第五章

「決意と過去と」

「ああ、そうなんだよ」

 その太った中年女の言葉にエリカは真摯な表情で耳を傾ける。

「あのへんは物騒だからねぇ。せっかくあたしが注意してやったのにあのおじいさん、無視して行っちゃってね。あのへんはゴロツキが多いでしょ?身なりも良さそうだったし、目をつけられなければいいけど。お譲ちゃんもあんまりあっちの方は行っちゃいけないよ?」

「はい、気をつけます。どうもありがとうございました」

 礼もそこそこ、早々に立ち去るエリカ。行くなといっている傍から足を向けているエリカを見る中年女は、呆れたようにため息を漏らす。

 マルレーンの隅に位置するこの貧民街スラムは、日々発展してく市街とはどこまでも対照的であった。

 乱雑に居並ぶ家屋や建物はどれも長い年月と雨風に晒され痛みが酷く、ほぼ廃墟も同然。そんな街並みにふさわしく、路肩には柄の悪そうなゴロツキや、住む所のない浮浪者がたむろしている。

 公には都市の一部とは認められておらず、それ故警官も足を踏み入れない。

 かつてはここもマルレーンの一部であったそうだが、それも今は昔。ここは急激な発展に取り残された、この街の暗部なのだ。

 そんな周囲の状況など気にする素振りもなく、険しい表情をしながらひたすら力強い足取りで前を行くエリカ。俺はその背を複雑な心境で見守りながら後に続く。

 港での一件からすでに五日が経過している。

 エリカはベルゼルを探し街中を奔走していた。

 必死すぎるその様には、危うさすら感じる。睡眠も食事も最低限しかとらず、昼夜を問わず街中を駆けずり回っている。そのせいで見た目にもやつれて精彩を欠いている。

 何度も注意してもまったく聞き入れる様子は無く、ため息を吐きながら諦めるのが日課となりつつある。

 貧民街スラムの深部、路地裏通りを躊躇うことなく進んでいく。迷宮のごとく入り組んだ路地裏通りは真昼でも日の光が届かず、ジメジメした陰湿な空気が充満していた。その道端に、空気同様陰湿な雰囲気の男たちがカビのように壁にもたれかかり、ねっとりとした視線をエリカに向けてくる。飾り気こそないが清楚で整った顔立ちの女は、ここの人間にはいささか刺激が強いことだろう。

 欲望が刺激されたのか、不穏な動きを見せる男が二人、狭い路地を塞ぐように立ちはだかる。見るからにゴロツキ然としたそいつらは、このあたりを縄張りとしている輩か。

 これ見よがしに大ぶりのナイフをちらつかせ、下卑た笑みで口を開く。

「痛い目見たくな――」

 ドッ!

 すべて言い終わる前に、重いくぐもった打撃音が響き、男どもはその場でもんどり打つ。

 至近距離からの『スピト』の一撃。

 今のエリカに遣り取りをする余裕などない。明らかに敵意や害意を示すものは、言葉すら交わそうとしない。

 問答無用とはまさにこのことだ。

 エルバで賞金稼ぎ相手に説教を垂れていたのが懐かしく感じられるくらいだ。

 それほど、今のエリカに余裕がない、ということか。

 一言すら発することなく、倒れる男たちを跨いで先を行く。

 かなり奥まで進んだところで、小さな空間に出た。乱立する建物の間に偶然出来た隙間的な空間だった。四方を建物に囲まれたそこは、路地からも完全に死角で人目にもつかない。

 後ろ暗いことをするにはさぞうってつけの場所なのだろう。床や壁の赤黒い染みがそれを示している。

 だが、ある種の不気味さを孕んだ雰囲気も、今のエリカには気にかけるほどの要因にはならないようだ。

 周囲を見渡すと、地面や壁を撫でたり、じっと目を閉じて何かを感じ取るそぶりを見せた。

「なんかあるのか?」

「魔力を感じる。いえ、これは術式……?でも、反応が特殊だわ。もしかすると……」

 目を閉じたままエリカはぶつぶつと呟く。俺への返答なのか、独り言なのか判断に迷う。

 するとエリカはおもむろに掌を地面にかざすと、なにやら魔法を行使した。

 魔力がエリカを中心にクモの巣状に伸びていく。魔力網を走らせ、その反応で何かを探知する魔法だったか。

 果たして、魔力反応がそこにあるものを浮かび上がらせた。

 幾何学模様と複雑な魔法言語で構成された模様が淡い青白い光を放ちながら、この空間の地面全体を埋め尽くしていた。

 それは、紛うことなく魔法陣であった。

 これほど大掛かりな規模の魔法陣は、この世界では初めて見る。

「コレはあれか。前に言ってた、感応式魔法ってやつか?」

「場に設置された発動前の魔法、という点では共通しているけど、これは全く次元が違うわ」

 大げさな言い回しに「ほーん」と胡乱げな反応をする。それを見てエリカは魔法陣を指さして言う。

「そうね。試しにその魔法陣、消してみてくれる?どんな方法でもいいわ」

「おい!俺を身代わりにして起動させるつもりか!?この人でなし!」

「大丈夫。たぶん何も起きないわ」

 俺のオーバーリアクションに、いたって冷静な口調で返すエリカ。

 場を和ますつもりの気遣いを無碍にされ、不満をぶつけるように魔法陣のど真ん中に足を置き、靴裏で踏みにじってかき消そうとする。

 が、消えない。

 俺はいくつか魔法をぶつけてみるが、やはり反応はない。

 ついには『敗者の器』から取り出した大槌を全力で振り下ろして大穴を穿つも、その魔法陣は大穴の上に、宙に浮く形でそこに在り続けた。

 場に刻んだり固着させる方法では、こうはならない。

「それは空間固定された魔法陣なのよ」

「空間固定?」

「外的要因で魔法陣が乱されたり妨害されないよう、地面や物にではなく、空間そのものに魔法を固定しているの。この世界と重なる位相の空間に固定し、発動の瞬間にだけ顕在化する。失敗が許されないような大切な儀式魔法などで昔から使われてきた手法よ」

 位相の空間。すなわち、現実と重なる別次元。

「俺はこの世界の魔法には疎いが、それが恐ろしく高度だってことはわかるぞ」

「ええ。これだけでも高位魔法に類するわ。少なくともこの街でこれができるのは一人しかいないはずよ」

 俺と同じ結論に至ったエリカは魔法陣を詳細に手帳に書き写しながら神妙な顔つきで言う。

「しかも刻まれた術式もかなり大掛かりよ」

「こいつはなんの魔法なんだ?」

「わからない。複雑な上に、既存体系のものじゃない。でも、確かなのは――師匠はまだ何かをする気ということよ」

 言いながら手早く書き終えた手帳をパタンと閉じると、くるりと踵を返した。

「戻りましょう。私は宿でこの魔法のロジックを解読するわ。何かの手がかりに繋がるかも」

 俺の返事も聞かず、エリカは元来た道を戻っていく。

 その後を追う俺は、その空間の入り口でふと足を止め、振り返る。

「……この期に及んで、お前は一体何をする気なんだ?」

 俺はここにはいないベルゼルに、まだ仄かに発光している魔法陣を通して問いかけた。


 *


 貧民街スラムで魔法陣を発見してから更に二日後。

 真夜中でも活気溢れる繁華街を俺はぶらぶらと彷徨う。途中、何度も険しい表情の警官たちとすれ違う。もう今日だけで何人の警官を見ただろうか。

 ベルゼルの屋敷での一件以来、未だ厳戒態勢が続いているらしく、街中に警官が配置されていた。

 この厳しい警戒の中でよくエリカは今日まで見つからなかったものだ。もっとも、それは奴らが血眼になって探しているのがム・ドラル人の方だからだろう。

 そのエリカも今は宿に籠もり、発見した魔法陣の解読に没頭している。その間、俺は引き続きベルゼルを探すために聞き込みを任された。任されはしたが――

「どうしたもんかな」

 聞き込みもそこそこに、この状況に対して物思いに沈んでいた。

 ベルゼルを見つけてしまえば、エリカはそれこそ死に物狂いでベルゼルを追い詰めるだろう。結果、ベルゼルを捕らえられれば、共に当局へ出頭するつもりだ。

 つまり、こうしてベルゼルを追っているうちはエリカが自首することはない。

 エリカには悪いが、実はベルゼルは街をとっくに後にし、どこか遠くに逃げてしまっていればいい……というのが俺の偽らざる本音だ。

 そうであればまた以前のように、ベルゼルを追って終わりのない旅を続けることになる。それが現状でのベストではないだろうか。

 ――そんなことを望んでいる自分に、罪悪感が全くない訳では無いが――一方で、今のエリカを見ていると楽観的にそうとも言えないのもまた事実だ。

 今のエリカは半ば脅迫概念で動いているような様子だ。

 以前は、尊敬する師であるベルゼルを見つければ無罪を証明し、開放される。そんな根拠のない希望が僅かでもあった。

 でも、今は違う。

 ベルゼルを見つけたところで、もはやエリカの罪は変わらない。

 そしてそのベルゼルは希望どころか全ての元凶であり、理想とはかけ離れた狂人であった。

 今のエリカは己の魔術師としての信念から全てを背負い込み、自らを突き動かしている。

 心を殺して、ただひたすらすべてを終わらせるために。

 こんな状態が長く続けば良くない結果になることは、俺でもわかる。

 さりとて、今の俺には何もできない。己のスタンスすら曖昧なまま、唯々諾々と付き従うしか無い。

 結局こうして、己の無力さを痛感しながらだらだらと彷徨うだけの中途半端な有様を晒している。

(もうすぐ朝か……)

 夜空が紺色に滲み始めるのを見て、何ら得るものもなく今日もまた宿へと戻る。

 念のため正面入り口を避け、裏口のドアノブに手をかける――直前に、扉は向こうから勢いよく開け放たれた。

 同時に、何者かが飛び出してきて正面から衝突。俺は小揺るぎもしなかったが相手は小さな悲鳴を上げて床に尻餅を着いてしまった。

「おっと、大丈夫か……って、なんだ。エリカじゃないか」

 尻餅を着いたエリカに俺は呆れながら手を貸して引っ張り上げる。

「いいか?ただでさえお前は何も無いところでも転ぶような危なっかしい奴なんだ。ちゃんと前を見てだな……」

「そんな事はいいの!大変よ!」

 エリカの只ならぬ雰囲気に俺は言葉を飲み込む。

「あれが発動したら大変なことになるわ!今すぐでも止めに行かなくちゃ!」

「待て待て。落ち着けって。何がどう大変なのかキチンと最初から説明しろ」

 今にも駆け出して行ってしまいそうなエリカの手を掴み、落ち着くよう言い聞かせる。しかしエリカは普段にない動揺の色を見せ、早口でまくし立てる。

「あの魔法は、大掛かりな儀式魔法の一部にすぎない。しかもあれは禁止魔法以上の、“禁忌魔法”に違いないわ」

「禁忌、魔法?」

 初めて聞く不穏な言葉に、顔をしかめて反芻する。

 要約するとエリカの説明はこうだ。

 第Ⅳ級から第Ⅰ級まである禁止魔法。

 絶大な力を有する禁止魔法は、存在を認められるが行使は制限される。だから、使途が明確でそれを扱える資格を持つ魔術師――例えば魔導師や王国捜査官エージェント――には、許可される場合もある。

 禁止魔法が制限を受ける魔法とするなら、禁忌魔法とは存在することすら許されない魔法だ。

 このクラスの魔法はいつ、いかなる理由、どんな立場の人間であっても使用禁止はもちろんのこと、その断片に触れただけでも重罪とされている。情報も国によって徹底的に秘匿される。

 その昔、禁忌魔法と知りながらそれを研究し、解明しようとした魔術師がいた。その魔術師は即刻に当局に逮捕され、その日の内に処刑されたという。その魔術師の家は焼き払われ、親戚縁者、友人に至るまで以後国の厳しい監視の下生活を送っているらしい。

 過剰とも思われるその反応と厳罰さはしかし、その危険性を鑑みれば当然の処置と言える。それほどまでに禁忌魔法とは、人の手には余る代物なのである。

 時を遡り、歴史を変える時空魔法。

 理に干渉し、世界を作り変える現実改変魔法。

 古の神々を呼び出す大召喚魔法。

 不老不死をもたらす秘術。

 無論これらは噂レベルに伝わっているもので、本当に存在するかどうかすら定かではない。

「で、ベルゼルはその禁忌魔法とやらを使おうとしている、と?一体何が起きるっていうんだ?」

「正確には何が起きるかは私にも予測はできない。でも、その過程がすでに危険なの」

 そこで落ち着くため息を整えたエリカは溜めるように一呼吸置いてから、

「あの魔法陣にはあの時の――ヴァル君が召喚された時の魔法陣と共通する言語や紋様も見つかったわ」

「そいつは、つまり……」

「この魔法も、代償として生きた人間の命が使われるわ」

 代償。すなわち生贄に他ならない。禁忌レベルの生贄となると、俺の時の比ではあるまい。

「禁忌クラスの大型魔法ってことは、あの貧民街スラムの人間が?」

 あのベルゼルのことだ。貧民街スラムの人間など人とも思わず、実験動物程度の認識しか無いに違いない。

 しかし、エリカは首を横に振って否定する。

「ヴァル君や港の時とは規模が違いすぎるわ。私の推測が正しかった場合、生贄にされるのは……この街、マルレーンの人間全てよ」

 エリカの口から発せられた真実を、俺は理解するのに数秒の時間を要した。

 どうやら俺のベルゼルへの評価は、想像を遥かに上回っていたようだ。

「お師匠を見失ってからもう五日。禁忌魔法の準備がどの程度進んでいるか……だから今は一秒も無駄には出来ないの。今すぐにでも……」

 言いながら俺を押し退けようとしたエリカは、しかし、声は言葉半ばで消えていく。

 視線は俺を通り越した後ろに向けられている。エリカの様子に首を傾げる俺は、

「どこへ行く気だ?エリカ・カーティス」

 その声と同時に生じた強大な二つの存在を感知し、弾かれたように振り向く。

 そこにはまだ幼さを残す白髪の青年が強い眼光でこちらを睨めつけていた。

 その青年の両脇に佇む、片翼の姉妹天使――第Ⅱ級召喚禁止指定の天属種、メリッサとアリッサ。

 そしてそのメリッサとアリッサの主にして、王国捜査官エージェント

 オリン・ウィンフィールドだ。


 ※


「エルバの時といい、街中を白昼堂々と歩き回るとは随分余裕だな。もっとも、そのおかげで居場所が特定できたわけだが」

 オリンの横で勝ち誇った天使どもの顔を見て、俺は自分の迂闊さに奥歯を噛み締めた。

 エリカではなく、俺に狙いを定めたか。

 悔しいが、賢い選択だ。

 恐らくあの双子天使が感じ取った俺の気配――すなわち魔属の気配を掴み、ここを突き止めたのだろう。

 今の俺は1シフトの上、魔力を極限まで抑え込んでいる。けして油断していたわけじゃない。

 しかし悪魔に強い恨みを持つこの双子天使の嗅覚までをも欺くことはできなかったようだ。

(こいつらの執念深さを甘く見ていた。俺のミスだ)

 背後の双子天使が羽を威嚇するように広げ、臨戦態勢で構えていた。両者ともオリンとはまた違った、仇敵を睨む鋭い視線で俺たち、いや俺を射抜いていた。

 しかし、よりにもよって今このタイミングで見つかるとは。

 今はこいつらを相手していられる余裕は無い。エリカの言うとおり、今は時間が惜しい。こうしている今、この瞬間にもその禁忌魔法とやらが発動してもおかしくはない状況なのだから。

「お前には手を焼かされてきたが、それも今日までだ。大人しく――」

「オリン君!今はそんなことをしてる場合じゃないの!話を聞いて!」

「“そんなこと”だと?随分勝手な物言いだな?奪った無辜の命など、お前にとってはその程度ということか?やはりお前は見下げた犯罪者だ」

「今この街でお師匠が禁忌魔法が発動しようとしているの。きっと、また多くの命が失われるわ」

 突拍子の無い言葉を突きつけられたオリンは、露骨に顔をしかめる。

「この期に及んで、そんな妄言で俺を騙せるとでも思ったか?ふざけるのも大概にしろ!」

「……信じてくれなくてもいいわ。でも、邪魔はしないで」

 にわかにエリカの雰囲気が変わる。

「私は必ずお師匠を止める。私の信念にかけて、止めなくちゃいけない。それを邪魔すると言うなら、オリン君でも……」

 言いながら、エリカの中の魔力が急速に練り上げられていく。

 それに反応した背後の双子天使も得物を現出させる。

 いよいよ場の緊張は一気に高まり、俺も反射的に身構えざるをえない。

(これは良くないぞ、エリカ……)

 この一刻を争う状況で双子天使どもとやりあう余裕はない、というのもある。

 あれだけ傷付けることを忌み嫌ったエリカが目的のために、かつての後輩を力でねじ伏せようとしている。

 それほどまでに追い詰められ、冷静さを欠いているということだ。

 こんなんでベルゼルを止められるはずがない。

 この状況下でただ一人、オリンだけは身じろぎもせず、エリカの瞳の奥にある真意を見抜こうと鋭い視線を向けていた。

「信念、か」

 ふと、オリンはぽつりとそうつぶやく。

「“魔法は人を幸せにするためにある”……昔、あんたは俺にそう言ったな」

「ええ。今でも覚えているわ」

「今もその考えに変わりはないか?」

 短い問い。エリカは僅かも迷うことなく答えた。

「もちろんよ。今も昔も、魔術師としての私の根幹よ。変わるわけがないわ」

 それを聞いたオリンは一瞬、目を細めたのを俺は見逃さなかった。

 どこか懐かしむような、安堵したような笑みに見えた。

「あんたのその信念に、俺は救われた」

「え……?」

 意外な言葉に、構えていたエリカは虚を突かれた様子で呆然とした。

 その表情が、思い当たる節がないというように見えたのだろう。オリンは「初めて会った時だ」と付け加える。

 ということは、こいつらが魔法学校の先輩後輩だった頃の話か。

「自分に潰れかけていた俺に道を示してくれた。今の俺があるのは、あの時の言葉のおかげだ。あんたは俺の憧れであり、目標だった……」

 「なのに!」と、束の間の穏やかな雰囲気は、吹き出す激情に上塗りされる。

「お前は禁じられた悪魔を呼び出した!それも、罪のない人たちの命を犠牲にして!それはお前のご立派な信念がさせたのか!?」

 声を荒げ、糾弾の言葉をエリカにぶつける。エリカはただ俯き、押し黙る。

「答えろ。それとも、あの時俺に言った言葉は全て嘘だったのか?」

「いい加減にしろよ。何も知らねぇガキが、偉そうに抜かしてんじゃ――」

 凄んで詰め寄る俺の前に手をかざして制したのはエリカだった。

「確かに私は許されない罪を犯した。例え自分の意思ではなかったとしても、それを言い逃れするつもりはない」

「……」

「それでも私は今、師匠を止めなくちゃいけない……でも、約束するわ。それが済めば、私は潔く縛に就いて、罪を償うと」

 真剣な眼差しで、改めて自分の覚悟を口にする。その先に待つ結末をも受け入れていることを、オリンも察したのだろう。

「あんたはそれでいいのか?」

 絞り出すような声のオリンに、エリカは頷く。

 そして気丈に微笑んで言う。

「それに、もう遅いかもだけど、オリン君の憧れの先輩でいたいからね」

 果たして、そこに何を見たのだろう。

 オリンは息を詰まらせ、表情を歪ませた。それはとても複雑で、込められた感情は余人には読み取れないものであった。

「どうしてなんだ……こんなになっても、なんではあなたのままなんだ……!」

 言いながら俯き、表情を掌に押し付けるように覆う。その声には嘆きと憤りが混在していた。

「いっそ変わり果てて極悪人にでもなってくれていれば、どれだけ楽だったか。それなら俺はこんなに苦しむことなく、あんたを正義と信念の名のもとに断罪できたというのに……!」

「お、オリン君?」

 明らかに様子の違うオリンに、そして発言の意味するところが掴めずエリカは困惑する。

「あなたが指名手配された時、俺は信じなかった。なにかの間違いに違いないと。だから追跡の任に志願した。逮捕するためじゃなく、あなたの身に何があったのかを確認するために……そして、助けを求めているならは全力でそれに答えるつもりだった。それがたとえ、職務を逸脱することになろうとも」

 その告白は、エリカはもちろん、俺も双子天使までもが驚きの表情を作った。

 なるほど。こいつの執念深さは、愛情の裏返しだったわけだ。

 もっとも、そうなってしまった原因の一端は、おそらく俺にあるのだろうが。

 こいつなりに、職務の正義と、恩人への信頼との間で葛藤していたのだろう。

 しかし、完全に均等だったその天秤が傾いた。

 エリカと言葉をかわす前に、俺がこいつを半殺しにしてしまったことで。

 それは続く言葉が証明した。

「でもあなたは悪魔を使役し、それで僕は死にかけた……目を覚ました時、思ったよ。あの人は変わってしまった。あの日のあなたはもうどこにもいないんだと」

 そして呟くような小さな声で、

「そう自分に言い聞かせなければ、職務遂行などできなかった……」

 と、付け加えた。

 その話を聞いたところで、俺は自分の行いに微塵も罪悪感は感じない。あの時の俺には知りようもないことだからな。

 ただ、もしあの時、もう少しだけタイミングが違えば、今の状況は変わっていたかもしれないとは思う。

「裏切られた恨みの感情を"職務だ""信念だ"と思い込ませて、今日まであなたを追ってきた……でも、あなたは変わっていなかった。あの森で再会したときも、今、眼の前にいるあなたも、あの頃と何も変わっちゃいない。もう、自分を騙すことはできない」

 俯いていた顔を上げ、エリカを真正面から見つめる。そして、

「あなたは今でも、僕の憧れの先輩です」

 両の眼からは涙を流し、しかしエリカを心から慕う笑みでそう告げた。

 そこに敵意も怒りも、微塵もない。

 それは、王国捜査官エージェントの仮面が剥がれ、エリカを慕う後輩に戻った瞬間だった。

 エリカは感に堪えないといった様子で口元を抑える。目元からはオリンの比ではない、滂沱の涙を流している。

 そして手を広げてオリンに歩み寄る。双子天使はとっさに警戒したが害意がないことを察し、武器を収めた。

 エリカはオリンを強く抱きしめ、嗚咽混じりの震える声で言った。

「ありがとう。オリン君」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る