第064話 老人と娘

「そんなに気を落とす事はないわよ、レイチェルさん」


 後片付けを始めているテレジア嬢が私に慰めの言葉を掛ける。


「はぁ、すみません、一人で魔力が尽きてしまうなんて」


 私は肩を落としながら答える。


 今日の治療の中で、軽傷の患者さんの治療を任されたのだが、私はたった一人の擦り傷程度の傷を癒すだけで、魔力が尽きてしまったのである。


「レイチェルさんは魔力量はそこそこありそうだけど、あんなに大盤振る舞いで放出していたら、すぐに魔力が尽きてしまうわよ。もっと患部に搾って放出しないと」


 テレジア嬢の仰るとおりであるが、私にはそう出来ない理由があった。


「すみません、私は魔力を目視出来ないのです…」


 私は恥じらいながら、自身の欠点を告げる。


 今までは、感覚的な感じで、魔力を行使してきたが、テレジア嬢の様な繊細で精密な魔力行使をしようとすれば、魔力が目視出来ないと行う事は無理であろう。


「あら、そうなの? これは困ったわね、魔法の授業の先生に相談してみてはいかがかしら?」


「はい、そうしてみます」


 私たちがそんな話をしていると、表の方からテレジア嬢を呼ぶ声が聞こえる。


「おーい、テレジア、迎えに来たぞぃ」


「あっ、おじい様だわ」


 彼女の顔が明るくほころぶ。


「侯爵令嬢であるテレジア様のおじい様という事は、もしかして前侯爵当主!?」


 私は落ち込んでいた背筋を伸ばし、慌てて身なりを整える。


「うふふ、私のおじい様にそんなに気を張らなくても大丈夫よ」


 慌てる私を見て、テレジア嬢は微笑んで言葉を掛ける。


「テレジア、ここにおったのか、おっ、そこにいるのはテレジアのお友達かな?」


「はい、おじい様、私の同級生のレイチェル・ラル・ステーブ嬢ですわ」


 そこにいたのは威厳と気品に満ち溢れた貴族男性ではなく、疲れた憲兵の制服を纏った、きゃしゃで、少し腰の曲がった、どこの下町にも居そうな老人の姿であった。


「初めまして、私はレイチェル・ラル・ステーブと申します!」


 私はその老人の姿に一瞬、呆然としたものの、礼儀作法に則った、上位貴族に対する礼を行う。


「躾の良くできた、ええ娘さんじゃのう、黒髪のところも故郷の幼馴染みたいでええのぅ~ わしはカイ・ミレ・アドリーじゃ、孫と仲良くしてやってくれないか」


「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 私がカイ老人に頭を下げていると、最初に受付してもあらった看護婦がやってくる。


「今日はお疲れ様です、制服を返してもらえるかしら、それと、貴方、今後も来てもらえるの?」


「はい、お手伝いさせて頂きます」


「よかったわぁ~、で、貴方、お名前は?」


 えぇ…最初ではなく、帰る直前になって初めて私の名前を聞くのか…


 私のその顔を見て、テレジア嬢がクスクスと笑う。


「ここに来るほとんどの学生は、次の日には来なくなるから、看護婦のネルさん、怒っちゃって、続けると言わないと、名前を聞かないのよ」


「そうよ、学生だからといって、仕事を甘く見過ぎだわっ!」


 看護婦は制服を受け取りながら、ぷんぷんになって言う。


「そちらのお嬢さんも今日はあがりじゃな? どこまで帰られるのかな?」


 カイ老人が私に尋ねてくる。


「はい、学園の寄宿舎まで戻ります」


「あぁ、学園か、もう遅いから、わしと孫娘とで、駅馬車の停留所まで送ってやろう」


「いえいえ、そんな私如きに御足労頂くなんて」


「ははは、逆に年頃の娘さんを安全な所まで送ってやらにゃ、男の名が廃るってもんだ。お嬢さん、年寄の我儘を聞いてくれや」


 カイ老人は私に気を遣わせまいと、逆に気を使って下さる良い方だ。


 私は前世の玲子時代と、今世のレイチェル時代の両方で、祖父と言う存在を見ていない。しかし、祖父と言う存在がいるならこんな人が欲しいと思う。


「では、お言葉に甘えさせていただきます。カイ様」


「ははは、わしの方こそ、お嬢さんと、私の孫娘とで両手に花じゃ、わしの方から金でもはらわにゃいかんぐらいだ」


 カイ老人の言葉に皆で笑い声を上げる。その後、診療所を後にして、私たち三人は、停留所に向けて歩き出す。


「それにしても、テレジア様は随分と治療になれておられましたね」


 私は停留所の道すがら、テレジア嬢に話しかける。


「私はもう一年ほど、あそこの診療所で働いているから」


 テレジア嬢は憂いのある笑顔で答える。


 一年ほど? 私たちはまだ入学して一か月ほどなのに、一年も働いている? テレジア嬢は私と同い年だから留年したという事も無いはず。


「私はね、学園の奉仕学生ではなく、治療術師として、一年前から国からお給料を頂いて、あの診療所に務めているのよ」


 テレジア嬢は少し恥ずかしそうにそう答える。


 私は彼女のその言葉で、あのゲームの設定を思い出した。


 確か、テレジア嬢の家は早くに事故か事件で両親を失い、唯一の子供だったテレジアでは家督が継げない為、祖母の弟である叔父が家を引き継いだ。その時に資産をほとんど全て叔父に巻き上げられて、テレジア嬢は名ばかりの侯爵令嬢でお金に困る生活をしていた。


 唯一、彼女の面倒を見たのが、彼女の祖父であり、今、私を送ってくれているカイ老人なのである。確か、このカイ老人も元々は貴族でなく、冒険者であって、彼女の祖母の婿養子になったと、ゲームの中の設定では記されていた。


 先程から、テレジア嬢が憂いた表情を浮かべていたり、少し恥じらいながら自分の事情を話しているのは、自らの状況に負い目を感じているのだろう。叔父に家督は奪われたとは言え、本来の継承者は彼女本人である。その侯爵令嬢が下町で仕事をして、その祖父も恐らく下町で日本で言う所のお巡りさんのような、憲兵の仕事をしている。本来の貴族であればありえない状況である。


 確か、ゲーム本編内でも彼女が『悪役令嬢』となって、『攻略対象』のウルグに固執するのは、彼女の置かれている状況から脱するためのものだった。叔父に奪われた家督は諦め、公爵家の人間と結婚することで、家督争いからも、貧困な状況からも脱出し、愛も得られる。私が彼女の立場であっても同じことを思うであろう。


 以上の事を踏まえて、私は診療所で働く彼女が立派だと思う。今日一日、彼女の仕事を見ただけでも、彼女は現状にめげもせず、腐りもせず、治療を施すことにおいて、その技量を申し分なく高めている。


「私は、テレジア様が凄いと思います。あのように高度の治療をたった一年で身に着けるなんて」


「そ、そう? 私は毎日していたら出来る様になっただけよ、最初は患者を見ておろおろしているばかりで何も出来なかったわ」


「でも、そこで諦めず努力されたので、患者の皆さんからも慕われる先生になれたのだとおもいますよ」


 先程まで、卑屈気味であったテレジア嬢は、私の言葉に、目を細め微笑みを浮かべる。


「ありがとう… そう言って貰えて、初めて自分が許された気がしたわ…」


「いえいえ、私の言葉で喜んでもらえて光栄です。あっ停留所が見えてきました」


 会話を交わしている内に、目的地である駅馬車の停留所が見えてくる。


「あら、本当ね」


「では、ここまでで大丈夫です。本日はお見送り頂き、誠にありがとうございます」


 私は、テレジア嬢とカイ老人に向き直り、頭を下げる。


「いえいえ、いいのよ、帰り道の途中でしたから、それに貴方との会話も楽しめたので」


「わしも若い娘さんと散歩したことで若返った気分だったしな」


「では、また明日」


 二人は笑顔で私を見送ると、踵を返して、二人で楽し気に会話をしながら帰っていく。


 私は二人の楽し気な背中を見送りながら、学園に向かう駅馬車へと乗り込んだのだった。



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