第117話 失意

 私に仕掛けられた魔法陣は、私の命をすぐに奪うものではない。『アイツ』が解放された時に、先ず先生が鎖になってそれでも拘束する事が出来なければ、私の心臓の鼓動が止まり私は死に至る。それが、知人や大勢の人の命を救うことになるのは分かるし理解もできる。


 だか、不意打ちや騙し打ちの様に、私に施術したことが納得できなかった。


 では、予め説得していれば、受け入れられたのであろうか?


 分からない…理性では理解できるが、感情ではやはり納得できない…今の私に分かる事はそれだけである。一度、施術の時に首から掛けられた首飾りを外そうと試みたが、まるで磁力のような力が働いて外す事は出来なかった。これは首輪の代わりとでもいいたいのであろうか。


 生きとし生けるものは、いつか死に至る。しかし、普通の人はいつだか分からない死が訪れる時に感情を揺れ動かして、恐れ悲しんだりはしない。だが、余命宣告をされた場合には、全く異なってくる。日々、時間が過ぎる事が、確実に死に近づく事を意識して、恐れ悲しみ、苦悩の日々を送ったり、呆然とした日々を送ったりする。


 現代日本とは異なり、治安の悪いこの世界では、一般人も貴族も命を狙われるトラブルが常に存在する。私自身、この学園に来てから既に二回もそんな機会に関わっており、その為に既に二本の鎖が千切れている。


 なので、私にとって、この魔法陣は余命宣告をされたのに等しいのだ。


 世界は変わらない。いつもと同じ空に、同じ建物。いつもと同じ人がいる。


 しかし、私は変わってしまった。正しくは世界を感じ取る私の心が変わってしまった。


 昨日まで、物事が順調に進んでいると思い込み、そして浮かれて、目に映る全ての物が鮮やかに光り輝いて見えていたような気がする。しかし、今ではその鮮やかな色彩は酷く褪せて、輝いて見えていたものは、薄暗く澱んで見える様になった。


 世界は私にとって意味をなさない存在のように思えた。


 私の身体から心臓の鼓動は聞こえてくる。しかし、私の心の感情は揺れ動きもしない。


 私は身体は生きているが、心は死んでしまったのであろうか…だから、死人にはもうこの世の事など意味をなさなくなったのであろうか…


「さぁ、レイチェル様っ! 朝ですよっ! 授業がありますよっ!」


 エマが私を起こしてくれて、制服に着替えさせてくれている。


 いままでは、このエマのくりくりの瞳が愛おしく思えたが、今は何も感じない。


「レイチェル! 迎えに来たわよ! さぁ、一緒に学園に行きましょ!」


 マルティナが私の手をとって、学園へと連れ立ってくれる。以前、マルティナが握ってくれた手はあんなに暖かく感じる事が出来たのに、今は何も感じない。


 別に学園で授業を受ける気力もないが、マルティナのその手を振り払う気力もない。


 今の私は今までの私ではなくなった、亡霊か意思のない人形のようなものだ。


 ただ、私の周りの人々に動かされて、その場所にいるだけの存在だ。


 でも、マルティナやエマは普段と同じように私と接してくれる。


 前に一度、人形のコレクターと話をしたことがあるが、そのコレクターが言うには、人形そのものには本来は意思も感情もないのかもしれない。だが、所有者や人形を見る者にとっては、その人形に意思や感情を感じるそうだ。それは、所有者や人形を見る者が、自らの心の中に、人形の人格を作り上げて、その為に人形の意思や感情を感じる様になるそうだ。


 いわば、頭の中に自分とは異なるもう一人の人格を作り出す、子供の頃のイマジナリーフレンドや、二重人格に近いそうだ。


 マルティナやエマは以前の私と同様に接してくれているのは、そのイマジナリーフレンドの様に、彼女たちの中の以前の私の人物像に対して行っているのであろう。


 私は、マルティナと並んで教室の席に座り、授業が始まると、無意識に板書を書き写し始めている。長年の習慣と言うものは、こんな時にでも働くものだ。もう、授業を受ける意味も、板書を書き写す意味も私には全くないというのに…


 その後も授業を受け、お昼には食堂で昼食を採る。こんな時でも空腹感は感じるので、私は食事を口にするが、どの食事も味が感じられない。私の目の前のトレイには私の好きだったものや、少し苦手だったものもある。しかし、それら全て等しく味が感じられない。ただ空腹を満たすためのものでしかない。食事も呼吸と同じく、美味い空気とか不味い空気とかなく、ただ身体を動かす為に必要な行為でしかなくなった。


 だが、私の側にいるマルティナは私が食事を取ることについて、安堵し安心している様子であった。とりあえずは私の身体の身体活動は継続し続けるのだから。


 

 そして、学園での授業が終わり、私は朝と同様にマルティナに手を引かれて寄宿舎に戻る。そこで夕食と入浴の時間まで、いつもの応接セットのソファーの上で、マルティナの話を聞き続けていた。マルティナはコロコロと表情を変えながら、私に色々な話をしてくれる。時々、エマやシャンティーも話に加わって、三人が楽し気に話を続ける。


 夕食の時間が来くると、いつもの寄宿舎の食堂ではなく、今日は私の部屋で摂る事となった。いつもは私たちの後にメイドのエマとシャンティーが食事を摂るのだが、今日は皆で食事を摂る事となった。夕食の時も三人は楽し気に会話をしながら食事を摂っている。


 私は、昼食の時と同様に、ただ空腹を満たす為だけに食事を口元に運んだ。


 入浴の時間は皆で一緒に行くこととなった。いつもなら大浴場の入浴も心と身体を解きほぐす解放感を感じる時間であったが、今は身体を清潔に保つだけの行為でしかない。私は早々に湯船から上がると身体を拭いて着替え始めた。


 その後、再び自室に戻り、寝るまでの時間、また皆との談話の時間が始まるかと思った。


 しかし、マルティナはソファーから立ち上がり、ゆっくりと私に近づき、私の両肩に手を乗せる。


「ねぇ…レイチェル…」


 マルティナは顔を伏せながら、私の名を呼ぶ。


「ねぇ…レイチェル…返事をしてよ…」


 マルティナの声は震えている。


「いつもの様に話してよ…いつもの様に笑ってよ…いつものレイチェルに戻ってよ!!!」


 頭を上げたマルティナの顔は涙を流しながら泣き崩れていた。


「私…馬鹿で単純だから…全部が全部、レイチェルの気持ちは分かってあげられない…でも、レイチェルがあんなものを仕込まれてショックだったのは分かるわ…」


 マルティナは、転生してきたときも、男たちに攫われた時も、こんなにも悲しくて苦しそうな顔をしたことがなかった。なのに何故、今はそんな顔をしているのであろう。


「でも…でも…レイチェル…貴方はまだ死んではいない! 生きているのよ!!!」


 マルティナのこんなに辛そうな声も初めて聞く…どうしてそんな声を出しているの…


「ねぇ!! レイチェル!!! ねぇったら!!!」


 マルティナの私の肩を掴む手の力が強まり、私を大きく揺らす。


「お願い!! 元のレイチェルに戻って!!!」


 私の身体が大きく揺れ動かされて、私の髪の中から何かが床に落ちる。


「えっ!?」


 マルティナは私の髪の中から落ちたものに驚いて手を止める。


「な、なにこれ!?」


 私はマルティナの声に反応して床に落ちた物を見た。


「…リーフ?」


 そこにはまるで糸の切れた人形のように、床に横たわったリースの姿があった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei


ブックマーク・評価・感想を頂けると作品作成のモチベーションにつながりますので

作品に興味を引かれた方はぜひともお願いします。


同一世界観の作品

異世界転生100(セクレタさんが出てくる話)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054935913558

はらつい・孕ませましたがなにか?(上泉信綱が出てくる話)

https://kakuyomu.jp/works/16816452220447083954

もご愛読頂ければ幸いです。

※はらついの次回は現在プロット作成中です。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る