第5話 飲み会
エラは定期的に開催される宴会を面白いと感じ、とても楽しみにしていた。今も数時間後に迫っている宴会に向けて、お腹を空かせようと運動をしている。体育館で運動部に混ざり、コート周りを走っていた。コートはバドミントンなどができるサイズ間で、それが二つ横に並んでいる。そのため、一周には意外と時間がかかり、体力も奪われた。しかし、エラは小さい頃から身体を動かすことが好きだったこともあり、現役高校生と同じスピードで走ることが出来ている。また、毎日行っている教室から職員室への走りも、どのようなフォームでもお構いなしに最後まで走り抜けた。ヒールを履いて走ることでさらに負荷がかかっているはずだが、本人はあまり気にしていない。
「エラ先生、本当に、体力ありますね! はぁ」
隣を走る生徒が辛そうな態度を隠さず声を掛けた。
「毎日廊下走ってますからね!」
元気よく答えたが、実は廊下走るの禁止なんですよと返されてしまう。まだ知らないフリで通したいと思い、聞こえなかったと耳に手を当てながら離脱した。くせ毛のポニーテールを手で梳かしながら、体育館の扉前に移動する。こめかみには金髪が張り付き、光を受けて輝いていた。Tシャツの袖でそれを拭うと、腰に手を当てて生徒たちを眺める。皆全国大会を目指しているのかという程練習に励んでいて、ひたすら感心した。部活動でこの練習量かと少し驚きも混ざっていたが。
しばらく眺めた後、汗が冷える前に着替えようと更衣室に向かい始めた。エラは普段スカートを履くことが多いため、急な力仕事に備えて運動着と運動靴をロッカーに常備している。運動着を着るとプロポーションの良さが引き出されて、さらに人目を引いた。そのため、廊下を歩いていると普段以上に生徒から話しかけられる。軽く手を振ってその場を過ぎ、職員用の更衣室へ姿を隠した。
エラは着替え終わった後、特に行く当てもなくなり職員室に戻ることにした。扉を開けると教師の姿は疎らで、すぐに橘を見つけることができた。部活動が終わり教師たちが戻ってくるまでの間構ってもらおうと思い、駆け足で向かう。
「橘先生! 何してるんですか?」
横に立ち手元を覗くと、橘が振り向いて目が合った。
「一組の小テストを採点してます」
「お! 巻さんのクラスですね!」
エラは表情を明るくし、小テストの結果を見ようと近付いた。しかし、橘がその額を抑えて阻止する。
「巻さんの分はまだですよ」
そう言われてエラは右手を勢いよく挙げた。
「私も採点します!」
橘はその提案に不安を感じたが、キラキラした目を見て断れなかった。そして、不安よりも巻との関係が気にかかる。様子を見るためにも巻の分が含まれているプリントの束を手渡し、気を付けてやってくださいと懇願した。
職員室の座席は廊下側と窓側の列があり、互いに向き合う形でデスクが並んでいる。二人は窓側だが背中に面しているため、外を眺める機会は少なかった。しかし、エラは隣の人に話しかける時、身体ごと向けるため自然と外の景色を見る癖がついていた。昼間に比べて多少日が落ち、過ごしやすそうに見える。エラは自席に着くと、間違いがないよう気を付けて採点を行った。そして、全員にスマイルマークやエラが好きなアニメキャラクターのイラストを添えた。そちらの作業の方が楽しくなってしまい、さらに凝っていると紙の束で頭を叩かれた。眉をひそめて見上げると、橘が渋い顔をしていた。一枚に時間を掛け過ぎていると指摘されて思わず肩をすくめる。
「でも全部終わりました!」
そう言って橘にプリントを渡し、口角を片方だけ上げて見せた。
「うん、ありがとうございます」
受け取ったプリントを片手で持ち、そっと側頭部に触れた。そして、顔を近付け助かりましたと伝えて微笑む。エラは橘が立ち去ってからも微動だにせず、教師から声を掛けられるまで余韻に浸った。
教師六人で高校の最寄り駅から少し離れた飲食店街に来ていた。本当は最寄り駅の方が便利だが、毎回生徒に会わないような場所を選んでいる。そして、今日は飲み放題付の焼き肉屋だ。この店はテーブル席がかなり広くて、団体客からかなり人気があると見受けられる。メインの肉は無論サイドメニューも充実していて、体育教師は大食いに来ているのかというほど料理を注文していた。エラは待ちに待った宴会でとても気持ちが高ぶっている。
「Let's gooooo!!」
そのため、かなりハイスピードでアルコールを摂取し、誰よりも先に仕上がってしまった。すっかり大人しくなり、宙を見つめている。こうなってしまうのは酒に弱いからではなく、ただペースが速いからだ。楽しみにしていたのにすぐ寝てしまい、仕方なく端の方に置かれていた。橘はその姿を横目で見て、話しかけられなかったと静かに落ち込んだ。今日は諦めて次回頑張ろうと決め、ハイボールを呷った。
普段橘はあまり飲み過ぎないようにしていた。二日酔いを恐れているし、少し酔うだけで楽しむことが出来るタイプだからだ。しかし珍しく飲み過ぎてしまい、かなり良い気分になってしまう。
「ふふふふふ、たのしいですねぇ」
「橘先生? その笑い方どうしたんですか!」
いつも冷静な橘の様子がおかしくて、皆少し動揺した。その流れでそろそろお開きにしようという話になり、帰り支度を始める。橘はエラのそばに行き耳打ちした。
「私が連れて帰ってあげるからねぇ」
店を出て駅の方へ歩いていると、教師たちは後ろから声を掛けられ振り向く。
「今日はタクシーで帰ります。エラ先生も潰れてるんで乗せていきますね」
わかりました助かりますと返して誰も橘のことを止めなかった。むしろ橘先生にはいつも介抱させてばかりで申し訳ないと話している。そのまま教師たちは駅へ向かうエスカレーターに乗った。
橘はエラの腕を自身の肩に回し、支えながら歩いていた。そして、駅周辺にあるタクシー乗り場に向かう。二人揃ってかなりふらついていたが互いに支え合うことで、前に進むことができた。幸い乗り場は混んでおらず、スムーズに自宅へ向かい始めた。高校から電車に乗ると四十分程かかるが、タクシーだと約十分短縮できる。そのため、橘は毎日タクシーに乗れたらどれだけ楽だろうと考えていた。すると、先程まで大人しかったエラが突然話しかけてきた。
「おー、車? どこ行くんですか」
虚ろな目をして、口も開いたままだ。
「自宅」
橘は端的に答えると、これ以上は聞き返してこないと思い窓の外を眺めた。もうすぐ自宅の最寄り駅に差し掛かる。しかし、エラがシートベルトを外そうとし始めた。
「帰る前にお酒買います! 今日全然飲んでません!」
力が入らない手で無理やりシートベルトを引っ張り出したため、橘は慌ててその手を抑えた。
「いや飲んだでしょ、忘れたんですか」
「降ります!うー、コンビニ行きたいです!」
橘は大人しくしてもらうために、仕方なくコンビニの前で一度降りることにした。二人分のシートベルトを外して、車内から身を乗り出す。後ろに手を差し伸べようとすると、すでに目の前まで来ておりそのままコンビニへ駆けていった。その後ろ姿を見て無邪気な少女のように感じた。実際はただの酔っ払いということが痛かった。
しばらく待っていると何を買ってきたのかわからなかったが、大きなビニール袋を提げて帰ってきた。もう一度乗車し再度自宅へ向かう。坂を登り住宅街を走るとグレーのアパートに着いた。エラはその外観を見て目を見開いた。
「ここ私の家じゃないです!」
橘は何食わぬ顔で、自宅って言いましたとだけ小さな声で返す。そのまま料金を支払っていると、エラは諦めたような表情をした。
「ここは橘先生の家ですね」
二人でタクシーから降りるとエラは両手を腰に当てて宣言した。
「今日は朝まで飲みますよ! 橘先生がいけないんですからね!」
鼻から勢いよく息を吐きだし、気合を入れている。しかし、橘はどうせまたすぐ寝るんだろうと甘く見ていた。
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