第9話 文化祭まで一ヶ月
巻は親しげに同級生たちと腕を組み歩いていた。腰上まである髪は、重みで振り子のように揺れている。そうして揺れる度に窓から入る日差しを反射し輝いた。廊下を進んでいると、食堂に向かって早歩きをしている生徒たちとすれ違う。その生徒たちとぶつかることのないよう、同級生がそっと腕を引き寄せた。巻はそれに優越感を感じ、口の端を少し上げる。そうしながら職員室の前に着くと、扉を三回ノックしてから横に引いた。
「失礼します。エラ先生お昼行こ!」
その声に反応してブロンドヘアが大きく波打った。勢いよく立ち上がると大きな声で返事をする。
「今行きます!」
貴重品や化粧品が入った小さなカバンを持ち、学生たちが待つ扉に向かって歩き出した。廊下に出て軽く声を掛けると、全員が目を輝かせていた。その表情に困惑していると巻が話し始める。
「さっきの授業で文化祭の話してたの」
そう言いながら歩き始めると、詳しく説明を行った。
「あと一ヶ月で文化祭だから本格的に動き出すんだよ。うちのクラスはお化け屋敷だから衣装とか作り始めるの。他にはダンボールとか使って迷路風にしたりする」
エラは夏休み前に生徒たちが出し物の話をしていたことを思い出した。文化祭実行委員たちは既に準備を始めていたような気がする。しかし、それらのことはクラスをもつ担任や橘のような副担任、実行委員会の担当教員でなければあまり関係ない。エラは何にも属していないため、なんとなくでしか知らなかった。
「おー、なんかすごいですね」
イメージができないせいで曖昧な返事をしてしまう。その声を聞き、巻はエラを見上げた。しばらく横顔を見つめた後、真剣な表情で提案する。
「エラ先生も一緒に作ろうよ」
エラは目を丸くしその表情のまま固まった。そして、小さな声で呟く。
「私にもできることありますか? すごく難しそう」
何をするかわからないため、普段のように二つ返事で引き受けるわけにはいかない。しかし、その心配をかき消すように巻が畳み掛ける。
「あるよ、むしろ簡単なことばかりだよ。わからなくても私が全部教えてあげる」
そう言いながらエラの腕に手を触れ、ゆっくりと微笑む。
「エラ先生もうちの学校の一員なんだから、一緒にやろうよ」
その言葉に瞳が揺れ、自然と眉尻を下げた。
「嬉しい。やります! なんでもやってみせますよ!」
胸の前で拳を握り何度も振った。やる気に満ち溢れた表情をして、目を輝かせている。それを見て周囲にいた生徒たちが笑いだす。笑い声と窓から差し込む光がその場を明るい空間にした。
エラは放課後に早速二年一組の教室へ向かった。毎日居残りをして準備を行うと昼食時に伝えられていたからだ。教室の扉を少し開き中の様子を伺う。すると、昼間のメンバーが既に作業に取り掛かっている姿が見えた。机を部屋の端に寄せてスペースを作り、床に座り込んでいる。各々ダンボールを切ったり、ノートにアイデアをまとめたりしているようだ。その姿を見ているだけで褒めたいという感情が押し寄せてくる。エラは扉をしっかりと開き、大きな声で生徒たちに呼びかけた。
「皆さんすごい! 頑張ってますね!」
その声のボリュームで全員が顔を上げた。そして、本当に来てくれたなど様々な声が聞こえる。巻は来てくれてありがとうと言いながら、座っていた机から降りた。
「ダンボール班と衣装班どっちがいい?」
巻が二つを交互に指を指しながら尋ねる。
「どっちもです!」
再び教室の外まで聞こえる声を出したため、巻は失笑する。しかし、エラの表情があまりにも輝いていたため、頭を搔きながらもう一度指を指した。
「じゃあ今日は衣装班で明日はダンボール班にしよっか」
「わかりました! すごく楽しそうです!」
そうして作業に混ぜてもらい、衣装の生地はどうするかなどを話し合った。
どうやら衣装の大まかなデザインは決まっているが、材料はまだ購入していないため、作り始められないらしい。
「誰かが買いに行かないといけないね」
「どうしようかね」
衣装班のメンバーがそう呟くと、エラが手を挙げた。
「私買いに行ってきますよ!」
そう提案し生徒たちの顔を見ると、皆険しい表情をしている。衣装班のメンバーは生徒が教師を使い走りに行かせていいのかと悩んでいた。エラは困惑して挙げていた手をゆっくりと下げる。
少し間が空き、教室の扉から人影が見えた。その人影が手から大量のペットボトルを落とし、全員が反射的に扉に視線を向ける。
「橘先生!」
エラが思わず立ち上がり扉に向かって駆け寄る。一方橘はペットボトルを拾いながら、冷や汗をかいていた。
「橘先生どうしたんですか?」
同じように屈みながら話しかけると橘は慌てて顔を上げた。
「いや皆に差し入れで飲み物をと思って、でもエラがいたからびっくりして」
自身の鼓動の速さに気を取られて、曖昧な話し方になってしまう。エラは首を傾げながら、もう一度問いかける。
「たくさん飲み物持ってどうしたんですか?」
橘は一度深呼吸してペットボトルを床に並べた。そして、立ち上がると教室全体に声を掛ける。
「差し入れです。よければ飲んでください」
そして、まだ屈んでいるエラを見下ろしながら小さな声で話しかける。
「なんでここにいるんですか」
エラはパッと顔を上げ、綺麗に並んだ歯を見せるように笑いながら答えた。
「一組のお手伝いをすることになりました!」
その返答で橘は再び冷や汗をかき始めた。よりによってどうしてうちのクラスなのかと頭を抱える。なぜなら予定外の接触は動揺が勝ってしまい、上手く立ち回れないからだ。そのようなことを考え複雑な表情をしているにもかかわらず、エラはある提案をする。
「橘先生もお手伝いしに来たんですよね。一緒にお買い物行きませんか?」
思いがけない提案に頭が追い付かなかったがそれよりも先に言葉が出た。
「行きます! けどなぜ?」
「服作る布が必要なんですよ」
そう教えながらエラはゆっくりと立ち上がる。そして、橘の手を両手で包み込み微笑んだ。
「買い出しいつ行きます?」
橘は咄嗟に手を後ろで組み、何事もなかったかのように振る舞う。
「その前に進捗状況を教えてください」
そう言われて巻が各班の進み具合を説明すると、橘の表情が険しくなった。生徒たちが考えた衣装デザインを見て、少し見通しが甘いのではないかと感じたからだ。
「ダンボール班はそのまま進めて大丈夫そうです。ただ、衣装班は少し見直さないといけないかもしれませんね。衣装のイメージを詳しく伺ってもよろしいですか?」
デザイン画を描いた生徒がパーツごとの縫い方や、どのような生地を使いたいかなどの説明をした。橘はやはり一つの衣装に対して金がかかり過ぎている。また、学校から支給される予算は一万円のため、デザイン画通りに作るのは不可能だと判断した。
「このデザインのワンピースを作るとしたら三千円はかかりそうです。中にパニエを履くとしてもここまで綿毛のようなスカートにするには生地を選ばないといけませんから。他の衣装も予算的な部分で難点がありますね」
そう指摘され、デザインを考えた生徒の表情が曇る。
「でもここまで練ってくれてありがとう、すごく素敵ですよ。このままのデザインでいきましょう」
橘の暖かさに生徒は目を潤ませながら先生~! と声を上げた。
しかし、周りは眉間にしわを寄せたままだ。
「衣装だけで予算使い切るわけにはいかないしどうするよ」
生徒たちは諦めムードを出しながらそう話していた。橘は何とかこの空気を抜け出し、やる気を取り戻してもらおうと頭を捻った。
「皆さんがよければクラスで古着を集めそれをリメイクしませんか」
その一言で全員が橘を見つめた。
「リメイクなら時間もお金も一から作るよりかからないしいいと思うのですが。でもイメージ通りになるかは皆さんの腕にかかってます」
橘の提案に感嘆の声が上がる。「それならいけそう」「ちょっとレースとか買えば足りるんじゃない?」などと話し始め、クラスに活気が戻ってきた。そこまで黙って話を聞いていたエラは両手を机に突き、勢いよく立った。
「名案ですね! 明日クラスの皆に話しましょう」
とても真剣な声色だったため、全員の気持ちが引き締められた。そして、なんだかやっていけそうだというメンタルに変化していた。
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