカイレルに話しかける。


「えっと…これは一体、どういった意味の事なのでしょうか?」


 マルティナは地の素振りではなく、ミーシャにあざとさを説明した時のように、あどけない少女を装って尋ねる。


「私は街角で貴方の声を聞いて恋の虜になった…そして、今日、貴方のコンサートに来て、実際の貴方の姿と見て、その肉声を聞いて、私は確信したのです… 貴方が私の運命の人であると… だから、こうして愛の告白に来たのです!! どうか! 私の伴侶となって下さい!!」


 自分の世界に入り込んで酔ってマルティナに花束を差し出すカイレルの姿に、皆は目が点になって、唖然とする。


 カイレルは本当にどういうつもりで言ってるのか…マリンクリンがマルティナだと分かって言っているのか…それとも分からずに別人と思い込んで言っているのかどちらなのであろうか?


「あ、あの…それはこの私、マリンクリンに対して、仰っておられるのでしょうか?」


 マルティナはうぶな女の子が戸惑うような素振りをして尋ねる。


「勿論ですとも!! このカイレル、貴方だけしか目に映りません!!」


 カイレルは自信満々にマルティナの前で宣言する。


「でも…カイレル様は婚約者がおられる身… そんな決まった人がおられる方の告白を受け入れる訳にはいきませんわ…」


 マルティナは貞淑な乙女を装って、困ったそぶりを見せて答える。多分、マルティナは楽しんでやっていると思う…


 しかし、次のカイレルの言動によって、カイレルが、マリンクリンをマルティナだと知って告白しているか、そうでないかが分かる。


 皆、その事を確認する為に、固唾を呑んで、カイレルの次の発言を見守る。


「あぁ、あんな奴の事はどうでもいいのです!! 貴方が気にするような存在ではありません!! そもそも、無理矢理に婚約させられたものですし、私はあのような者には元々、興味ありません!!」


 皆、カイレルの発言に目を見開く。


「でも、カイレル様はそう思っておられても… あちらはそうではないかも知れませんよ?」


 まだまだ、カイレルの悪行を暴くには、自白がまだ少ないと考えたマルティナが更に話を続ける。


「そんな心配はいりませんよ、アイツはとんでもない売女ですので、なんでも学園の中で複数の男と一度に交わるよな汚らわしい女です! 慰謝料をせしめて婚約破棄を言い渡してやるつもりですよ!!」


 僕ちゃん被害者のつもりで言っているのであろう… 当の本人を目の前に…


 マルティナの眉がピクリと動いた。


「そのような方が学園におられるとは思いません。誰か彼女に悪意を持つ人物が流した根も葉もない噂なのではないですか?」


 しかし、マルティナは我慢して、純粋で貞淑な少女の素振りを続ける。


「そんな事はありません!! 相手の男から直接その話を聞きましたから!!」



 言った!! ついに言った!!


 

 もうこれは逃れられようもない、自白の証拠である。婚約者とそのような事をした人物にそのような事を言われて黙ったままであれば、婚約者としての尊厳など無いし、その相手が分からないと言えば、事実確認できない話を流したのはカイレル本人となる。


 先程まで、興味本位でカイレルの事を見ていた、皆の顔つきは険しい物へと変わっていく。


「なるほど… それでその男はどうされたのですか?…」


「ははは、厄介者を引き受けてもらいましたので、特に何もしませんでしたよ」


 カイレルは悪びれずに言い放つ。


「そう… 分かったわ…」


 マルティナはポツリと呟く。


「私の不幸な婚約を分かって頂けたのですか!?」


 カイレルは期待に満ちた瞳をする。


「えぇ、あんたがどうしようもない、クソ眼鏡って事がね!!!」


 そういって、マルティナはカイレルの目の前で、変身を解き、普段のマルティナの姿へともどった。



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