第063話 善行修行

「えっと、この道でいいのかしら?」


 私はディーバ先生から書いてもらった住所の紙と、エマに書いてもらった、そこまでの行き方の紙を交互に見比べる。エマが書いてくれた行き方には所々のランドマークとエマの似顔絵で『そこを右ですっ』と書いてあり、楽しくて可愛い。


「あぁ、あの熊の看板、あの道を右ね」


 私は雑貨屋の熊の看板を見つけると、エマの指示に従いその道を右にまがる。


 私は今、ディーバ先生に紹介された、無料診察所に向かっている。そこで診療所の仕事をボランティアで手伝って善行を行って善性を高めろという話だそうだ。


 先生もこの話を持ち出した時には、気休めにしかならないがと前置きを置いたが、私はその気休めでも縋るしか他の手段はなかった。私一人が積める善性なんて、『アイツ』のまるで、大海そのもののような悪性に対しては、なんの役にも立たないのかもしれない。


 しかし、あの夢で私が見た、惨劇の絶望… あの夢は私が飛び起きた事で、あそこで終わっていたが、もしあのまま続いていたら、この百万人の人口を持つ帝都の人々を喰らいつくし、この国全員までその被害は及んでいたであろう。


 玲子時代の創作物の中で、悪い独裁者や魔王の侵略で人々が絶望する話はよくあるが、今となってはそんな絶望は生温く感じる。侵略されても待っているのは、ブラック企業の様な低賃金労働や、奴隷労働、悪くてもただ殺されるだけ。


 しかし、私の見た真の絶望とは、『アイツ』一匹の為に、街一つ、国一つの人々が、無残にも喰い殺されて回るのだ。そして、私は感覚を共有されながら、その様子を見守る事しかできない。


「あっ、ここの様ね…」


 考え事をしているうちに、目的地の無料診療所へ辿り着く。その診療所は、下町の区域にあるので、豪勢な建物ではないが、敷地は大き目で、必要な機能だけを持たせた建物に見える。扉も閉まっておらず、解放されていて、人の行き来が多い。


 私もその入口から躊躇いがちに中へと進んでいく。中には待合室があって、数多くの人が長椅子に腰を掛けて順番待ちをしている。


 私は患者として治療されに来たわけではないので、ここの職員と思われる看護婦に声を掛ける。


「あの、すみません…」


「初めての方ですか? それでしたら順番札をとってお待ちください」


「いえ、私は患者ではなく、学園から紹介されてきたものですが」


「あぁ、お手伝いに来た学生さんね。じゃあ、こっちに来てもらえる?」


 私はその看護婦に手を引かれて、奥の準備室へと通される。


「先ずは手を洗ってもらえるかしら?」


 大きな洗面台の所に案内され、私は手を洗い始める。


「あっ、掌だけじゃダメよ。ここで手を洗うと言えば、肘まで洗うのよ。さぁ、袖をまくって」


 私は看護婦に囃し立てられて、袖をまくり、肘まで手を洗っていく。


「袖はそのままにしておいてね、次はこの服を来てもらえるかしら」


 そうして差し出されたのは、看護婦と同じ衣装ではなく、なんだか小学校の給食当番か、割烹着のような白い服であった。


 頭からすっぽり被り、膝より長い丈があるので、服の上からでも大丈夫そうだ。


「じゃあ、ついてきてもらえる?今日は先生のお手伝いをしてもらうわね」


 そう言って、あれよあれよという間に、一つの診察室に放り込まれる。


「先生、学園の生徒さんです。お手伝いに着ました」


 そう言って診察室の治療術師に引き合わされる。


「あれ? 貴方…確か、レイチェルさん?」


 治療術師は私の顔を見て目を丸くした。私もその治療術師の顔を見て目を丸くする。


「えっ?貴方は…テレジア様?」


 そう治療術師の彼女は、『悪役令嬢』の一人、テレジアだ。


「テレジア先生! 急患です! なんでも刃物で腕を切ったそうで!」


 私たちは互いに驚く暇なく、急患が舞い込んでくる。


「話は後ね、先ずは患者さんを診なくては」


「あっ、はい!」


 私は診療室にやってきた患者を椅子に座らせる。その時に傷口が見えたのだが、ぱっくりと大きく切れて血が溢れている。


「レイチェルさんっ! 先ずはこの紐で腕を縛って止血して! あまり強くしちゃダメよ」


「はい! 分かりました!」


 私は初級治療の授業で習ったように、紐で腕を縛って止血を行う。


「次に水で傷口の周りの血を洗い流してもらえる?」


「はい、分かりました!」


 これも授業でならった内容だ。


「いいわ、傷口が見えたわ、では、次は傷口が綺麗に合わさる様に手で押さえてくれるかしら」


 それは習っていない。私は戸惑いを覚える。


「大丈夫、心配しないで」


 テレジア嬢は優しい言葉を掛けて私を励ましてくれる。


「わ、分かりました」


 私はそう答えると、恐る恐る、患者の傷口の両端を触れて押さえる。


「もう少し、強く押さえて、そうそう、その調子…うん、いいわ」


 彼女は私が傷口を押さえる様子に指示を出し、傷口を確認すると、そこへ指を当てる。


「では、今から傷口を癒しますね」


 彼女は患者にそう言うと、ゆっくり、本当にゆっくりと傷口を指でなぞって行く。すると、彼女のなぞった後の傷口は赤い筋を残してぴったりとくっついている。


「よし、これで全部塞がりましたね」


 テレジア嬢は最後まで傷口をなぞって、手を離すと、傷口は全て赤い筋だけ残してぴったりと閉じていた。


「先生ありがとうございます!!」


 患者はテレジア嬢に頭を下げる。


「いえいえ、それより、傷口は塞がりましたが、失った血はそのままです、お肉などを食べて血を増やしてくださいね」


 彼女は笑顔で患者に血を増やす食事を進める。


 そして息を継ぐ暇なく、まだ5歳ぐらいの女の子を抱えた母親が駆け込んでくる。。


「どうされました?」


「うちの子供が手に火傷をして…」


 女の子の手を見ると熱湯を浴びたようで、皮がめくれて周りが赤く腫れている。


「痛い!痛い!痛い!」


 女の子は母親に抱かれて、泣き声を上げている。


「お母さん、お子さんを動かないようにしっかり押さえていて下さい! レイチェルさんも子供の腕を動かないように押さえていて下さい!」


 先程の傷口を押さえるのよりマシではあるが、子供の火傷のあとは見ていて、凄い痛々しい。しかし、私は彼女の指示通り、手をがっちりと抑え込む。


「今から治療をしますよ。お嬢ちゃん、手がかゆくなっても我慢してね」


 テレジアは女の子にそう言うと火傷の跡すれすれに手を翳し念じ始める。


「ママ! かゆい! おててかゆいよ!!」


「マリーちゃん、我慢してね、今、痛いおててを治しているのよ」


「でも、ママ! かゆい! かゆいよ!」


 女の子は治療されている手がかゆいのか暴れようとする。しかし、私とお母さんで女の子の身体を押さえて治療を続ける。


「はーい、お嬢ちゃん、よく頑張りましたね♪ おてては治ったわよ」


「あれ? おてて、もうかゆくない」


 テレジア嬢が手を離すと、火傷のあった場所には瘡蓋のようなものがついており、女の子が手を握るとぽろっと取れて、その下から、火傷の無くなった肌が現れる。


「先生、ありがとうございます! お陰様でこの子の手が綺麗に治りました。跡が残ったらどうしようかと思っておりましたのに…」


「いえいえ、それよりもお子さんは今、凄いお腹が空いていると思われるので、ご飯を沢山食べさせてあげてください」


「うん、ママ!私、お腹空いたぁ!」


 私たちはその女の子の様子を見て、安心してうふふと笑う。


 その後も立て続けに患者が来て、忙しい一日となった。


 こうして、私の善行修行一日目が終了したのであった。



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