「真実と決意と」


 間違いない。

 エリカはこの先にいる。魔力命脈ラインを逆流するほどの激しい感情の津波が伝わってくる。

 胸を深く抉るような深い悲しみ。こんな感情、今まで一度も感じた事はなかった。

 そして近付くに感じる魔力が、一体何が起きているのかを示していた。

 まだ記憶に新しい二つの天属の気配とまだ若いが洗練された魔力。

 磨き上げられた鋭い魔力の集団は、おそらくはオリンと同じ王国捜査官エージェントたち。

 そしてその輪の外にいる老練の魔力。

 ベルゼル・レイマン。

 この状況がエリカの意図したものでないことは間違いない。

 おそらくベルゼルがエリカの身柄を当局に売り渡したに違いない。

 それが本当なら、真っ先に奴の首を刈取ってやりたいところだ。

 ――こんな状況でなければ。

 駆けながら背後を見遣る。渡り廊下の向こうは暗闇で見通すことはできない。

(……いるな)

 確証はない。だが、直感が闇の向こうから迫りくる存在を告げていた。

 一刻も早くエリカを連れ、ここを脱出しなくては。

 スピードを一切緩めず、扉を蹴破る。抜けた先は白一色の空間。さらに、その中央には吹き抜けがぽっかりと口を開けている。

 その下では今まさに連行されようとするエリカの姿があった。

 その目からは光が消え、呆然とうなだれる姿はとても見るに堪えない。

 そしてその先には背を向け、去ろうとするベルゼルの姿。

 込み上げてくる殺気を、奥歯を噛み締めて抑え込む。

 そのまま力強く床を蹴ると、吹き抜けに身を投じる。同時に、瞬時に下の敵の数と状況を把握し、『敗者の器』から武器を掴む――初めて使う武器だが、まぁ大丈夫だろう。

「伏せろ!エリカ!」

 俺は叫ぶと同時に着地。武器を真横に突き出すと、引き金を引く。次の瞬間、耳を劈く轟音が空間を反響し暴れまわった。

 俺の手に握られている武器。それは酒場で倒した男が持っていた銃だった。銃を通して凶悪な速度でばら撒かれた弾丸はその斜線上にいる人間に容赦なく食らい付く。

「オリン!危ない!」

 いち早く俺の存在を察知していたであろう双子天使たちは左右から翼で主を包み、その身を守った。

 さすがに戦い慣れしている王国捜査官エージェントどもはいち早く物陰に隠れ、弾丸を回避していた。

 引き金を引いたまま体を旋回させて掃射し、ちょうど一周すると同時に弾切れとなる。ソファーに当ったのか、辺りに羽毛が大量に飛び散って宙を舞っていた。

 弾丸を回避し損ね、肩や足を撃ち抜かれた警官どもが床に倒れ伏し、うめき声を上げている。もっとも、致命傷を追った人間は一人もいない。

 飛び道具は苦手だが、もとより当てる気はない。あくまで牽制であり、時間が稼げれば十分だ。

 連中が物陰から様子を窺っているその隙に、力なく座り込むエリカに駆け寄り、その手を引っ張る。

「エリカ!今のうちにさっさと逃げるぞ!」

 ゆっくりと視線を上げるエリカ。だがその口からは覇気の無い囁くような言葉が漏れるだけだった。

「もういい。もうどうでもいいわ。もう私は……」

「泣き言は後で聞くから、今は俺の言う事を聞け!ここにいると危ない。さっさと逃げるぞ!」

「どこへ逃げるというのかしら?」

 そう言うのは、オリンをアリッサに任せ、大鎌を構えたメリッサ。

「薄汚い悪魔め。今日こその首を切り落とし、神々への献上――」

「うるせぇ!今テメェらに構ってる暇はねぇんだよ!」

「なっ……!」

 こっちは至って真剣なのだが、無碍にあしらわれたと感じたメリッサは絶句し、続いて怒りに顔をひきつらせる。

「上等だわ!二度と減らず口を叩けないよう、肉片すら残さず灰燼に――」

 と、その時だ。

 俺たちの間に、影が音もなく降り立った。

 一つではない。

 頭上の吹き抜けから次々と現れたそいつらは、いずれも黒一色に統一された特殊な服を着込んでおり、この白一色の空間と対象的であった。

「くそっ!もう来やがったか!」

 いずれも口の部分に薄い筒のようなものが付いた特殊なマスクで顔全体を覆っており、唯一その奥に覗く眼が人であることを示すが、それが逆に不気味さを一層際立たせた。

 ――エリカの部屋で俺を出迎えたのは、この異様な出で立ちの集団だった。

 こいつらが酒場の男と同類である、と確信した瞬間、俺は脱兎のごとく逃げ出した。

 部屋にエリカがいないのは一目でわかった。あんな化け物じみた連中を相手にする理由はない。そうして部屋から続けエリカの魔力反応を追ってきたというわけだ。

 突然の相次ぐ闖入者に俺以外のその場の全員が困惑していた。そしてその中の一人が叫ぶ。

「こいつら……"ム・ドラル人"だ!」

 同時に、奴らの銃が火を噴く。ム・ドラル人と呼ばれた男たちは何の前触れも無く、その場にいる人間たち全員に銃口を向け襲い掛かった。

 警官たちは武器を構えるより早く撃ち出された無数の弾丸にさらされ、血の海に沈む。

 死に物狂いで魔法を詠唱しようとする魔術師はしかし、呪文スペルを口にする前に顎より上を吹き飛ばされて絶命した。

 素早く正確に急所を撃ち抜き、淡々と人を屍に変えていく。

 そこに感情も、殺意すらも無い。

 酒場での戦闘と違って銃声は一切なく、ビスッビスッという低い音がわずかに聞こえるだけだった。

 よくよく見れば銃口の先端に筒のようなものが装着されており、どうやらあれが銃声を抑えているようだった。

(屋敷の人間も皆殺しにしながら、まったく異変に気づかれなかったのはこれのせいか……)

 エリカを引きずり、柱の陰に身を隠し俺は状況を観察する。

 一方的に繰り広げられる殺戮。だがそれに抗する者もいた。

 警官や警察所属の魔術師たちが成す術も無く殺される中、オリンら王国捜査官エージェントたちはすぐさま戦闘態勢に入っていた。あるものは強力な高位防御魔法で銃弾を防ぎ、ある者は強化魔法で自らを強化しム・ドラル人に挑んでいた。

「この狼藉者が、ひれ伏しなさい!」

 そう吠えながら立ち塞がる黒服――ム・ドラル人に向けて大鎌を振るう。視線は俺に据えられており、この期に及んで尚も執着を見せていた。

 サードシフトで放たれる斬撃はその軌跡すら霞み、電光石火で眼前のム・ドラル人の首へと迫る。

 人間にはまず視認すらできないはずの一撃。

 しかし、相対したそのム・ドラル人は上体を反らし紙一重で難なく躱してみせた。

「なっ!躱したですって!?……きゃっ!」

 驚いたメリッサの横顔めがけ、斬撃に勝るとも劣らない素早い蹴りが放たれる。間一髪で柄で受けるも、その衝撃は防御ごと身体を大きく吹き飛ばした。

「こいつっ!姉さんに!」

 姉の危機を察したアリッサがすぐさま魔法を放つべくワンドを向ける。しかし、互いをフォローする位置にいたもう一人のム・ドラル人による巧みな銃撃に晒され、否応無しに防御を余儀なくされる。

「下等な人間の分際で……あまり調子に乗らないことねっ!」

 体勢を立て直したメリッサは、天使にあるまじき暴言を吐きながら再び大鎌を繰り出す。

 瞬間、局所的な突風が吹き荒れる――そう錯覚する程の凄まじい連撃だ。避ける方向を見誤れば瞬時に身を切り裂く、まさに死の旋風。

 もっとも、奴は躱さなかったが。

 甲高い金切り音が耳障りな重奏を奏で、無数の火花が宙に舞い散る。

 果たして、やつは五体満足でその場に佇んでいた。

 その手に逆手で握られているのは、何の変哲もない一本のナイフ。

 肩口の鞘に収められたナイフを瞬時に抜き放ち、全ての刃を受け流して見せたのだ。

 神聖武器の攻撃を、ただのナイフが捌いた。

 その事実がメリッサに再び驚きを与えた。

「そんな馬鹿な!そんな玩具――」

 驚愕の声は、ごぼりと込み上げてきた血塊に上塗りされる。

 メリッサの喉が真一文字に切り裂かれ、血の華を咲かせていた。

 俺は確かに見た。

 狼狽の一瞬の隙に、滑るように懐に潜り込んだム・ドラル人が高位天使の首を掻き切ったのを。

「姉さんっ!」

 アリッサは悲鳴を上げ、翼で身を守りながらメリッサへと駆け寄る。無数の銃弾が翼から露出した肩、腕、足を撃ち抜くがお構いなしだ。

 攻撃魔法でム・ドラル人を牽制しつつ、姉の身を抱きかかえて柱の陰に飛び込むと、すぐさま治癒魔法で傷を塞いだ。

 盟約者は喉を切り裂かれた程度で死にはしない。だが、依代である肉体の損傷は甚大。回復には時間と魔力を要し、戦闘には支障を来すのは間違いない。

 ム・ドラル人は双子天使を相手に互角以上の戦いを演じた。サードシフトの天使に匹敵するという、酒場で俺の見立てはやはり正しかった。

(しかし、こいつらの目的はなんだ……?)

 ふと、そんな疑問が頭をよぎる。当初は俺を追ってきたのかと思ったが、今の奴らに俺は眼中にない。

 そもそも、こいつらは俺より先にこの屋敷に侵入していた。

 こいつらもまた、ここに何か目的があるのは間違いない。

 そうしているうちに奴ら動きの変化が生まれる。そしてそれは奴らの目的が明らかになった瞬間でもあった。

 複数のム・ドラル人が、味方にフォローされながら立ち尽くす一人の男の元へと集う。

 それはエリカの師、ベルゼルだ。

 さすがのやつもこの状況に驚愕した様子――なのは間違いないのだが、それにしては少し様子がおかしいように見えるのは気のせいか?

 そんなベルゼルに、ム・ドラル人は何事かを告げた。生憎マスクのせいで声はくぐもり、ここからでは聞き取る事はできない。だがム・ドラル人から何を言われたのか、ベルゼルは困惑した表情をするだけで抵抗をする様子は無かった。

「目標確保。離脱する」

 ベルゼルを拘束した男が短く言う。

 号令一下、黒服共は場の制圧から撤退へと切り替える。その様は機械のように一切の無駄がなく、全員で一つの生き物であるかのようであった。

 まだ動くものにには容赦なく銃弾を浴びせながら、ベルゼルを囲むような陣形を組んで外に繋がる扉に向かっていく。

「逃がすかァ!」

 血を吐きながら吠え、手負いでありながら追撃をしようとするメリッサ。己を傷つけた輩をみすみす逃がすようなことは、高位天使のプライドが許さないのだろう。

 もっとも、奴らはそんなつまらんものに付き合う気はさらさら無い。柱の陰から飛び出したメリッサに一斉に銃口を向け、集中砲火を浴びせる。

 何かをする間もなく身体を蜂の巣にされながら弾き飛ばされるメリッサ。純白のドレスが血で真っ赤に染め上げられる。

 血と唸り声を吐きながら、震える手で尚を身を起こそうとするメリッサ。ム・ドラル人を睨む表情は、野犬のような凶暴さで歪みきっていた。

「落ち着け!深追いするなメリッサ!」

「いいから私を5エンドシフトになさい!今、すぐに!」

 静止を無視し、もはや恫喝に等しい声で主に命令する。

 その二人の間を、濃緑色の筒が過っていく。

 コンッコンッと床を二、三度跳ねたそれは、次の瞬間、激しい閃光と爆音を放った。

 網膜を焼き付け、鼓膜を直接ぶっ叩かれたかのような爆音は、その場の人間の感覚を瞬間的に奪った。

 至近距離でそれを受けたオリンは怯み、倒れそうになったところをアリッサに支えられる。

 そしておまけとばかりに、最後の円筒から鋭い空気音がしたかと思うと、もくもくと煙が立ち込める。それはただの煙ではなく刺激臭を有する気体で、それをまともに吸い込んでしまった警官や王国捜査官エージェントは咳と涙で身動きを奪われてしまう。

 盟約者である俺や双子天使には効果は薄いようだが、前後不覚に陥った主の傍を離れることができなくなる。

 わずか二分にも満たない時間でム・ドラル人たちは並み居る警官と精鋭たる王国捜査官エージェントたちを圧倒し、ベルゼルを連れ去ってしまった。

 後に残ったのは死屍累々と横たわる人間と、破壊された調度品。血にまみれ、荒れ果てたロビー。

 生存者の確認と治療。応援要請にてんやわんやといった様子だった。

「逃げるなら今がチャンスだな」

 この場において最も障害だった双子天使とオリンの目が潰されている今が絶好のチャンスだった。

 エリカを担ぎ上げ、俺は奴らの死角から静かに屋敷を後にした。


 *


 いつもの安宿に戻ってきた俺とエリカ。幸い、カウンターに座っていたのが主人の方だったので、何も詮索されずに済んだ。これが看板娘であれば茫然自失とするエリカをあれこれと心配しただろう。

 今はそっとしておくべきと判断した俺はエリカをそっとベッドに座らせると、エリカを視界に収められる位置で椅子に腰掛ける。

 思いつめたあまり自殺などされてはたまらないから、目を離すことはできない。大げさに思えるが、今のエリカにはその危うさがある。

 ただ呆然と虚空を見つめるエリカに、喜怒哀楽その他、一切の感情の片鱗すら見当たらない。エリカの美しさを構成するものの一つが「表情」であったことを、今になって思い知らされる。

(この様子だと、知っちまったのか……)

 俺の召喚に係る、代償の事実を。

 今日までひた隠しにしてきたのは、こうなることを恐れたからだ。

 俺はどうしたものか考えあぐね、頭を軽く掻く。

 しかしまさか、先に口を開いたのがエリカの方だったとは。

「本当なの……?人の命を代償に、ヴァル君は召喚されたの?」

 消え入りそうな声でぽつりと呟くエリカ。

 事ここにいたり、ごまかしや適当な嘘は通じないだろうし、すべきではない。

「ああ。そうだ。俺は二十人の命を生贄に、この世界に召喚された」

 俺は正直に事実を告げる。

 "魔法は人の望みを叶え、幸せにする"

 エリカの揺るぎない信条であり、事あるごとに口にしてきた。

 それが自らの手で、己の魔法で人の命を奪ったのだ。

 そこに自分の意志であったかどうかは関係ない。

 この現実は、あまりに受け入れがたいものであったことは想像に難くない。

「ヴァル君は、知ってたんだ。知ってて、黙ってたんだ」

 続く問いかけに、俺はばつが悪そうに顔を背け、罪悪感から沈黙する。

 それが如実に肯定を示しているとわかっていても、言葉が見つからなかった。

 すると、おもむろにエリカはベッドから立ち上がる。

 背中を向け、唐突に笑い始めた。

「さぞ滑稽だったでしょ?」

 一頻り笑うと、背を向けたまま、自嘲に満ちた声でそう言った。

「人を殺しておきながら、自分は無垢気取りで冤罪だと信じて。しかも、すべてを仕組んだ元凶の師匠をバカみたいに慕い続け、一縷の希望と探し続けた」

 おい、と声をかけるがエリカの口は止まらない。

「挙句の果ては、その師匠にまた裏切られてこのザマよ。ヴァル君も災難だったわね。こんな馬鹿な人間に召喚されて、二年も振り回されて。ずっとムカついてたんでしょ?あ、それとも内心で笑ってたのかな?悪魔だもんね」

「……いい加減にしろよ、テメェ」

「こんな無様な主を持って、ホント、同情するわ。なんなら、神界に送り返してあげるわよ?」

「誰がそんな事望んだ!」

「なら放っておいてよ!」

 思わず肩をつかむと、普段の姿からは想像できないヒステリックな声で叫び、振り返りながらその手を払い除けた。

「もう私達の旅は!ここで!終わりなのよ!だからもう放っておいて!私のことなんか見捨てて、どこか行ってよ!」

 出掛かった言葉は、そのまま喉の奥に落ちていった。

 相対したエリカの双眸からは、涙がとめどなく溢れ出ていた。

 泣き虫のエリカは、旅の中で何度となく泣いた。

 雨風の中で野宿を余儀なくされた時。

 オリンの小僧と再会した時。

 指名手配犯だとばれ、それまで親切だった人々の聞くに堪えない罵詈雑言を背中に受けながら追い払われた時。

 だが、今のエリカの泣き顔は、今までのどの泣き顔よりも悲痛なものであった。それこそ見ているこちらの方が、胸を締め付けられる思いだ。

 さらに喚き散らしながら、枕や小物を投げつけて暴れるエリカ。

 そうすれば俺が怒り、出ていくとでも思っているのか。

 忠実な盟約者なら主の言うことを聞き、大人しくこの場から消えるものなのだろう。

 だが、あいにく俺は違う。

 悪名高い魔属で、召喚禁止指定種の悪魔だ。

 そんな聞き分けの良さは持ち合わせていない。

 意を決し、俺は強く踏み出す。そして暴れるエリカの手を掴むと、力強く自分の胸元に抱き寄せた。

「やめて!放してよ!放せ!」

 腕の中でもがくエリカ。拳で俺の胸を叩いた。その腕力の、なんとか弱いことか。

「頼むから落ち着け。見捨てろなんて、そんな悲しいことを言わないでくれ」

 極力優しい声で、心からの言葉を口にした。

 その言葉が届いたのかはわからないが、エリカは次第に大人しくなる。単に抵抗が無意味だと諦めただけかもしれない。

 それでも泣くことだけは止められない。嗚咽の声だけが静寂の室内に響く。

 その背中を、優しく叩いてやる。そうすることでエリカの昂った気を落ち着かせられるような気がした。

 そうして言葉を聞ける程度に落ち着きを見せた頃、俺はおもむろに語りだす。

「俺はな。お前に一度救われてるんだ」

 それは、今まで一度も語らなかった、俺の召喚前の話。そして召喚に応じた理由。

「神界にいた頃の俺はどんなだったと思う?もしかして傍若無人に振る舞って、好き勝手に暴れまわってた、とか想像してねぇか?」

 脈略もなくそんな事を言われ、困惑した様子のエリカ。ただその一方で、「え?違うの?」と眼差しが答えていた。

「俺はな、ある奴の存在に怯えてたんだ。そいつの手が届かない場所に、それこそ世界の果てまで行くつもりで逃げ続けていた」

「それって天使さんとか、すごく強い天属みたいな……?」

「そんな次元の話じゃねぇんだ。なんて言えばいいか……天敵?捕食者?いや、しっくりこないな。まぁ、なんにせよ、俺の生殺与奪を握る唯一の存在だった。そいつが存在する限り、俺に真の自由も安息はなかった」

 それは本能に根ざした感情。

 生まれ落ちた瞬間から植え込まれた、根源的恐怖。

 言い表す言葉はいくらでも思いつくが、どれも的を射てはいない。

「しかもそいつは神界でも随一の有力者で、影響力がでかい。だから、他の魔属は誰も助けちゃくれなかった。ま、元々アテにもしてなかったがな」

 神界に俺の味方はいなかった。同族であっても全てが敵に見えた。

 だから、逃げるしかなかった。

「もちろん、ただ逃げてたわけじゃない。いつか必ずそいつを殺して自由になるために強くなり、さらに力を求め続けた。天属魔属の見境なく戦いを挑み、倒し、魔属としての"階位"を上げていった。気の遠くなる程の時を、闘いに明け暮れた。眼の前の強敵と戦っている間だけは、恐怖を忘れることが出来た」

「でもな……」と、声のトーンが落ちる。

「結局それはただの現実逃避だったんだ。それに気付いた時、急に虚しくなった。恐怖で怯え、逃げ、それを忘れるために戦い続ける――そんな生き方にな」

 心の自由は何者にも侵されない――そんなのは嘘っぱちだ。

 恐れるもの、憎いものが心を支配すれば、思考も行動もそれに縛られ続ける。

 そして感情は蝕まれ、いずれ心が腐っていく。

 そんなのは、生きているとは言い難い。

「そんな時だ。お前の声が届いたのは」

「私の……?」

「召喚だよ」

 今でも昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 誰もが俺を疎む世界で、俺を求める呼び声。

 応じることに、迷いなどなかった。

「世界の境界を超えれば、さすがにそいつも追いかけることはできない。わかるか?お前はこの世界に俺を導き、手を差し伸べてくれたんだ」

「私はそんなつもりはなかった。そもそも、その術式自体も私の意図じゃない。あれはお師匠が仕組んだ――」

「そんなのは関係ねぇ。俺はお前と契約をしたんだ。だいたいな、誰の召喚に応じるほど俺は安かねぇぞ?」

 もし相手がベルゼルなどなら、盟約など結ばなかっただろう。したとしても、召喚の後に都合よく利用したに違いない。

 エリカの頭に手を添え、額の付きそうな距離で目線を合わせる。

「お前は確実に一人の悪魔を救ったんだ。他ならぬ、この俺をな」

 世界でたった一人だった俺を、お前が救い出してくれた。

 そのお前もまた、世界で一人ぼっちだった。濡れ衣で指名手配され、寄る辺を失った孤独な人間だった。

 はぐれ者同士、それなら一緒にいる方が何かと好都合だろう?

「送り返す?冗談じゃねぇ。お願いされても御免だ。お前が重罪人として後ろ指差されようが、お前自身が自分を許せなくても、知ったことじゃねぇ。誰が見捨てたりなんかしてやるもんかよ」

 神界に味方は一人もいない。居場所も、帰る場所すらない。

 でも、この世界では違う。

 たった一人だが、その一人の存在は世界一つを天秤にかけても軽すぎるくらいだ。

「お前がこのまま逃げるって言うなら、世界の果てまで一緒に逃げてやる。戦うってのなら、人類を根絶やしにするまで殺し続ける。覚悟しとけよ」

 ……言葉は苦手だ。思っていることをうまく言葉にできないし、ちゃんと伝えられているか自信がない。

 それでも少しは伝わったのだろうか、エリカは俺の肩に額を押し付けた。感じる僅かな重みが、なぜか今は心地良い。

「まだ、私と一緒にいてくれるの?」

 震える声で言う。

「ああ。俺はお前の盟約者だからな。何度も言わせんな」

「またヴァル君を怒らせるかもしれないし、酷いことを言うかもしれない」

「今更何言ってやがる。もう慣れたよ」

 皮肉った笑みを浮かべる。肩から額を離し、エリカは顔を上げた。

「……ありがとう」

 見上げたエリカの顔は涙と鼻水でクシャクシャだった。

 俺の知る、この世界でもっとも愛おしい表情がそこにあった。


 *


 夜の帳が落ちたマルレーンの街。まだまだ賑わいを見せる繁華街以外は灯りも消え、静寂と暗闇が支配する夜の町並み。その闇を僅か照らす小さな街灯。その下を二つの影が駆け抜けていく。

「おい待て。こっちを通ったほうが早い」

 ここ数日の聞き込みのおかげで、路地裏に至るまで完璧に把握している。少なくとも、宿に引きこもっていたエリカよりも土地勘はある自負がある。

 つんのめるように急停止したエリカは、そのまま俺の眼前を無言で通り過ぎていく。何かを返すほどの暇も今は惜しい、ということか。

 無理もない。事は一刻を争う。

 ム・ドラル人工作員に連れ去られたベルゼルを救出しなくてはならない。

 時は遡る――


 エリカが一応の安定を取り戻したところで、俺がいない間の事を聞く。

 語るエリカの表情は終始曇っていた。気持ちこそ冷静さを取り戻したがその傷はまだ深く、癒えていない。

 そんなエリカに語らせるのは忍びなかったが、聞いておかなくてはならないことだ。

「――状況は概ね理解した。で、これからどうする?」

 事の顛末を把握した上で、エリカに問いかける。

 とりあえず当初の目的である"師匠を探す"という目的は達成した。

 結果は最悪の形で幕を閉じたが。

 だが依然、追われる身であることは変わっていない。

 オリンも間抜けではない。マルレーンにいるのなら、遅かれ早かれここを探し当てるだろう。

 ここに留まる訳には行かない以上、早急に次の行動目標が必要になる。

「頼みの綱のベルゼルは裏切った。ベルゼルの口を無理矢理割らせるにしても、当の本人は連れ去られて行方不明だ。言いにくいが、お前の無罪を証明することは――」

「それは違うわ、ヴァル君」

 毅然とした口調で否定する。

 何か方法があるのかと期待したが、その否定は別のところに向けてのものだった。

「そもそも、私は無罪じゃなかった。私の手で命を奪ってしまった。それは紛れもない真実よ」

「そりゃそうだが、それは騙されて――」

「でも、全く仕方なかったとも思えない。振り返れば、気付けるポイントはいくつもあったわ」

「ンなのは、後からならいくらでも言えるだろ。お前は何も知らず、何の術式かもわからずにただ引き金だけを引かされただけだ」

「普通の人なら、それで許されるかもしれない。でも、魔術師は違う。知を司る魔術師が無知であり、それが原因で誰かを不幸にしてしまったのなら、それは十分罪に値することよ」

 そんなのは悪魔の俺には、いや俺でなくとも大半の人間には理解できない理屈だ。だが、気高い魔術師でありたいという矜持がそう言わせていることはわかる。

 だから、こいつが次に何を言うかも、容易に想像がついた。

「だから私、出頭して罪を償うわ」

 曇り一つ無い眼差しで、エリカは静かにそう告げた。

 ――もっと楽な生き方もできるだろうに。

 全てを投げ出し、地の果てまで逃げることもできる。

 ベルゼルのせいにし――実際その通りなのだが――免罪を訴えることだってできる。幸い、当の本人が拉致られて行方不明なんだ。なんとでもなる。

 でも、エリカはそうしない。自分の行いとその結果に目を逸らさず、向き合う。

 高潔で気高い魔術師であらんとするために。

 なんて不器用なまでに、真っ直ぐな生き様だろうか。

 それは美徳ではあるが、称えるような気にはなれない。

 罪状を考えれば、極刑は免れない。そんなことはエリカも百も承知だ。

 そんなエリカに、俺はなんて言えばいい?

 本音を言えば、俺は反対だ。

 でも、それを口にすることは憚られる。

 奪ってしまった命に対し、自身の命でもって償う。

 それがエリカの考える自身への償いであれ、法としての最重罰ということであれ、俺には理解できない。

 それは命に対する概念が違いすぎるからだ。

 魔属も天属も、神界の者は魂が輪廻し循環する。故に、死というのは節目の一つでしか無いという認識だ。

 この世界にはその摂理はない。魂と肉体は不可分であり、肉体の死と同時に魂も消える。人間にとっての死は、永遠の無に帰すことに等しい。そう考えれば罰としての死、という理屈はわからないでもない。

 だがあくまで理屈の上では、だ。本質的なところでは理解は及ばない。

 そんな俺が異論を唱えても、エリカの覚悟を汚すだけだ。まして、考えを覆すことなど到底出来ない。

 それができるのはコイツを知り、理解し、その上で諭すことが出来るだけだ。

「でも、それも全てが終わってから」

 エリカはそう続け、俺は俯きかけた顔を上げた。

「これは“私の”で無く“私たち”師弟のもの。師匠にも、罪は償わせる。これは魔術師として私の最後の責務よ」

 凛とした口調で、決意の火を瞳の奥に灯しながらエリカは言う。

「だからそのためにも、もう一度師匠に会う……いえ、師匠を捕まえるわ。だからヴァル君、こんな私だけど、もう少しだけ力を貸して」

「……俺はお前の盟約者だ。そんなの当然だろ。今ごろ何言ってやがる」

 それに応じるように、俺も不敵な笑みで返す。

 ――今はそれでいい。

 その時が来るまでは、俺は俺のできることをするまでだ。

「あの野郎にもきっちりと落とし前をつけさせなきゃな」

 ベルゼルをふんじばって突き出せば――エリカの意思はともかく――免罪や減刑の目もあるやもしれない。

 そんな一縷の望みを、笑みの裏に隠しておく。

「んじゃ、事に当る上で一つ聞いておきたい――屋敷で襲ってきたあいつらは何者かわかるか?」

 具体的な行動の話に移る前に、ずっと気になっていたことをエリカに尋ねた。

「人間にしては動きが違いすぎるが、盟約者とは思えない。奴らには魔力自体感じられなかった。確かオリンは"ム・ドラル人"とか言ってたが」

「ム・ドラル人!?確かにそう言ったの?」

「お、おぉ……なんだ、知ってんのか?」

 尋常ではない驚きを見せるエリカに俺は思わず気後れする。

 ム・ドラル人。

 記憶が確かならベルゼルがエリカに語って聞かせた真実――今にして思えば嘘八百の戯言の中にそれを聞いたはずだ。

「ヴァル君は知らなくて無理ないわ。もっとも、私たちもそう多くは知らないけど」

 エリカは眼鏡を押さえ、説明を始める。

 今いるここがシーヴィル大陸。そして大海の向こうにはもう一つ大陸があるという。

 それがム・ドラル大陸。

 数百年前。それまで交流が全く無かったム・ドラル人は海を超えて突如、シーヴィルへ攻め込んできたという。

 魔法技術こそ発達していたものの、広大な海を渡る術を持たない当時のシーヴィル人は、海の向こうの別の世界があることすら知らなかった。

 だから、その襲撃には驚きと衝撃を与えた。

 奴らは圧倒的な武力で殺戮を繰り広げ、大陸を蹂躙し、ついにはいくつもの国が滅ぼされた。

 最終的には複数の国家が軍事同盟を組み、なんとか撃退するに至るも、結局ム・ドラルが何故攻めてきたのか、何もわからなかった。

 勝利の要となったのは、魔法であった。なぜかム・ドラル人は一切の魔法を扱えなかったそうだ。

「ム・ドラル人について、わかっていることは三つ。一つは、私達シーヴィル人よりも身体能力が高いこと。ム・ドラル人全てがそうなのかはわからないけど、文献には強化魔法で強化された兵士と互角だったという記録が残されているわ」

「いや、互角以上だ。少なくとも、あのアネットよりは遥かに手強いのは間違いない」

 それに感触だけで言えば、何かで強化されてる感じでもなかった。

 外から得た力は多少なりともが生じる。それが大きいと振り回されるし、どれだけ熟練になってもその差は消せない。その点において、奴らにはそれが全く無かった。自ら鍛え上げ、自身のものにしているということだ。

「もう一つは言った通り、ム・ドラル人側には魔法が使えないこと。元々ム・ドラルに魔法が存在しないのか、魔力を持たない種族なのかはなんとも言えないわ」

「魔力を持たない。そんな人間がいるのか」

「あくまで数ある説のひとつだけど、唯一、シーヴィル人のアドバンテージね。もっとも、ム・ドラル人にはそれを補って余りある技術力がある。これこそが最大の特徴と言っても過言じゃない」

「技術力?」抽象的な物言いに小首をかしげる。

「そうね。言い換えれば、"物を作る技術"かしら。彼らの武器防具はもちろんのこと、身につけるもの全て私達とは異なる。そのレベルは異世界の技術に匹敵するわ。それをもってム・ドラル人は大昔に召喚された異界起源人種だと主張する人もいるくらい」

 それを聞いて真っ先に俺の頭に浮かんだのはあの銃だった。あれは明らかに魔法を上回る殺傷能力を持ち、半端な防御魔法は薄氷のように容易く貫く。この大陸の銃など比較にならない性能だった。

「そんな彼らがはるばる海を超えてやってきた。その目当てはただ一つ」

「魔法技術、か」

 俺の推測にエリカは深くうなずく。

「ここ十数年の間、ム・ドラル人による魔法使いの拉致事件が何度かあったわ。狙われたのは、名のある魔法使いばかり」

「魔法を知るには専門家から聞き出すのが最も手っ取り早い。で、ベルゼル・レイマンと言えば有名な魔法使い。狙ってくるのはある意味当然ってことか」

 この街に来てからの不可解な事象が繋がり、ようやく全体像が見えてきた。

 そうなれば必然的に、俺たちのやるべきことも見えてくる。

「まずはお師匠を取り戻さないといけない。相手がム・ドラル人なら、急がないと!」

 目的を果たした今、奴らがのんびり居座る理由はない。今頃、一刻も早くこの街から脱出しようとしているだろう。

 あの屋敷でのベルゼル拉致からたっぷり一時間は経過している。人目を忍んで奴らが迂回していたとしてもギリギリ間に合うかどうか、かなり厳しいところだ。

 加えて、今頃オリンたち王国捜査官エージェントや港湾警察も体勢を立て直し、追跡のための情報を集めているはずだ。

 するとエリカは一も二もなく、部屋を飛び出していく。

「おい!向かうのはいいけど、奴らの行く先なんてわかるのかよ?」

「わからない。でも、推測することはできるわ」


 *


 今頃、街のすべての出入り口は封鎖されているのは間違いない。

 そして周到なム・ドラル人もそれは百も承知であろう。

 周囲を山岳に囲まれ、経路が限られる陸路で脱出するとは考えにくい。

 ならば奴らの向かう先は港以外にない、というのがエリカの出した結論だった。

 海は完全に閉鎖することは出来ないし、広い港湾を警察の人員だけですぐさま完全にカバーすることも難しい。

 そのエリカの読みのもと、俺たちはマルレーンの商港に足を向けた。

 数あるマルレーンの港湾の中で商港に当たりをつけたのは、単純に真夜中の今、もっとも人気がないからだ。

 いるとすればせいぜい、倉庫番代わりの警備員くらいのものだ。

 その警備員は、詰め所の中で死体になっていた。数名いるいずれも額を撃ち抜かれていた。

 ここにム・ドラル人が来たのは間違いない。どうやらエリカの読みは的中したようだ。

 正門をくぐると、等間隔に並んだ倉庫群が続く。ここを抜ければ大小様々な船が停泊する埠頭がある。

 大陸有数の港の商港だけあり、敷地面積はかなり広大だ。ただ闇雲に探しても、奴らを見つけることは難しいだろう。

「私はここで反応を観測するから、ヴァル君は指示する場所に向かって」

 ちょうど敷地の中心当たりに差し掛かったところでエリカがそう提案する。ここに陣取り、探索に専念するようだ。

「了解だ。以後の会話はで」

 額を指差してそう言うと、俺たちは別れる。

 魔力、動体、音声等、あらゆる感知魔法を総動員して探知網を張り巡らせ、反応のあった場所を俺に指示する。

 真夜中の港に人の姿は無いが、動くものがないわけではない。風でなびく幌や、野良犬などの動物も徘徊している。そうしたものも感知してしまうので、怪しいものは片っ端から確認して回る。

 幸い、そう時間はかからなかった。

 それは十数回目の指示で、目的の場所に近づいた時。

 俺は足を止め、とっさに倉庫の陰に隠れる。

 それは気を抜けば俺でも聞き逃してしまいそうなほどの足音。それも複数。そんな芸当が出来る、そして今こんなところでしなくてはならない奴の心当たりなどそう多くは無い。

 俺は角から半顔を覗かせ、目を凝らす。

 倉庫を挟んで角から現れた集団。闇夜に溶け込んでしまいそうな出で立ちの奴らはそこにいるとわからなければ目の前に来るまで気付けないだろう。その姿が街灯の元まで現れ、ようやく全容が明らかになった。

 間違いなくム・ドラル人だ。その手には持ち主と同じ色の凶器が街灯の光を受け鈍く輝く。

 二人が前方を警戒しながら進み、その後方からぞろぞろと統一された装備のム・ドラル人。

 そして最後に姿を現した、唯一違う出で立ちの男。

 間違いない、ベルゼルだ。

『エリカ、当たりだ』

 俺は思念通話でエリカに呼びかける。この状況で意思疎通を図るにはうってつけの手段だ。

『すぐにそっちに向かうわ。ヴァル君は追跡を。視聴覚もこっちにちょうだい』

 エリカの声が頭の中で響く。盟約者と召喚者は魔力命脈ラインを通じて近い距離なら互いの視聴覚情報も共有することができる。

『ああ。くれぐれも慎重にな』と短く返し、移動する奴らに気取られぬよう、細心の注意を払いながら尾行する。

 真夜中の港とあって、周囲は小波の音以外はない。神経を研ぎ澄まして奴らの動向に集中すると、奴らが何やら話しているのが聞こえる。

「――なことをして、一体どういうつもりですか。今頃王国捜査官たちが血眼になって我々を探していますよ」

 気丈にもム・ドラル人に抗議と抵抗の声を上げている……というようには見えない。

 どうも様子がおかしい。

 当のベルゼルはどこも拘束されている様子も無い。むしろム・ドラル人に守らているようにすら見えた。

 ――ふと、疑問が過る。

 この二年間、俺たちはベルゼルを探し回ったが、奴の足取りは驚くほど少なかった。

 シーヴィル人であるエリカですら、辿り着くのに二年の時間を要した。

 そんなベルゼルをム・ドラル人はどうやって探し当てた?確かにベルゼルは高名な魔術師だろうが、奴だけが魔術師じゃない。

 拉致するなら見つからない高位魔術師よりも、他にもっと楽な相手はいたはずだ。

 そんな疑問への答えは、以外にもベルゼル自身の口から告げられた。

「私はあなたがたに協力を約束しました。あんな強引な手段を取らずとも、亡命の準備は整っていました。それとも、ム・ドラル人はシーヴィル人など信用できませんか?」

 亡命だと!?

 驚愕に思わず声を漏らしそうになるのをすんでで抑える。

 さすがにこれは予想外だった。だが、考えてみればありえない話じゃない。むしろ、その可能性を微塵も考えなかったことが不思議なくらいだ。

 ベルゼルの横に並び、付き従うように歩くム・ドラル人――配置や他のム・ドラル人とのやりとりから察するに、こいつがリーダー格か――が、重々しく口を開く。

「監視員から、貴殿のセーフハウスにこの国の上位の警察機構が入っていくと報告を受けました」

 面妖な外見とは裏腹に、低いがよく通る精悍な声だ。

「貴殿の身柄が逮捕されては作戦遂行はほぼ不可能になるのは必至。状況を確認する時間の猶予もありませんでしたので、私の独断で強行突入を決行しました」

「そうであるなら確認の連絡を……と、ああ。そうでした。連絡係は"処分"してしまったのでしたね」

 言いながら、額に手を当てて恨めしそうに天を仰ぐ仕草をする。

 その言葉の意味するところに心当たりがあった。

 ム・ドラル人に殺された、酒場の主人。

 あの主人は奴らとベルゼルの連絡係として使われていたのか。場違いな通信器の存在もこれで納得がいく。

 すると、口封じの場に俺はたまたま居合わせちまったってとこか。もしかすると、仲間が殺されたことが奴らの警戒心を強め、屋敷への強行突入を後押ししてしまったのかもしれない。

「お互いが不測の事態を収めようとした結果ということですか。想定外がこうも重なるとは……どれだけ綿密に計画をしても、ままならないものですね」

 皮肉げに一笑し、叱責の矛を収める。リーダーはそれに応じるでも、同意するでもなくただ無言で進行方向を見据える。

「それで?港に来たということは、このまま?」

「はい。すでに洋上に我が国の艦が待機しております。我々を回収次第、本国へと向かいます」

「最終確認ですが、私の希望は通ったと考えてよろしいのでしょうか」

「要求はすべて政府の承認を得ました。向こうでのあなたの生活は全て保障いたします。ご所望のものもすでに準備が整っているとの事です」

("ご所望の"か……)

 それが何かは知らんが、奴は何かを見返りにム・ドラルへ亡命するのか。

 至極当然っちゃ当然の話なんだが、思ったより俗っぽい理由に拍子抜けする気分だ。

 そうしているうちに、目的の場所にたどり着いてしまったようだ。

 広大な埠頭の片隅。無数の停泊する小舟や艀船の一つの幌を取ると、手早く出港準備に取り掛かり始めた。

 まずい。このまま洋上に出られたら、いよいよ追跡する術はない。

『お待たせ』

 そんな時、声が頭の中に響き、同時に存在を感じる。

 目を向ければ、少し離れた倉庫の角にエリカの姿があった。

『まずいことになった。ベルゼルは奴らとグルみたいだぜ』

 殺人機械キリングマシンたるム・ドラル人と高位魔術師のベルゼル。考えうる限り、最悪の組み合わせだ。

 そうでなくとも真正面から突っ込むのが自殺行為であることは、クソ天使が証明済みだ。

『状況は把握してる……私に考えがあるわ』

 何か策があるのか、エリカその中身を述べた。

 ……

『なるほど。いや、いいんじゃないか?』

 聞いた限り、確実とは言えないが、今の状況で目的を果たすには十分名案に思えた。

『でも、事がすんなりうまく行くとは限らないわ。仮にうまくいったとしてもヴァル君が……。せめてフォース以上のシフト解放ができれば――』

『らしくないこと言ってんなよ』

 申し訳なさそうに言うエリカに、俺は言葉を被せる。

フォースシフトなんかにしてみろ。オリンの二の舞じゃ済まないぞ。そいつが嫌だから、今日まで七面倒な縛りをしてきたんだろうが』

『それはそうだけど……』とエリカは納得した様子を見せない。

『ただでさえシフト開放時は魔力反応が大きいんだ。この状況で王国捜査官エージェントどもが見逃すはずがない。そうでなくても、フォース以上は魔力供給が激しいんだ。万が一ヤツとやり合うことになったら、お前だってヤバいだろ』

 それでもエリカはまだ表情を曇らせたままだ。

 わかってる。こんな状況でもこいつは俺の身を案じている。盟約者で悪魔の俺を。

『何があろうと、お前に元に帰ってきてやる。お前の盟約者を、相棒を信じろ』

 胸を軽く叩き、気丈に言う。

 エリカは少しの間を置き、そして無言で深く頷いた。

『よし。んじゃ始めるぞ』


 *


 その時、周囲を警戒する一人のム・ドラル人が暗闇の中に動くものを視界に捕らえた。それが人影だと分かるとすぐさま銃――サブマシンガンをその人影にポイントする。異変に気付いた他のム・ドラル人も素早く構える。

 街灯の元にその姿を現したのは、向けられた銃口に脅えながらも、勇気を振り絞るように表情を固くした一人のか弱そうな女だった。

 ム・ドラル人が引き金に指を掛け、引き絞る直前、横から伸びた掌によって阻まれる。

 その手は護衛対象であり要人のベルゼルだった。ベルゼルの制止でム・ドラル人は仕方なく銃を下ろす。ただ警戒だけは怠らず、少女の一挙一動に神経を集中していた。

「これはこれは。エリカさんではありませんか」

 何事もなかったかのように、穏やかな声でそう迎える。

 もっとも、ベルゼルとて警戒していないわけではなかった。この時この場所に現れた彼女に気を許すほど愚かではない。その声とは裏腹に、最大限の警戒の眼差しで、とりわけエリカの魔力反応に神経を集中させた。卓越した戦闘技術を誇るム・ドラル人であるが、対魔法には対処に限界がある。故に、魔力に動きがあれば自身で対処する構えでいた。

「また会えるとは思ってもいませんでした。ご無事で何よりです。しかし、こんなところで何を?」

「お師匠を取り返しに来ました。まだ聞かなくてはならないことがあるので」

 エリカは険しい表情でそう答えた。

 すると、「ああ。なるほど」と合点がいったように軽く拳を打つベルゼル。

「エリカさんは勘違いなされているようですね。屋敷ではあんなことにはなりましたが、私は自分の意志で彼らと同行しています。心配は無用です」

 その告白に、エリカは心底驚いたように目を見開いた。

「そんな……どうしてですか!?」

「無論、彼らに魔法技術を提供するためにです」

「気は確かですか!?何故よりにもよってム・ドラルなんかに……一体何が目的なんですか」

「申し訳ないのですが、あいにくと私は今、先を急いでいます。お話はまた別の機会にしましょう」

 この期に及んでも尚、まともに取り合わないベルゼル。

 それでもエリカは両手を広げ、あくまでベルゼルに立ちはだかる姿勢を見せる。

「お師匠、どうか行かないでください。私と一緒に戻りましょう。そして罪を償ってください」

「罪?何の事でしょう?ひょっとして、悪魔召喚のことを言っていますか?そういえば彼の姿が見えませんが、一緒では……」

「とぼけないでください!」

 エリカの叫びが、静寂の港に木霊する。

「言わないとわかりませんか?二年前、お師匠は私を騙し、無辜の命を犠牲に悪魔召喚を行わせた……その罪を投げ出して、逃げるなんて許しません」

「ではエリカさんの罪はどうなのですか?」

 虚を突かれ、戸惑うように「私の、罪?」とエリカは聞き返す。

「あなたは悪魔である彼を召喚後、今日に至るまで側に置き続けた。盟約者は召喚者の意思でいつでも元の世界に送り返すことができるはずです。でもしなかった」

 ベルゼルが言う通り、召喚された盟約者は召喚者の意思で送り返すことができる。

 盟約者は全てが常に召喚者に従順とは限らない。暴走などで召喚者に制御できなくなったり、盟約者が反逆を企てることもあり得る。そういった事態に備え、術式に組み込まれたある種のセーフティである。

「そしてその力を使い、これまで多くの捜査官や賞金稼ぎを退けたのではないですか?」

「でもそれは、無実を証明するまで捕まるわけにはいかなかった。だから仕方なく……」

「だから躊躇うことなく行使してきた。無辜の命を犠牲に呼び出した、悪魔の力を。自分の目的のために。さて、そんなあなたに罪はないのですか?」

 弱々しい反論もさらなる問いかけに上書きされ、エリカは返す言葉を失う。

「さ。もういいでしょう。これ以上お喋りを続けると、彼らがあなたを黙らせることになる……永遠に」

「待ってください!」と声を上げるも、向けられた銃口によりその先を発することは出来なかった。

 そしてついには顔を俯かせ、弱々しく肩を落としてしまう。

 裏切った師に罪を認めさせることも出来ず、引き止めることすらできない。

 悲嘆に暮れ、絶望と失望に打ちひしがれた。

 ――まるでそんな風に見えたことだろう。

「……聞くに耐えない詭弁だ」

 ぼそりとつぶやかれた言葉に、ベルゼルは違和感を覚える。

「躊躇うことなく?がそんな利口かよ。むしろそうしてくれりゃ、はどんだけ楽だったか」

 吐き捨てるように言いながら一笑する。

 この時、エリカの雰囲気が変わった事に、ベルゼルだけが気付いた。

 自分の弟子は、たとえ憎い相手であっても、こんな乱暴な言葉づかいはしない。こんなシニカルな笑みは作らない。

 どちらかと言えば――

 瞬間、その疑いはベルゼルの頭の中で一つの可能性が脳裏によぎる。

「まさか……!」

 言いながらベルゼルは即座に魔法を発動する。

 行使した魔法は『ビュア』――"離見"とも呼ばれ、任意の場所の光景を自らの視覚に映す視覚補助魔法。

 街の状況の監視のため、ベルゼルはこれをマルレーンのいたるところに配置していた。屋敷からここまで、警察の監視網にかかることなく港まで辿り着けたのもこの魔法を駆使したからである。

 そして今、この魔法を使ったのは別の場所の様子を見るため、ではない。

 今、自分の見ている光景と比較するためだ。

(自分の視覚が当てにならないとすれば、第三者の目が必要……)

『ビュア』はベルゼルの右眼とリンクしている。眼の前にいるエリカを、右眼の映像で別視点から見る。

 果たして、エリカの姿をしたはにやりと笑った。

 右目に映っているのは、よく知る弟子の姿ではなく、浅黒の肌で短髪の少年。

 第Ⅰ級召喚禁止指定種『悪魔』。名を、ヴァルダヌ。

「遅ェよ」

 瞬間、ベルゼルを中心に魔法陣が展開する。それはベルゼルの意思で展開したものではない。何者かがベルゼルを標的に魔法を発動したのだ。

 何者か。決まっている。

 ベルゼルは魔法陣からつながる魔力を即座にたどり、そして見つける。

 ヴァルダヌのさらに後方に位置する倉庫の屋根の上。咎めるような厳しい表情で自分を見下ろす弟子の姿を。

 そしてこの間、ベルゼルを守る役目を担うはずのム・ドラル人は戸惑っていた。

 魔法を解さぬ彼らには何が起きているかわからず、結果、攻撃をしていいものかどうかすら瞬時には判断できなかった。

「テメェの弟子の違いに気付くのが遅すぎなんだよ。ま、弟子を平気で裏切るような奴には無理な話だがな」

 声高に言うヴァルダヌを、ベルゼルは無表情でただ見つめた。

「せいぜい悔い改めることだな」

 展開した魔法陣が一際強く光を発し、ベルゼルと本物のエリカがその場から、消えた。


 *


 相手の視覚を上書きする幻術は、ベルゼルにも十分通用したようだ。

 一矢報いてやった気持ちで、ここまで鬱屈していた気分が少しだけ晴れた気分だ。

 惜しむらくは、悔しさに歪むやつの顔を見れなかったことくらいだ。

 俺は視線を上げ、同じくその場に取り残された黒服ども――ム・ドラル人どもを見遣る。

 護衛対象を見失ったム・ドラル人が慌てふためき、周囲を見回して消えたベルゼルを探していた。初めて見る奴らの狼狽の姿に俺は内心ほくそ笑む。

「さて。んじゃ、ずらがるとするか。悪いが急いでるんでね。迷子はお巡りさんに保護してもらえ」

 俺の役目はここまでだ。作戦がうまくいった以上、ここに留まる理由はない。

 いかに奴らが人間離れしていようと、逃げるだけなら何とでもなる。

 俺が声をかけると、連中は一斉に銃口を向ける。

 即座に発砲しなかったのは、不測の事態でも冷静さを失ってはいない証拠だ。

 消えたベルゼルの居所はおろか、何がどうなったのかすら分からない奴らにとって、俺は唯一の手がかりだろう。いかなる手段をもってしても俺から情報を聞きだすつもりだ。

 当然、そんな事に付き合ってやる気は毛頭無い。逃げる算段を考えていると、頭の中にエリカの声が響いた。

『ヴァル君……』

『どうした?随分早いな。心配しなくてもこっちは――』

『失敗したわ』

 思いがけない一言に、俺は眉をしかめて聞き返す。

『どういうことだ?転移魔法はちゃんと発動しただろ!?』

『ええ。でも、ここはまだ埠頭のどこか。そこからそう離れていない場所だわ』

 なんてこった。目的の場所に転移できていないとなるとエリカの身が危うい。

『わかった。それじゃ今すぐそっちに――』

『待って。たぶんそっちにもこちらの所在がばれている筈だわ』

 そう言われ、視線だけをム・ドラル人どもに向ける。

 見れば、ム・ドラル人の一人は掌に収まるほどの小さな箱型の物に何やら小声で話しかけている。箱からはノイズに混じりベルゼルの声が漏れている。

(あれは、通信器の類か……?)

 まさか魔法無しで遠隔通話を可能にするとは。やつらの“技術力”とは武器防具の類に留まらないようだ。

『彼らに合流されたら厄介だわ。こっちは私が何とかするから、その間に彼らの足止めをお願い』

『なんとかって、お前どうする気だよ!』

 俺の必死の問いにも『……なんとかよ』とふざけた答えしか返さない。ノープランかよ。

『わかったよ。こっちは俺に任せて、何とかしてみせろ』

 それを最後に、交信を終える。互いの状況を把握するために、魔力命脈ラインの出力は維持したままだ。

 ちょうど向こうもベルゼルとの交信が済んだらしい。通信装置を腰の後ろに戻し、再びこちらを見据える。

 もはや先ほどの狼狽は影も形も見当たらない。

「どうやらお互いご主人様は取り込み中みたいだな?」

 睥睨しながら言う俺の言葉に返ってきたのは無言の威圧感だけだった。

「しかし難儀なご主人様を持ったもんだな俺も、あんたらも」

 後頭部をボリボリ掻きながら同情するように言うが当然返答などなく、代わりに俺を包囲するべく静かに動き出す。

「まぁ忠実な番犬同士お互い……」

 と、やる気の無い表情を急変させ、

「存分に、愉しもう」

 耳まで裂けるような凄絶な笑みを作る。

「総員、散――」

 殺気に反応した一人のム・ドラル人の声は、半ばで声は途切れる。

 首を押さえるその指間からは短い柄が覗く。

 それは飛刀と呼ばれる、投擲専用の刃物で暗器だ。

 頭の後ろで『敗者の器』を発生させ、死角から密かに取り出して投げつけたのだ。

 だが、その結果に俺は満足するどころか軽く舌打ちをする。

「やっぱ、あんたらやるね。全員を狙ったのに、当ったのは一人だけか」

 俺は素直に賞賛する。

 生憎まだ左腕は再生していないので、同時に四本を二度に分けて投げた。

 しかし、命中したのは指示を出そうとした一人のみ。残りは銃で防御され、もしくは鮮やかに躱されてしまった。

 飛刀が命中したム・ドラル人が石畳に倒れる。それを合図に、残りのム・ドラル人は猛烈な銃撃を浴びせかけ、たまらず素早く倉庫の影に身を隠す。

 かくして盛大な血飛沫と銃弾を持って、戦闘の火蓋は切って落とされた。

「やっぱこうじゃなくちゃな」

 口の端を吊り上げ、俺は楽しげに一人呟く。

 俺は壁越しにそっと様子を見る。小型の銃を油断無くたまま包囲すべく連携して動く。その様はやはり精巧な機械のように無駄がなく、正確だ。仲間が一人やられたと言うのに動揺や怒り、感情の揺らぎは皆無だった。

 一対多数。高い身体能力に強力な飛び道具。

 バカ正直に真正面からやりあえば勝ち目はない。何せ相手は王国捜査官エージェントや高位の盟約者と真っ向からぶつかり、圧倒したのだ。

 そうこうしているうちに、奴らは俺の隠れている角のすぐ手前まで来ていた。ここに留まっていてはやられるのは明白だが、また運が悪いことに俺が逃げ込んだのは袋小路だった。

「……こっちも手段を選んでられる余裕は無いな」

 俺は街灯に照らされ足元に伸びる自分の影を一瞥すると動きに出る。

 一方、連中は俺の隠れる一角を完全に包囲する。二人が銃を構えて壁を背にして角まで接近し、残りは互いをカバーできるように距離を取る。

 そして前衛二人は、銃を構えて素早く俺が隠れている一角に身を滑り込ませる!

 しかし、そこに俺の姿は無い。ただ赤茶色のレンガの壁が三方を塞いでいるだけだ。

 一瞬の逡巡も無く、視線と銃口を常に同じ方向を向けながら上方と前後左右をすぐさま確認する。他の面々にも状況が伝わり、全員の警戒心が全方向に向けられ、動くものなら何にでも敏感に反応する構えだ。

 恐ろしく無駄のない動きだ。惜しむらくは、魔法の、そして盟約者という理外の存在への対処としては不十分ということだ。

 最後方のム・ドラル人の足元には街灯に照らされて長い影が伸びている。その影が水面のように一瞬揺らいだ。

 そのム・ドラル人は気配を察し、背後を振り返ったがそれ以上のことは出来なかった。背中からおびただしい量の血が噴水のように溢れ出し、背後に立った俺を鮮血で濡らす。

『影渡り』――影から影に泳ぐように渡る事ができる悪魔専用の術だ。これで奴の背後に忍び寄り、手にした曲刀で無防備な背を切り裂いてやったのだ。

 魔法と悪魔としての能力。

 やつらと渡り合うのにはこれらを駆使するしかない。

(まさか人間相手にここまですることになるとはな。クソ天使の苛立ちも少しは分かるな)

 異変に気付いた仲間たちが一斉に銃撃を叩き込んでくる。銃弾が髪を弾き飛ばし、鼻先を掠めていき、俺は慌てて回避行動を取る。

「ちっ!もう一人二人は潰したいな」

 俺が姿を消すと、奴らは銃撃を止め、再度警戒の姿勢を取る。

 今度はさっきほどうまくはいかないだろう。だが、まだからくりを理解するには至っていない。奴らの警戒は完璧だが物理法則や常識、理解の範疇を超える事態にはどうしても一瞬対応が遅れる。

 付け入る隙は、そこだ。

 街灯に一番近い一人のム・ドラル人は、自分の背後にわずかな空気の揺らぎを感じた。すると目で確認をするよりも早く、鋭い後ろ回し蹴りを放っていた。避けることもできず、は軽々と吹き飛び、積み上げられた木箱の中に突っ込んでいった。ム・ドラル人は続けざまに銃撃を浴びせようと銃を向けるが、

「待て!撃つな!」

 という仲間の制止に慌てて銃口を上げる。木片が飛び散るその場所をよくよく見てみればそこに横たわるのは敵の姿ではない。そいつは飛刀を食らい倒れたム・ドラル人だ。

 目くらましとして投げ込んだが、期待通り食いついてくれた。

 一部始終を顔半分だけ出して見ていた俺は、囮に気を取られているそのム・ドラル人の背後へと迫る。

 しかし、攻撃の動作に映った瞬間、バッと背後を振り向く。

(僅かな空気の流れに反応したのか!?)

 驚くほどの鋭い感覚だが、それでも今しがたの囮のせいもあってか反応から反撃までに一瞬遅れがあった。

 そして刹那の如き一瞬でも、この戦いの最中では致命的な間となる。

 新たな武器――刃が波打つ短剣・クリスが空を切る音と共に猛烈な速度で繰り出される。

 銃を握る手に始まり、関節、脇腹、そして両腿を高速で穿っていく。波打つ刃によって傷口を広げられ、おびただしい量の鮮血が吹き出して石畳を染め上げる。

 いよいよ立っていることもままならず、がくりと膝を着くム・ドラル人。しかし、そのまま倒れることは許さないようだ。

 手負いとは思えない動きで脇の下に手を伸ばし、そこに収められていた小型の銃を抜き撃つ。小さく爆ぜるような銃声とともに吐き出された銃弾が俺のわき腹に命中し、血の花を咲かせながら焼けるような感覚が瞬く間に駆け上ってくる。

「くそがっ!大人しくしてろ」

 悪態と共に蹴り上げたつま先を側頭部に叩き込み、今度こそ血溜まりに沈める。

 不覚にも手こずってしまった。

 そしてこの小さな失態が、奴らに対策を打つ隙を与えてしまったようだ。

「影だ!街灯を撃て!」

 言うが早いか、正確な射撃で街灯が次々と砕かれる。瞬く間にあたりは闇に塗りつぶされる。光が無くなれば当然影も発生しない。

(仕掛けに気付いたか。だが、選択を誤ったな)

 この暗闇だ。奴らは自ら視覚を潰したも等しい。闇に慣れるのに最低でも数秒はかかるはずだ。

 一方、こちらは魔法で視覚を強化しているので、暗闇の中でも問題なく見える。

(目が慣れる前に、もう一人潰す……!)

 俺は石畳を音もなく駆け、直近の一人に狙いを定めて踏み出す。

『敗者の器』からククリと呼ばれるくの字に曲がった特殊な短剣を取り出すと、間合いに入ると同時に首筋目掛け一直線に振り抜く!

 空を切る短い音を伴い刃が首筋に食らいついた、と思われたその直前。

「なっ!」

 素早く差し込まれた掌が、正確に俺の手首を押さえ込んでいた。

 気配や音を察するだけではこうはいかない。

 ム・ドラル人は掴んだ腕をその強力で引き寄せると、その反動を乗せ腹部に強烈な膝蹴りを抉りこんだ。同時に手を離され、俺はそのまま受身も取れず石畳をバウンドする。

 それを追う様に他のム・ドラル人が銃撃を加える。眼前で石畳が銃弾によって砕かれる。その銃撃はこの暗闇にも関わらず、正確に俺を狙いすましていた。

 間違いない。こいつらは見えている!

 これにはたまらず、足元に魔力を集めると同時に脚力を爆発させて一気に跳躍。一瞬にして三階建ての倉庫の屋根へと降り立つ。

「やっぱ一筋縄じゃいかねぇな、あんたら」

 三階分の高さなどものともせず、壁を蹴り上げて後を追ってきたム・ドラル人に俺は苦笑い交じりに吐き捨てる。

 よくよく見れば、ヘルメットに装着されていた機械が、ちょうど右目に被さるように降ろされている。隙間からは淡い緑の発光が確認できる。

(暗闇の中で俺を正確に捉えることができたのはアレのおかげか……)

 つくづく奴らの技術力には驚かされるばかりだ。

 それでも三人を減らすことができた。人間離れしたこいつら相手の奇襲としては、まずまずの戦果だ。

「さぁ、第二幕の開始だ。来いよ」

 俺の挑発の言葉に、ム・ドラル人は銃弾でもって応える。

 遮蔽物の無い屋根の上では良い的だ。俺は右へ左へと銃弾を躱し避け、また障壁魔法で防御しながら、ひたすら動く。銃弾の威力は俺の障壁でも完全に阻むことはできず、ものの数発で砕けてしまう。

 このままでは長くは保たない。切り抜けるには、打って出るしかない。

 駆けながら右手を横に振り、攻撃魔法を放つ。奴らの足元から無数の炎が発生したがしかし、奴らにその炎が燃え移ることは無かった。奴らは平然と攻撃を続ける。

 武器だけでなく、防具も並外れた性能だとエリカは言っていた。対炎熱の加工が施されているのだろう。

 無論、そんな事はこれまでの戦いで想定済み。あくまで牽制の一つだ。

 暇を与えず、俺は続けざまに無数の投げナイフを放つ。先程の飛刀以上の速度でばら撒いた刃が銃弾と空中で交差し、吸い込まれるように奴らへと迫る。

 しかし、一度見せた攻撃は、奴らには通用しないようだ。

 ナイフの群れを恐れることなく、自分に当る軌道の物だけを正確に見極め、最小の動きで躱す。

『敗者の器』の理屈は理解できなくても、何もない空間から武器を取り出すという仕組みを呑み込み、それを前提として戦術を組む。そんな兵としての心構え、というよりはこの殺人機械キリングマシンの真髄を感じた。

 だが、一見効果が無い攻撃の積み重ねが、その殺人機械キリングマシンに一瞬の隙を生み出すことに成功する。

 奴らがナイフへ対処する僅かな間隙、銃弾の波は止む。それは瞬き以下の刹那の間だが、攻勢に転ずるには十分な時間となる。俺は這うような低い姿勢から狙いをつけていた一人へと高速で迫る。銃弾をばら撒くム・ドラル人だったが銃弾は俺の残像と床を抉るだけだった。

 ――残った五人の内、三人の銃を潰しているのは確認済みだ。

 初っ端の飛刀での奇襲は防がれたものの、刀身が銃身の半ばまで貫いたのは視認している。破壊を期待した訳では無いが、それ以降、奴らがその銃を使用せず、脇の下に吊るした小型の銃に持ち替えている。

 脅威であることに変わりはないが、小型の方は連射性と命中精度に劣るようで、おそらくは補助的な武器なのだろう。

 ならば、銃が無事な残りを優先的に叩くのがセオリーだ。

 間合いに入り込んだ俺に拳を振り下ろすが、すでに遅い。

 軽いステップで側面へと回り込んだ俺は、『敗者の器』から得物を取り出し、すでに振り上げている。

 手にしたのは戦斧。重量級の武器で扱いは難しいが、その堅牢さと切れ味は神界製の逸品。防御手段を持ち合わせない奴らにはまず防げまい。

 勢いと重量を乗せ、振り下ろされる必殺の一撃。

 しかし、俺の手に伝わってきたのは肉を切り裂く感触ではなく、鋼と鋼がぶつかり合う硬質な手ごたえと反動だった。

 間に割って入ったのは仲間のム・ドラル人。その手にはどこから取り出したのか一振りの剣が握られていた。

「なんだ、こいつは……!?」

 その驚愕はそのム・ドラル人にではない。そいつの握る得物に対してだ。

 細身でわずかに反りのある剣身は、とても戦斧を受け止められるようには見えない。しかし、脆そうな見た目に反し、実際には戦斧を受け止めても歪み一つ生じていない。

 俺の知る限り、その外観は「刀」と呼ばれる刀剣に酷似している。

 凄まじい切れ味を発揮する刀剣の一種で、見た目に反し頑丈さも兼ね備えている。だが、その真価を十全に発揮するには担い手にもそれ相応の技術を要求する刀剣だ。

 だが、こいつのは少し様相が異なる。

 装飾の類は一切なく、鍔すらない。ただし、艶のない黒塗りの刀身表面には幾何学模様が薄く浮かび上がり、耳をすませば虫の羽音のような微細な音を発している。

(こいつは……振動しているのか?)

 俺の推測は的中する。

 ム・ドラル人がにわかに力を込めたかと思うと、刀は受け止めた戦斧に食いついた。

 直感的にヤバいと察した俺は戦斧を手放し、後ろへと飛び退る。

 直後、高速振動する刃が鼻先を掠めていった。

 鉄塊の如き戦斧は、宙で真っ二つに断ち切られていた。

「おいおい、嘘だろ……!」

 見る影もなく無惨に転がる戦斧の残骸。

 神界製の業物を、知覚できないほどの超高振動でいとも容易く断ち切るその刀。

 ム・ドラル人の技術は異界レベル――

 エリカの言葉を思い出し、それが誇張ではないことを実感する。

「まさか、ここまでとはな……いやはや恐れ入ったよ」

 冷や汗を拭いながらそう呟く。嘘偽りない、心からの感嘆と称賛だ。

 技術に、そしてその賜である武器に善悪はない。

 担い手に関係なく、業物と、それを生み出すものには敬意を抱くのは当然だと俺は思っている。

 無論、それを受けて気をよくするような連中ではない。

 今は戦いの最中。俺の背後で影が動いた。振り向くと、刀を上段に振りかぶった構えのもう一人のム・ドラル人の姿が!

 悪態を吐く暇も無く、俺は魔法を行使。後方の空間に高密度の障壁を三重に発動。その間に目の前のム・ドラル人を力で押し返し、瞬時に奴らから間合いから脱する。

 気付けば、銃を失った残りの二人も刀へと得物を持ち替えていた。

 俺を中心に三角形を描く陣形で、常に二人が俺に死角、すなわち左と背後に来るように足を運ぶ。

 形勢はこの上なく不利――だが、この展開は俺にとっても都合がいい。

 正面のム・ドラル人は刀を横に流し構え、大きく踏み込むと同時に、刀身が霞んで見えない程の速さで横一文字の斬撃を放つ。

 俺は背を反らしてそれを躱すと、服と胸の表面を僅かに斬り裂かれながらも床を軽く蹴り上げる。

 回転しながら視線の高さまで来たそれ――刀身が半分になった戦斧を掴み取ると同時に、背後に向かって振り抜く。

 そこにはタイミングを合わせたム・ドラル人が突きを放っていたところだった。

 瞬時に危機を察知しされ、身を引かれてしまったが、左手を深く切り裂いてやった。

 素早く旋回して正面のム・ドラル人に向き直り、斜め下からのすくい上げる斬撃を繰り出すが、逆手に持ち替えた刀で受け止められる。

 鍔迫り合いになると思われたのも束の間、弾かれるように離れる。

 直後、銃弾が横殴りの雨となって叩きつけられる。正々堂々と剣を交える、なんて感覚は奴らにはないのだろう。

 しかし銃弾は、火花を散らして弾かれる。

 俺は戦斧を手放し、『敗者の器』から新たに身幅の厚い大剣・バスタードソードを取り出し盾代わりにかざしていた。

「ッラぁぁぁ!」

 そしてそのまま強引に押し込み、銃のム・ドラル人に体当りする。

 大きく吹き飛ばされ、屋根から落ちそうになるところを刀のム・ドラル人に支えられ既のところで止まる。

「やっぱ戦いは斬った斬られたってのが一番楽しいなァ!そうだろ!?」

 滾る高揚感を言葉と刃に乗せ、横手に回り込んだム・ドラル人へと叩きつける。

 奴らは敵対者に対しては無慈悲かもしれないが、仲間を巻き添えにするようなことはしない。

 だからいずれかと組み合っていれば、銃撃はしてこない――この短時間で確信したことの一つだ。

 三人の刀のム・ドラル人は床を蹴り、左右、そして背後から同時に襲い掛かる。

 逃げ場もない絶妙な連携攻撃。

 下手にいずれかを防ぐか躱しても、その瞬間に残りの刃が首を断ち切るだろう。

 だからギリギリまで引き付け、刃が届く瞬間に動く。

 左から来る突きをまず体を傾げて躱すと同時に、無理な体勢から回し蹴りを放つ。衝撃にそいつの身体は大きく状態を崩して吹き飛ぶ。続けて迫る横薙ぎの斬撃を、落雷の如く一直線に振り下ろしたバスタードソードで叩き落す。そして体を百八十度旋回させ、背後のム・ドラル人と相対した時にはすでに乾竹割りの斬撃が目の前まで迫っていた。

 すでに間合いの内。防御が間に合う距離ではない。俺は頭上に障壁を展開し、斬撃が障壁に食い込んだ一瞬の隙に腹部に柄頭を打ち込んだ。

 二、三歩後ろによろめくム・ドラル人。この隙に必殺の一撃を叩き込む……ことは叶わなかった。

 背後の二人が早くも体勢を立て直し、切っ先を繰り出していた。

 背中を削られながらも、床を転がり辛くも回避。

 お返しとばかりに、跳ね起きながら飛刀をばら撒くように投げつけ、追撃を牽制する。

「そうだ!来い!まだこんなもんじゃないだろ!」

 俺の挑発に、目にも留まらぬ攻防はここに来て尚、ヒートアップする。

 理路整然、それでいて苛烈を極める剣戟。血が沸騰するように熱く、骨と筋肉は限界を超えて軋む音を上げ、思考は目の前の敵を斬る事だけにフル回転する。

 主義主張も、憎悪も、善悪も、言葉すらもない。

 そこには命を狩るためだけの命のやり取りがあった。

 ――愉しい。

 こんなに愉しい戦いは、召喚以来初めてだ。

 狂ったように刃を振るい、防ぎ、躱し、命の表面を削り取るような剣戟を、どれほど重ねただろうか。

 剣気を纏った鋭い袈裟斬りを、俺は寝かせた剣身に拳を押し当てて防ぐ。

 俺とム・ドラル人は額が触れるような距離で組み合いながらも、視線を素早く走らせる。

 敵の位置を常に把握しなければ、うっかり銃の射線上に入って目も当てられないことになる。

 しかし、そこであることに気付く。

「……もう一人はどこだ?」

 銃のム・ドラル人が一人、姿が見えない。

 さらに視線を巡らせると、果たして、眼下にその姿を見つける。

 そいつはこちらに背を向け、倉庫の下を駆けていく。

 この状況でどこに行く気か――そんなの、決まっている。

 ベルゼルのところだ。俺を仲間に任せベルゼルの奪還に向かったのだ。

 一人だが、エリカが奴を阻むことはできないだろう。

 屋敷で銃弾にさらされた警察の魔術師の死体が、エリカに重なる――

 瞬間、俺の体の中で何かが爆発する。

 最奥部にある俺の実体にして心臓部――魂が激しく脈動し、魔力を激しく迸発させた。

 膨大な魔力が体を駆け巡るのを感じながら、力強く踏み出す。

 すべての光景が霞んで後ろへと流れていく。

 足は遠ざかるム・ドラル人に向けられる。最速で、最短距離で。

 しかし、そこに真正面から立ち塞がる、刀のム・ドラル人。その腕が翻り、夜闇と同じ色の斬撃が俺の軌道上に差し込まれる。

 今の俺は視界に捉えることも難しい速度のはずだが、それすらも計算に入れた絶妙な斬撃。仮に急制動を駆けても、避けることはほぼ不可能だ。

 もっとも、それに付き合ってやる気はない。

 瞬時に神経を眼前の一点――マスクの奥、機械に覆われていない方の目に集中させ、凝視する。

 目と目が合った瞬間。相手へと一気に流し込むイメージ。

 すると、刀を振るうム・ドラル人の動きが完全に硬直した。そして何かに打ち据えられたかのように大きく仰け反った。

『邪眼』――視覚を通じて相手の精神に瞬間的な負荷を与える術だが、俺のはさほど強力ではない。強い相手なら効き目は薄い割に自身への反動も大きいため、使い勝手はすこぶる悪い。

 それでも、人間相手に隙を作る程度なら十分だ。

 術の反動で歪む視界の中で、直感を頼りに斬撃を振り下ろす。

 手に伝わるのは、肉を潰す手応え。クリアになった視界には、刀を握った右腕と右膝をまとめて断ち切られ、体勢を崩すム・ドラル人の姿が映る。

 足を一切緩めることなく、前のめりに倒れそうになるそいつの身を全力で蹴り飛ばす。

 床をバウンドしていく仲間を避け、今度は銃のム・ドラル人が銃口を向けてくる。

 俺の進路を阻む立ち回り。俺の狙いに気付いたか。

「邪魔だァっ!」

 速度を緩めず、叫ぶと同時に俺は手にしたバスタードソードを全力で投げつける。

 唸りを上げて回転しながら迫るバスターソードを紙一重、体を傾げて回避し、尚も銃口を向ける。

 しかし、その次の攻撃までは躱すことは出来なかった。

『敗者の器』から引き抜いた長大な槍であるランス騎槍が、すれ違いざまにム・ドラル人の腹を貫く。勢いに腕力を上乗せし、屋根の上からランスごと投げ飛ばす。

 落下していくム・ドラル人を後ろに屋根を蹴り、宙を舞う。

 一つの弾丸となった俺は滑空中、『敗者の器』からさらに得物を引き抜く。姿を現したのは、身幅の広い湾曲した刃を備えた長柄武器、偃月刀。

 ――やっぱ長得物は手にしっくりくる。

 石畳を削り、砂煙を立てて着地すると、前方のム・ドラル人を見据える。

 奴はすでにこちらの接近に気付いており、走りながら半身を向けこちらに銃口を向けていた。

 狭い路地に、銃声が木霊する。

 銃弾は前方ではなく、夜空の彼方へと消える。

 銃把を握った手首が、血飛沫とともにきりきりと舞い上がっていた。

 石畳を砕く程の爆発的な脚力で一瞬にして間合いにゼロにし、すれ違いざまに放った一閃。

 刃は銃把を握る腕を切り飛ばしてなお止まらず、脇腹を抜けて背中から突き抜けていった。その軌跡を示すように、一筋の朱の線を宙に描く。

 うめき声を漏らしてたたらを踏むム・ドラル人。その声色は、理の範疇を外れた人外悪魔への驚愕に彩られていた。

 そうして自身の血溜まりに倒れ伏すム・ドラル人の向こうに、ようやく追いついてきた二人のム・ドラル人が視界に入る。

「こんな楽しい時間を抜け出そうなんて。そういうの、ノリが悪いって言うんだぜ?」

 血に濡れる偃月刀を肩に担ぎ、冗談めいた口調で言う。

 やはりそれに応えることなく、無言でこちらを睨むム・ドラル人。その顔が、雲間から覗く月明かりに照らし出される。

 顔全体をマスクに覆われ、片目を機械に覆われている。唯一覗くことができる片目くらいなものである。

 だがそれを見て、俺は思わず笑みが込み上げていた。

 殺人機械であるはずのそいつの目からは、わずかに感情がにじみ出ていた。

 それは仲間をやられた悔しさか、自分を番犬呼ばわりされたことへの怒りか。それともそれは俺の読み違いで、闘争本能を刺激された、殺しを生業にする者の歓喜の色なのかもしれない。

「あんたらは俺に近い、いや同じとすら言える」

 ふと、戦闘の最中だと言うのにそんなことを口走っていた。

「遠く異なる世界から招かれた余所者。超越した力を持ち、それを主のために使い戦うためだけの存在。それでいてただの飼い犬ではなく、確固たる意思を持つ番犬……。あえて違いを挙げれば人間かそうでないかくらいだ。そうは思わないか?」

 無論、言葉は返ってこず、耳を傾けているかも疑わしい。それこそが何よりも如実に俺の問いに肯定を示しているように思えた。

「悪い悪い。仲良くお喋りをするような柄でもないよな。お互いに」

 ブンッ、と偃月刀の血を振り払うと、柄を握ったまま人差し指をくいくいと揺らす。

「番犬は番犬らしく、目の前の相手を食い殺そう」

 不敵な笑みと言葉を契機に、両者は再び激突する。

 異邦者たちの刃が、月夜の下で乱舞する。

 まるで、世界の果てで同胞と巡り会えたことに歓喜するかのように。


 *


 最も驚いたのは実行したエリカ本人であった。

 エリカの作戦の要を成す高速転移魔法。これは文字通り、対象を一瞬で任意の地点に転移させる魔法である。

 エリカが定めた転移先は、歓楽街のど真ん中。歓楽街ほど離れていればいかに卓越した身体能力を有するム・ドラル人でもすぐには追ってはこられないからだ。

 夜も深いこの時間でも歓楽街に人は多い。そして一連の事件から特別警戒中であろう警察がすぐさま気付き、身柄を抑えるべく飛んでくる――そうなることを想定した作戦だった。

 だが、エリカの目に映ったのは人々が賑わう繁華街の光景ではなく、レンガ造りの無機質な壁。

 そこはまだ倉庫群の一角だった。

 ヴァルダヌのいる場所とは目と鼻の先である。

 とりあえずヴァルダヌに現状を報告し、交信を終えたエリカは目の前の人物を見据える。

「ええ。こちらは問題ありません。ただ少しそちらの合流に時間がかかります。……いいえ、すぐ近くです」

 ベルゼルは懐から取り出した箱――無線機に話しかけていた。交信相手は無論、ム・ドラルの工作員だ。

「はい。ではお待ちしています」

 無線の交信を終えると、ゆったりとエリカの方へ向き直るベルゼル。

「すごいですね、コレ。これは彼らから渡されたのですが、これだけ離れていても問題なく通話ができる」

 手の収まるほどの小型の箱をかざすように見せつけ、まるで何事も起きていないかのような平然とした口調で語りかける。

 同じ用途であっても、魔道具の通信器とは比較にならない。そのことは驚きに値するが、今のエリカにその余裕はない。

 転移魔法が妨害された理由。

 そして、この先の算段。

 頼れる相棒もいない今、一人でこの場を乗り切らなければならない。

 思考がフル回転しているエリカに、ベルゼルの戯言に返す余裕など無い。

 反応がないことに肩を落とすベルゼルは、鼻でため息をつくと話題を切り替える。

「しかし転移魔法とは驚きました。腕を上げましたね、エリカさん。もっとも、転移魔法は外部からの妨害を受けやすい。術式に脆弱性を感じますね」

 そこでエリカの頭の中に、妨害された原因が瞬時に思い至る。

「まさか対魔用の結界魔法、ですか……そういえば、結界魔法は師匠が長年研究してきた分野でしたが」

 弟子の回答にベルゼルは満足そうに頷くが、それでもエリカには信じられなかった。

 結界魔法。一定の空間に効果を及ぼす魔法の応用展開式の一つで、任意の空間に魔法の効果を及ぼす際に利用される。そして対魔法用の防御結界魔法は、内外からの魔法を遮断する効果を持つ。転移魔法を阻むには十分な性能だ。

 もっとも、複数の系統からなる結界魔法は非常に高度であり、実戦レベルのものとなれば高位魔術師複数人による展開が常である。

 直前まで不意打ちに気付かれていなかったのは間違いない。それがまさか、結界魔法を、それも単独で発動して妨害するなど本来ならありえない。

「別にこうなることを見越していたわけではありません」

 そんなエリカの驚愕を表情から読み取ったベルゼルは優しく言う。

「彼ら……ム・ドラル工作員がこの街に潜伏していることは当局に知られていました。ここを出る際、万が一交戦状態になる事を考慮して結界を準備していただけです」

 その説明にエリカは合点がいった。エリカたちがこの街に来たときから感じた警察の異常な警戒と、執拗なまでの身元確認。それはム・ドラル人を探し出すためだったのだ。

 もっとも、備えていたとは言え、あの一刹那の間に結界魔法を展開できたのはやはりベルゼルの魔法手腕によるところが大きい。

 改めて、ベルゼルという魔術師の実力を目の当たりにし、エリカは打ち震えた。ベルゼル程の魔術師はこの世に多くはないと確信した。

 だからこそ、エリカにはわからなかった。

「……やはりお師匠は本気でム・ドラルへ行く気なんですか?」

「もちろんです。そのために今日まで身を潜め、秘密裏に計画を進めてきました。だから工作員の存在は察知されていても、私の存在までは掴めていませんでした」

「しかし」と、続けベルゼルはエリカを正面から見据える。射抜くような鋭い視線に、エリカはわずかにたじろぐ。

「亡命の準備が整ったこの段階であなたが現れるとは。完全に想定外でしたよ」

 その言葉には、苦々しいものが少なからず込められていた。

「当局の目を引きたくないこの状況で、指名手配犯のエリカさんに近付かれるのはこの上なく厄介でした。万が一にも、王国捜査官エージェントなどに監視された状態で私の下に辿り着いた日には、全てがご破産になることも十分考えられた」

 そこでベルゼルは言葉を区切り、溜めるように間を置く。そして、

「あなたを襲ったアネットと言う賞金稼ぎバウンティハンター。彼女は古い知り合いでしてね――私は彼女にエリカさんの情報を与え、差し向けました」

 師匠の裏切りと知られざる己が罪。そしてム・ドラルと師の密約。

 一日にこれだけの驚愕の事実を知らされればもはや何を言われても驚きはしないと思っていた。

 だがやはり、尊敬した師が自分の死を望み、そして実行した事実は少なからずエリカに動揺を与えた。

「アネットは人としては、まぁ、色々と倒錯していましたが、こと魔法戦における腕前は一流です。あなたを消すには十分すぎる技量の持ち主……のはずでした。しかしまさか、その彼女を返り討ちにしてしまったのはもっと計算外でした」

「ならどうして、あの時私を助けたのですか?」

 エリカは今になってその疑問を口にする。

 あの時は弟子の窮地に駆けつけてくれたものと思っていた。だが、そうではないことは明らかである。

「彼女があの砂浜で人知れずエリカさんを仕留めてくれたなら、何も問題はなかった……だが彼女はやり過ぎた。街を巻き込むほどの大事にして注目を浴びた挙げ句、肝心のエリカさんは生き残ってしまった。状況はむしろ悪化してしまったと言えるでしょう」

 言いながら、まるでその時のことを思い出したかのように額を抑えて小さく頭を振る。

「逮捕されたアネットの口から私の名前が出てしまえば、いよいよ私の存在が当局に露見する。状況をコントロールする上での最善策はアネットを口封じし、秘密裏にエリカさんを手元に置くことだと判断しました」

 淡々と語るベルゼルに、旧知の仲であるアネット殺めた事に対する罪悪感は皆無だった。

「幸い、どうやらあなたは微塵も疑うことなく、まだ私を信じた。ならば二年前と同じ手が使える、と考えました」

 二年前。

 すなわち、魔法実験と称した、悪魔召喚。

「指名手配犯であるあなたに当局の注意が向けてられている間に、私は亡命するつもりでした。もっとも、そのせいで結局こうなってしまったのですからなんとも皮肉な話です」

 つまらない冗談でも語るような口調で言い、軽く失笑する。

 対象的に、腹腔から込み上げてくる怒りに顔を歪めるエリカ。

 自分を利用し、それに露ほども心を痛めていない師に。

 そんな師を盲目的に信じ、相棒を非難した自分に。

「つまり全部、嘘だったんですね。二年前、私を騙して悪魔召喚をさせたのも、罪を被せて当局の注意を逸らし、その間にム・ドラルに亡命するためだったと」

 声を震わせ、こみ上げてくる感情を押し込めてエリカは問う。

 しかし、意外にもベルゼルはわずかに反応を見せた。喉の小骨を気にするかのようにわずかに眉根を寄せる。

「それは少し違いますね。色々と手練手管を尽くしはしましたが、それは亡命のためじゃない。召喚儀式も、亡命もあくまで手段の一つ、使命を果たす過程でしか無い」

 使命――屋敷で引き渡される直前に交わした会話が蘇る。

「お師匠は魔法の探求と発展が自分の使命だと仰っていましたが、それも嘘だった……教えてください。お師匠の本当の目的は何なんですか?」

 嘘をつかれた怒りも乗せ、強い口調で問い詰めるエリカだったが、ベルゼルはこれを明確に否定する。

「あの時語ったことに嘘偽りは微塵もありません。私は今日までその使命を果たす事だけを第一に考えてきました。そのためなら手段も、自身の寄る辺も選びはしない、というだけの話です」

 嘘を言っているようには見えなかった。だが、その含むような言い方の真意まではわからなかった。

「――エリカさんは疑問に思いませんでしたか?あなたが指名手配される事になった、禁止魔法などという法の存在を」

 唐突な問いかけに、訝しむように眉根を寄せた。今まで疑問に思ったこともないし、その問いの意図も測りかねていた。

 そんなエリカの様子を見たベルゼルはさらに問いを重ねる。

「確かにエリカさんは悪魔召喚をしました。しかしこれまで一度でも、誰かを意図的に傷つけましたか?誰かに不利益を与えましたか?」

「いいえ。私は一度も力を振るいませんでしたし、必要最低限に留めるようヴァル君にも厳命しました」

 その問いには明確に答えることが出来た。

 身を守るため、追手を退けるためヴァルダヌの力を借りることはあっても、その力を己のために利用することはしなかった。

 その返答を予期していたかのようにベルゼルは「そうでしょう」と、満足気に深くうなずく。

「魔法は技術であり理。そこに善悪など存在しない。人が責を負うとすれば、その魔法で何を成したかです。どんな魔法でも、行使しただけで罪とするなど、あるまじき愚かしいことなのです」

「でも、制御も管理もできない大きな力は世の中を乱し、壊しかねません」

「それは魔法を知らぬ者の、知らぬが故の恐怖です。危険""ものを禁止し続ければ、その先に待っているのは緩やかな衰退。魔法という可能性を閉ざす愚行だと私は考えます」

 そこで言葉を区切り、エリカの表情を伺うベルゼル。

 言わんとすることは理解できても、それを容易には受け入れられない葛藤が見て取れた。

 そんな様子の弟子にベルゼルは「例えば……」と、再び口を開く。

「今ある治癒魔法は、最初から人を癒やす魔法だったと思いますか?否、そうではない。原初は名も無い、魔力の操作による人体への干渉でしかなかった。その後、数多の試行錯誤が、そして犠牲が有用性を証明し、初めて人を癒やす"治癒魔法"という魔法を生み出した。そこから枝分かれしていった無数の魔法が今日の治癒魔法体系を形作ったのです。それによって救われた命は、そしてこの先救われる命の数は途方もないでしょう」

「……」

「禁止魔法や禁忌魔法などというのは、その枝分かれの先にある未来を閉ざす行為です。最初はどんな技術も危険が伴う。当然です。何もわからないのですから。でも、いつかは誰かが手をかけなければならない。危険を排除し、生み出す恩恵だけを抽出するのが人の知性だとは思いませんか?」

 師事していた頃と全く変わらぬ、語って聞かせる口調のベルゼル。

 その間、エリカは悔しさにただ押し黙った。

 反論できないことにではない。

 師の言葉を理解でき、多少なりとも共感してしまっている自分にである。

「未来を閉ざされるのは魔法だけではない。その解明に携わってきた魔術師もです。努力と成果を無関係の他者によって否定され、絶望していった魔術師が過去どれほどいたことか。そもそも、魔術機関などという――」

「お師匠もそうだったのですか?」

 それは思わず口を衝いて出た投げかけであった。

 しかし、それは殊の外、ベルゼルの胸に突き刺さったらしい。これまで饒舌だった言葉が唐突に途切れる。

 そしてわずかに視線を上げる。虚空の向こうに、過ぎ去った昔日の光景を視ているようだった。

「……研究に明け暮れ、気の遠くなる程の試行錯誤の末にようやく理論や術式を確立しても、ある日王国の魔術機関の者が来て、言うのです。『あなたが研究中の魔法は禁止魔法に指定されました。以後の研究は禁止とします』と。長年の苦労の結晶を、まだ視ぬ未来を根こそぎ奪い燃やされる……その時の屈辱が如何程のものか、エリカさんに想像できますか?」

「そんなこと、私には一度も……」

 言いかけて、エリカは口を噤む。

 エリカの知るベルゼルは師事した数年だし、そんな過去を大ぴらに語るような人間ではないことはよく知っていたからだ。

「もっと屈辱的なのは目をつけられ、研究が奪われぬよう、お行儀の良い魔法研究しかしなくなってしまったことです。より直接的に利益を生む、わかりやすく見た目だけは華やかな魔法ばかり……それによって得られる評価や名声など、私にとっては塵一つほどの価値もない」

 この時、ベルゼルの目に浮かび上がる昏い感情をエリカは見逃さなかった。

 怒り、怨嗟、悲嘆――長年師事していて一度も垣間見たことがない、負の感情がそこにあった。

 しかし、それも一瞬のこと。

 ほんの瞬きの間に、エリカのよく知る理知的な賢者の仮面が覆い隠していた。

「禁止魔法は魔術機関の老人たちが協議して決めると聞きます。叡智を生み出すことが役目である魔術師たちが揃いも揃ってそんな下らないことに執心しているとは嘆かわしい……その点、彼らは違う」

 言いながら、埠頭の方角に首を巡らせる。

 彼ら――すなわち、ム・ドラル人を暗に示していた。

「彼らは技術に飽くなき探究心を抱き、貪欲なまでにそれを磨き上げる。その結果、魔法を用いることなく、あらゆる事を可能とした。我々の魔法文明と同等、いやそれ以上の文明を築いた」

 言いながら、手にした無線機を翳しながら言う。

「そんなム・ドラルに、私は未来を見ました。彼らとなら魔法を探究し、自らに課した使命も果たせると確信しました。重ねて言いますが、魔法の探究と発展こそ私の望みであり使命です」

 言葉の最後は低く険しい声になる。これまで穏やかだったベルゼルの雰囲気が、にわかに変わったのがはっきりとわかった。

「私は私の信念を貫き、使命を果たす。そのためなら愛弟子だろうと誰だろうと利用しますし、行く手を阻むのであれば持てる力で容赦なく排除します」

 こうなってしまっても尚、かつては憧れた師から直接言われるとやはり胸が痛んだ。

 そしてベルゼルは組んでいた腕をゆっくりと解く。

 口にした事を実行せんとばかりに。

(お喋りはここまで、ということね)

 師匠相手に弟子の自分が一体どこまで抵抗できるかわからない。

 でも、負ける訳にはいかない。

 確固たる決意を胸に抱き、魔力を練り上げる。

「……と、思っていました。つい先程までは」

 と、一転して穏やかな口調に戻り、そう付け加えた。

 おもむろに解いた手を、エリカへと差し伸ばす。

 そして、一言。

「エリカさん。私と一緒に来ませんか?」

 投げかけられた言葉に、身構えていたエリカは耳を疑った。

「こうして私の元までたどり着いたのは、運命でも神の思し召しなどでもない。あなたの強い意志と、弛まない研鑽で歩み続けった結果の、純然たる実力だ。私の想像を遥かに超えて成長したあなたを、こんな未来のない場所においていくのはあまりに惜しい。このままここに残っても、待っているのは終わりのない逃亡生活か、断罪による処刑です。そのことを今更ながら、私は悔いています」

 ベルゼルは温和で人当たりのよい人物であったが、その半面、お世辞やご機嫌取りに過大評価するようなことはしなかった。

 師事していた頃から含めても、エリカがこれほど認められたことはなかった。

「でも、わ、私は――」

「今語ったこと、多少なりとも共感したのではないですか?」

 心を見透かされ、動揺に心臓の鼓動が早まる。

「以前も言いました。大事なのは理念だと。もはやあなたは弟子ではない。並び立つパートナーとして、私と共に歩みましょう」

 向けられた優しい笑みを真正面から見つめ、その真意を探るも嘘偽りの類は微塵も見受けられなかった。

 思い返してみれば、これまでの言葉もエリカの様子をうかがい、言い含めるような物言いであった。

 自分の志を共にできると信じて疑わない眼差し。

 長年師事したエリカだからこそ、ベルゼルが本気であるとわかった。

 様々な思考が頭を過るエリカは、差し出された掌を黙って見つめた。

 そして、ゆっくりと自らの手を伸ばす。

 前髪に隠れ、エリカの表情は見えない。

 指先がベルゼルの手に触れ、五指に力を込め、

 しっかりと力強く、握った。


 *


 瞬間、ノイズが混じる。エリカ以外の魔力が混じったことで向こうの様子が分からなくなる。

 まさか、ベルゼルの甘言に乗るとは思えない。

 思えないが……。

 俺の一瞬の停滞を隙と見て、前後から一斉に斬りかかるム・ドラル人。

 前後左右、どこにも逃げ場はない。

「っち!」

 俺は跳躍することで左右から来る斬撃を躱し、街灯にぶら下がった。偃月刀は泣く泣く手放した。

 ム・ドラル人の一人は、視線を向けることなくそのまま回転するように広く刀を振り抜く。

 ィィィィィィン!

 甲高い尾を引く音が響き渡ると、視界がゆっくりと傾いていく。鋼鉄製の街灯が、根元から一刀両断に断ち切られていた。

 倒れる街灯の落下地点には刀を構えるム・ドラル人が、獲物を待つ肉食獣が如く待ち構えている。

「くそっ!」

 俺は体を捻り、つかんだ街灯を軸にして大きく一回転。そのまま手を離して体を宙に躍らせる。

 クルクルと宙返りの要領で高々と上昇しながら俺は『敗者の器』に手を突っ込み、天地逆さの上体から二メートルはある長槍を引き抜く勢いのまま眼下に投げ放つ。

 着地際に狙いを定めていたム・ドラル人への牽制には成功したものの、まさかもう一人が、それを踏み台にしようとは!

 石畳に斜めに突き刺さった長槍の石突を危なげもなく踏みしめ、空中にいる俺に躍りかかるム・ドラル人。

 駆け上る勢いを刃に乗せ、すれ違いざまに黒刀が胴を両断するコースで迫るが、俺は空中で身を振ってそれを辛くも回避。

 安堵したのも一瞬、唐突に駆け上ってくる激痛に血を吐き出す。

 脇腹を食いちぎっていったそれは、ム・ドラル人の刀――斬撃をかわされ、しかし上昇を続けたム・ドラル人が投擲したのだ。

 空中で鮮血を撒き散らしながら体勢を崩す俺を見据え、落下軌道に入ったそのム・ドラル人は肩口に手を伸ばす。

 天使の喉笛を掻き切った刀身の大型ナイフを抜き放ち、綺麗な弧を描く軌跡で体勢を崩した俺の首筋に迫る。

「――惜しかったなァ?人間だったらとれてたぜ」

 その俺の声は、空を切るナイフの側面を撫でながら

 上下の位置が逆転し、不敵な笑みでそう告げるとそいつの後頭部を鷲掴みにして、二人仲良く落下していく。

 そして着地と同時に、そいつの顔面を石畳に叩きつけてやる。

 腕力に落下エネルギーが上乗せさた衝撃を受け石畳にはクモの巣状に亀裂が入り、僅かに陥没した。

 ム・ドラル人はビックと二、三度痙攣して動かなくなる。

 俺に空中飛行も滞空する能力もない。

 だが、足元に魔力による力場を発生させ、それを足場にして空中機動の真似事程度なら可能だ。

 空中では皆等しく重力により落下する。その思い込み、いや常識が意表を突く間隙となった。

 これで残りは、一人。

 普通の人間なら逃げの算段に入りそうなものだが、最後に残ったム・ドラル人は正眼の構えで刀の切っ先を向けていた。そこに焦りや恐怖は無く、冷たい闘志は些かも萎えてはいない。

「やる気満々かよ。まいったね、そういうの――嫌いじゃないぜ」

 言いながら俺も『敗者の器』から長大な大剣、クレイモアを取り出すとブンッ!と一振りする。それだけで切っ先を受けた石畳が派手に砕け散った。

 俺の身長をも超える全長を誇り、身幅も大の大人が隠れられるほど広い。斬るというよりはその重量で受け止めたものを叩き潰す、まさに一撃必殺の武器。

 無論、その重量も武器の範疇を超えており、俺でも扱いが難しい代物だ。

 切っ先を石畳に置き、左半身で支えるようにして柄を頭上に構える。

「さすがにその刀でもコイツは受け止められねぇだろ。それでもかかってくるか?」

 挑発の声にも、黒刀の切っ先は僅かも揺るぎはしない。それこそが何よりも明確な回答であり、嬉しさのあまり俺は頬を歪めた。

 この場は静寂に包まれる。あるのは僅かな波の音と、暗闇。

 俺と最後のム・ドラル人は互いの間合いの一歩外でピクリとも動かなくなる。あたりは小波の音と静寂のみがある宵闇の港に戻る。

 しかし、閑寂な風景を他所に俺たちの緊張は極限まで高められていく。

 目の前の相手の一挙手一投足を目に焼き付け、頭は高速で情報を処理し、必殺の一手を導き出そうとする。

 どちらが先に動いたのか、定かではない。

 わずかに風が吹いたか、波が河岸に当る音か、小石が水面に落ちた音か。極限の緊張の糸を切るきっかけはそんな些細なことで十分だった。

 気付けば互いが示し合わせたかの如く同時に動き出していた。

 静から動に。体内のエネルギーはこの一瞬のために爆発する。俺の目には相手の動きがスローに見える。早すぎる思考は世界の全ての動きを緩慢にしていた。今なら打ち付けられた波の水の一滴さえ見える。

 俺の腕は高速で翻り、そして力強く踏み込み、

 直後、肉を切り裂く感触と駆け上ってくる痛みが、引き伸ばされた世界を急速に元に戻した。

 俺の胸からは多量の鮮血が、深々と刺さった得物の柄を伝ってドバドバと石畳の上に水溜りを作った。

 それを見た俺は口の端から垂れる血を拭いもせず笑みを作り、震える声で言ってのける。

「俺の、勝ちだ……!」

 その視線の先には、誰もいない。俺の言葉は後ろに向けられたものだ。

 後ろ――息遣いすら聞こえるほど至近距離にある、最後のム・ドラル人。

 その呼吸は荒く、苦しげに聞こえる。吐き出された血がマスクの内を染めていた。

 そしてそいつの背中からは、槍の穂先が飛び出している。

 その身を貫いた短槍は、俺の身をも貫いている。

 横から見れば、俺たちは共に串刺しになっているのがわかるだろう。

 手応えを確認した俺は、短槍を胸から勢いよく引き抜く。

 支えを失い、最後のム・ドラル人はぐしゃっとうつ伏せに倒れる。同時に俺も倒れるように地面に這いつくばり、込み上げてきた血をぶちまける。

 ――認めよう。奴らは間違いなく強い。

 極限まで自身を鍛え上げ、眼の前の敵を葬るために最善の手段を即座に選択する。

 全ては作戦遂行のため。

 まさしく奴らは理想的な「兵士」である。

 武勇や高潔さを重んじるような気高い騎士ナイトなどではない。

 そんな奴が、真正面からの一対一、まるで貴族同士の決闘のような状況で、正々堂々と互いの力量をぶつけ合うような戦いに応じるか?

 答えは、否。

 奴は必ず、確実に俺を仕留めるべく動くはずだ――俺には強い確信があった。

 もはやそれは、信頼と言ってもいい。

 狙うとすれば、死角である左か背後。

 だから俺はサードシフトで出せるもっとも巨大な武器のクレイモアを取り出し、それを武器ではなく、として用いたのだ。だいたい、こんな馬鹿みたいな武器、万全な状態であってもこいつら相手に通じるとは思えない。

 結果、目論見通り奴は背後に回った。

 それでも油断や慢心は微塵も見られなかった。仮に障壁で防いだとしても対応してみせただろう。現にやつの左腕は肩口のナイフにも伸びていた。二の太刀として備えていたのだろう。

 意表を突き、必殺の一撃を決める――そのために俺は『敗者の器』から短槍を取り出し、後退して身を寄せると同時に自身を貫いたのだ。

 ゼロ距離から、背中を突き破って突き出された槍を躱すことは、さすがの奴でも躱すことはできなかったようだ。

「肉を切らせて骨を絶つ――まぁあと一瞬遅れていたら俺の首が飛んでいたがな」

 ここまで想定どおりで尚、刀は俺の首筋数ミリ手前まで迫っていた。

 さすがの俺でも、首を断たれてしまえば成す術も無い。構造上、頭を潰されれば憑代を維持することができず、結果俺は死んでしまう。

 まさに紙一重の勝利。

 薄紙一枚差のこいつらの敗因。それはこいつらが人間以外の存在、つまり悪魔の存在を知らなかったことに尽きる。

 俺は徹頭徹尾、悪魔としての力を駆使したから辛くも勝利できた。

 このへんがあの脳筋天使とクレバーな俺の差ってわけだ。

「最高に楽しい時間だった。真のつわもの達に、心からの敬意と感謝を」

 横たわるム・ドラル人たちに対し、尊敬の念を込めたてそう告げた。

 言葉を返す者は一人も居ない。最初からそうだった。

 空気すら焦がすような激しい死闘は終わりを告げ、今はさざ波の音がわずかに聞こえるだけだ。

 強者達の魂がまるで海に還っていくような厳かな雰囲気に思えるのは、俺がいささか感傷的になってるからだろうか。

「……っと、浸ってる場合じゃなかった」

 もはや限界にきている憑代に鞭を打って俺はエリカのもとへ一目散に駆け出す。

 未だにエリカとのバイパスはノイズで状況を把握できない。

「馬鹿なことを考えんじゃねぇぞ……」

 一抹の不安を抱えながら、闇色の港を駆け抜ける。

 俺はエリカを信じているし、エリカが見せた決意は固い。だがベルゼルはそれ以上に狡猾だ。まだ立ち直ったばかりのエリカの心の隙に付け込まれてしまったら……

 程なくして向かい合う二人を見つける。

 そこで俺が目にしたのはベルゼルの手を取るエリカ。

 そして――


 *


 エリカはベルゼルの手をしっかりと掴み、

「私は行きません――そして、行かせはしない」

 確固たる意思を言葉にし、エリカはベルゼルに告げた。

 一方のベルゼルは、信じられないといった様子で眉根を寄せエリカを見つめていた。

 こいつは自分の弟子を何もわかっちゃいなかった。

 エリカがどんな覚悟でここに立っているのか。それを考えればあの程度の言葉でエリカが転ぶはずが無い。

 ……とか言いつつ、内心少し不安だったのは内緒だ。

「お師匠の言いたいことは分かりましたし、全てではないですが納得できる部分もあります」

「ならば――」

「ですが、伝えたその魔法が、こちらシーヴィルの人たちに向けられるとは考えなかったのですか?魔法を手にした彼らがそれを武器に他者を殺めないと、そして再び海を超えてこちらに襲いかかってこないと、どうして言い切れますか?」

「そうだとしても、得た魔法技術をどうするかは彼らの選択だ。私の感知するところではありません」

 言うに事欠いて、無責任ここに極まれりだ。

 こいつは殺人犯にナイフを与え、そいつが誰かを刺殺しても「自分はナイフを渡しただけ。どう使うかなんて知らない」と言っているようなものだ。

 そして海を渡って秘密裏に魔術師を拉致するような連中が、魔法をどう使うかなんて馬鹿でもわかることだ。

「魔法そのものに善悪は無いと言ったでしょう?それを決めるのは人間の意思――」

「私は魔法の話をしているんじゃありません。自分の行いの結果に責任を持つのは魔術師以前に、人として最低限のことです」

 最後まで聞くことなく、ピシャリと言い切る。

 自分の半分にも満たない齢の小娘に、ここまで正論をぶつけられるのはさぞ屈辱だろう。ま、見てるこっちとしては痛快極まりないが。

「私も魔法の探究と発展を目指し、自分のすべてを捧げてきました。その点はお師匠と同じです。でも、根本は違います。魔法使いは人の望みを叶え、幸せにする――それが私の信念です。その魔法で誰かを傷つけ、犠牲にすることは私には出来ません」

 それは師と弟子の決別。

 互いが互いを阻む、敵となった瞬間だった。

「お師匠のすべきことは、魔法技術の探究なんかじゃない。ご自分の罪を償うことです」

 真っ直ぐな糾弾の声を上げるエリカに対し、まるで駄々をこねる子供でも見るかのようにため息をつくベルゼル。

「あなたなら理解してくれると思っていたのですが、どうやら買いかぶっていたようです……失望しましたよ」

 吐き捨てるように呟くベルゼルは、そこで俺の方を向く。もはやエリカに興味も関心もないといった様子だ。

「君がここにいるということは、彼らは死んだのですか?」

「いや。かろうじてだが全員息はある。今はまだ、な」

 奇跡的に全員生きているのは確認している。あれだけ深手を負いながら、死んでいる奴は一人もいない。

 別に仏心が芽生えたわけじゃない。事実、手を抜くような余裕は一切なかった。

 ただ、手段を選ばず殺していいなら、もう少し楽な方法もあったのも事実だ。

 エリカの手前、惨たらしく命を奪うようなことは避けたかった。

 もうこれ以上、こいつが悲しむようなことは御免だ。

 もっとも、あくまで今は死んでいないだけで、いつ死んでもおかしくない程度には重傷だ。

 しかし、それを聞いたベルゼルは「ほほう」と、顔を綻ばせてほほ笑みを浮かべた。

「慈悲のつもりですか?悪魔の君らしくもないですね」

「あぁ?バカにしてんのかテメェ」

「失敬。別にからかうつもりはありません」

 凄んでも全く動じた様子もなく、笑みを浮かべている。まさか本気で奴らの身を案じているというわけでもないだろうに。

 その笑みの意味は、程なくして知ることになる。

「では次善策へと移行するとしましょう」

 ベルゼルがそう呟くと同時に、ベルゼルの足元に魔法陣が展開する。突如発せられた魔力に触発され、エリカは瞬間的に身構えた。

「やっぱこうなるか」

 頼みのム・ドラル人がやられた今、奴には戦うか逃げるしか選択肢は残されていない。

 もっとも、選んだ選択は賢いとは言えないがな。

 魔法の発動を待ってやるほどこっちはお人好しではない。すでに間合いを詰め、『敗者の器』から取り出した刺突用の長剣――エストックの先端を最短距離で送り込む。

 ム・ドラル人ならいざ知らず、魔術師のベルゼルには防御すら難しい――はずだった。

 だが、俺の手に伝わったのは空を切る感覚だけだった。目の前から唐突に消えたベルゼルに、俺は目を見開いて驚愕する。

「転移魔法よ!」

 エリカは叫ぶ。エリカでも準備に時間を要した転移魔法を、一瞬でやってのけるベルゼルの魔法の手腕はやはり侮れない。

「ここは結界内。そんなに遠くには行けないはず……まさか!」

 そう言うと、エリカは一人掛け出した。

「おいエリカ!どこ行く気だ!」

「師匠はム・ドラル人のところよ!」

 奴はム・ドラル人の生死を確認したのはそういうことか。

 この期に及んで、まだ奴らを酷使する気なのか。

「無駄な悪足掻きをしやがって……!」

 俺は苦々しく吐き捨てながらエリカの後を追う。

 確かに、奴の治癒魔術のレベルは高い。だが、致命傷の奴らム・ドラル人がすぐに戦える程回復するとは思えない。

 ベルゼルはそのことに思い至っていないのだろうか?


 まだ硝煙の匂いが残る激戦の跡地。空気すらもどこか熱を帯びているように思えた。

 果たして、ベルゼルは予想通りそこにいた。

 その周囲には血を流して横たわっているム・ドラル人たち。不気味なことに、彼らはベルゼルを中心にした円形に並べられていた。

 そして辺りには、掴めそうなほど濃厚な魔力が渦巻いていた。

 何か様子がおかしい。

 とても治癒魔法を行っているような様子ではない。

「この感覚――まさか!」

 エリカがそう口にすると同時にベルゼルの魔法の展開が始まった。

 展開された魔法陣は複数。一つはベルゼルの足元。そして残りは倒れているム・ドラル人の下。それらが蛇のように蠢き、複雑な紋様で結ばれ大きな一つの魔法陣が形成される。

「この魔法、と同じだわ……」

 エリカは信じられないものを見る目でその光景を凝視していた。

「あの時――ヴァル君を召喚した時と……!」

「なっ……!」

 俺は驚愕に言葉を失う。

 つまり、ベルゼルは自らの手で行っているのだ。

 第Ⅰ級禁止魔法の、恐らく悪魔召喚を。まだ生きているム・ドラル人を生贄に。

 言葉はいらない。何をすべきかはわかっている。

 俺は一直線にベルゼルへと迫る。エリカも後方から支援のため魔法を展開する。

 すでにベルゼルの魔法は展開を終えている。魔法陣は淡く発光し、不気味な青白さを放っていた。いつ発動してもおかしくはない。

 俺は『敗者の器』に手を入れる。必要なのは、一撃で仕留められる破壊力。

 姿を現したのは巨大な戦用大槌ウォーハンマー。人一人を粉砕するには十分な巨大さだ。

「間に合え!」

 俺は駆ける勢いもそのままに、大槌ウォーハンマーを後方に引いてからの横殴りの一撃を放つ。そのタイミングに合わせた魔法の集中砲火がベルゼルに迫る。

 しかし、全ての攻撃がベルゼルを捉えたと思われたその時、目を覆うほどの強い光が放たれ、闇を反転させた。

 肌に突き刺さるかのような鋭い魔力の奔流が嵐のように吹き荒れる。それは物理的な衝撃すら伴い、俺の身を完全に押し返した。

 水面は波打ち、その上の船が激しく揺れる。

(間に合わなかったか……!)

 ならばと腹をくくり、光の中で身構える。

 何が呼び出され、何が起きようとエリカを守れるように。

 そうしているうちに衝撃は徐々に弱まり、光も瞬く間に収縮していく。

 そうして俺たちの眼前に映ったもの。

 それは、静寂の港の風景。ただそれだけだった。

 そこには禍々しい魔属の姿も、当の本人であるベルゼルの姿すらもそこにはなかった。

(気配を感じない……いや、姿を隠して襲う気か?)

 いつどこから襲われても対応できるよう油断なく身構える。

 と、その俺の脇を、エリカはスタスタと横切る。

「おい!」

「やられたわ。もうお師匠はここにはいない」

 魔法の中心、ベルゼルが立っていた場所に跪き、その痕跡を観察してそう口にする。

「なんだ?ハッタリかまして逃げたってのか」

「逃げたのは間違いないけど、ハッタリなんかじゃない」

 何かを察した様子のエリカに、俺は視線で説明を求める。

「恐らく魔法は発動したわ。彼らの姿がどこにも無いのがその証拠よ」

 なるほど確かに、先ほどまでいたム・ドラル人の姿が影も形も綺麗になくなっていた。奴等が代償、生贄として"使われた"のは明らかだ。

「魔法が成功したならなんで俺たちを襲ってこない?」

「別に不思議じゃないわ。実質的に亡命が潰えたんだから、ここで私達とやり合う理由もないわ」

「そりゃ確かにそうなんだがよ……」

 本当にやつは逃げたのか?

 逃げただけなのか?

 俺が感じたあの感覚は、なんだったのか。

 奴の言う"次善策"が何を示すのか。

 少なくとも、この場をやり過ごすことがそれではないのは確かだ。

「言いたいことはわかるわ。これでお師匠が大人しくしているとは思えない……いえ、大人しくしてようが関係はないわ」

 言いながら立ち上がったエリカは、闇一色の海原の先を見つめる。

「どこにいようと、探し出して引きずり出す。それだけよ」

 吹き抜ける海風がエリカの髪を揺らし、一瞬だけその表情を覗かせた。

 その時、遠くからの声と多くの靴音がこちらに向かってくるのが聞こえてきた。恐らく準備を整えた警察たちだろう。

 あれだけ派手にドンパチやって、さらに先ほどの強い魔力と光だ。やつらが例えどんな無能でも異変に気付くはずだ。

「とりあえず今夜はここまでだ。一旦宿に戻ろう」

 エリカを促し、俺たちは港を後にした。

 ――一瞬見えたエリカの表情は、これまでにない凄みと覚悟に満ちた鬼気迫るものであった。

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