第016話 意外な結末
午前中、二コマ目の貴族魔法の授業が終わった後の昼休み、私は校内の食堂に行かず、寄宿舎にも戻らず、校舎の敷地内にある、人気の無い庭園のベンチに腰を掛けて、一人たたずんでいた。
「元気を出して、レイチェル。悪い方へ考えてもいい事ないよ」
リーフが耳元で話して、私を慰める。
「ありがとうリーフ、励ましてくれるのね」
慰めてくれるリーフに私は力なく微笑んで返す。
「レイチェル、いざとなったら森に逃げればいいよ、私が一緒なら、レイチェルが食べられる植物を教えてあげるから」
リーフは私を励ますつもりで言っているのだろうが、貴族の令嬢に、一人で森の中のサバイバル生活をしろというのか。私にそんなエキセントリックな生き方が出来るとはとても思えない。そもそも、本来、植物であるリーフが同じ植物を食べる事を進めるのはどうなのであろう。このあたり、元々植物であるリーフと人間の私とでは、根本的に考え方が異なる所があるのだろう。そんなリーフの視点では、私の悩んでいる事なんて、奇妙な事に映っているかもしれない。
そんな事を考えていると、少し気分が楽になった。そこまで考えての発言であったのか、それともただ単に危なくなったら逃げればいいと単純に言ったのかは分からないが、リーフのお陰で前向きになれた。
「リーフ、ありがとう。貴方のお陰で気分が楽になったわ」
「どういたしましてっ♪」
私が元気を出したので、リーフは明るく答える。
呆然として先程の授業を無駄にした為、私は気を取り直し、午後の授業に向けて気合を入れる。午後の授業は『帝国法』の授業だ。法律の授業は難解な上、午後一なので、空腹の方が眠くならずに都合がよいであろう。
しかし、リーフの言う通りに逃亡生活をする可能性があるなら、今後、植物学や農学なども学んだ方が、サバイバルの時に役立つであろうか。今度、受講できるか調べておこう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして、午後の授業を受け、放課後、私は、礼拝堂へ向かう渡り廊下にいた。リーフのお陰で気持ちは持ち直したものの、足取りは重い。ディーバ先生の事務室に入った瞬間、マルティナ嬢昏睡の容疑者として逮捕拘束される可能性はある。
先程、帝国法の授業を受けた所であるが、まだ、前文の部分なので、この世界に現代社会でいう所の少年法があるかどうかは分からない。まぁ、貴族優先の社会なので、否応なく処罰されそうな気がする。
そんな事を考えながら歩みを進めていると、礼拝堂の扉の前に辿り着く。今回はちゃんと取っ手を廻した後に押して扉を開く。礼拝堂の中は昨日の夜とは異なり、幾つもある採光用の窓から日の光が差し込み、光に満たされた神聖な空間を醸し出している。
私は礼拝堂の奥に進んでいき、清掃作業を行っていた神官の一人に声を帰る。
「あの、すみません。ディーバ先生に呼び出しを受けたのですが、先生の事務室はどちらでしょうか?」
「あぁ、先生の事務室なら、奥の祭壇横にある扉を抜けて、奥の扉ですね」
そういって、神官は奥の扉を指さす。やはり、昨日、マルティナ嬢を連れて来た時に声がした場所である。もしかすると、あの時、声をだしたのはディーバ先生だったのであろうか。
私は、神官にお礼を述べると、その扉へと進む。扉の向こう側には廊下があり、左右に部屋があるようだが、目的の先生の部屋は奥にある。
私はその扉にコンコンとノックをする。
「誰か?」
すると、中からディーバ先生の声がする。
「レイチェルでございます。遅くなりましたが、只今参りました」
「入室を許可する」
入室許可があったので、扉を開け、私は少し頭を下げながら、入室する。そして、扉を絞めてから、頭をあげて部屋の中を見ると、奥にモノクルを付けて事務机に陣取ったディーバ先生の姿があり、その手前にローテーブルとソファーの応接セット、そして、またその手前というか、ドアの前に椅子が一台置かれていた。
「椅子に腰を掛け給え」
ディーバ先生からそう言われるが、扉の前に椅子が置かれているという事は、この椅子に掛けろという事なのであろう。しかし、何故、姑の嫁いびりみたいな対応なのか謎である。
私も大人なので、反抗心は持たず、大人しく扉の前の椅子に通学かばんを膝に抱えて腰を降ろし、何を言われるのかと、ディーバ先生に向き直る。
しかし、ディーバ先生はしかめっ面で何も言わず、こちらを凝視している。
やはり、昨日のマルティナの事がバレていて、今から尋問しようかと考え込んでいるのであろうか。私は顔には出さないが、動悸が激しくなる。
「教科書の事だが…」
いつまでも続く沈黙の様に思われたが、ふいにディーバ先生が口を開く。
「あっ、はい!」
私は少し、声を上ずらせて答える。
「切り裂かれていたようだが、どうしてだ?」
私は心の中でガッツポーズをとる。
『よし!マルティナ嬢の事ではなく、教科書の事の様だ』
心配していた事は杞憂のようだ。私は心の中で歓喜の声をあげる。しかし、切り裂かれた事はどの様に報告しようか…下手な嘘をつけば、そこから探られたくもない腹を探られるかも知れない。ここは正直に告げよう。
「教室に置き忘れていたところ、嫌がらせを受けたようです…」
「なるほど… で、その教科書は今あるのか?」
「はい、ございます」
「では、ローテーブルの上に置き給え」
私はカバンから教科書を取り出すと、何故直接手渡しではないのかと思いつつ、私と先生の間にある応接セットのローテーブルの上に教科書を置く。
ディーバ先生は、私が椅子に戻ってから立ち上がり、ローテーブルの所に進み、教科書を取り上げ、切り裂かれた表紙を眺める。
「…なるほど、よくある嫌がらせの様だな。では、代わりにこの教科書を使いなさい」
先生は切り裂かれた表紙を凝視したあと、懐から新しい教科書を取り出し、ポンとローテーブルの上に置いて、自分は切り裂かれた教科書を持って、自分の席へと戻る。
今回も手渡しではなく、ローテーブルを使った受け渡しだった。これは生徒と先生間のセクハラ等を考慮した対応なのであろうかと思いつつ、ローテーブルの所に進み、真新しい教科書を手に取る。
「ディーバ先生、ありがとうございます」
私は頭を下げお礼を述べる。自分自身で買いなおす事を考えていたので、新しい教科書をもらえる事は正直、有難い。
「今回だけの特例措置だ。そもそも、学生の身でありながら、重要な学び道具である教科書を教室に置き去るとは、褒められた行為ではない。その事を反省…いや猛省しなさい」
厳しい顔つきと声で、ディーバ先生からお叱りを受けてしまった。
マルティナの嫌がらせイベントが発生するかどうか確認するために、囮の為、教科書を教室に置いてきたが、やはり、この世界で置き勉するのは褒められる行為ではなかった。
「はい、十分猛省し、肝に銘じます…」
私は反省した顔を装って頭を下げる。
「では、退出を許可する」
頭を下げる私に、ディーバ先生はあっさりと退出許可を出す。
私は少々あっけにとられながら、教科書をかばんに納め、再び頭をさげて、扉へと向かう。部屋を退出する時に、切り裂かれた教科書をキラリと光るモノクルで眺める先生の姿を見ながら、扉を閉じたのであった。
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